第16話ENDLESS RAIN①
───話は、30年前に遡る───
* * *
1994年8月24日………
この日、森脇は三ヶ月ぶりにトリケラトプスのギター
「………チッ、ガス切れかよ」
カウンターに座りマルボロを咥えたまま、火の点かない百円ライターを握りしめながら、森脇が
「勇司~お前さぁ、超売れっ子のロックシンガーがそんなシケたライター使ってんじゃねぇよ」
ニカッと笑った前島がポケットから取り出したジッポに火を点けると、それを森脇の目の前に差し出した。
「ふん、ライターなんてモンは火が点きゃいいんだよ」
「いや、お前の点いてねぇ~し!」
「まだ点くって!」
森脇は自分の百円ライターを、シャカシャカと振ってから再び着火を試みるが、ライターは火花だけが虚しく飛ぶだけで、やっぱり火は点かない。
「おかしいな……点けっ!コノヤロ、点けっ!」
意地になって、僅かにガスの残った半透明の百円ライターを目の前で振り、何度も火花を飛ばす森脇の様子を暫く面白そうに眺めていた前島が、自分のジッポを森脇の前に置いた。
「ん」
「なに?」
「そのジッポ、お前にやるよ。俺、新しいやつ持ってるから」
「はあ、いいの? 貰っちゃって」
「無くすなよ」
「さあね……ライターとか、飲んじまうとよく無くすんだよな」
「無くしたら、ぶっ殺す!」
と、たわいない会話を交わし、笑い合う森脇と前島。そんな、互いに飾らず言いたい事を言い合う二人の様子を見ても、うわべだけでは無いその深い信頼関係がよく分かる。森脇と前島は、家庭の事情から幼少期を同じ施設で過ごした幼なじみである。そんな理由から、メンバー内の関係も良好であるトリケラトプス四人の中でも、とりわけこの二人の関係は親密であった。そんな森脇と前島のやり取りを見て、マスターが冗談交じりに二人を冷やかす。
「相変わらず仲がいいねぇ~。二人とも、もしかしてコッチの方だったりして」
そう言って、右手の甲を左頬につけながらウインクして見せる。そのマスターの似合わない仕草に、森脇は口に含んだバーボンを危なくカウンターにぶちまけそうになった。
「ぶはっ!……冗談じゃないですよ、マスター! 俺にそういう趣味はありません、俺はいたってノーマルですから!」
森脇が間髪入れずに否定すると、前島も慌ててそれに倣う。
「俺だって! マスター、俺の恋人はギターだけですから!」
「いや晃、お前の場合のそれはノーマルじゃねぇだろ? そういうのは《変態》って言うんだ」
「へん! それを言うなら《天性のギタリスト》と言って欲しいね!」
「はあ? 《天然のギター馬鹿》の間違いじゃねぇのか?」
「お前なっ!」
そんな漫才のような二人のやり取りに、マスターは満足そうな微笑みを浮かべた。
「まったく、スターになっても変わらないな、君達は。それに、こうして売れっ子になっても君達が店に飲みに来てくれて、僕としても嬉しいかぎりだよ」
「何を言ってるんですマスター、俺達がデビュー出来たのも、ひとえにこの店のステージがあっての事ですよ。トリケラトプスはこれからもずっとマスターについて行きます!」
「その通り!トリケラトプスの原点は、このレスポールのステージですから!」
示し合わせたように、森脇と前島の目が自然とこの店のステージに注がれた。
アマチュア時代の懐かしい思い出を胸に、まだ開演前の無人のステージを暫く眺めていた二人。しかし、そんな心地よい雰囲気を無神経にぶち壊す者が現れた。
「おやぁ? 誰かと思ったら、珍しい客が来てんじゃねぇかよ」
ふいに背中越しに聴こえたその聞き覚えのある声に、森脇は顔を歪ませ舌打ちした。
「マジかよ、厭な野郎に出くわしたもんだな………」
「まったくだ。アイツらが居るって知ってたら、来る日をずらしたってのに」
森脇に賛同するように、隣の前島が眉根を寄せる。
後ろを振り返る事はせずに、無視を決め込む二人が気に入らないのか、背中から聴こえる声は更に音量を上げた。
「おいっ! シカトしてんじゃねぇぞ、森脇と前島!」
仕方無く、声のする方へと振り返り、改めて溜め息を吐く。やっぱりコイツらか………
バンド名【スコーピオン】………トリケラトプスと同時期にこのレスポールでライブをやっていたバンドであり、トリケラトプスに対して異様なまでのライバル心と敵対心を抱いている。しかし、ライバル心を剥き出しにしているのはスコーピオンの方だけであり、トリケラトプスの方は全く相手にしていないというのが本当のところである。
そもそも両者の間には、音楽的センス、演奏技術、ライブパフォーマンス、その全てにおいて歴然たる差があり、トリケラトプスがスコーピオンをライバル視する要素は皆無に等しい。それでもなお、スコーピオンがトリケラトプスに対して異様なまでのライバル心を抱くのには理由があった。
実は、このスコーピオンのリーダーでありベーシストの戸塚
その後、戸塚はトリケラトプスに対抗して独自にメンバーを募り、自らがリーダーとなるスコーピオンを立ち上げた訳だが、人気の方はさっぱり………そして、一方のトリケラトプスは自分が抜けた新メンバーで、あれよあれよという間に日本ロック界のトップにまで上り詰めてしまったのだから、これは面白くないに決まっている。
これじゃ、平和に飲ませてもらえる雰囲気じゃ無いな………半ば諦め顔で溜め息を吐き、肩をすくめる森脇。
「なんだ、誰かと思ったら、スコーピオンの皆さんじゃないですか。お前ら、まだ懲りずにバンド続けてたのかよ?」
それに、戸塚が応戦。
「お前らこそ、よく三年ももってるよなぁ~! ひょっとしてクビにならねぇように、レコード会社の社長のケツの穴でも舐めてんじゃねぇのか?」
「ハン、俺達はお前らと違って実力があるから、そんな必要は無いんだよ! もっとも、お前らだったらケツの穴舐めてもメジャーデビューはムリだろうがね!」
「なんだと!この野郎!」
「なんだよ、図星過ぎて頭にきたか?」
顔面を真っ赤にして怒る戸塚に対し、両手を広げて挑発する森脇。人数的には戸塚の方が完全に有利だというのに、森脇は全く怯む事は無い。
「森脇ぃ~っ! テメエ、スコーピオンにケンカ売ってんのか!」
「まさかぁ~。最初に声掛けて来たのはそっちだろ? 俺は、無益な殺生はしない主義でね」
「無益な殺生だと? お前何か勘違いしてねえか? こっちは四人いるんだぜ」
「はっ? そんなポンコツ四人位、俺達二人で充分なんだけど」
「ヤロウ! 強がってんじゃねぇぞ!」
「面白ぇ、だったら試してみるか?」
拳を握りしめながら威嚇する戸塚に、森脇が口角を吊り上げて応える。最初に戸塚と顔を合わせた時から、既にこうなる事は予測済みだったに違いない。
次の瞬間、スコーピオンの四人が拳を振り上げ猛然と森脇達の方へと突っ込んで来た。両者の間のテーブル席で飲んでいた他の客達は、自分のグラスを掴んだまま、慌てて店の隅へと避難する。
「うおりゃあああああ~~~っ!!」
「ったく、どうしようもねぇなぁ~この単細胞がっ!」
森脇が、戸塚の放った右ストレートをするりと交わし、そのまま戸塚の背後に回って背中を思い切り蹴飛ばす。
戸塚はカウンターの椅子に顔面をぶつけ「うげっ!」と、踏みつけられた蛙のような情けない声を洩らした。まず、一人。
森脇は、更にもう一人の鳩尾に膝蹴りをかます。堪らず腰を折った相手の後頭部めがけて肘鉄を食らわせた。
一方、前島の方は向かって来た相手の頭に、いきなりのビール瓶で一発。粉々になったガラスの破片とビールの泡が店の床へと派手に飛び散る。
そのまま、容赦ないビール瓶攻撃で一瞬怯んだもう一人の相手の頭を鷲掴みにすると、勢いをつけてテーブルに叩きつけた。
テーブルには、避難した他の客が残した食べかけのピザやソーセージが置いてあったが、この乱闘のおかげでそれらは店の床に散乱し、もう食べられたものでは無い。
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