第36話夏祭り③

 ライブは本田の予想通り……いや、予想を遥かに上回る盛り上がりを見せていた。立て続けに投入される人気アーティスト、そしてビッグネームシンガーのステージは観客の心を完全に捉え、武道館は興奮と熱狂に包まれる。それにもかかわらず、プロデューサーである本田の表情が今ひとつ優れないのは、この後のステージに登場予定のあの男のせいなのであろう。


「クソッ! せっかく会場が盛り上がって、これからって時に!」


 その男の名は、大俵平八郎。わざわざ番組のプログラムを変更させてまで、早朝ゴルフを敢行。そのゴルフの成績が良かったのか、ご満悦な表情で午後6時に意気揚々と武道館へとご到着する。


「いやあ~お待たせしましたな、本田さん」


(待ってね~し!)


上機嫌の大俵に対し、正反対の仏頂面で内心毒づく本田。

日曜日のこの時間帯、多くの一般家庭では家族が揃って食卓を囲む時間である。



その和やかな一家団らんの場に欠かせないのがテレビ。


 一日の中で一番テレビ視聴者の需要が高まるこれからの時間帯ゴールデンタイムに、何が悲しくてこんな落ち目の演歌歌手を出さなきゃならないのか?


「あと二十分程で大俵さんの出番となりますので、準備の方宜しくお願いします」

「ああ、準備は万全だよ。私が乗る例の神輿はちゃんと届いているかね?」

「ええ、あの神輿はゆうべのうちから会場に運び込んで、ステージの脇に用意してあります」

「そうかね、アレはんだよ。いろいろと仕掛けがあってね、音楽に合わせてワッショイ、ワッショイって………」


 大俵が神輿を担いで上下に揺するフリをしながら、自慢顔でその機能を説明するが、本田にはそんな事など全く興味など無い。


「それなら今朝、スタッフから聞いたので存じてます。それより、そろそろ別室で着替えの方お願い出来ますか?」


事務的な対応で素っ気なく大俵を控え室へと追いやる。出来れば、あまり大俵とは喋りたくは無い。


「おお、そうですな。では本田さん、私の一世一代のステージ楽しみにしていて下さいよ」


ふてぶてしい笑顔でそう言うと、大俵は控え室の方へと消えていった。


 全く、その言動ひとつひとつが本田にとっては癪に障る。大俵の背中に向かい、本田は心の中でこう叫ぶのだった。


このバカヤロウ! ハゲてしまえ!



          *     *     *



「いや、それにしても凄い観客の数だな………いったい何人位いるのかね?」


控え室でステージ衣装の青い着物に着替えながら、大俵がマネージャーの木村に尋ねた。


「そうですね、武道館の収容人数はおよそ一万人位ですから、その位は入っているかと」

「ほう、一万人か……」


 観客の収容人数に至っては、最近のドーム会場に比べれば武道館はそれほど多くは無い。しかし、コンサートと言えばもっぱら地方の公会堂や体育館が中心である大俵にとっては、一万人はかなりの大人数であった。


 その観客の数に思わず顔を綻ばせる大俵。彼単体のコンサートでは、恐らくこれ程の集客力は望めないだろう。武道館満員御礼は、このグループの他のアーティストも含めた24時間ライブというイベントの力によるものが大きい。


「久々の大舞台だな」


 会場の観客だけでは無い。テレビの全国中継があるのだ。ここ何年もの間、NHKの紅白の選考にも洩れている大俵にとって、これは彼の存在を世間に知らしめる数少ないチャンスのひとつに違いなかった。


 普通、アーティストには専属のヘアメイクが付くものだが、大俵に関しては本人の希望により自分でヘアセットやメイクを行っている。


 大俵のそのメイクをする手にも、自然と力が入る。何としてもこのチャンスをものにするのだ。


やがて、控え室のドアがノックされ、スタッフの一人が大俵の出番を告げに来た。


「大俵さん、本番三分前です。ステージまでお願いします!」


「心得た。いくぞ、木村!」

「はい! 頑張って下さい先生!」


大俵平八郎、一世一代の大舞台。

程よい緊張感と興奮を滲ませた面持ちで、一万人の大観衆の待つステージへと向かうのだった。


スタジオの映像から武道館へと中継が切り替わるまで、あと三十秒。本田はインカムでステージの最終チェックを行う。


「神輿セットアップ出来てるか?」

『セットアップOKです!』

「イメージモニターの方はどうだ?」

『モニターの応急処置OKです!』


ステージ後ろに備え付けのイメージモニター………アーティストの楽曲に合わせて映像を映し出すこのモニターは、大俵の出演時刻変更に対するプログラムの入れ替えが間に合わず、このステージは本来の順番である《デビル・ハンド》用のイメージ映像になっている。


その為、応急的にモニターをついたてで隠して観客席から見えない様にするという原始的な手法で急場を凌いでいた。


「照明、音声、カメラ!」

『全てOKです!』


全てのチェックが完了し、大俵のステージが始まる。



          *     *     *



ドドンがドン! ドドンがドン!


 これまでのロックあるいはJポップといった音楽のジャンルとは明らかに異なる、まるでどこぞの町内の盆踊り大会そのままの和太鼓の音色。


それに笛の音、そして三味線の音がこれに合わさり、大俵の代表曲『日本全国豊作音頭』のイントロが構成される。


ドドンがドン! ドドンがドン!


ピーヒャラ ピーヒャラ


チョイナ、チョ~~イナ♪


 ステージのこの一種異様な雰囲気に、客席はやや引き気味の状態。この完全アウェイなライブ会場に自ら望んで乗り込んで来る大俵の根性にはさすが大御所と、ある意味感心してしまう。それとも、ただ単に空気が全く読めないだけなのだろうか?


自慢の神輿に乗って、大俵 平八郎が悠々とステージに登場して来た。


 神輿の大きさは、アメ車のSUV位はあろうか。そして、その製作費も一千万と、これもまた高級外車が買える程のシロモノである。


 神輿の周りには淡い暖色の提灯が並び、前方には豪華絢爛な金色の龍のオブジェがおごられる。その龍の背に跨がるようにしながら、大俵は満面の笑顔を携えステージの中央へゆっくりと移動して行く。


 やがてイントロが終わると、大俵が歳の割りには張りのある自慢の声で歌い始めた。その演歌歌手特有のこぶしの効いた歌い回しと豪華絢爛、純和風な神輿の迫力は満員の武道館に歓喜の渦を巻き起こす。




なんて事が、ある訳が無かった。



「お客さん、なんだかノリ悪いですね……」

「そりゃそうだろ……全く、場違いも甚だしい」


 ステージ脇で大俵のステージを眺めながら、本田と陽子が苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。


「しかし、よりによってこの時間帯はキツイな。絶対、数字に影響する」


 観客の反応もそうだが、番組の責任者である本田としてはこのゴールデンタイムの視聴率の低下は、かなり大きな痛手である。



「ですよね………折角ここまで順調だったのに、ツイてないなあ……」


 そんな本田や陽子の気持ちとは裏腹に、大俵は貼り付いたような笑顔で意気揚々と《日本全国豊作音頭》を歌い上げる。



ヨヨイのヨイ♪ ヨヨイのヨイ♪


 ワンコーラスを歌い上げ、大観衆を前に上機嫌で手拍子を打ち始める大俵。


 一万人の観客、そして全国ネットゴールデンタイムの生放送。大俵がこれ程までに多くの人間に注目されるのは、彼の全盛期の頃以来に違いない。


しかし、その大俵の至福の時間もそこまでだった。


数々の身勝手な振る舞いで周囲を混乱させた天罰だろうか?


事を、その時の大俵はまだ知らなかった。







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