第14話うっせえわ②
午後10時、六本木
ロックBAR《レスポール》………
「おや?ヨーコさん、今日は本田君と一緒じゃないんだね」
相変わらずの穏やかな笑顔を携えて、マスターが挨拶代わりに掛けた言葉に、陽子は嬉しさを隠せないといった表情で答えた。
「ええマスター、本田さんは来てませんけれど、その代わり今夜はこの後スペシャルゲストに来てもらう予定になっているんですよ」
「スペシャルゲスト?はて、いったい誰の事だろう」
そのスペシャルゲストが誰なのか、マスターに耳打ちで教えようと陽子が椅子から腰を浮かせて彼の耳に顔を近付ける。
しかし、陽子がその名前を口にする前に、マスターはそれが誰なのかを既に理解したように、店の入口の方へと顔をを向け「成る程ね」と目を細めた。
「いらっしゃい、森脇君」
「ご無沙汰してます、マスター」
背後から聴こえたその声に陽子が少しびっくりした顔で後ろを振り返ると、そこに森脇 勇司が立っていた。
その印象の違いに、一瞬目を奪われる。
雑誌『レオン』から抜け出したような黒を基調としたワイルド且つセクシーなファッションで身を纏った森脇は、その細身で長身な持ち前の体格も手伝って、かつてのスーパーロックスターの風格を存分に備えている様に見えた。
勿論、問題のあのパンチパーマも、今はニット帽でしっかりと隠されていた。
「来てくれたんですね!森脇さん」
その陽子に対して、森脇は予想通りの仏頂面で、無言のまま掌を上に向けた右手を突き出すだけだ。何も言わずとも、その意味は陽子にすぐ伝わる。彼女は、申し訳無さそうな表情でバッグから取り出した森脇のジッポを、彼の掌に乗せた。
「ごめんなさい………こうでもしないと、もう話を聞いてもらえないと思って………」
「ったく、ナメた真似しやがって………何度話したって同じ事だ。俺は、おたくのライブなんかには出ない!」
「それだけじゃ納得出来ません! どうして出たくないのか、私が納得出来る理由を教えて下さい!」
「そんな事ぁ~お前に関係無ぇだろうが!」
「関係無い事はないでしょう!」
互いに向かい合った両者の間に火花が飛び散る。そんな二人の様子を、マスターはまるで自分の子供の兄妹喧嘩でも見ているような呑気な顔で見物していたが、やがて仕方ないという風にその間に割り込んで来た。
「とりあえず――」
思いがけないマスターの大きな声に、二人が揃って驚いた顔を向けると、マスターはにっこりと微笑んで言った。
「立ち話もなんだから、二人とも座ったらどうだい。森脇君、久しぶりに店に来たのに、まさか飲まないで帰ったりはしないだろうね?」
「は…はぁ……じゃあ少しだけ………」
陽子からジッポを取り戻したら早々に退散しようと考えていた森脇だったが、マスターにそう言われてしまっては帰る訳にはいかない。相手が、たとえヤクザだろうが総理大臣だろうが恐いもの知らずの森脇だったが、唯一このマスターにだけは頭が上がらないようだ。
カウンターに座った森脇の目の前には、知らないうちにストレートでグラスに注がれたジャックダニエルと、新しいボトルがしっかりと置かれている。
「少しだけ」と言ったはずなのに、これでは簡単には帰してもらえないな……と、苦笑しながら森脇は観念したようにポケットのマルボロへと手を伸ばした。
「それじゃ、久しぶりの再会に」
マスターと森脇がグラスを合わせると、それを見ていた陽子が自分も仲間に加わろうと、ビールのグラスを持って近づいてきた。
「ちょっと二人とも、私を仲間外れにしないで下さいよ」
「お前はちっとも久しぶりじゃねぇだろ! 俺に一日中まとわりつきやがって!」
「さすがは森脇君、女性にはモテるねぇ~」
「勘弁して下さい、マスター………こいつが女なのは、性別だけですよ」
「ちょっと! それ、どういう意味ですか森脇さん!」
膨れっ面の陽子を見て、森脇は愉快そうに笑った。ジッポを取り戻す為に渋々やって来たこのレスポールだったが、いざ来てみればその居心地のよさに、ついつい顔が綻んでしまう。
ホールに響き渡るノリのいいロックサウンド、そのリズムに合わせてゴキゲンに身体を動かす常連客、そんなこの店の独特の雰囲気に包まれていると、森脇にとってまるで天敵のようだった陽子の立ち振舞いさえも、自然と許せてしまえる気分になってしまうから不思議なものだ。
* * *
ロックBAR・レスポールで人気の、週末のライブステージ。 陽子と森脇がやって来たこの日がそのライブの日であり、この夜のステージを任されていたのは、陽子が本田に連れられて初めてこの店に訪れた時と同じ《Zip》であった。3月末までこの店のステージに立ったZipはレスポールの客からの評判も上々で、マスターはその後もこうして時々彼等をステージに立たせている。
「森脇さん、懐かしくないですか?」
ステージ上でのZipの演奏を黙って見つめている森脇に、陽子がそんな言葉を投げかける。
「うん? 何が?」
「何がって、ステージですよ。森脇さん達も昔、あのステージで演奏していたんでしょ?」
「ああ、その事か………さぁ、三十年も昔の話だ……もう忘れちまったよ」
ステージを見つめたまま、表情を変える事なく、森脇は答えた。
そんな森脇の横顔を見つめ、陽子は彼が今どんな事を考えているのか探り出そうと思ったが、結局本当のところは彼女には分からなかった。
森脇は、本当にもうロックに対する情熱を無くしてしまったのだろうか?
ステージに立つ事への未練はすっかり失せてしまったのだろうか?
もしそれが真実だとしたら、今自分が必死になって取り組んでいる、トリケラトプスの出演交渉にいったい何の意味があるのだろう。ロックへの情熱を無くした、抜け殻のような彼等のステージを観て、心を動かされる者など果たしているのだろうか………そんな、言いようのない不安が、知らないうちに陽子の胸中を密かに支配していた。
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