第21話ENDLESS RAIN⑥

 森脇のマンションからは、電車でひと駅の場所にある前島のマンション。


ドアの前に立ち、声を掛ける。


「おい、晃。俺だ、森脇だ」


 中から返事は無かった。だが、いない筈は無かった。前島は自分の左手が治らないと知ると、さっさと病院を退院してしまいそれ以来ずっとこの自分のマンションの部屋に閉じ籠って、一歩も外へ出る事が無かった。案の定、鍵は開いていて森脇はドアノブを回して勝手に中へと入っていった。


「晃、勝手に入るぞ!」


 靴を脱いで部屋に上がるなり、森脇はその部屋の散らかりように驚いた。


「なんだこりゃあああっ!」


 まるで泥棒にでも入られたかのように、部屋中いたる所が乱雑にひっくり返っていた。


そして、その部屋の隅の方にぽつんと、前島が背中を丸めて座っていた。


「へへっ、ちょっとムシャクシャしちまってな」


 森脇の存在に気が付くと、前島はそう言って微笑んだ。

その顔は全くと言っていいほど精彩を欠いていて、普段なら身なりには人一倍気遣う彼が、無精髭は生やし放題で自慢の金髪もボサボサなまま、全く手入れをしていない様子だった。


 よくもまあ、これだけ散らかしたもんだ……と、荒れ放題の部屋を見回していた視界に信じられないものを見付けた森脇は、途端に表情を強張らせ、前島に視線をやった。


「晃!お前、これ………」

「もう、俺には何の用も無いガラクタだ。方がいいだろ?」


 前島が毎日欠かさずメンテナンスをし、他の何よりも大切に扱っていた、ギブソンのレスポール………それが、見るも無残にネックの部分から真っ二つに折られて部屋の隅に転がされていた。


「晃………………」



          *     *     *




『やっぱり、このギブソンが一番しっくりくるんだよなぁ……俺の宝物だよ』


 まるで自分の恋人の事でも語るように、優しい口調でそのギターの事を話していた、いつかの前島の姿を思い浮かべると、森脇はそのあまりの変貌に胸が締め付けられるような思いになった。


「勇司、いつまで突っ立ってるんだよ? まあ、座れよ」


 ショックを隠し切れないという面持ちの森脇を気遣ってか、前島がそんな言葉を森脇に掛けた。


「おう、色々不便してるんじゃねえかと思って諸々買って来たんだよ。

弁当とカップラーメンと冷凍食品と煙草と………」


「そうか、悪ぃな勇司。ところで、酒も買って来てくれたか?」

「ああ、ビール買って来た。まだ冷えてるぜ」

「ビールか………まぁ、いい。飲もうぜ」


 テーブルの上を片付け、缶ビールを並べる。そして、各々が一本を手にしてプルタブを開けた。


「で……俺に何か話があるんだろ?」


子供の頃からの長い付き合いである。森脇が何かを伝える為にやって来たであろう事は、顔を見れば大体分かる。


「ったく、せっかちな奴だな………」


これじゃ、気持ちの準備もヘッタクレも無いものだと、森脇が嘆息を吐いて苦笑する。


「実はな、トリケラトプス……………解散する事になった」

「そうか…………」


森脇の告白に、前島は短くただそれだけ答えた。そして、持っていたビールの残りを一気に飲み干すと、今度は煙草を一本取り出しジッポで火を点けた。


「まぁ……もう俺には関係の無い話だ。ギターの弾けなくなった俺は、もうトリケラトプスのメンバーじゃ無い」


 直に森脇の顔を見る事はせずに、どこかの壁の一点を見つめながら、前島は虚ろな表情のままそう呟く。


「悲しい事言うんじゃねぇよ、晃。俺達はそんな事、これっぽっちも思っちゃいねえぞ」

「分かってるさ。でもな勇司、思ってるとか思ってねぇとかじゃ無い。ギターが弾けなきゃ、メンバーである資格が無い、これは変えようの無い事実ってやつだろ?

何なら、その辺の弾ける奴を捕まえて続けたって構わないんだぜ」


敢えて冷たく突き放すように、前島は言った。


「やめてくれよ………」


森脇の震える右手に力が入り、持っていたビールの缶がグシャリと潰れた。

一番辛いのは前島本人の筈なのに、そんな強がりを言う彼の心情を推し量ると森脇は堪らなくいたたまれない気持ちになった。


「分かったよ、勇司。ただひとつだけ頼みがある」


相変わらず壁の一点を見つめたまま、前島が言った。


「なんだ?」

「俺がギター弾けなくなった事は、マスコミには伏せてくれないかな?トリケラトプスの最後にそんな格好悪いオマケは付けたくないんだよ」

「分かってるよ。病院にも警察にも今回の事は伏せて貰うように頼んである」


 きっと、前島ならそう言うであろうと森脇には予想がついていた。だから既にその為の根回しは、可能な限り慎重に動いていたつもりである。


「そうか、悪ぃな。勇司」

「何言ってんだ。その位の事はさせてくれよ」


一通り必要な事を話して、森脇は前島のマンションを後にした。


「それじゃ、俺帰るわ。また来るからよ」

「ああ、そうだ勇司。今度来る時にはジャック・ダニエル買って来てくれよ。ビールじゃ全然酔えなくてよ」


別れ際には、そんな会話を交わした。


 それから、森脇はほぼ毎日のように前島のマンションを訪れた。前島は、変わらずいつも部屋の隅の同じ場所に、背中を丸めて座っていた。森脇は、必要な食料品や酒や煙草を買い揃え、散らかった部屋を少しずつ片付けて帰って行く。そんな日々の繰り返しが何日も続いていた。何気ない日常が、やがては前島の心の奥深い傷を、次第に希薄していってくれるのではないか。そんな希望を胸に抱き、森脇は前島のマンションへと通った。


 そして、その日もいつものように前島のマンションの部屋のドアを開ける。キッチンを借り、在り合わせの材料でチャーハンを作ってテーブルへと運んだ。


「出来たぜ。食えよ、俺が作った特製チャーハン」


 その時、前島はテレビの競馬中継を観ていた。


「なんだ晃。お前、競馬なんか興味あるの?」


 ふと、そんな疑問を前島に投げ掛けた時だった。前島が画面を見つめたまま、森脇に言った。


「なあ、知ってるか勇司?

競走馬ってやつは、んだそうだ」


その前島の言葉が何を意味するのか………


 ギターを弾く事が出来なくなった前島の心に深く刻まれた傷は、あれから1ミリたりとも癒されてはいない。むしろ、日を追うごとに彼の心を絶望の淵へと追いやっている。それを聞いた森脇の目には、いつしか涙が止めどなく流れ出していた。


「ふざけんなよ……お前は馬じゃねぇだろうがよ!」


 森脇は、前島の両肩を掴み強く揺さぶりながらそう訴えた。そして、そんな森脇に成すがままにされながら、前島も泣いていた。


「分かってるさ。俺だって、そんな事は分かってるよ……だけど、頭じゃ分かってたって、何もやる気がしねぇんだ。もう、生きてる実感ってやつがしねぇんだ………」


 あの、天才ギタリストとして日本中を魅了した前島 晃が、今は目の前で捨てられた仔犬のように震えている。


「頼むから……そんな事言わないでくれよ……」


 そんな前島の事を、今の森脇には強く抱きしめてやる事位しか出来なかった。











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