第35話夏祭り②

 武道館の空調をもってしても、尚且つ会場の温度は1~2度位上がっているんじゃないか?と思える程に熱い、江沢 永吉のステージが繰り広げられている丁度その頃………


トリケラトプスとギタリスト黒田 明宏の四人は、都内のとあるスタジオで最後の音合わせを行っていた。


「おい、テメエ~黒田! 一人で突っ走ってんじゃねえっ! 何度言わせりゃ気が済むんだよっ!」


演奏の途中で音を止め、森脇が黒田に怒鳴り散らす。


「テメエひとりで演ってんじゃねえんだぞ!分かってんのか?」


ギターの技術の問題というよりは、黒田の演奏態度に問題があった。四人、バンドとして演奏しているのにも関わらず、黒田は勝手に自分だけペースを上げ、周りと合わせようとしない。


「ウルセェなっ! テメエらが遅ぇんだよっ! そこのドラムのボケがもっとペース速めりゃいいだろうが!」

「ンだとぉ、コノヤロウ!」


とんだ言いがかりを振られ、持っていたスティックを床に叩きつけ立ち上がる森田の肩に森脇が手を掛けて宥める。


「まあ落ち着け、座れよ。森田」


そして、振り向きざまに黒田の襟元を掴んだ森脇は、その手を捻り上げて黒田の顔を睨みつけた。


「調子に乗ってんじゃねえぞ! テメエ、何様のつもりだっ!」

「ヘヘッ……そんなにムキになるなよ」


 そもそも、演奏のペースの主導権は曲のリズムを担当するドラムにあるのが道理である。そのドラムに対し、リードギターが「俺のペースに合わせろ」などという要求は自分勝手も甚だしい。


 森脇に睨みつけられた黒田は、ただヘラヘラと不敵に笑うだけで反省の素振りなど一向に見られない。


 いっそのことその憎らしい顔をぶん殴ってやろうかとも思ったが、それは思い直し、森脇は舌打ちをしながら黒田の襟元を掴んでいた手を離した。


「もう一回いくぞ! 三曲目からな」


 とても最終調整とは思えないその不穏な雰囲気の中、森田のカウントを合図に、再びリハーサルは開始された。


 その後の音合わせでも黒田は度々身勝手な暴走を繰返したが、森脇はその度に演奏を止め、何度でも最初からやり直しをさせた。


「おい、またかよ! いい加減にしろっ!」

「そりゃ、こっちのセリフだ。いい加減、ちゃんと合わせろ! ほら、もう一回だ!」


こんなやり取りを、もう十数回繰り返している。やがて、黒田の方が痺れを切らして暴走を控えるようになり、何とかリハーサルの方は無難に終了する事が出来た。


「最初からそう演りゃいいんだよ! いいか黒田、お前の見せ場はちゃんと作ってやる。だが、それ以外の所で勝手なマネしやがったらステージから蹴り落とすぞっ! よく覚えとけ!」

「ヘン! やれるモンならやってみろよ!」


森脇の忠告など、聞く耳も持たぬと言わんばかりの黒田。リハーサルは終了したものの、信頼関係は皆無に等しい。


 ギターの腕さえあれば、多少の素行の悪さは大目に見よう………そんな考えから、本田の忠告を敢えて無視して黒田を選んだ森脇だったが、こんな事になるのだったらもっと慎重に選ぶべきだった。


(今頃になって、なんなんだよ!)


 自分の判断の甘さを悔やみながら分厚い防音のドアを開け、森脇は重い足取りでスタジオの外へと出て行った。スタジオ前の喫煙コーナーで、苛立った表情で煙草を吹かす森脇の背中から、ふいに声が掛かる。


「森脇!」


森脇が振り返ると、そこに自販機で買ったばかりの缶コーヒーを二つ手にした武藤が立っていた。


「ブラックだったよな?」


その一つを森脇に渡し、隣に座る武藤。自分も煙草に火を点けると、煙をゆっくりと吐きながら呆れたように呟いた。


「ありゃ、ダメだな」

「他人事みたいに言うなよ。ダメで済むかよ!」

「しかし、コレばっかりはどうしようもねえだろう………リハはやり直しがきくが、本番になりゃアイツはまた暴走するぜ」

「だろうな………テメエが目立つ事しか頭に無ぇ奴だ。バンドがどうなろうが知ったこっちゃ無ぇんだろ」

「確かに、あれじゃあバンドは無理だ。奴がバンドを転々と渡って、今じゃソロしかやってねえのも解る気がするよ」


今となっては、黒田の魂胆は手に取るように明白だ。話題性のあるトリケラトプスのステージ、しかも全国ネットの生放送で自分のギターテクニックを存分に視聴者へと見せつける。トリケラトプスのライブの成功なんて関係無い。むしろ、森脇らが自分のパフォーマンス以上に注目を浴びる事は、黒田にとっては望ましくない事なのであった。それが判明しながらも、もう他のギタリストを立てるだけの時間的な余裕は今のトリケラトプスには無い。


「それで、どうするよ? 森脇」

「黒田のギターで演るしかねえだろ。アイツは俺が抑える!」


黒田はリードギター、そして森脇はボーカルであると同時にサイドギターでもある。黒田が演奏の途中で暴走した時、それを抑えられるのは同じギターを演奏する森脇しかいない。


「30年振りの生ライブに、か………まったくツイてねえな」

「まったくだ」


 二人でそんな事をぼやきながら、揃って煙草の吸いがらを灰皿に押し付け立ち上がる。そして、喫煙コーナーの窓から見える外の景色を見上げると森脇が呟いた。


「なんだか、ひと雨来そうだな」

「ああ、今夜はこれから雷雨になるらしい……ニュースで言ってたぞ。

まあ、武道館のライブには影響無いだろうがね」


 どんより曇り始めた空を見上げ、武藤がそんな情報を森脇に提供する。


「雨はキライだよ………」


ふいに、森脇が独り言のように呟いた。


思えばこれまでの森脇の人生………嫌な事があった日は、決まって雨降りだった。









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