第38話キセキ①

 8月24日の午前零時から始まったこの《テレビNET開局50周年記念特番24時間ライブ》も、終盤戦に入る。時刻は午後七時半………ここからの出演アーティストは殆んどがバンドスタイルのアーティストで占められていた。やはり、武道館のステージにはロックバンドがよく似合う。

出演するアーティストは


◇プラチナボンバー


◇マカロニくれよん


◇official髭男爵


◇Mr.コドモレン


◇C,z


◇布袋屋寅泰


◇ウルウルズ


◇ザ・シロマニヨンズ


◇オサカナクション


◇GLOY


◇エレファントコマドリ


◇ウニコーン


そして、ステージの最後を飾るのは当然このバンド………



◇トリケラトプスである。



          *     *     *



 トリケラトプスのメンバーが武道館にやって来たのは、プラチナボンバーのステージが始まった頃だった。関係者用の通路で陽子と顔を合わせると、そこで軽く話を交わす。


「あれ、森脇さん早い会場入りですね」

「おう、雨の降りが強くなってきたからよ、早めに入っておこうと思って」

「雨?」


 ずっと室内で仕事をしていた陽子は、外で雨が降っている事に今まで気付いていなかったようだった。そんな彼女に、森脇は今の外の天気を伝えた。


「結構、ドシャ降りだぜ。おまけにカミナリまでゴロゴロ言ってるよ」


 夕方から関東地方には広範囲に渡って積乱雲が発生し、各地に雷雨をもたらしていた。武道館のあるこの地域には大雨・雷警報が発令され、予報ではこの天気は深夜頃まで続くという事らしい。


「へえ、全然気付きませんでした。じゃあ楽屋まで案内しますよ、ついて来て下さい」

「さっき、出演者用の観覧席があるって聞いたぜ? ライブ観てちゃダメなのか?」

「あ~それは………」


「客席でライブが観たい」という森脇に陽子は困ったように眉根を寄せてこんな事を言った。


「ごめんなさい……本田さんから、森脇さん達はステージ本番まで客席から見えない場所に居てもらうように言われてまして………」


トリケラトプスは30年間の沈黙を破って、今夜この24時間ライブの大トリで復活を遂げるバンドである。そのプレミア感を演出する為に、彼等には登場まで観客から隠しておきたいというのが本田の意図であった。


「なんだよ、ライブ会場でライブ観れねえって………」

「ごめんなさい、楽屋にテレビがありますからそれで我慢して下さい」


 口を尖らせて文句を言う森脇をなんとか宥めて、陽子はトリケラトプスのメンバーと黒田を楽屋へと案内した。


陽子の案内で楽屋へとやって来た、トリケラトプスのメンバーと黒田。


 その時ちょうど演奏していた《プラチナボンバー》のステージをテレビで観た森脇が、眉根を寄せて呟く。


「なんだ、コイツら?」

「ああ、彼等はプラチナボンバーです。結構人気あるんですよ」


陽子が解説をすると、森脇は不思議そうな面持ちで、陽子に更なる解説を求めた。


「人気があるはいいけどさ、コイツら楽器弾いてねぇじゃねえか。素人なのか、コイツら?」


 昔、外国人アーティストが《口パク》で問題になった事があったが、日本人のアーティストでここまで大胆に観客を騙そうとする事に森脇は驚いた。だいいち、ギターの指使いはデタラメ、ドラムのリズムも合っちゃいない。これでよく客からクレームが付かないもんだ。


「ああ、あのバンドは楽器弾けないんです。ファンの人達もみんな知っていますよ」

「はああ? なんだそりゃ?」


陽子の説明に、素っ頓狂な声を出す森脇。そんな事あり得ねえだろといった顔だ。


なんですよ」

「だったら、ボーカルのアイツひとりで良くね?」


 森脇の至極合理的な感想に、思わず吹き出してしまう陽子。


「言われてみればそうかも。でも、あのスタイルが彼等のウリなんですよ」


 プラチナボンバーのあのスタイルが彼等のブレイクのきっかけになったのだと陽子に説明され、森脇はなんとも不思議な気分になった。


「分かんねえな………日本の音楽界も変わったもんだ………」

「まるで、浦島太郎だな森脇」


武藤の冗談に、森脇が苦笑する。楽屋の雰囲気も和んできたそんな時だった。


「じゃあいっそのこと、でいくか」


ふいに森田が言った冗談に、黒田が過敏に反応した。


「ふざけんな! 舐めた事言ってんじゃねえぞ! このヘボドラム!」

「テメエに言われたくねえよ! ヘボギター!」

「なんだと! この野郎!」


和やかな雰囲気から一転、森田と黒田の一触即発の危機に森脇が割って入る。


「おい! 止めね――かっ!」


森田に掴みかかろうとする黒田の肩を押し戻し、二人を引き離す森脇。


「もうあと何時間で本番だぞ! 喧嘩してる場合か!」


 この期に及んでも、まだメンバーの結束は十分とは言えない。こんな状態で、果たしてトリケラトプスのステージを無事にやり遂げる事が出来るのだろうか………


 トリケラトプスの出番が近づくにつれて、森脇の中には何か言い様の無い不安感が渦巻いてきていた。


 苛ついた様子で煙草に火を点け、スパスパと忙しなく煙を吸う。端から見ても落ち着きの無いその森脇の仕草に、黒田がからかうように絡んでくる。


「おい、少しは落ち着けよ。オレに任せておけば大丈夫だって」


バカ野郎、そういうお前が一番心配なんだよ!


 よほど黒田にそう言ってやろうかと思った森脇だったが、そうはしなかった。わざわざ、また本番前にもめ事を起こす必要は無い。


森脇は立ち上がり、楽屋のドアに向かった。


「森脇、どこに行くつもりだ?」

「べつに、ちょっとションベンだよ」


武藤にそう告げると、森脇は楽屋を出て行った。



          *     *     *



 森脇が関係者用のトイレで用を済ませていると、後から武藤か森脇の横へと並んだ。


「そんなに心配か、あの黒田が」


森脇の方へは向かず、正面を向いたまま、武藤が訊いた。


「それだけじゃ無ぇさ」

「と、言うと?」


森脇の本心を探ろうとする武藤に、森脇は真摯に今の自分の気持ちを打ち明けた。


「もし黒田が真面目に、それこそ奴の持てる最高のパフォーマンスを見せたとしても………それでも、あの頃のトリケラトプスのステージに届くかなあ、とか考えちまってね」


ひどく寂しそうな顔をして、森脇はそんな事を呟いた。


 あの頃のトリケラトプスとは、無論30年前の前島晃が生きていた時のトリケラトプスである。その事は、黒田を入れる時から解っていた事だ。だが、いざステージを前にして森脇にはそれがひどく虚しい事実に感じられて仕方が無かった。


「確かにな……トリケラトプスの中での前島の存在は大きかった。テクニックもダントツだったが、何よりアイツのギターは、履き馴れたスニーカーのようにいつでもバンドに溶け込んでいたよ」

「あんなステージは、もう二度と出来ないんだな………」


前島晃を亡くした喪失感………忘れる事は無くても、敢えて正面から向き合う事は避けていたその感情が、ライブを前にした森脇に再び重くのし掛かってくる。


「仕方無ぇさ。それでも演るって決めたんだろ」


そう言って森脇の肩を叩き、武藤は先に楽屋へと戻って行った。


一人残った森脇は、顔を上げて窓の外を見る。


暗く淀んだ闇夜に、叩きつけるような雨はまだ降り続いていた。












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