第22話ENDLESS RAIN⑦

 その後も、森脇は辛抱強く前島のマンションを訪れた。自分が諦める事だけは絶対にあってはならない。そして、いつの日か前島を立ち直らせまた、昔のような平穏な生活が送れる時がやって来る事を信じていた。そんな、ある日。森脇が前島のマンションへ行くと、前島の様子がいつもと違う事に気が付いた。


 部屋の中では、前島がオーディオ機器で音楽を聴いていた。しかも、それはトリケラトプスのファーストアルバムであった。こんな事は、前島が怪我をして以来初めての事である。それに加え、この日の前島はどことなく穏やかな表情をしていた。無造作に伸ばしていた無精髭も綺麗に剃って、髪型もしっかりと整えている。それはまるで、かつての前島が戻って来たかのような印象を、森脇は感じた。


「あれ?なんか今日は、バッチリとキメてんな」


森脇が嬉しそうに言うと、前島は久しぶりに見せるニカッとした笑顔を森脇に向けた。


「ああ、午前中にちょっと病院に行って痛み止めの薬を貰って来たんだ」

「えっ、お前外に出たのか?」


 森脇は、驚いた。今まで部屋に籠りっぱなしで一歩たりとも外へ出た事など無かったのに、この変わり様はどうした事だろう。


「そうかあ、感心、感心、その調子だよ!」


ようやく前島が光を取り戻しつつある。そんな兆候を感じ取った森脇は、嬉しくて仕方が無かった。


「よし、晃。今日は飲もう!」


そう意気込んで、森脇が冷蔵庫から缶ビールを数本抱えてテーブルの上に並べる。


缶ビールのプルタブを開けて、前島に言った。


「じゃ、乾杯だ、乾杯!」

「一体、何に乾杯するんだよ?」


前島に突っ込まれ、暫し宙を仰ぐ。


「まあ、なんだ。俺達の未来にってとこかな」


そう言って、森脇は自分の缶ビールを強引に前島のビールにぶつけた。



          *     *     *



 ビール片手に、森脇と前島は色々な事を語り合った。


 最初、森脇は前島の左手の事を気遣って音楽の話題は避けようと思ったのだが、意外な事に前島の方からかつてのトリケラトプスの話題を持ち掛けて来た。アマチュア時代のレスポールでのステージの思い出話。他のバンドとの喧嘩、熱狂的過ぎてまるでストーカーのように森脇に付きまとってきた女性ファンの話。プロになってツアーで全国を回った時、打ち上げで飲み過ぎて武藤が全裸でホテルの外に出ようとするのを、みんなで慌てて追いかけ回した話。数え挙げればキリがない。全てが懐かしい良き思い出だった。


そんなバカ話をし、二人で思い切り笑った。


こんなに心の底から笑ったのは、いったい何週間ぶりだろう。


 これならきっと前島は立ち直れる。もう、大丈夫だと森脇はかつて無い手応えを感じた。



          *     *     *




 何時間経っただろう。あまりの愉しさに時間の経つのも忘れ、いつの間にか夜になっていた。


「あれ? もうこんな時間か」


部屋の壁掛け時計を見上げ、森脇が呟いた。


「四時間は飲んでたか?」

「ああ、こういう時間は経つのが早いな」


 丁度、ビールの買い置きも尽きたところで、今日の飲みは御開きにしようという事になった。


「じゃあ、俺そろそろ帰るわ」



そう言って腰を上げ「また来るから」と告げて森脇は玄関に歩いていって靴を履いた。


そして、ドアを開けて外に出ようとした森脇の背中から、前島が呼び止めた。


「勇司!」


振り返る森脇に、前島が優しく微笑んで言った。


「ありがとう。お前に出逢えて本当によかった」



          *     *     *



 翌日は、雨が降っていた。森脇はいつものように前島のマンションへと赴き、ドアを開ける。


「晃ぁ~、まだメシ食ってねぇだろ?マックで買って来たからよ」


玄関から声を掛けるが、前島からの返事は無かった。


「おい、まだ寝てんのか?」


 雨天で部屋の中は薄暗いが、電気は付いていない。森脇は返事の無いまま部屋に上がり、いつも前島が座っている場所を覗き込むが、そこに前島の姿は無かった。

やっぱり、まだ寝ているのだろうか?昨日久しぶりに酒を飲み過ぎたせいかもしれない。そんな事を思いながら、森脇は隣の寝室の開き戸を開けた。



そしてその思いがけない光景に、立ちすくんだまま、背筋を凍り付かせた。



天井から吊り下げられた革製のベルト。



そのベルトに首を掛け、前島は自殺していた。





          *     *     *





「嘘だろ………


なあ、冗談だろ晃………お前、死…………」


唇が震えて、上手く言葉が出てこない。目頭が熱く火照り、涙が止められなかった。




「バカヤロウ!! 死ぬ事ねえじゃねえかよっ!お前、昨日はあんなに笑ってたじゃねえかよっ!」


前島の頬に手を当てる。それはすっかり冷たくなって、生命の温もりを完全に失っていた。


宙に浮いた前島の足下には、彼が最後に書き遺したであろう遺書が置いてあった。



────────────────―――――





  ゴメン やっぱりダメだった



 最後に勇司と飲めて嬉しかったよ




────────────────―――――



1994年8月24日

トリケラトプスの天才ギタリスト、前島 晃は自らの人生に終止符を打った。





 ◆◆◆






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