第24話前しか向かねえ②
それがどれほど困難な課題だったとしても、森脇本人にまだロックに対する情熱が残ってさえすれば、勝負を諦める必要は無い。しかし、今の森脇にはもうロックに対する情熱など微塵も残ってはいないのだろう。
もしも、森脇と前島がロックに関わっていなければ、前島は刺される事も無かっただろうし、また、刺された後に自殺する事も無かった。ロックは、森脇から一番大切な人間を奪ってしまった。
『俺はもう、ロックからは足を洗ったんだ!』
その言葉が示すように、森脇は30年前のあの日からずっと、ロックに憎しみを抱き続けているに違いない。だからこそトリケラトプス解散後、ソロ活動という選択がありながらも森脇は30年間、全くロックに関わらなかったのではないか。
陽子は、そんな風に思っていた。
ところが………
「それは違うよ、ヨーコさん」
マスターは、陽子の意見を否定した。
「今夜、Zipのステージを観ていた彼の目を見て確信したよ。森脇君のロックに対する情熱は、昔と少しも変わってなんていない」
「でも、それなら森脇さん、30年間もソロ活動もしていないなんて、不自然過ぎますよ!」
もしも森脇に、ロックに対する情熱がまだ残っているのなら、今までに何かしらの音楽活動をしていてもおかしくない。陽子はその疑問をマスターにぶつけてみた。
するとマスターは、その矛盾についてこう述べた。
「彼とは、長い付き合いだ。森脇君の性格はよく知っている………
トリケラトプス解散後、彼が音楽活動からすっかり手を引いていたのは、何もロックが嫌いになったからじゃ無い。彼はきっと、自分に罰を与えているのだと僕は思う」
「罰?」
陽子には、マスターの言う『罰』の意味がよく分からなかった。何故、森脇が自分に罰を与える必要があるのか?彼は、人生で最も大切な親友を失い所属するバンドを解散にまで追い込まれた、言うなれば被害者ではないのか?
訳が分からないといった陽子の疑問に、マスターがその理由を話した。
「暴漢にナイフで襲われた時、森脇君は前島君に助けられ、命を救われた。しかし、その結果前島君は左手を負傷しギターを弾けなくなって、それが彼の自殺の引き金となった。その負い目を、森脇君は今になってもまだ引きずっている。前島君は自分のせいでギターを弾けなくなり、命を絶ったのだと思っているんだよ。だから、森脇君は自分に罰を与え続けている。何よりもギターを愛しているのに、それを弾けなくなってしまった前島君。それと同じ苦しみを味わう為に、彼は何よりも好きなロックから敢えて自分を遠ざけているんだ………」
「そんなっ!」
もし、マスターの言う事が本当だとすれば、それは森脇にとってどれほど耐え難い事であろう。そんな仕打ちを、森脇はもう30年もの間、自らに課して来たと言うのか?
「森脇 勇司という男は、そういう男だ。彼はこの30年間、ずっと自分で自分自身を責め続けてきたんだよ」
そう語ったマスターの表情には、なんとも遣りきれない気持ちと、それを誰かに救って欲しい……そんな気持ちとが、入り交じっているように見えた。
返す言葉が思い浮かばず、押し黙ってしまった陽子に、マスターがこんな事を言った。
「ヨーコさんが最初に本田君とこの店へ来た時、君はZipのステージを観て言ってたね………『難しい事は分からないけど、なんだかとっても楽しそう。心から演奏する事を楽しんでいるみたい』だって。
かつてのトリケラトプスのステージも、まさにそうだった。それはきっと、今でも全く変わる事はないと思うよ」
* * *
「マスター、私そろそろ帰ります」
いくら飲んでも、少しも気分は良くならない。ただ、ただ酔いだけが回るだけである。森脇が今もなお、自分自身を責め続けている。などという、切ない話をマスターから聞けば、陽子の憂鬱は益々深くなるばかりだった。
「それじゃ、今タクシーを呼ぶから。その間、水でも飲んで少し酔いを冷ましておくといいよ」
そう言って、水を注いだ新しいグラスを陽子に差し出すと、マスターは穏やかに微笑んだ。
十五分程が経過し、やがてタクシーが到着すると、陽子はマスターに礼を言い、カウンターの椅子から立ち上がった。その瞬間、微かな目眩いを覚え、慌ててカウンターに手を添える。
「おいおい、大丈夫かい?ヨーコさん」
「大丈夫ですよ。急に立ち上がったから……」
そうは言うものの、あまり大丈夫そうには見えなかった。店の出口へ歩き出そうとしている陽子の足取りは、どう見ても千鳥足である。
マスターが、慌てて陽子の傍に駆け寄り、タクシーの後部座席まで彼女の肩を支えた。
「それじゃ、気をつけて帰ってねヨーコさん」
「はい。お休みなさい……」
虚ろな顔でそう答える陽子を、マスターは心配そうな表情でタクシーが走り去り、その姿が見えなくなるまで見送っていた。
* * *
幾多もの流れ星のように見える街のネオンを、走るタクシーの窓からぼんやりと眺めながら、陽子は憂鬱な気分で今夜のマスターの話を思い返していた。
『森脇 勇司という男は、そういう男だ。彼はこの30年間、ずっと自分で自分自身を責め続けてきたんだよ』
森脇にとっては、きっとそれが前島の死に報いる彼なりのやり方なのだろう。しかし陽子には、それでは何かが違う……と、思えて仕方が無かった。
「本当にそれでいいの?……」
自然と陽子の口から溢れたそんな独り言に、タクシーの運転手が片眉を上げて尋ねる。
「あれ、お客さん、道違いましたか?」
「いえ、独り言です。気にしないで………」
それにしても、今夜は飲み過ぎた。
新しいアーリータイムズのボトルは、帰る頃にはもう殆ど空になっていたような気がする。
こんなに、後味の悪い酒は初めてなんじゃないか?
明日は休日。そして、休みが明けたら、本田に今夜の出来事を報告しなければ………
もう、どうでもいっか。そんな事………
後部座席の背もたれに体を放り投げるようにして、なかばヤケになりながら不貞腐る陽子を乗せて、タクシーは繁華街を抜け少し静かな住宅街の方へと進んで行った。
派手なネオンの繁華街とは変わって、タクシーの窓から見える景色は街灯と一般住宅の白い灯が点々と並ぶ。
そんな流れる景色をぼんやりと虚ろに眺めていた陽子だったが、その陽子の瞳が急に驚いたように、ある一点に釘付けになった。
「ちょっと運転手さん、止めて!」
「は?」
運転手が聞き直す。聞いていた目的地は、まだずっと先である。コンビニも無い、こんな所に車を止める必要があるのか?
「もしかして、気持ちが悪いんですか?」
車内で吐かれたら、堪らない。まず最初にその事を心配した運転手だったが、そうでは無かった。
「ここで降ります!車を止めて下さい!」
陽子は、ここでの下車を希望した。しかし、陽子のマンションはここには無い。
「降りるって……本当にこんな所でいいんですか?」
訳が分からない様子で首を傾げながらも、運転手は陽子の言う通り、タクシーを停めた。まだ料金メーターは、ワンメーターしか回っていない。少し不満そうな表情の運転手に、陽子は千円札を出して「おつりは、結構ですから」と言って、タクシーを降りた。
陽子がタクシーを降りた場所には、公園があった。周りを柵で囲まれたその公園には、木製のベンチがひとつとブランコ、そして子供用の滑り台が設置されている。
もしも陽子の見間違いで無ければ、タクシーの窓から外を眺めていた時、そのベンチには彼女の知っている、ある人物が座っていたのだ。敷地内の電灯に照らされた公園のベンチに視線を移すと、そこには確かに人が座っていた。
やっぱり、そうだ。
陽子は、公園の柵の前に立ったまま、息を大きく吸い込んでから、その人物の名前を大声で叫んだ。
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