第12話リフレインが叫んでる

「なんなんだよ!お前は!」


いきなり飛びついてきた陽子に対し、当然とも言える森脇からの問いに、彼女は興奮覚めやらぬ表情で今言った言葉をもう一度繰り返した。


「アナタが、森脇さんなの?」

「だったらどうした! 森脇なんて別に珍しい名前じゃねぇだろ」


立ち上がり、ズボンの尻についた砂利を払いながら森脇は迷惑そうに顔をしかめた。この女、いったい何がしたいんだよ?という顔である。


「森脇 勇司!」


陽子は、まるでクイズに答える回答者のように、森脇を指差して彼のフルネームを口にした。


森脇は、ますます怪訝そうに陽子の顔をまじまじと見る。


「どうして俺の下の名前を知ってる?」

「私、トリケラトプスの大ファンなんです!」


それを聞いて、森脇はようやく目の前の女の先程までの異常な行動の意味を理解した。ただ、今ではすっかり芸能界から身を退いている彼からしてみれば、あまり歓迎すべき事では無い。


「悪いが、サインはしない主義なんだ。それに今は仕事中だ、アンタもさっさと車に戻ってくれ。後ろの車がつかえてる」


そう切り捨てて交通整理に復帰しようとした森脇だったが、そうは簡単にいかなかった。


「戻りません!」

「なに?」

「森脇さんに、お話があるんです!」

「はあ?」


 お話って何だよ?……現役の頃、しつこく追い回してくるファンは何人もいたが、そんな事を言ってくる奴は一人もいなかったぞ?と、森脇は目の前で両手を広げて立ち塞がる陽子を困惑の眼差しで見つめた。


「意味がわかんねぇよ! とにかく仕事のジャマだ! 早く車に戻れ!」

「イヤです!」

「イヤですじゃねえ! お前の車が動かねぇと、後ろの車が進めねぇだろっ!」

「話を聞いてもらえるまで戻りません!」

「いいから戻れ!」

「戻りません!」

「この………」


埒があかない押し問答に、苦々しい表情で陽子を睨む森脇。そうしている間にも、森脇の持っている無線機からは待ちくたびれた同僚の催促の声が聴こえてくる。


『森脇さ――ん、なにやってんの――? こっちの方、大渋滞なんですけどぉ――?』


見れば、自分の担当する車線の方も遥か先まで渋滞が続いている。早くなんとかしなければ、交通パニックを起こしそうだ。それでも、テコでも動きそうに無い陽子の頑固さに、ついに森脇の方が折れた。


「わかったよ! もう、アンタには負けた! 仕事が終わったら話でも何でも聞いてやるよ!」

「本当ですか――っ!」

「ああ、この先にあるファミレスで午後8時に待ち合わせだ。それでいいだろ!」

「わかりました! ありがとうございます!」

「分かったら早く戻れ!」

「はいっ!」


 つい少し前までは、思い付く限りの悪態をついていたのとは同じ人間と思えない程に、爽やかな笑顔で応じた陽子は、回れ右をしてそそくさと自分の車へと戻って行く。


 これでやっと仕事が再開出来る………と、胸を撫で下ろす森脇に、運転席に着いた陽子が再び大声で呼び掛けた。


「森脇さ――ん! 待ってますから必ず来て下さいよお―――っ!」

「うるせえっ! わかったって言ってんだろっ!」


去って行く陽子の車の後ろ姿を渋い表情で見送りながら、森脇は、今後もう二度と赤いフィットを停めるのはよそうと心に誓うのだった。



          *     *     *



午後7時50分………


 遅番の作業員と交代の引き継ぎを終えた森脇は、現場から2キロ程の距離にある会社の駐車場で車に乗り込むと、不機嫌そうな表情で煙草に火を点けた。ゆっくりと煙草の煙を吸い込むと、ため息と共にそれを吐き出す。


 まったく、面倒な約束をしちまった。あの時は言わば緊急避難的な措置とは言うものの、あんな約束に応じてしまった自分に、今更ながら腹が立つ。いっそのこと、バックれてやろうかとも考えたが、その後であの女に毎日現場へと押しかけられたら堪らない………その考えは、すぐに引っ込めた。


 もう少し、気楽に考えよう。自分のファンだと言うあの女に、10分かそこら話に相づちを打ってから、最後に記念写真の一枚でも撮らせてやれば良いだけの事だ。

無理矢理にでもそう思わなければ、腹が立って仕方がない。


「クソッ! 面倒くせぇな!」


 そう一言呟くと、森脇はイグニッションキーを捻り、陽子の待つファミレスへと車を走らせて行った。



          *     *     *



 陽子は、森脇と約束した午後8時よりも15分早くに指定されたファミレスへと到着し、店の中で彼が来るのを待っていた。ドリンクバーのホットコーヒーを啜りながら、スマホの画面に映し出されたトリケラトプスのメンバーの画像を眺め、ひとりニヤニヤしている。


 三十年の月日が経っているせいもあり、その画像の森脇と実際に目にした彼とでは、その印象に大きな開きがあった。すらりとしたその体型は維持しているものの、顔はやっぱり老けている。なによりも決定的に違うのは、当時、肩まであるウェーブのかかった長髪であった彼の髪が、現在はバリバリのパンチパーマに変わっていた事だった。


 作業服を着ていた事も手伝って、今の森脇を見て、彼が日本でもトップクラスのロックバンドのボーカリストだと気付く者は恐らく居ないのではないだろうか。実際、陽子は彼女がトリケラトプスの捜索を任されたその日に、既に工事現場で森脇を目撃していたのだが、その時には彼がトリケラトプスの森脇 勇司だと全く認識していなかったのだから。


 そして、実を言うと陽子は森脇が働いていた工事現場を請け負っていた建設会社に、既にもう電話をかけていた。しかし森脇が非正規の従業員であった為、電話では森脇の存在を確認する事が出来なかったのだ。


 そう考えると、今日陽子がうっかり道を間違えて工事渋滞にはまってしまった事、二度も森脇に車を停められた事、そして陽子が森脇に怒鳴り込みに行った事、この奇跡的な偶然が重ならなければ陽子が森脇に出逢う事は無かったと言える。


 そんな運命的な出逢いに、普段は神様など信じない陽子も、今は自分にこんな奇跡を運んでくれた神様に、感謝の祈りを捧げずにはいられない気持ちでいっぱいだった。


そわそわと落ち着かない様子で外の駐車場を見ていた陽子の視界に、森脇の運転する車の姿を確認したのは、午後8時をわずかに過ぎた頃だった。白い軽トラックである。


 今、軽トラから降りて来た、くたびれた作業服を着たパンチパーマの男がかつては日本の音楽界を牽引し国民的な人気を誇った伝説のロックバンドのメンバーだったとは、ここにいる誰も夢にも思わないだろうな……と、陽子は一人ほくそ笑んだ。やがて、仏頂面で店内に入って来た森脇は、案内係の女性と一言二言やり取りをすると、陽子の座っている席へとやって来た。


「お待ちしてました。森脇さん」


 立ち上がって笑顔で挨拶をする陽子に「別に、好きで来た訳じゃねぇよ」と、素っ気なく返す。そして、メニューを一瞥しブラックコーヒーを注文した森脇に、陽子は飲み放題のドリンクバーを勧めてみたが「そんなに長居をするつもりは無い」と、これまた素っ気なく返された。


「それで、話ってのは一体何なんだよ?」


 店に入って来た時と同じ仏頂面のまま、単刀直入に森脇が尋ねてきた。


「その前に自己紹介がまだでしたね。私、初音 陽子と申します」


 そう告げて陽子が差し出した彼女の名刺を受け取ると、それを見た森脇の仏頂面が更に不機嫌さを増したように見えた。


「テレビNETのディレクターだと?お前、メディアの人間だったのか」


 そう言って陽子に向けられた森脇の表情は、明らかに彼女に対しての警戒心が多分に含まれたものだった。作業服の胸ポケットから出した潰れたマルボロの箱と使い古したジッポのライターをテーブルの上に置き、その中の一本に火を点けながら、森脇は自嘲気味に言った。


「なるほど……かつて日本のロック界をしょって立っていたトリケラトプスの森脇 勇司の転落人生を、ドキュメントにでもしようって訳か」

「違います!そんな事する訳が無いでしょ!」

「へっ! 他人(ひと)の不幸は蜜の味って、昔から言うからな! さぞかし面白ぇ番組が出来るだろうぜ!」

「私はそんな話をしに来たんじゃありません! 誤解です!」

「嘘つけっ! 顔に『図星です』って書いてあるぞ!」

「違うんです! とにかく、話を聞いて下さい!」

「だが残念だったな! 俺はそんな番組にゃ絶対出ねぇからなっ!」

「だから、さっきから違うって何度も言ってるでしょ!」

「だったら、お前の話ってのは一体何の話なんだよ?」


その森脇の問い掛けに答えようと、陽子は一旦大きく息を吸った。そして、数秒の間を開け、言った。


「森脇さん、もう一度トリケラトプスとしてステージに上がって欲しいんです!」

「はあ?」


 その陽子の台詞を、森脇は全く予想だにしていなかった様だった。あんぐりと口を開け、信じられないといった表情でじっと陽子の瞳を見つめる森脇。その森脇の口からこぼれ落ちた煙草の火が、グラスの水の上でジジッと音をたてて消えた。


「お前、本気で言ってんのか?」


 そう問い掛ける森脇の表情をどのように捉えて良いのか、陽子は判断に迷った。無茶を言うなと呆れている様にも見えるし、その一方でかなりの興味を抱いている様にも見える。


 とにかく、説得あるのみである。陽子は、トリケラトプス出演予定のステージが局の命運を懸けた大切な番組最大の目玉である事、森脇を捜し出す為に何百という建設会社に電話を掛けまくった経緯、そして何より、トリケラトプスの復活を待ち望んでいるファンがこの日本にまだ数多く存在する事を森脇に熱弁した。


 その陽子の話を、森脇は間に口を挟む事無く最後まで黙って聞いていた。そして、そんな森脇の様子に陽子は、もしかすると彼はそんなに無関心では無い、むしろ興味を抱いて聞いているのでは無かろうかと勝手に解釈した。


「………ですから、森脇さん! 是非とももう一度トリケラトプスのメンバーで24時間ライブのステージに立っていただきたいんです! どうかお願いします!」


 最後にそう締め括り、陽子は期待を込めた顔でじっと森脇を見つめ、返答を待った。


 感触は悪くない。森脇は自分が話をしている間ずっと真剣な表情でそれを聞いていたのだから………答えは《YES》絶対そうに決まっている。


ところが………


「やなこった!」

「ええええぇぇぇ―――――っ!」


森脇の口からこぼれたのは、陽子の想像とは正反対の答え。


「どうしてですか! 黙って聞いてらしたから、私てっきり引き受けてくれるものだと………」

「話を聞く約束だったから、聞いてやっただけだ。誰も引き受けるとは言ってねぇだろうが!」

「そんなあ~~~!」


森脇は陽子の要請を、あっさりと切って棄てた。





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