第23話前しか向かねえ①
「…そんな…………」
マスターから聞いた話は、陽子の想像の範囲を遥かに超えたものだった。
ネットのどこを調べても、トリケラトプスの解散の理由は、不明あるいは謎とされていたが、その真実がかくも壮絶な最後であったとは一体誰が想像しただろう。
日本ロック界の大事件とも言える、この解散劇の裏側が世間に公表されなかったのには、生前の前島の意向を森脇が忠実に守り、マスコミに対しての徹底的な隠蔽を施したからという事情がある。
前島 晃は森脇と同じく孤児だった為、その葬儀に参列したのはトリケラトプスのメンバーとマスター、そしてレスポールの一部の常連客という僅かな人数で執り行われただけであった。
「前島君が亡くなった直後の森脇君の荒れようは、そりゃ酷いものだった。毎晩、浴びるように酒を飲んでは潰れる、その繰り返しだったよ」
「分かるような気がします………」
それも、無理もない事だろうと思った。子供の頃からずっと親友で、バンド内でもプライベートでも、最も心を許していた前島に先立たれたのだ。酒の力でも借りなければ、正気ではいられなかったのだろう。
事実、その話を聞いた陽子も、無性に酒が飲みたくなった。それは、森脇の出演交渉が絶望的に決裂してしまったから?そうでは無い、そこにはもっと心情的な理由があった。陽子自身上手く説明は出来ないが、自分が知り合った《森脇 勇司》という人間の、計り知れない程の心の闇を共有してしまったような、どうしようもなく遣りきれない気持ちに陥ってしまった。
そして、酔う事でそれを紛らわしかった。
「マスター、今夜は飲みます! バーボンをロックで下さい!」
マスターが作ったバーボンのロックを受け取ると、陽子はそれをまるで苦い飲み薬でも飲むように、強張った表情で一気に喉に流し込んだ。直後、喉が焼けるような感覚に、急激にむせる。
「ちょっと、そんなに無理に飲んじゃ駄目だよ」
マスターが、慌てて横のチェイサーの水を勧めながら陽子を宥める。
「すいません……でも大丈夫ですから」
「飲むな」と言っても、簡単には聞き入れそうに無い。マスターは、やれやれ…といった表情で嘆息した。そして「夜はまだ長いのだから、ゆっくり飲みなさい」と優しく微笑んで言った。
* * *
陽子が二杯目のバーボンロックに口を付けたちょうどその時、店内にBGMとして流れていた音楽が止んだ。見ると、マスターが背中を向け、レコードプレイヤーのレコードを入れ替えているところだった。
新しくかけようとしているアルバムのジャケットには、薪を背負いながら木の枝を杖にし、腰を曲げて立っている老人の絵が描かれている。タイトルもバンド名も表記されていないそのアルバムジャケットには、陽子にも微かに見覚えがあるような気がした。
「マスター、それ誰のアルバムなんですか?」
「レッド・ツェッペリンⅣ。森脇君が好きだったアルバムだよ」
陽子の質問に答え、マスターはそのアルバムのA面の三曲を飛ばし、いきなり四曲目に針を落とした。
世界を熱狂させた生粋のハードロックバンド。しかしそのイントロのギターの旋律は、ハードロックには似つかない、ゆったりとして美しく、そしてもの哀しい旋律だった。
レッド・ツェッペリン/天国への階段
それは、30年前の前島の葬儀の時、彼の遺影に向かって森脇が弾き語りで泣きながら歌ったバラードであった。
* * *
その後一時間程が経過したところで、カウンターの陽子の前にあるアーリータイムズのボトルの残量はおよそ半分程までに減ってしまっていた。そして、かなりのハイペースでそれを消費した陽子の状態はと言えば、店に来たばかりの頃の、背筋を伸ばした行儀の良い姿勢は今は跡形も無く、背中は丸くうずくまる様に、カウンターに肘を突いてかろうじて上半身を支えている。
それでもなお、自らボトルのキャップを開けて、手酌でバーボンをグラスに注ごうとする陽子に、マスターもさすがに見かねて言った。
「ヨーコさん、本当に大丈夫なのかい? 明日、仕事じゃないの?」
「マスター、大丈夫です!明日はお休みですから!」
商売柄、酔っぱらいの相手には慣れているが、若い女性が一人で来て店で潰れられるのがマスターにとっては一番困る。いよいよとなれば、酒を取り上げなければならないと、マスターはその様子を注意深く窺っていた。とりあえず、陽子が眠ってしまわないように、適度に話題を振ってみる。
「それで、これからどうするつもりなんだい? 24時間ライブの方は?」
その質問に、陽子は頭を抱えながら情けない声を洩らした。
「んもおぉぉ~~っ! どうするもこうするも無いですよぉ! 交渉決裂!
ぜっったいムリ!」
目の前で、両腕で大きくバッテンを作って見せる陽子。それを見たマスターは、少し残念そうな表情で呟いた。
「交渉決裂か………それは残念だな、僕はヨーコさんならあるいは奇跡を起こしてくれるかもしれないと、少し期待していたんだけど」
「私を買いかぶりですよ。マスターは………」
そりゃ、ご期待に応えられず申し訳ございませんでしたね。とでも言いたそうに、陽子はそう言って、少し拗ねた素振りでまたロックグラスに口を付けた。
陽子だって諦めたくは無かったし、これまでも自分なりに懸命に交渉には挑んで来たつもりだった。しかし、物事には努力だけではどうしようもない事柄があるという事を、今回の件では嫌というほど思い知らされた気がした。
「じゃあ、諦めるんだ」
「だって、仕方無いでしょ……」
この期におよんで、マスターがまだこの話に拘っている事が、陽子には不思議で仕方無かった。大体にして、トリケラトプスの解散劇の真相を知ってしまった今の状況を鑑みれば、彼等の出演交渉にはどうしても越えられない大きな難題が二つ存在する。マスターだって、その事は陽子以上に知っているはずなのに。
「確かに、簡単な問題では無いけどね………前島君の代役は」
そう、それがまずひとつ。
天才ギタリストと呼ばれた前島 晃の代役を務められる程の腕を持つギタリストを捜す事は、メディアの力を以てしても容易な事では無い。
「それも、ありますし………」
そして、もうひとつ。むしろ、この問題の方がとてつもなく難題であると陽子は思っていた。この問題が解決しなければ、例え万が一トリケラトプスをライブステージに上がらせる事が出来たとしても、24時間ライブは大失敗に終わる事になるであろう。
陽子は、この事を指摘した。
「だってもう、森脇さん……ロック嫌いになっちゃったんでしょ?」
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