第40話キセキ③

「さて……しかし、困った事になったな」


 黒田がスタッフに連れられて楽屋を出て行った後、本田は腕時計の時間を見ながら眉間に皺を寄せ呟いた。


まさか、こんなかたちで黒田の出演がポシャるとは………


 過ぎた事は仕方が無い。今更、森脇の暴力沙汰についてとやかく言うつもりは無いが、それにしても事態は緊急を要する。ウニコーンのステージは終了し、トリケラトプスの出番まではあと10分を切っていた。


「うーむ……代わりのギタリストか………」


武藤が腕組みをしながら唸る。もはや、唸るしか無いといった表情だ。


すると、皆と同じく俯いて思案に暮れていた陽子が、何か思い出したように顔を上げ言った。


「あっ、そう言えば観覧席にC,z の松本さんと布袋屋さんが居た筈です! 今から頼めば、もしかしたら飛び入りで出演してくれるかも!」


 この危機的状況を乗り切る為の、苦肉の策。何としてもトリケラトプスのステージを成功させようと陽子も必死だった。


「成る程、あの二人ならこの急場を凌げるかもしれないな」


 陽子の提案に頷く本田。二人とも今の日本を代表するギタリストに数えられる二人である。打ち合わせ無しのぶっつけ本番のステージも、恐らく彼等であれば、持ち前の音楽センスでやり遂げてくれるであろう。


 問題は、こんな突然の出演要請を彼等のどちらかが受けてくれるかどうかだが、話をしてみる価値はある。と言うより、それ以外の選択肢は今の本田には考えつかなかった。


「よし、ダメもとで頼んでみよう。交渉は俺が直接する!」


そう言うなり、急いで楽屋をあとにしようとした本田。ところが、その背中越しに森脇の呼び止める声が聴こえた。


「ちょっと待ってくれ、本田さん」

「何です、あまり時間が無いんだ。あなた達もそろそろ準備の方を………」

「黒田の代役は要らない!」

「なんだって?」


森脇の思いがけない申し出に、本田は驚いた表情で彼の顔を見た。


「それはどういう意味です? まさか、今更出演を辞退するとか言うんじゃないでしょうね?」


 何しろ前島を刺したのが黒田と知り、その黒田をボコボコに殴りつけたその直後である。森脇がそんな心理状態に陥る事も、考えられない事では無かった。


「心配は無用だ。今更辞退なんてしないさ」


その森脇の言葉に、とりあえずはホッと胸を撫で下ろす本田。


「それを聞いて安心しました。しかし、それならギターはどうするつもりなんです、森脇さん?」


森脇はさっき「黒田の代役は要らない」と言った。いったいこの危機的状況をどうやって乗り切るつもりなのだろう?


本田は期待と不安の入り交じった表情で森脇を見つめ、彼の次の言葉を待った。



「俺がボーカルとリードギターを兼任する。」

「えっ!」

「三人で演るんですか?」


それは、本田にも陽子にも予想外の答えだった。きっと、武藤と森田でも予想しなかった回答だろう。


「さっきからずっと考えていたんだ………晃がいないから、代わりに黒田を、そしてまた黒田の代わりに別のギタリストを………結局、誰が弾いてもあの頃のトリケラトプスには戻れない。それならいっそ俺が弾いてもいいかなって思ってね」


 それは森脇にとって、決してベストな選択と言えるものでは無かった。というより、既に選択肢など、今の森脇には無かったというべきなのかもしれない。


 森脇には分かっていた………たとえ本田が今から布袋屋と松本の所へ出向き出演を要請しても、恐らく彼等は出演などしないであろう。


 森脇も同じミュージシャンだからこそ分かる。一流のギタリストであればある程、事前の準備も無しに天才ギタリスト前島晃の代役を引き受けるような安請け合いはしない。


 しかも、トリケラトプスというバンドは各々のメンバーの個性が拮抗し、絶妙なバランスによって完成されているバンドである。自分がギターを弾けばそのバランスが崩れ、トリケラトプスがトリケラトプスで無くなってしまう事を布袋屋や松本程のギタリストが知らない筈が無い。


 だから、森脇は自分がリードギターを弾くと言い出したのだ。もとはと言えば、黒田を選んだのもその黒田をぶっ飛ばしたのも自分だ。もし、ライブが不発に終わってしまった時には、その責任は全て自分が被る………森脇はその覚悟をもって、自らリードギターを買って出たのだった。


本田のインカムにスタッフから連絡が入る。


『楽屋待機のトリケラトプス、スタンバイお願いします!』


本田がそれを伝えると、森脇、武藤、そして森田の三人が同時に立ち上がった。

ステージに向かって歩き出す森脇の背中に向かって、陽子が声援を送る。


「きっと、きっと森脇さんなら出来ます! 私、信じてますから!」


そんな陽子に、森脇は振り返らずに黙って右手を挙げ応えた。ステージへ向かって歩く途中、武藤が森脇に話しかける。


「この大一番でボーカルとリードギターを兼任とは、まったく大した度胸だよお前は………それで、勝算はあるのかい?」

「俺にもわかんねぇよ。五分五分ってところか」


天性の音楽センスを持つ森脇。ボーカルは勿論の事、ギタリストとしての実力もかなりのものを持っている。しかし、それでもあの前島晃には到底及ばない。


出番待ちのトイレで武藤に溢した

「もう、あんなステージは二度と出来ないんだな……」という台詞は、森脇の切実なる本心であった。


30年も待ちわびた念願のライブのはずなのに、何故だか気が重い………そんな複雑な気分を抱え、森脇は一万人の観客の待つ武道館のステージへと向かう。


(ああ、今頃お前は《あの世》の何処かで俺達の事を見守っていてくれてんのか?

晃……頼むからお前のギター、また聴かせてくれよ………)


何故だか、無性に前島のあの無邪気な笑顔が頭に浮かんで仕方が無かった。



          *     *     *



 やがて、トリケラトプスはステージの袖へとたどり着いた。眩いばかりのスポットライト、そして彼等の名を呼ぶおよそ一万の歓声。現実離れした別世界が、もうほんの五メートル先で待っている。


『トリケラトプス、スタンバイOK!』


『CM明け、15秒後に本番スタートです!』


『カウント入ります!15、14、13、12、………』


慌ただしいスタッフの声が交錯する。




そして、誰もが思いもよらなかった奇跡が起こった。






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