第15話うっせえわ③

 オリジナル曲を三曲、そして、ストーンズのコピーも含め計五曲の演奏を終えた

Zipのメンバーが、常連客の労いの拍手の中、渇いた喉を潤す為にステージを降り、カウンターまでやって来た。


「フヒィーー暑ぃ~~! マスター、バドワイザー五本!」

「はいよ、ステージご苦労さん」


 マスターからバドワイザーのボトルを受け取ったZipのメンバーは、ステージのノリそのままに「お疲れ!」の掛け声と共に、揃ってそれをラッパ飲みで一気に三口、四口と喉に流し込む。


「プハァ――ッ!最高!」


ライブステージをやり遂げたという達成感溢れるメンバーのその表情は、バドワイザーのCMに推薦したくなる程に清々しい。それを見ていたマスターの顔からも、自然と笑みが浮かぶ。


「Zipのステージ、ウチのお客さんの間でも好評だよ」

「あざぁ―――っす。俺らも、マスターにそう言ってもらえると嬉しいです」

「それに、なかなかオリジナルの発表の場が無いんで、この店に呼んでもらって本当に助かってますよ」

「君達はプロ志望だろうし、ライブの機会は多いに越した事はないだろうからね。そうだ、もし良かったらそこにいるヨーコさんに名前を売っておくといいよ。彼女はテレビNETのディレクターだからね」


 マスターに陽子を紹介されたZipのボーカルの男は、持ち前の明るい笑顔で陽子に話しかける。


「マジっすか――! ヨーコさん、初めまして! 俺、Zipのボーカルやってます『涼(りょう)』って言います!ヨロシクお願いします!」


まるで陽子にプロポーズでもするかのようなおどけた調子で右手を差し出す涼に、陽子も笑顔で応えた。


「こちらこそ。ステージ拝見しました。とっても良かったです」

「マジっすか! ホントにそう思ってくれます?」

「ええ、本当ですよ。ねっ、森脇さん?」


ふいに話を振られた森脇は、一瞬「俺は関係ねぇだろ」という顔をしたが、彼なりにZipに対する一応の評価を話した。


「まあ、悪くはないよ。音があらいのはちょっと気になったがね……」


 その森脇の言葉に、陽子は少し驚いた。音が粗い……とは、前回本田がZipの印象を述べた評価と同じものだ。だが、その事よりも今は別の事、初対面の相手にずけずけとダメ出しをする森脇の容赦ない態度に驚いていた。


 案の定、それまで笑顔だった涼の顔から笑みが消えた。


「音が粗いだってぇ? おい、おっさん何だよソレ?」


陽子の心配は的中。和やかだった場の雰囲気は、森脇の一言で急変した。


「おっさん、ずいぶんと上から目線で言ってくれるよな! アンタ何様のつもりだよ!」

「ちょっと、涼さん落ち着いて! 森脇さんも、もうちょっと空気読んで下さいよ!」


いきり立つZipメンバーと森脇の間に、慌て割って入る陽子。森脇なんかに話を振った事を、今更ながらに後悔した。しかし、そんな陽子の気持ちを知ってか知らずか、森脇は険悪な今の状況に更に追い討ちをかける。


「ふん、実際に音が粗いから、音が粗いと言っただけだ。言われるのが嫌なら、人前で演奏なんてするな」

「なんだと!」


堪りかねた涼が、森脇の胸ぐらを掴んで引き上げる。


「俺達の演奏のどこが粗いってんだよ! 言ってみろっ!」


今にも、森脇に殴りかかりそうな勢いの涼。しかし、そんな涼にも全く動じる様子もなく、森脇はこんな事を言うのだった。


「誰が演奏が粗いって言った。粗いのは音だよ、音!」

「音?………」


森脇の襟元を掴む涼の手がわずかに弛む。森脇は、その涼の手を振り払って、涼の後ろに立っていたZipのギタリスト『祐哉(ゆうや)』を指差した。


「おい、ギターのお前! その背中にしょってるギター、貸してみろ!」


 森脇に指差された祐哉は、呆けた顔付きで「俺?」と、自分の顔を指差してみせる。そして、一体なに事かといった様子で、背負っていたギターケースから取り出したギターを森脇に手渡した。


祐哉からギターを受け取った森脇は、そのストラップを自分の肩へと掛けた。もう、三十年もギターを手にしていない森脇だったが、その佇まいはさすがにサマになっている。陽子はその森脇の姿に、いつかYouTubeで観たトリケラトプスのライブでのギターを掻き鳴らしながらシャウトする、かつての森脇 勇司の勇姿を重ね合わせていた。


 Zipのメンバー、陽子、そしてマスターが注視する中、森脇はおもむろにギターを弾き始める。そのギター演奏に、Zipのメンバーは思わず「あっ!」と驚きの声を上げた。森脇が即興で弾いたその曲が、ついさっきまで彼等がステージで演奏していたZipのオリジナル曲だったからである。


「マジかよ……」


 楽譜も無しにたった一度聴いただけの曲を、涼しい顔で弾いている森脇を、ギタリストの祐哉は口をぽかんと開けたまま、まるで宇宙人にでも遭遇したような顔で見つめていた。


 何フレーズかを弾いたところで、森脇が演奏を止め、その祐哉に向かって問いかける。


「分かったか?」

「は?」


なんとも気の無い祐哉の返事に、森脇は「聴いてなかったのかよ?」と言いたげに眉根を寄せて見せる。


「は? じゃねぇだろ! このギター、二弦のチューニングがズレてんだろっての!」

「えっ?」

「なんだよ……聴いても分かんねぇのか………ほらっ、自分で確かめてみろよ!」


森脇からギターを返してもらい、祐哉が注意深くその弦を一本、一本爪弾いてみると、確かに森脇の言う通り二弦のチューニングが正規の音よりわずかに低い。


「スゲ……ホントだよ………」



森脇を見るZipメンバーの目からは、既に敵対の色は失われていた。それよりも、この目の前にいるとんでもない音楽センスを持つ人間が一体誰なのか?という好奇心に満ちた眼差しへと、完全に移り変わっていた。


「ヨーコさん、この人一体誰なんですか?」


「え~っと、この人はですね………」


陽子がZipのメンバーに森脇の事を紹介しようとした、その時だった。


「あああ――――――っ!」


 ギターの祐哉が森脇を指差し、突拍子も無い大声を上げた。その大声にびっくりして、メンバー全員の目が祐哉に集まる。


「なんだよ、祐哉! お前いきなり!」

「俺、今気がついた! この人、トリケラトプスの森脇さんだよ!」

「なに! それ本当か、祐哉!」


 祐哉の言葉に、ボーカルの涼、そしてベースの健太とドラムの大樹が目を見開いて、互いの顔を合わせる。その視線は陽子の方へと移り、本当にそうなの?という無言の問いかけに変わった。


陽子がそれに答えるように、首を縦に動かす。


「うおおおお――――――っ! すげえええ――――――っ!」


 知らない人間が見たら、この四人は宝くじにでも当たったのではないかと思う程の興奮ぶりである。一人、この騒ぎについていけないキーボードの麻衣は、困惑の表情で涼にその理由を尋ねる。


「ねぇ、なになに?トリケラトプスって何なの?」

「バカ! 麻衣、お前トリケラトプス知らねぇのかよ! トリケラトプスって言ったら神だよ! 神! 俺が日本で一番スゲエと思ってるバンド!」

「えっ、そうなの?」

「そうだよっ!ガチでスゲ――ぜっ!」


 そんなZipのメンバーを、森脇は呆れ顔で眺めていた。


 ガチとか神とか………俺はいつから神になったんだ?お前ら、いったい何教の信者だよ………


 Zipのメンバーは森脇を取り囲み、握手をしてくれだの記念写真を撮ってくれだのと散々騒いでいたが、やがて我慢の限界を越えた森脇に店を追い出されるようにして帰っていった。


「クソッ! 二度と来んな、アイツら!」

「もう、だめですよ森脇さん。ファンは大事にしないと」

「なにがファンだ! 俺はもう、とっくの昔にリタイアしてるっつ――の!」


そう言って、さも不機嫌そうにジャックダニエルをあおる森脇の横顔を見つめながら、陽子は改めて森脇のカリスマ性を再確認していた。


 Zipのメンバーの年齢は22~23歳、トリケラトプスが活躍していた90年代には、当然まだ彼等は生まれてもいない。


 そんな若い彼等に、解散して30年経った今もなお認知され『神』とまで言わしめるロックバンドなど、国内でトリケラトプスの他に果たしているのだろうか。


 本田から渡されたトリケラトプスのCDを初めて聴いたあの夜の衝撃を思い出す。

やっぱり、トリケラトプスにはもう一度ステージに上がってもらいたい。それは、出演交渉が陽子の仕事だからとか24時間ライブの成功の為というより、ただ純粋に彼等のとびきりのライブステージを自分の目で直に観て感じたい。陽子は、そう思った。


「森脇さん! 改めてお願いします。もう一度、ステージに立ってライブをやって下さい!」


 もう何度この言葉を口にしただろう。それに対する森脇の答えは、およそ見当がつく。


「まだそんな事言ってんのかよ………俺はもうロックから足洗ってんだよ!何回も言わせんな!」

「足を洗うって解散の事を言ってるんでしょうけど、そんなのは関係無いです!再結成とは言いません。もう一度だけでも私達にそのステージを見せて下さい!」

「何を言っても無駄だ。俺はもうロックは演らない!」

「どうしてですか! どうしてそう頑ななんです!」

「俺がそう決めたからだ!………だからトリケラトプスも解散した!」

「なんですって!」


 森脇の口から発せられたその事実に、陽子は驚きを隠せなかった。トリケラトプスが僅か三年間という短い活動期間で解散に至った、その決定を下したのが森脇だと言うのだ。


「いったいどうして! どうして森脇さんから解散なんて………」


 あまりに短すぎる三年間という活動期間………その間に森脇の中で、いったいどんな心境の変化があったのか?


「お前には関係無い。もう、俺に関わるのはやめてくれ」


 最後にそう言い残し、森脇はカウンターの上に自分の飲み代として紙幣を何枚か置いた後、陽子に背を向けて店の出口へと歩きだした。


「ちょっと待って下さい!」


 背中越しに陽子が呼び掛けるが、森脇はそれに振り返る事もなく、そのまま店のドアを開け、出ていった。


「森脇さん!」


 慌てて森脇の後を追いかけようとする陽子。しかし、その陽子をマスターが呼び止め彼女を制止した。


「ヨーコさん、おやめなさい。あなたが今、彼に何を言っても彼の決意は変わらないでしょう」

「だってマスター………」

「ヨーコさん、あなたはまだ知らない。彼がどうしてロックを辞めたのか………どうしてトリケラトプスを解散させなければならなかったのか………」

 酷く悲しそうな顔をして、マスターはそう言った。


 そんなマスターの表情を見て、陽子は思った。マスターは全てを知っている………トリケラトプスの解散劇の裏側も、森脇のあの頑なな態度の理由も………そして何より、マスター自身が誰より森脇の復活を望んでいるのだという事を。


「教えて下さい!マスター! 私、なんにも知らないけれど、ただこれだけは分かるんです。このままじゃ誰も幸せになれないんじゃないかって………私も、森脇さんも、そして森脇さんを取り巻く全ての人達も」


 陽子の言葉を聞いたマスターの顔は、いつの間にかまたいつもの穏やかな優しい笑顔に戻っていた。


「とにかく、座りなさいヨーコさん。確かに、今のあなたにはそれを知る資格があるようだ………」


 そして、マスターは何かを決心したように背筋を正すと、真剣な眼差しを陽子に向けて静かに言った。


「分かったよ、話そう。

彼の運命を変える事となった、30年前のあの夜の出来事を………」


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