第31話アイドル

『Ladies and gentlemen ! Welcome to the 24hours special live ! Presents by TV NET !』


 時計の針が午前零時てっぺんを指した。それと同時に、会場となる武道館では軽やかな英語のアナウンスを合図に、客席を埋め尽くす満員の観客から歓声が沸き上がった。


いよいよ、待ちに待った24時間ライブの始まりである。


 そのトップを飾るのは、この現代社会を象徴する国民的アイドルユニット、TKB48。既にステージにスタンバイしており、幕が上がるのを待っている。


『T~~K~~B~~フォォ~ティ~エイィ~~~ト~~!』


紹介アナウンスと共にステージの幕が上がり切ると、彼女達の熱狂的なファンによる統制の取れた野太い声援が会場に響き渡る。


 その声援に応えるように、アイドルらしく可愛らしいスマイルで手を振るTKBのメンバー。テレビカメラは、そんな彼女達の笑顔を端から流れるように映していった。


 このライブは、テレビNETのスタジオと武道館との二元中継で放送されているが、最初がスタジオでのMCからでは無くいきなりライブから始めるところなどは、この番組が単なる音楽番組では無い、あくまでライブパフォーマンスを中心としている事を強調している。


 やがて、大声援の中イントロが流れ出しTKB48のステージが始まった。


 一曲目は、彼女達がブレイクするきっかけにもなった、スタンドマイクを使った振り付けが印象的なあの曲。


♪《ベビー・ローション》



          *     *     *



 ライブの滑り出しは順調、熱狂的なファンの声援を浴びながらTKB48は立て続けにヒット曲三曲を歌いきった。


「みんな~ありがとう~~~!」


 TKB48の華やかなステージに、興奮醒めやらぬ観客席。その観客席の最前列から三列までは、出番をまだ迎えていないアーティスト達やその他の招待客がライブを鑑賞する為に設けられた特別席になっていて、その内のひとつには、TKB48の産みの親であり、有名作詞家でもある《秋山 康》の姿もあった。


 さしたるトラブルも無く、無事にステージをやり遂げた彼女達の姿を客席から見上げ、腕を組みながら相変わらずのクールな表情で満足気に頷く秋山。


「やっぱり、若い娘達が沢山のステージは華があっていいですなあ~。秋山さん」


と、隣の席から秋山に話し掛けたのは、来賓として客席に招待された、とあるレコード会社の重役であった。


「ありがとうございます。なんとかトップバッターの役目をやり終えて、ほっとしているところですよ」


穏やかな笑顔を浮かべ、冷静に重役の話へと受け答えをする秋山。二人で暫しの間、他愛ない談笑が始まった。


「しかし、可愛らしい。実は私は《まよよ》のファンでね。ああ、何て言うんでしたっけ? 『推しメン』と言うのかな?」

「よく御存知ですね。《まよよ》は先だっての総選挙でも一位を獲りましたからね……これからのTKB48を背負って立つ重要なメンバーですよ」


 そんな会話を交わし、再びステージに目を向ける。すると、もう予定の楽曲を歌い終わり次の《エクササイズ》にバトンを渡すはずの彼女達が、まだステージ上に立っていた。


「おや?まだ何か歌うのかな? 秋山さん、聞いてますか?」

「いや、何も聞いて無いですけど……」


不思議な気分でステージを見つめる秋山。どうやらアンコールという訳でも無さそうである。


 マイクを持っているのは、先程も話題に出た《まよよ》こと渡辺麻夜だけだった。しかも、その《まよよ》の表情は緊張に震え、何かを思い詰めている様に見えた。


「皆さん、聞いて下さい。この場をお借りして私、渡辺真夜から皆さんに、お伝えしなければならない事があります!」


その、どことなく緊張を帯びた《まよよ》の雰囲気に観客達はいったい何事かとざわめき始める。


(《まよよ》はいったい何を言うつもりだ?……)


それを見ていた秋山の脳裏に、あるキーワードが浮かんだ。


《卒業宣言》


 普通なら、あり得ない。プロデューサーの秋山に何の断りも無く卒業など、芸能界の常識としてそんな事はある筈が無かった。


 しかしこの状況、そして《まよよ》のあの何か思い詰めたような表情からは、それ以外の伝えるべき事柄など秋山には思い付かなかった。


 彼女達は若い。その自由奔放な若さ故に世間から受け入れられ、その国民的な人気を不動のものにしている訳だが、逆を言えばその若さは、世間の常識の枠を超え、暴走する危険をはらんでいる。


 普段はクールで冷静な秋山も、この不測の事態には心の動揺を隠す事が出来なかった。


「おい! 早まった事口走るんじゃないぞ!」


 思わず立ち上がり、叫ぶ秋山。しかし、その声は《まよよ》には届いてはいなかった。


会場の観客席を見渡し、意を決したように話し始める《まよよ》。



「今夜、まよよは皆さんに伝えたい事があります。私、渡辺真夜は……まよよは………」


「よせえええ――――っ!

やめろおおおお―――――っ!」








          *     *     *








「まよよは、本当は男なんです!」





「…………何言ってんだ、コイツは………?」


完全に想像の範囲を超えた発言をされた時、人間の思考回路は一瞬その機能を止める。


トレードマークの眼鏡を鼻の下までずり落としながら、秋山は再度今しがたの《まよよ》の発言の意味を脳内で咀嚼した。



「まっ! マジかっ!」


青天の霹靂へきれき、寝耳に水。勿論、そんな事実は秋山にとって初耳であった。


「いや、待て。これは《まよよ》のウケを狙った冗談に違い無い。そうだ、常識的に考えてもそんな事がある筈が無い」


改めて冷静に考え直し、そんな結論に至る秋山。会場のファン達も、あまりに現実離れした《まよよ》の発言をまともに信じようとする者は少なかった。


「まよよ~ウケる~~~」

「ドッキリ大成功~~~」


そんな声援が《まよよ》に投げかけられ、会場は再び和やかな雰囲気を取り戻す。


そして、その様子を客席側から、腕組みをし、理解に苦しむという面持ちで本田が見ていた。


「何なんだよ、この茶番は……」


《まよよ》がイタズラ心で仕掛けたドッキリに会場が盛り上がって見事大成功。めでたし、めでたし。


常識的にはそう考える。


しかし、若さ故の暴走は時に、常識の枠を遥かに超える危険性をやっぱり孕んでいたのだった。




     *     *     *





「嘘じゃありませ―――ん!

私、今までファンの皆さんを騙していました! 本当にごめんなさい!

《まよよ》の言う事を信じてもらえるよう、今からそのを見せます!」


嘘では無いのだ。ドッキリでは無いのだ。自分は本当に男なのだと、涙ながらに訴える《まよよ》。



「えええええええ~~~~~っ!」


その《まよよ》の発言に驚愕するファン達。そして秋山。


しかし、誰よりもその発言に過敏に反応したのは、本田だった。


「おいっ! 何言ってんだあの女!

《証拠》を見せるって、まさか生放送でを見せるつもりかっ!」


《まよよ》が。そう言われて連想されるのは、アレしか無い。しかし、それを公衆の面前で晒す事は日本の法律で厳しく制限されている。ましてや生放送のテレビで放映するなど言語道断である。下手をすれば、テレビNETのトップの首が飛ぶ大不祥事に発展する事も十分あり得るだろう。



「おい、緊急事態だっ! 大至急ステージの幕を降ろせ! そう、今すぐだ!」


何をさておいても、とにかく今は《まよよ》を観客の目から遮らなければならない。


予定外のハプニングに対応すべく、インカムですぐさまスタッフに指示を出す本田。生放送にハプニングは付き物とは言え、こんなのはマジで勘弁してもらいたい。


 どよめく観客達を前にして、静かにステージの幕が降ろされていく。これは何も物理的な意味合いだけでは無い。番組から、そして常識ある大人達からの《まよよ》に対する精神的なメッセージでもある。『芸能界で生き残りたいのなら、もうその位にしておけよ』という無言の圧力だ。


ところが、一旦走り始めた若い《まよよ》の暴走は、そんなものには屈しなかった。

もう既にステージのフロアまで届きそうになっている幕の下を潜り抜け、彼女(彼と言うべきか)は再び観客の前へと姿を現したのだ。


「クソッ! そこまでやるか、あの女!」


業界の常識、大人の事情など、今の《まよよ》には全く眼中に無いに違いない。今の《まよよ》にとって一番大切な事は、長年自分を応援してくれたファンに、ありのままの真実の自分の姿を知ってもらう事。



今、《まよよ》の脳内では、去年買ったDVD で何度も繰り返し観ている吹替え版『アナと雪の女王』の、松たか子が歌うあの大ヒット劇中歌が、沸き上がる感情と共に流れるだけであった。



「皆さん! どうかを見て下さい!」


「冗談じゃない! そうはさせるかっ!」


もう、なりふり構ってはいられない。本田は必死になって《まよよ》の方に向かって猛然と走り出していた。今の本田の心境を例えるとすれば、映画『ボディーガード』のケビン・コスナーというところか。但し、本田が身を挺して護るのは銃口を向けられた《依頼人》では無く、一人のアイドルによってぶち壊されようとしている番組の社会的信用であるのだが。


「皆さん! 観て下さい!」

「よせっ! やめろ! まよよ!」


今にも行動を起こそうとする《まよよ》を止めようと、ステージによじ登りかける本田。果たして間に合うかどうかは微妙な距離であった。



そして………



「見て下さい!これが、ありのままの《まよよ》です!」

「やめろおおおお―――――っ!」




          *     *     *





「……寿命が三年位縮むかと思ったぜ………」


《まよよ》がファンに晒け出したのは、上半身のみ。彼女(彼)の言葉の真実を証明するべく、男性特有の平たい胸が露わになっただけであった。


《まよよ》の足下には、たった今までその胸を覆っていたブラパッドが虚しく転がっている。


「今まで、みんなを騙していてごめんなさい!でも、もし下さいっ!」


 会場は、異様な雰囲気に包まれていた。今の状況が受け入れられず「これは夢だ」と独り言を呟く者、大声で号泣する者、途方に暮れる者、「それでも僕は《まよよ》を応援する!」と涙ながらに訴える者もいた。


そして、プロデューサーの秋山 康はと言えば………


(まよよをセンターに、新たにニューハーフのメンバーを募って《ONE48》というのもアリかもしれないな………)


転んでも、只では起きないというのは、きっとこういう男の事を言うのだろう。


可哀想なのは、このとんでもない大波乱、最悪なコンディションの観客の前で、この後のステージを受け持たなければならない《エクササイズ》である。


「この後、超やりにくいんですけど………」


そして、その全ての原因を作った《まよよ》の方は………

ありのままの自分を晒け出したという達成感と開放感に、まだステージの上で陶酔していた。



『少しも寒くないわ♪』















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