第26話Eazy Come, Eazy Go!!①
5月12日………
「そんな事があったとはな………」
テレビNET局内のデスクで陽子からの報告を受けた本田は、メディアでは謎とされていたトリケラトプスの解散劇の真相に、かなりの衝撃を受けていた。とりわけ、前島の自殺についてはトリケラトプスのファンとして、個人的にもショックだったようだ。
「惜しいギタリストを失った。彼のギターをもう聴く事が出来ないと思うと、本当に残念だ」
それでも、無事にトリケラトプスとの出演交渉に成功した陽子に労いの言葉を送る。
「陽子、よくやってくれた。お手柄だな」
その言葉は本田の本心だった。相田局長との約束により、あと二週間トリケラトプスとの出演交渉が成立しなければ、本田の企画した24時間ライブは内容自体を大幅に変更させられるところだったのだ。
「エヘヘ、私もお役に立てて嬉しいです」
あまり褒められる事の無い本田に、珍しくそんな言葉をもらい少し照れながらも得意顔の陽子。ただ、肝心な自身の活躍の詳細については、記憶が飛んでいる為に全く覚えていないのだが。
「とにかく、俺も一度森脇さんに会う必要があるな………陽子、彼とは連絡が取れるようにしてあるのか?」
本田はプロデューサーとして、森脇とはライブ内容について話を詰めなければならない。それに、自殺した前島の代役をどうするのか?その大きな問題についても森脇と相談する必要がある。
「ええ、森脇さんとはちゃんと連絡先を交換しています」
「そうか、じゃあ先方の都合がよければ明日の夜にでもレスポールで会うとするか……」
ほんの数秒考えてから、本田は独り言のようにそう呟いた。あの店ならば本田、森脇双方にとっても顔馴染みの店である。話をするには丁度いい。
ふと気が付くと、陽子が何かをねだるような目で本田をじっと見ている。
「なんだ、お前もついて来るのか?」
「エヘヘ、バレました?」
つい一昨日、レスポールで記憶が飛ぶほど飲んだというのに、陽子もたいがいタフな女である。さすがは業界に勤めるキャリアウーマンというところか。
陽子から受け取った森脇の連絡先に電話して、本田は明日のレスポールでの面会を申し込んだ。幸い、森脇はその本田の申し出に快く応じてくれた。電話での話では、森脇は既に工事現場の仕事を辞め、本格的に今回のライブに動き始めるつもりなのだという。
「それでは、明日の夜レスポールにてお待ちしております」
丁寧に電話の向こうの森脇に挨拶をし、静かに受話器を置いた本田は、ふつふつと己の内に沸き上がる興奮をその身に感じていた。
テレビ局に入社し、ADの下積み時代から夢見ていた。どこの局も手掛けないような、大きなライブ特番を自らの手でプロデュースする事。それが、今まさに本田の手の届くところまで来ている。そして、その24時間ライブ成功の大きな鍵を握っているのが、メインゲストに位置付けられているトリケラトプスのステージである。
30年間のブランク、そしてリードギターである前島 晃の不在、そんな不安要素は確かにあるが、きっとあの森脇 勇司ならやってくれるに違いない。本田はそう信じていた。
ほんの一昨日まで、その足取りですら掴めなかった森脇。そして、そのせいでライブの企画自体がぶち壊しになろうとしていた。
『二週間でトリケラトプスとの出演交渉が出来なければ、ライブの企画は内容を大幅に変更する』
局長にそこまで追い詰められてからの、まさに奇跡的な逆転だった。もう、何も怖いものは無い。あとはただ、突き進むだけだと本田は心に誓い、トリケラトプス出演決定の報告をしに局長室へと向かった。
* * *
5月13日、午後7時………
局での仕事を早めに切り上げ、本田と陽子は一足早くレスポールへと繰り出し森脇が到着するのを待っていた。店も開けて間もない、しかも平日とあって客は本田と陽子の他には、まだほんの二~三人しか入ってはいない。
ディープ・パープルの名曲【スモーク・オン・ザ・ウォーター】が流れる店内では、マスターがカウンター越しに陽子へと話し掛ける。
「ヨーコさん、この間はずいぶんと酔っていたようだけど、帰りは大丈夫だった?」
そのマスターの質問に、まさか「酔いつぶれて森脇とラブホに泊まりました」とも言えず、陽子は作り笑いを浮かべ「ええ、まあ」と誤魔化した。そして、すぐさま話題の矛先を変える。
「あ、そうそう! マスターに大ニュースがあるんですよ!」
「ニュースと言うと?」
森脇が現れればいずれ判る事ではあるが、陽子はいち早くマスターにその事を伝えた。
「トリケラトプスの24時間ライブの出演が決まりました!」
「えっ?」
マスターのたいそう驚いた様子に、陽子が嬉しそうに微笑む。
「森脇さん、出演を承諾してくれたんですよ」
「それはまた……もしかして本田君が説得したのかい?」
「いや、交渉したのは陽子です」
本田の答えに、マスターは再び驚いた。レスポールでの森脇と陽子のやり取りでは、陽子は森脇を怒らせて帰らせてしまった。ならば、本田の交渉手腕によるものかと考えたのだが、どうやらそうでも無いらしい。
「いったい、どんな魔法を使ったんだい? ヨーコさん」
あれだけ出演を拒否していた森脇を、この短期間でどうやって説得したのか?マスターには大いに興味のあるところだ。だが、マスターのもっとも知りたい部分について、陽子は人差し指で頭を掻いて笑いながらこう答えるだけだった。
「いやあ~、それがなんにも覚えて無いんですよね、私……」
陽子の答えに拍子抜けするマスター。
覚えて無いとは、きっとあの夜に何かあったのだろう。しかし、何があったのかはもうどうでもいい。マスターにとっては、森脇が30年間のあの苦しみから立ち直ってくれた事がなにより嬉しかった。
その後、三十分ほど三人で雑談をしているところに、森脇はやって来た。
「あっ!」
店のドアを開けて入って来た森脇を見るなり、陽子が彼を指差して驚いたような声を上げた。
「森脇さん、パンチやめたんですね」
「うるせぇな! んなの俺の勝手だろ!」
がっつりと掛かっていた森脇のパンチパーマが、緩いウェーブの髪型へと直されていた。長さこそ昔のようなロングヘアーでは無いが、その髪型のおかげでオヤジ臭さはずいぶん無くなり、十歳は若く見える。
「良く似合ってますよ、森脇さん」
「お前に褒められたって嬉しくねえよ」
出来る事なら、あまり触れて欲しくなかった事らしい。森脇は気恥ずかしさを誤魔化すようにそっぽを向きながら陽子の隣へと座った。
「あ、森脇さん紹介します。こちらがプロデューサーの本田です」
陽子に紹介され、本田が森脇に挨拶をしながら右手を差し出した。
「初めまして、森脇さん。私が今回のライブ運営の責任者を務めます、本田と申します」
「なるほど、するとアンタがこの初音陽子の上司って訳か………それじゃ、アンタも苦労が絶えないだろうな」
「判りますか、やっぱり?」
「ちょっと!どこに共感してるんですかっ、二人共!」
陽子を間に挟んだ形で、握手を交わす森脇と本田。今夜初めて顔を合わせた二人ではあったが、陽子をからかう息はぴったりと合っているようだ。
「それで、話ってのは?」
マスターが差し出したジャック・ダニエルのロックに口をつけてから、森脇が切り出した。
「ええ、まだライブの細かい内容をお伝えしてませんでしたので、こうして話し合いの席を設けさせていただきました」
通常であれば、スタッフを通じて電話で済ます事も出来る内容の説明であるが、ことトリケラトプスに関しては本田は、自らが立ち会う事に拘った。それが、かつて日本中を魅了した伝説のロックバンドに対する本田からの敬意と礼儀を込めた行動であった。
「そんなに、固っ苦しい話でも無いだろ?音楽祭形式なんだってな………て事は、俺達の持ち時間は15分程度ってところか?」
多くのアーティストが参加する音楽祭では、通常一組あたりの持ち時間は二曲か多くても三曲、そんなものである。森脇もその程度のものを想像していた。
ところが、本田の構想はその森脇の予想を遥かに上回るものであった。
「いいえ。今回の24時間ライブでは、トリケラトプスは特別枠のゲスト扱いでと私どもは考えています。トリケラトプスの持ち時間は、1時間強。この特番のトリを務めてもらいたいと思います」
それを聞いた森脇の表情が変わった。
「へえ………そんなに演らせてもらえるのかい。そりゃ、光栄だね」
舞台が大きければ大きい程燃えてくる。森脇は、本田の言葉に少しも狼狽える事なく、むしろ嬉しそうに口角を上げて微笑んだ。
「日時は、テレビNET開局記念日の8月24日、会場は日本武道館」
その告知を耳にした森脇の、ロックグラスを持つ右手に力が入る。
「申し分ないね。アンタも気が利くな」
奇遇にも、8月24日は前島 晃の命日………そして、武道館は生前の前島が最も演奏を切望していたコンサート会場であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます