第37話夏祭り④
最初にその異変に気付いたのは、陽子だった。
「あれっ?」
「ん、どうした陽子?」
「今、なんかお神輿の下の方で火花が散ったような………」
「火花?」
本田が怪訝そうな顔で神輿を目視するが、火花らしき物は確認出来ない。
「火花なんて出てないじゃないか」
「おかしいなぁ、気のせいだったのかな………」
陽子も再度神輿を見て首を傾げる。火花が出たと思ったのは、何かの見間違いだったのか?
いや、実はそうでは無かったのだ。
神輿から火花が出たのがほんの一瞬だけだった為、それに気付いたのが陽子だけだったに過ぎない。
大俵が乗る神輿には、確かにある異変が起きていた。
今、それに気付いたのは陽子だけだが、その異状はすぐにも大勢の人間が知る事になる。
大俵が自らのステージの為に用意した神輿。その中には高性能なモーターが内蔵されており、その動力によってステージを移動しながら、神輿上部をまるで担ぎ手が実際に担いでいるように上下運動させる機能が備えられている。
大俵のステージが始まった時から既にその機能は働いていて、上に乗る大俵をゆったりとした動きで上下に揺らしていたその神輿が…………
何故か突然、その動きを止めた。
「あれっ? お神輿止まっちゃいましたよ」
「おかしいな……まだ曲の途中だぞ?」
予定外の出来事に、本田と陽子が怪訝そうに神輿を見つめる。
神輿の上に乗っていた大俵も当然その異変に気付いたが、神輿の上、しかも生放送での歌の途中ではどうする事も出来ない。自慢の神輿の不具合に多少の不満は抱きながらも、歌う事にはさしたる不都合も無かった為、大俵はそのままステージを続けていた。
ところが、次の瞬間。
ガッタン!
「うわっ!」
突然、大俵の乗る神輿の上下運動が今までのようなゆっくりとした動きから、まるで耐震性のデモンストレーションをするモデルルームのような激しい揺れに変わった。
ガタン!ガタン!ガタッ!ガタッ!ガタン!
「なっ! なんだなんだなんだっ!」
その激しい上下運動に思わず持っていたマイクを手放し、跨がっていた龍の首へとしがみつく。
「どうなってるんだ! 誰か助けてくれっ!」
突然、暴走を始めた大俵の神輿。歌はまだ途中だったが、それどころでは無い。先程までのステージの満面の笑顔は何処へやら、必死の形相で龍の首に掴まって誰かの助けを乞う。
会場に鳴り響く《日本全国豊作音頭》の長閑なメロディとは、なんとも対照的な絵面である。
ゴールデンタイムの生放送中に起こった、予想だにしなかったこの突然のアクシデントに、番組責任者であるプロデューサーの本田、そしてディレクターの陽子は………
二人で笑っていた。
もし、これが他のアーティストの身に起きたアクシデントであったなら、きっと心境は違っていただろう。しかし、相手があの大俵では気分的にもあまり本気で心配する気にはなれない。むしろ心の中では、ざまあみろと思っているに違いない。
番組的にも、大俵のクソつまらない歌を聴くよりも、神輿の上でリアクション芸人のようにオロオロと取り乱す大俵の姿を観ていた方がよっぽど面白い。もしかしたら視聴率も上がるかもしれない。
「ハハハ~なんだよアレ、一千万もかけたくせにあっさりとぶっ壊れてやんの、ダセエ神輿」
暴走する神輿を指差し、腹を抱えて笑い転げる本田。すると、そんな本田に対して陽子が一言。
「本田さんが蹴ったからじゃないですか?」
「え・・・」
「朝、大俵さんのステージがゴルフでドタキャンになった時、本田さんがキレてお神輿蹴っ飛ばしたの、私見てましたよ」
「あ――そう言えば」
言われてみればそんな事があったな………と、記憶を辿る本田。かと言って反省する訳でも無いのだが。
そんな本田に、スタッフからインカムで連絡が入る。
『本田さん、大俵さんのステージどうしましょう? 指示お願いします!』
スタッフの問い掛けに、腕組みをしながら数秒ほど思案すると、本田はインカムのマイクに向かって答えた。
「面白そうだから、暫くこのまま続行でいいよ」
どうやら、大俵を助けてやろうという選択肢は無いらしい。
その間にも、大俵の乗った神輿は暴走を続けていた。こうなるともはや、神輿と言うよりロデオマシーンと呼ぶ方が相応しいかもしれない。演歌界の大御所、大俵 平八郎のあまり見る事の出来ない出川哲朗ばりのリアクションに、客席のあちこちから笑いが洩れる。
ただ、番組スタッフを含め会場の殆んどの者がこの大俵の様子を傍観している中、ただ一人、この事態に顔面蒼白となっている男がいた。
それは、大俵平八郎の専属マネージャー、木村である。
「大変だっ! 早くなんとかしないと、これはエライ事になるぞ!」
木村はこの状況を見て直感した………このままでは大変な事になる。もし木村がそれをそのまま放置し大俵の怒りを買うような事にでもなれば、木村は即解雇され明日からハローワークに通うハメになる事もやぶさかでは無い。
「とにかくプロデューサーに言って、あの神輿を止めてもらわなければ!」
木村は慌ててステージ脇にいた本田のもとへと駆けつけ、大俵のステージを中断するよう、本田に直談判した。
「ちょっとアンタ達、なに呑気に見ているんですか! 誰かスタッフにあの神輿を止めさせて下さい!」
しかし、木村にそう言われるも、本田がこんなに愉快な出来事をそう簡単に終らせてしまう訳が無い。
「まあ、まあ木村さん、何せ生放送中ですから。スタッフがぞろぞろとステージに出ていくのは番組的にもあまりよろしくない」
本田は適当な理由を付けて木村を追い払おうとするが、木村はそれでは引き下がらなかった。
「そんな事を言っている場合ですか! これは緊急事態ですよ!」
「そんな、大袈裟ですよ木村さん。とりあえず、この曲が終わるまで待ってみましょう、もしかしたら神輿の暴走も収まるかも………」
「待てません!今すぐあの神輿を止めて下さい!でないと大変な事になる」
木村は恐れていた。このままでは、大変な事になると………
「ですから、この曲が終わったら……あとほんの三~四分ですよ」
「そんな事を言って、落ちたらどうするんですか!」
「大丈夫ですよ。大俵さん、両手であんなにしっかり掴まっているじゃないですか。そう簡単には……」
現状はそこまで危険では無いと、穏やかに木村を宥める本田。
しかし、そもそも本田と木村では認識する《危険》の意味がまるで違っていたのだ。
「落ちるのは先生じゃありません!」
「えっ?………木村さん、それはどういう意味ですか?」
その意味は、まもなく解った。
「あ………本田さん、アレ……」
「あ・・・・」
突如として静まり返る観客席。そして、あんぐりと口を開けて神輿の上を指差す陽子。
本田と陽子がステージの床に目を移せば、つい今しがたまで大俵の頭部を形成していた七三の黒い頭髪の塊が無惨に転がっていた。
「あの人………ヅラだったんだ………」
陽子と本田が「ハゲてしまえ!」と罵るまでも無く、もともと大俵はハゲていたのだった。
大俵のヅラが神輿の振動で飛んだ決定的瞬間は、テレビNETの敏腕カメラマンによって全国のお茶の間へと配信された。恐らく、あと数分後にはYou tube で全世界へと配信される事となるだろう。
肝心の大俵平八郎本人は、神輿にしがみつくのに必死で自分のヅラが頭から無くなっている事に今だ気付いていなかった。
「ヒィィィィ~~~ッ! 助けてくれぇぇぇえええええっ!」
ハゲ散らかした頭で神輿にしがみつきながら大声で喚き散らす大俵の滑稽なリアクションに、観客は大爆笑。
「もうダメだああああ! 終わったああああ!」
マネージャーの木村は、絶望にかられたその顔を両手で覆い、絶叫しながら膝から崩れ堕ちた。
「ちょっとやり過ぎましたかね?」
肩をすくめて陽子が本田に尋ねる。
「ま、生放送にハプニングは付き物だ」
腕組みをしながらそう答えた本田は、インカムで神輿の回収を命じるのだった。
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