第18話ENDLESS RAIN③

「ヤベエ~~! 腕がパンパンだよ!」


 大盛況のうちに、無事代役ステージを終えた森脇と前島の二人は、汗でびっしょりになった体をタオルで拭いながらカウンターのマスターのもとへと戻って来た。


「二人共、お疲れ様!」


マスターからは、労いの言葉と共にバドワイザーの瓶ビールが差し出される。


 元々、二人はレスポールから今夜のステージのギャラを貰おうなどという考えは微塵も持ち合わせてはいない。それよりも、このキンキンに冷えたビールの方が今の森脇達にとってはよっぽど有り難い。


「いやあ、やっぱりライブの後のビールは最高!」

「全く、本当に素晴らしいステージだったよ。二人だけであそこまで演るとは、恐れ入った」


 そんなマスターの賛辞に、森脇が少々照れくさそうに微笑みながら答える。


「いやマスター、正直いっぱいいっぱいでしたよ。ドラムなんて、あの曲数が限界です。やっぱり、ドラムじゃ森田にゃ敵わない」


 それは、このライブを終えて思い知らされた森脇の正直な感想であった。トリケラトプスの正規ドラマーである森田 信人は、今の森脇以上のドラムワークをそれこそ何時間も延々と叩き続ける。


 それに、観客は上手くごまかせても、武藤 謙三のベースが無い違和感は森脇も前島もしっかりと感じていた。



          *      *      *



「じゃあ~マスター、俺達そろそろ帰りますんで、会計をお願いします」


慣れないドラムの演奏が余程堪えたらしい。森脇は、バドワイザーを飲み干すとマスターにそう告げた。


「会計なんて貰えないよ。むしろこっちがギャラを払わなきゃいけない!」


 確かに、日本ロック界ナンバーワンのトリケラトプスのスペシャルライブである。たとえ二人だけと言っても、本来ならばかなりな高額のギャラが発生する筈である。


勿論、森脇達はマスターにそんなものを請求するつもりなど更々無いので、マスターに余計な気を遣わせない為に、二人は敢えて今夜の飲み代をタダにして貰った。


「それじゃ、マスターご馳走さま」

「いや、こちらこそ素敵なライブをありがとう。また、いつでも遊びに来てよ」

「そうっすね。今度はフルメンバーで演奏させてもらいますよ」

「ハハハ、そりゃ楽しみにしてるよ」


そんな会話を交わし、マスターと別れを告げると、森脇が店のドアを開けた。


「ありゃ?雨降ってるよ………」


 防音の効いた店内からは全く気付く事は無かったが、二人が店に入る時には降っていなかった雨が、この二~三時間のうちに本格的に降り出していた。


「うわ、マジかよ………傘なんて持ってねえぜ」


無数の縦筋が走る雨空を見上げ、前島が恨めしそうに呟く。


「仕方がねえ、コンビニまで走るか? 晃」

「その前に、ぜって~ずぶ濡れになるけどな」


 二人、渋顔を向き合わせ、覚悟を決めていざ走り出そうとした、その瞬間。背後からその様子を窺っていたマスターから、救いの手が差しのべられた。


「ああ、酷い雨だね………よかったら、これ差していきなよ」


いつの間にかマスターが、二人の為に二本の黒い傘を用意してくれていた。


「ああっ、マスター! マジで助かります!」


 マスターの心遣いに、心底恐縮しまくる森脇と前島。そして、その厚意に甘えて遠慮がちに、傘を一本だけ手にした。


「もう、これ一本だけで全然大丈夫ですから!」

「そう! この際、『相合い傘』の相手が勇司ってのは、全然我慢しますんで!」

「おいっ!テメエ~晃、そりゃこっちのセリフだっつ~のっ!」


 そんな風に、ドアの前で罵り合う二人の様子を見て、マスターが愉快そうに微笑んだ。


「なるほど、仲のいい君達には《相合い傘》がお似合いかもしれないね」




          *     *     *




「やっぱり、レスポールのステージはいいねぇ~~!」


 時刻は午後11時。雨の降りしきる夜の街を、男二人のむさ苦しい相合い傘で歩く森脇と前島。


「ああいう狭いハコも、客席が近くてこう独特の雰囲気があるよな」

「ああ、なんかこう……観客の熱い息づかいが伝わるっていうの?

そういうのがいいよな」


 最近では、観客の収容人数の問題であまり小さなライブハウスで演奏する事など無かった為、今夜のステージは二人にとってもかなり新鮮な感触があった。


「トリケラトプスが全国各地のライブハウスを回るツアーとか、結構面白いかもしれないな………」


 森脇が顎に手をあて、ふとそんな事を呟く。


 トリケラトプスの実質的リーダーである森脇の考えは、そのままバンドの運営方針に反映される事が多い。


 だが、森脇のそんな呟きを耳にした前島は「ちょっと待てよ」と、森脇に提言した。


「おい勇司、その前にだろうがよ!」


日本武道館………言わずと知れた、日本でロックを自負する者ならば、誰もが一度はそのステージに立ちたいと望むであろう、聖地とも言えるコンサート会場。


トリケラトプスは、この武道館でのコンサートをまだ行ってはいない。


 観客収容人数およそ一万人という規模から、誰でもが武道館で演奏出来るという訳では無いが、今や日本音楽界でもトップの人気を誇る彼等であれば、その実現は充分に可能である。というより、未だにそれが実現していない事の方が不自然な位だ。


 実は、トリケラトプスの武道館公演は去年の九月に実現している筈であった。


 ところが公演当日、関東地方に襲来した大型の台風によって、都内の公共交通機関の殆どが麻痺した為、この日のトリケラトプスのコンサートはやむなく中止、チケットは払い戻しされる事が決定されたのだった。


 それ以来、なかなかスケジュール的な折り合いが付かず、トリケラトプスの武道館公演は実現されないままでいた。


「勇司、俺は武道館で演りてぇんだよ! 今年か来年までには、あの時の借りを返してやりてぇんだっ!」


 目前までいって叶えられなかった武道館公演を熱望する前島に、森脇も力強く同意した。森脇にとっても、その気持ちはまったく同じであった。








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