怨入骨髄
三鹿ショート
怨入骨髄
年齢の差から、その関係が犯罪的だと思われたとしても、仕方が無い。
だが、二人が心の底から愛し合っていることを知っているために、私だけは味方として生き続けようと決めていた。
しかし、彼は裏切った。
他の女性と結婚し、子どもを拵え、問題など存在していないかのような生活を続けている。
私の妹といえば、彼に裏切られたというあまりにも大きな衝撃によって、背の高い建物から飛び降りた。
今の妹は、写真の中でのみ、笑顔を浮かべ続けている。
その笑顔を見る度に、私は写真の彼の顔に、刃物を突き立てた。
今では、顔は無くなっている。
***
妹の代わりに彼を傷つけたとしても、その行為によって妹がどのような反応を見せるのかなど、分かるわけがない。
ゆえに、私の行為には意味など存在していないのだろうが、少なくとも、私の気分は良くなるだろう。
私が行動を決めたのは、妹の命日に必ず送られてきていた彼の手紙が途絶えたためだった。
それは、妹の存在を忘れようとしているという意味に他ならない。
妹がこの世から去った原因が誰であるのか、彼は理解していないようだった。
私は妹の写真に向かって謝罪の言葉を吐くと、台所に置いていた包丁を手に、彼の家へと向かった。
呼び鈴を鳴らさずに突入することも考えたが、騒がれることによって邪魔が入ることを避けるためには、なるべく怪しまれないようにするべきだろう。
深呼吸を繰り返した後、私は呼び鈴を鳴らした。
若い女性の声が聞こえてきたために、彼の友人だということを告げる。
やがて、扉が開かれ、中から先ほどの声の主であろう女性が姿を現した。
年齢的に、おそらく彼の妻だろう。
疲れ切ったような様子の彼女に対して、彼に会いに来たということを告げると、相手は困惑したような表情を浮かべた。
その反応に首を傾げると、彼女は私に問うた。
「彼の状態を、知らないのですか」
私が首肯を返すと、彼女は私を家の中に入れた。
案内された先には、彼が寝台で横になっていた。
昼間から寝ているのかと思ったが、目を開けている彼の身体中に管が挿入され、室内に機械音が響いていることから、どうやら彼が望んで寝ているわけではないようだった。
立ち尽くしている私に向かって、彼女は彼の現在の状況について説明してくれた。
端的に言えば、病気によって寝たきりになったらしい。
目は開いているものの、声をかけたとしても反応することはなく、ただ生きているだけだという状態のようである。
其処で、先ほどまで抱いていた殺意が消えていることに気が付いた。
この病気は、妹を裏切ったことに対する罰だと考えたのだろうか。
だが、私は首を横に振り、その思考を霧散させた。
望まずして病に倒れる人間が存在することを思えば、病気になるということを罰だと考えてはならない。
罪を犯した人間は、人間の手によって、罰せられなければならないのだ。
彼女が私のために茶を淹れるということで席を外した隙に、私は隠し持っていた包丁を手に、彼に近付いた。
包丁を見せながら妹の敵討ちだということを告げたが、彼が反応することはない。
おそらく、私が包丁を刺したところで、彼は叫ぶこともないだろう。
静かに傷つき、静かに血を流し、静かにこの世を去るのだ。
しかし、それで構わなかった。
彼が苦しむ姿を見たいが、究極の目的は、妹と同じようにこの世から消えてもらうということだったからだ。
私が包丁を振りかざし、そしてその胸に突き立てようとしたところで、彼女が戻ってきた。
私の行為に驚いた彼女が叫び声を上げ、近所の人間が集まってきては困ると思ったが、彼女は私の行為を止めようとはしなかった。
それどころか、何も目にしていないかのように、茶を差し出してきたのである。
その様子に目を丸くしていると、彼女は口元を緩めた。
「どのような理由で彼を殺めるのかは知りませんが、その行為によって気分が晴れるのは、あなただけではありません。私は、彼の世話に疲れてしまったのです」
***
何の反応も示すことがない人間の世話を延々と続けることの苦しみを、私は知らない。
だが、今にも夫が殺害されようとしているにも関わらず、それを止めることがないということを思えば、私が想像しているよりも遥かに大きなものなのだろう。
つまり、私が彼を殺めることで救われる人間は、一人増えるということになる。
通報するつもりは無いと彼女が言ったために、事件が公になるまでは時間がかかるだろう。
その間に、私は別の土地へと逃げることができるのだ。
彼女に対して、本当に彼を殺めても良いのかと改めて問うと、彼女は迷うことなく首肯を返した。
これで、私は心置きなく、彼の生命を奪うことができるのだ。
彼を前に、私は瞑目し、大きく息を吐いた後、手にした包丁を彼の身体に突き刺した。
規則的な機械音は、やがて長音のみへと変化した。
それが何を意味するのかなど、医者ではなかったとしても分かることだった。
***
彼の生命を奪ってからも、私の生活に大きな変化は無かった。
それは、私の罪が公のものとなっていないということが理由なのだろう。
それに加えて、私には罪悪感というものがなかった。
通常、他者の生命を奪うなどという行為に及べば、罪の意識に苛まれることだろうが、私にはそれが無かった。
人間として、それはそれで問題が存在しているようにも感ずるが、おそらく彼以外の人間を殺めた場合には、罪悪感を覚えるだろう。
つまり、彼という人間は、この世から消えることが当然だということなのである。
しかし、私が間違っているということもまた、理解していたが、そのことには目を向けることがないように努めることにした。
怨入骨髄 三鹿ショート @mijikashort
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