第41話キセキ④
『さあ、午前零時からお届けしているテレビNET開局50周年記念番組24時間ライブも、いよいよあと一組のステージを残すのみとなりました。1991年、彗星のごとく現れ、瞬く間に日本中のロックファンの心を虜にしてしまったトリケラトプス。
人気絶頂のまま、わずか三年の活動期間を経てまさかの突然解散……しかし、その解散劇の裏には、メンバーの天才ギタリスト前島 晃の病死という悲しい事情があったのです。
そして、時は流れ2024年。30年の沈黙を破ってここに今、再びあの伝説のバンド、トリケラトプスの再結成が実現しました!
CMの後の90分間、ジャパニーズロック界最強のバンドと評される彼等のステージを存分にお楽しみ下さい!』
そんな、テレビNETの看板アナウンサーの紹介によって視聴者の期待を煽った後に、番組はCMへと切り替わった。番組も佳境、このトリケラトプスのステージが最大の見せ場とあって、アナウンサーの語調にも力が入る。
ところが、いざCMが終わり再びテレビ画面がそのアナウンサーの顔を映し出した時、彼はなんとも歯切れの悪い口調で、こう切り出した。
『え――、この後トリケラトプスのステージの予定でしたが、会場の武道館の方、もう少し準備に時間がかかる様です………準備が整うまでの間、今までのハイライトシーンをまとめたVTRがございますので、そちらをご覧いただきたいと思います。準備が整いしだい…………』
ちょうどその頃、武道館ではトリケラトプスのステージを目前にあるトラブルが発生していた。
* * *
「おい、一体どうなってんだよこれは!」
突如として、武道館の全ての照明が消え、真っ暗になっていた。
「本田さんよ、これもアンタの演出なのかい?」
「違いますよ! 何だこれは、停電しているのか?」
トリケラトプスの登場まで、あと数秒。そんなところで起きた突然のハプニング。インカムで状況を確認する本田に、スタッフからの応答が返って来た。
『本田さん、落雷です! 武道館のすぐ近くで落雷があり、この近辺一帯の送電が一時ストップしているとの事です!』
この日の夕方頃から発令されていた《大雨、雷警報》はまだ解除されておらず、運の悪い事に落雷による停電は、この武道館のライブに大きな影響を与える事となった。
「わかった。誰か東電に復旧の見込みを問い合わせてくれ。それから、客席がパニックを起こさないように拡声器で呼び掛けを頼む!」
スタッフに指示を与えると、本田は天を仰ぎ大きなため息をついた。
暗闇で姿は見えないが、恐らくそこに居るであろうトリケラトプスのメンバーに今の状況を知らせる。
「落雷だそうです。復旧の見込みは今問い合わせていますが………すみません、これからって時に………」
「まったく、ウチのバンドはホントに武道館と相性が悪いみてえだな」
以前、トリケラトプスの武道館公演が台風で流れた事を引き合いに出して、森田が呆れたように呟いた。
「しかし、送電が復旧しなかったらどうする?いつまでもこのままって訳にはいかないだろう」
「五分~十分であればこのまま待機しますが、それが限界だと思います。さすがに観客をそれ以上待たせられません」
「それまでに復旧しなければ、ライブは中止って訳か………」
「残念ですが、そうせざるを得ないと思います」
武藤の問いかけに、本田は悔しそうに答えた。電気が来なければライブどころでは無い。いくら本田でも、こればかりはどうしようも無かった。
黒田の件、そして今の停電といい、まるで見えない何かに運命を弄ばれているような、そんな気さえしてくる。
「五分~十分か………」
それで、森脇の再起を懸けたこのトリケラトプスのステージは取りやめとなる。番組では急遽別の企画を立ち上げ、残りの時間を消化する方向へと動き出す事となろう。
視覚を奪われた暗闇の中では、時間の感覚が鈍化する。一分がとてつもない長い時間に感じられた。森脇はジャケットの胸の内ポケットに手を入れ、前島から貰ったジッポを力強く握り締めた。
(晃………これはお前の意思なのか?こんなハンパなステージなら、演らない方がマシだって事なのかよ?)
心の中でそう問いかける。今のこの状況は、これからやろうとしている、まるで丁半博打のようなステージに対しての前島からのメッセージなのではないか?森脇にはそんな気がして仕方が無かった。
客席の方では、拡声器を持ったスタッフがこの状況を声高に説明して回る声が聴こえた。
『只今、落雷による停電の為会場の電源が全てダウンしております! ご来場の皆様にはご迷惑をおかけして申し訳ございません! 今暫くそのままの状態でお待ち下さい! 危険ですので席から立ち上がらないようお願いします!』
「ふざけんな! 俺はトリケラトプスを観に来たんだ!」
「いつ復旧するんだよ! 早くはじめろ!」
会場のあちらこちらから、不満を抱えた観客からのヤジが飛ぶ。これからトリケラトプス登場というこのタイミングでの停電が、もどかしくて仕方が無いといった様子だ。
『落ち着いて下さい! 只今、復旧の見込みを問い合わせています! 今暫くお待ち下さい!』
そんな観客席でのやり取りを聴いて、本田は渋い表情で唇を噛んだ。
「最悪だ。トリケラトプスのステージが中止になれば、観客は暴動でも起こしそうな雰囲気だな………」
そう呟き、スマホの待ち受けで現在の時刻を確認すると、停電が始まってからおよそ三分程が経過していた。
悔しいが、もうそろそろ決断しなければならない。暗闇での観客のストレス、そしてスタジオで代わりに放送する内容の検討時間を考えると、これ以上は引き延ばす事は出来ない。
本田は取り出したそのスマホで、登録してある局の電話番号を出し、それを耳に当てた。
と、その時………
「本田さん!」
それは、陽子の声だった。
本田が声のする方向を見ると、暗闇の中、携帯用のペンライトらしい光がこちらへ近付いてくるのが確認出来た。
「たった今、確認出来ました! 停電はもうまもなく解除されるそうです!」
そう叫ぶ、陽子の嬉しそうな声が聴こえた。
* * *
陽子の言う通り、武道館一帯の停電はそれから一分もしないうちに無事解除された。
「ふう、なんとかライブは出来そうだな。あのまま停電が続いたら、俺達の代わりに稲川淳二のライブが始まるところだったぜ」
停電が復旧した安堵感からか、武藤がそんな冗談を言って笑った。
しかし、そんな武藤とは対照的に、森脇はまるで戦場にでも行くかのような真剣な顔をしている。
「おい、なんて顔してんだよ。これから楽しいライブの始まりだぜ」
肩に力の入った森脇への、武藤の気遣いだった。その一言で気を取り直した森脇が「そうだな」と呟いて微笑んだ。
とにかくやれるだけやってみよう。
そう覚悟を決めた森脇は、眩い光を放つ、これから自分達が立つであろうステージの方へと目を向ける。
ステージの異変に気付いたのは、その時だった。
誰も居るはずの無いステージ………
そのステージの中央に、ひとりの男が立っていた………
* * *
「誰だよ、あれは……?」
森脇の言葉に、ステージ袖の全員がその男の方へと目を向けた。
森脇には見覚えの無い顔………いや、そうでは無い。出番待ちの楽屋のテレビに出ていた。
確か、全員楽器が弾けないとかいうバンド。そのバンドでギターを弾く真似をしていた男だ。
「あれは《プラチナボンバー》のギター、喜矢尻君ですね」
その名前を陽子が口にした。
「てか、なんであそこにいるんだよ?」
「さあ……私に訊かれても……」
自分が知るはずも無い。と首を傾げる陽子。
その男、喜矢尻は手にギターを持ち何も喋らずただ、無言で立っているだけだった。観客は、その様子を少しの間黙って見つめていたが、その意味不明な行動に次第にざわつき始める。
そして、同様に彼を見ていた本田が不快感を
「どうせ停電のどさくさに紛れて、ウケでも狙うつもりだったんだろう。この大事な時に余計な事しやがって!」
インカムに向かい、スタッフに喜矢尻を排除するように、本田が命じようとしたその次の瞬間。
喜矢尻のとった行動に、武道館にいた全ての人間の目が釘付けとなった。
* * *
喜矢尻は、弾けるはずの無いギターを弾き始めた。
しかも、ただ弾くだけでは無い。
その様子を観覧席で見ていたC,z の松本から、感嘆の声が洩れる。
「上手い……いや、上手いなんてもんじゃない。あれじゃ、まるで………」
その衝撃を受けていたのは、松本の隣に座っていた布袋屋も同様であった。そして、ステージ袖に控えている森脇達にもそれは伝わっていた。
「いったい、どうなっているんですか? あれって、エアギターなの?」
陽子の疑問を本田が否定する。
「いや、違うだろう。あの音源を停電の間に仕込める訳が無い。それに………」
その後を森脇が続けた。
「指使いを見てりゃわかる。あれは本物だ」
まるで、ギターが体の一部であるかのように、彼は自由自在にギターを操っていた。この世の全てをギターで表現するが如く、無限に湧き出てくるかのような多彩なメロディ。完全無比のギターテクニック。スピードキングと称された黒田でさえ足下にも及ばないような速引きも、難なくやってのけた。その天才的なギターソロを、武道館の全ての観客が固唾を飲んで見守る。あまりの衝撃で声も出せなかったと言う方が正確かもしれない。全身の、全ての細胞が沸き立つような感覚………そんな感覚を誰もが共有していた。
「だけど信じられない。あの人、本当にプラチナボンバーの喜矢尻君なのかしら?」
思わず口にした、陽子のそんな疑問。それに答えるように、森脇が言った。
「あんなギターが弾ける奴、少なくとも俺はたった一人しか知らねえよ」
その顔は、陽子が今まで見た事も無いような、清々しい、とびきりの笑顔であった。
森脇は静かにステージへと歩いていった。その後に続き、武藤と森田も自分のポジションへと歩く。
森脇が、そのギタリストのすぐ傍に辿り着いた時、それを待っていたかのようにギターの音は鳴り止んだ。
そのギタリストの隣に立ち、森脇は彼にこんな言葉を投げ掛けた。
「武道館が恋しくて、土の中から舞い戻って来やがったか、相棒!」
その言葉に森脇の方へと振り向いた顔は、どこをどう見てもプラチナボンバーの喜矢尻には違い無かった。
しかし、そんな事はどうでもいい。
森脇には確信があった。
そのギタリストはニッカリと白い歯を見せ、あの頃と同じ懐かしい台詞を森脇に向けて言うのだった。
「さあ、一発派手にぶちかましてやろうぜ!」
森田のスティックが重なり、カウントを数える。
「ワン、トゥー、スリー、フォー!」
ディストーションの効いたギターリフが響き渡り、武藤のベースがそれに合わせる。森脇が吼えると、観客は一斉に総立ちとなった。
それがトリケラトプスの、史上最強のライブが始まった瞬間だった。
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