第25話前しか向かねえ③

「おおおおいっっ! もりわきゆうじいぃぃぃっっ!」


 公園のベンチの端に、煙草を吹かしながら背中を丸めて座っていたのは森脇だった。

不意に名前を呼ばれ、声のした方角へと頭を上げると、その視界には自分の方に向かって物凄い勢いで突進してくる陽子の姿が映った。


「な、なんだ?」


 この場所に陽子がいる事に、驚きを隠せない森脇。その事より、猛然とこちらに突進してくる陽子の只ならぬ表情に恐怖さえ感じた。例えるなら、ボクシングの試合で相手をリングに沈めようと、コーナーから猛然と飛び出す挑戦者のような、鋭い殺気のようなものだ。


「おい、なんだおまっ! ちょっと待て!」


 慌ててベンチから立ち上がり、後退りしようとした森脇の顔面に、容赦の無い陽子の右ストレートが炸裂した。


「んごばっ!」


 陽子の放ったパンチを顔面に受け、森脇が水に溺れたゴリラのような声を上げ、その場に尻餅をつく。


「痛ぇなっ! なにしやがんだっ! いきなり」


 地面に仰向けになりながら、ムチャクチャな陽子の先制攻撃に怒る。当然だ。自分が殴られる理由など、全く身に覚えが無いのだから。ところが、陽子はその無礼を詫びるどころか、さらに仰向けになっている森脇の腹に馬乗りになった。


「うるさいっ! この大ばかやろうっ!」


 そう叫び、陽子は森脇にマウント状態になりながら彼の胸板をドンドンと拳で殴りつけた。


「いったい、何なんだよ!お前はっ!」


 見れば、陽子の表情は今にも泣きそうであった。まるで、オモチャを取り上げられた子供のように、ただ、ただ、悔しそうに森脇の胸を叩き続けていた。


「マスターに全部聞いたわよっ!

アンタってほんとに大ばかっ!

救いようの無い大ばかよっ!


30年も何やってんのよ!

ロックから足を洗うなんて大嘘!

本当は、ロックが好きで好きで堪らないくせに!

前島さんに負い目を感じてるの!?

それで前島さんが喜ぶの!?

アンタが不幸になって、それで前島さんが喜ぶとでも思っているの!?

ロックが好きなんだろっ!

ロックが演りたいんだろっ!

だったら、演れよ!

演って、演って、演りまくればいいじゃんかよおおおっ!」


 きっと、酒に酔っていたせいもあるのだろう。酔っていたからこそ、理性も何もかもを捨て去った陽子の剥き出しの感情を、そのまま素直に森脇にぶつけられたのかもしれない。


 そして、そんな本音の剥き出しの感情だけが、森脇の永く凍りついていた心の雪を溶かす事が出来るのかもしれない。


森脇のシャツの胸に、陽子の瞳から溢れた温かい涙の雫が落ちて滲む。森脇は既に無抵抗で、泣き喚く陽子の言葉をじっと聞いていた。そして、散々思いのたけを訴えた後、陽子は最後に森脇の胸に顔を埋めるようにして、言った。


「ねぇ……お願いだから、もう自分を責めるのはやめて。前だけを向いて生きて………」


森脇は何も言わずにただ、星の瞬く夜空を眺めていた。思えば、こうやって空を眺めるなんて事は前島が刺されたあの日から、もうずっとした事が無い。東京の空は汚れているなんて人は言うけれど、こうして見るとなかなかいいもんだな………などと、ぼんやり考えながら、森脇はしばらく眺めていた。




          *     *     *




 清々しい朝の陽光が、明かり採りだけの為にある小さな窓からその部屋へと射し込む。ゆっくりと目を覚ました陽子は、まだ朦朧とした意識の中、今の自分の状況に疑問符を投げ掛けた。


(あれ………ここはどこ? 私、何でこんなところで眠ってたんだろう?)


 見た事も無い部屋。どこかのマンションの一室だろうか?しかし、部屋の雰囲気からして、ホテルの部屋のような気もする。


 少し、頭痛がする。そういえば、昨夜はレスポールでしこたま酒を飲んだのだった。

森脇が帰った後、マスターからあの話を聞いて………そして少しヤケになって飲み過ぎた。そして、マスターにタクシーに乗せられたところまでは覚えているのだが………それから後の事は、陽子の記憶からはすっかり抜け落ちていた。


「えっ、何……私、家に帰ったんじゃ無かったの?」


そう呟きながら、陽子は掛けてあった毛布を剥いで上半身を起こした。


すると、その刹那。今の今まで、全く気付かなかった隣の男の存在が、視界に入った。


仰向けで、間抜けそうな大口を開けて何の警戒心も無しに眠っている森脇 勇司。



であった。


「ぎゃあああああああ~~~~っ!!」


ほんの数十センチという至近距離で、森脇の股間のを目にした陽子は、これ以上無いほどの叫び声を上げ、森脇の肩の辺りを思い切り枕で殴りつけた。


「イテッ!」


それをきっかけに目を覚ました森脇に、陽子は遠慮なく罵声を浴びせる。


「なんでアンタがここにいるのよっ! このスケベ! ど変態!」

「はあっ? 何言ってんだよお前はっ! お前が潰れて眠っちまったから、俺がここまで運んでやったんじゃねぇか!」

「えっ?…………」


なにしろ、昨夜のレスポールを出てからの記憶が全く無い陽子。


 キョトンとした陽子の様子に、森脇は全てを察したように肩をすくめ、大きく溜め息を吐いた。


「ったく、勘弁してくれよ………」

「ここ、一体どこなんですか?」


辺りをきょろきょろと見回して、陽子が尋ねる。


「ラブホ」

「なっ!!」


まるで、鬼畜を見るような目付きで森脇を睨み付ける陽子に、森脇は慌てて弁解をする。


「誤解すんなよ。あの時間じゃ泊まれる所なんか、ラブホ位しか開いて無かったんだって! 心配するな、なんにもしちゃあいねえよ」

「じゃあ、その格好は何なんですか!」

「俺はいつも寝る時はこうなんだよ! そういうお前は、ちゃんと服着てるだろうが!」


 言われてみれば、確かにその通りだった。それに、森脇がそこまで卑劣な人物では無い事は、陽子にも分かっていた。


「分かりました………とりあえず、服を着てもらえます?」


 そう言って、森脇に背を向けてベッドから出る陽子。森脇も「ああ、そうか」と、ベッドから出て服を着始めた。


「あの、私よく覚えて無いんですけど、なんかすいません。色々とご迷惑おかけしたみたいで………」


 森脇に背中を向けたまま、陽子は森脇に昨夜酔い潰れて介抱して貰った事への礼を述べた。やはりこういう事は、面と向かっては言いづらい。


森脇はそんな陽子の仕草に、少しは可愛らしいところもあるもんだ。と、微笑みを浮かべた。そして、背中を向けた陽子に言うのだった。


「まあ、これは貸しにしとくよ。これからアンタには、だからな」

「えっ?」


驚いて森脇の方へ振り返る陽子。


「今、なんて言いました?」

「トリケラトプスは、24時間ライブに出演すると言ったんだ」


そう告げた森脇の表情は、陽子が今まで見た事も無いほどに爽やかな笑顔だった。



          *     *     *



 ホテルをチェックアウトして、最寄りの駅に向かって歩く。


「一体、どういう風の吹き回しですか?」


 森脇の、突然の心境の変化。勿論、陽子にとっては歓迎この上ない事なのだが、その理由はどうしても分からなかった。


「なんだよ、俺達がライブをやるのが不満なのか?」

「いえ、とんでもない! 嬉しいですよ! とっても嬉しいです!」

「だったら問題ねえだろ」


 森脇にそう言われてしまうと、陽子にもそれ以上の詮索は出来なかった。ただ、どうしても気になる。昨夜、あの森脇にどのような心境の変化があったのか?その昨夜の肝心な時の記憶は、陽子の頭の中からはすっかり抜け落ちている。

いくら思い出そうとしても、まったく思い出せず、陽子の中での消化不良は募るばかりだった。


「あの、森脇さん。もしかして………私、昨夜森脇さんに何か言いました?」


 いてもたってもいられずに、森脇に一番気になっている事を訊いてみた。


「ああ、そうか。お前、なんにも覚えて無いんだったな」


 やっぱり、何か言ったんだ。


「私、森脇さんになんて言ったんですか?」


その陽子の問いかけに森脇は振り返り、至極真剣な表情で答えるのだった。



「お前……確か、俺の! とか言ってたぞ」


その森脇の返答に、顔を真っ赤にして否定する陽子。


「ふざけないで下さいっ! そんな事言う訳無いでしょ!」

「いや~確かに言ってたぞ、お前は」

「嘘だっ! 絶対言って無い!」

「言った!」

「言って無い!」



テレビNET開局50周年記念番組

24時間ライブ


トリケラトプス出演決定。












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