第39話キセキ②
次々と質の高いパフォーマンスを繰り広げる実力派バンドの登場に、嫌が応でも会場は盛り上がりを見せる。
ステージでは《ザ・シロマニヨンズ》の演奏が始まり、ボーカルの甲友ヒロトがリズムに合わせ飛び跳ねながら歌い出していた。
出演者用の観覧席には、つい先程ステージを終えたC,z の松本と布袋屋が隣どうしで席を陣取り、上機嫌でそのステージを眺めていた。
「しかし、アツイね」
「これだけのバンドが集まれば、そりゃアツくもなりますわな」
「そして、トリを締めるのがあのトリケラトプスだってんだからなぁ、テレビNETもやってくれるよまったく」
布袋屋と松本………この二人にとって、トリケラトプスは特別な存在とも言える。
彗星の如く現れ、若かりし頃の二人の記憶に鮮烈な印象を刻みこんだスーパーロックバンド。そのトリケラトプスの再結成ステージとなれば、心が躍らない訳が無い。
当然、話題はトリケラトプスのステージの話に移る。
「そう言えば、ギターは誰が弾く事になったんだ?」
「聞いた話じゃ、森脇が黒田明宏を起用したって事らしい」
どこで嗅ぎ付けたかは知らないが、布袋屋がその事を教えると松本はサングラスの奥の目を大きく拡げて驚いた。
「うわ、それホント? 森脇さん、チャレンジャーだね」
「黒田は確かに上手いけど、オレだったら起用しないね」
「クラッシャーだからな、あの人は………じゃあ、布袋屋さんだったら誰を起用します?」
松本に尋ねられ、布袋屋は顎に手をあて思案してみる。
「う――ん、そう言われると困るんだよなぁ」
いっそのこと《自分》と答えようかとも思ったが、正直それも違うような気がしてならなかった。あのトリケラトプスにハマるギターは、前島晃以外に存在しない……そんな気がして仕方無かった。
* * *
幾つもの不安を抱えながらも、もう後には退けない。現在ステージに上がっている《ウニコーン》の演奏が終われば、次はいよいよトリケラトプスの出番がやって来る。
「ウニコーンの演奏曲数は三曲。その後、一度スタジオに返してからCMも含めておよそ十分程でトリケラトプスのステージが始まります」
楽屋でスタッフから説明を受ける森脇。その顔は真剣そのものであった。
30年間、ずっとロックを封印してきた。どんなにこの時を待ち望んできた事だろう………やはりこの男、森脇にはロックを歌う事、それが生き甲斐に違い無かった。
「いよいよですね、森脇さん。頑張って下さいね!」
トリケラトプスが楽屋に入ってから、度々様子を見に来ていた陽子がそう言って森脇を励ます。
「俺よりもアイツに言ってくれ。このステージ、成功するも失敗するも全て奴のギターに懸かっている」
森脇は、少しばかりの皮肉の意味も込めて黒田を顎で指しながら、そんな風に答えた。しかし、その黒田はそれを皮肉だとは捉えず寧ろ自分に対しての期待と捉えていたようだ。
「任せろよ! オレがステージに立てば観客は沸くぜ!
まあ、見てろよ。あんな刺されて死んだ前島なんかより、ずっと凄えギターを魅せてやる!」
ステージを直前に控えた興奮からか、黒田がうかつに口走った言葉。その言葉を耳にした途端、森脇の表情が変わった。
「テメエ、今何て言った?」
静かだが、凄みの効いたその口調に黒田は少し慌てたように今の発言のフォローをする。
「ま、まあ前島もなかなか大したギタリストだったけどよぉ………」
だが、森脇が鋭く反応したのは、その部分では無かった。
「そこじゃ無え。お前、どうして晃が刺された事を知っている?」
「あ?」
森脇に言われて、黒田ははじめて己の発した言葉の重要性を認識した。
前島晃の死因については、森脇そして本田の隠蔽工作により世間的には急性心筋梗塞という事になっている。前島が暴漢に刺された事、そして自殺したという事実は今までどのメディアでも公表された事は無く、それを知るのは森脇らトリケラトプスの三人、そしてマスター、陽子、本田ら、いずれも森脇のよく知るのごく一部の人間だけである。
それ以外でその事実を知っている人間がいるとすれば、それはたった一人しか考えられない。
「テメエだったのか………」
そう呟きながら、黒田の方へとにじり寄る森脇。そのあまりの迫力に黒田はじりじりと後退りを始めた。
「ちょ、ちょっと待てよ、落ち着けって………」
次の瞬間、森脇の渾身の力を込めた右手の拳が黒田の顔面にめり込んだ。その勢いで楽屋のパイプ椅子に足を引っ掛けながら、二メートル程後ろにふっ飛び、仰向けに倒れる黒田。
「ぶっ殺してやる!」
その黒田の胸に馬乗りになり、森脇は更に何度も黒田の顔面を殴りつけた。その度に鈍い音をたてて、黒田の顔面が右を向き左を向く。
「やめてっ! 森脇さん!」
陽子が必死に叫ぶが、もはやその声は森脇に届いてはいなかった。今の森脇の脳内にあるのは激しい怒りと憎しみしか無い。
陽子の他に楽屋にもう一人いたスタッフが、真っ青な表情で本田に無線連絡をする。
「本田さん、大変です! 大至急トリケラトプスの楽屋に来て下さい!」
森脇の拳を受ける度、黒田の顔は見るも無惨に変わっていった。鼻の骨は折れ、両の瞼は腫れ上がる。口の中を切ったのか口内は真っ赤に染まっていた。
「もうやめてっ! これ以上続けたら死んでしまうわ!」
なんとか森脇を止めようと、陽子が背中から森脇にしがみつく。
武藤と森田も、さすがに見かねたのか森脇を止めに入った。
「おい、もう止めとけ森脇!」
「うるせえ離せっ! この野郎ぶっ殺してやる!」
「お前、拳が血だらけじゃねえか! こんな奴ぶっ殺す価値も無えだろ!」
武藤と森田に両腕を掴まれ、もがく森脇。強引に引き離されて椅子に座らされると、漸くしてようやく落ち着きを取り戻していった。
ちょうどその時、楽屋にやって来た本田は、その惨状を目のあたりにして驚きの声を上げた。
「これはいったい………何があったんです!」
「前島を刺した奴、この黒田だったんだよ」
武藤の答えを聞いて、本田は今しがたこの楽屋で起こった全てを理解した。
そして、顔面を血だらけにして床に倒れている黒田に視線を移す。
トリケラトプスがデビューし、日本中のロックファンを虜にしていたその頃、黒田は《バンデット》という名のバンドのリードギターとして活動していた。しかし、一部のギターフリークからの高評価は受けながらも、バンドとして《バンデット》の世間一般からの人気はあまり芳しいものでは無かった。
───『大体、デビューした時から気に入らなかったんだ。
何が《天才ロックバンド─トリケラトプス》だ。世間の奴らは買いかぶり過ぎてるんだよ!どいつもこいつもトリケラトプス、トリケラトプスって……
たいがい、目障りなんだよ、お前らは!』───
ギターテクニックに絶対的な自信がありながらも結果が伴わない事に対する苛立ちがトリケラトプスへの歪んだ嫉妬心を抱き、あのような凶行に及んだのだろう。自信過剰で自己中心的な黒田なら、やりそうな愚行だった。
「とにかく、黒田さんはスタッフに病院まで送らせます。さすがにこの怪我でステージには上げられない」
本田は無線で手の空いているスタッフを二名呼び寄せ、黒田の介抱を命じた。そのスタッフに支えられ、ふらつく足取りで立ち上がった黒田は、自分の武道館ライブの機会を潰された怒りを抑えられずに森脇を睨みつける。
「森脇覚えてろ! テメエの事は絶対、訴えてやるからなっ!」
そう叫び、楽屋を出て行こうとする黒田の耳もとで、今度は本田が囁く。
「黒田さん、騒ぎが大きくなって困るのはアンタの方じゃ無いのか?
30年前アンタがした事………刑法じゃ時効かもしれないが、それが公になればアンタはもうこの世界では生きていけなくなるだろう」
黒田を殴った森脇も決して褒められたものでは無いが、あの出来事があってからの森脇の苦しみを知っている本田には、どうしても黒田の味方になる心境になれないのは仕方の無い事だった。
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