第11話プレイバックPartⅡ②

 ぼんやりと、仕事の事ばかり考えていた自分の愚かさに気付いたのは、陽子が運転する車のフロントガラスに、黄色い回転灯の光を確認した時だった。


「しまった!この道まだ工事中だった!」


 そう叫んだ後に、顔を歪ませ短く舌打ちをする。気付いた時にはもう遅い。今更Uターンする訳にもいかず、陽子は渋々赤いストップランプが並ぶ車の列の後ろへと、自分の赤いフィットを着けた。


 局からの帰り道、工事中で片側交互通行であるこの道路は、普段であれば迂回路を通る事により渋滞を免れていたのだが、この日の陽子は考え事をしながら運転をしていた為、うっかりと曲がり角を間違えてこの渋滞にはまってしまった。


「あ――んもう! 私のバカ!」


自己嫌悪に陥りながら、恨めしそうに前の車の列に目をやる。


一旦繋がってしまうと、15分は動かない。陽子は、3ヶ月前にもこの道路で工事渋滞に巻き込まれた時の事を思い出した。


その時は、散々待たされた挙げ句、いざ自分の番となったところで交通整理の旗振りオヤジに停められたのだった。その時の悔しさは、今でも鮮烈に覚えている。よりによってあの旗振りオヤジ、自分のところで停めやがって………


車に乗ると人格が変わる………

只今、イライラモード15%増量中の初音 陽子であった。



          *     *     *



「全くもう………全然進まないじゃないのよ………」


 最初に並んだ位置からは100メートル位は進んだだろうか。それでもまだ、先頭の車まで100メートルはあるだろう。


右足でブレーキペダルを踏みながら、空いている方の左足で運転席の床をドンドンと踏み鳴らす。


 陽子がいつもより苛ついているのは、この工事渋滞のせいばかりでは無いだろう。3ヶ月経っても未だに任された仕事の成果を出す事の出来ない自分に対する憤慨も、今の陽子の苛立ちを大きくしている原因となっているに違いない。


 やがて、陽子の赤いフィットの横を対向車の一団が通り過ぎた後、前方の車が少しずつ動き出した。


「よ―――し! 行け行け―――!」


 その後ろに着きながら、陽子はまるで競馬で自分の賭けた馬の応援でもしているかのように、ハンドルを連打して叫んだ。


「ほらっ! 早くしないとまた停められちゃう!」


 そして、と、心の中で旗振りオヤジに念を飛ばす。勿論、実際にそんなものが交通整理の男に届く訳は無いのだが。


一台、そしてまた一台と、車は交通整理の男の横を通り過ぎていく。


 陽子の前にいる車はあと三台………ゴールは目の前。確率的に考えても、まさか二度とも自分のところで停められるなんて不幸な事は無いだろうと、陽子は思っていた。   のだが………



────残念でした。


 旗振りオヤジがそう言ったかどうかは知らないが、その時の陽子には彼がそう言って旗を突き出したように見えたに違いない。


どうして、私ばっかり!


 自分の不遇を呪うと同時に、その旗振りオヤジに対する怒りが急激に沸き上がって来た。


「もうアッタマきた! 文句言ってやる!」


 交通整理はそれが仕事であり、どこかで車を停めなければならない。その先頭がたまたま陽子になっただけで、そして偶然にもそれが二度続いた………


という論理的な解釈は、頭の中が沸騰している今の陽子にはもはや通用しなかった。

ただ、ただ、旗振りオヤジが憎ったらしい。一言文句を言ってやらなければ、陽子の中に溜まりに溜まった怒りのマグマはとても沈静化しそうに無かった。


「ちょっと、アンタ!のよっ!」


 運転席の窓から顔を出して、金切り声を旗振りオヤジにぶつける。


「あ?」


 いきなり怒鳴りつけられた旗振りオヤジは、怪訝な表情で陽子の方へと視線を向けた。


「なんでって、仕事だから」


なんとも冷静な態度で、男は返した。しかし、そんな男の冷静さはかえって陽子を逆上させるというものだ。


「別に、私じゃなくてもいいでしょ!」

「別にアンタだっていいだろ?」


 冷静、且つ即答。言い争いで一番腹の立つパターンである。

陽子は堪らず車を飛び出した。そして、まるでプロ野球で危険球を投げられたバッターのように、鬼の形相で旗振りオヤジのもとへと歩いていった。


「これで二回目よ、二回目!いつも私で停められるなんて、悪意があるとしか思えないわっ!」


『二』を表す、右手の人差し指と中指を旗振りオヤジの前へと突き出して、そんなのありえねーだろ!と、えらい剣幕で詰め寄る陽子。


ところが、それに対して旗振りオヤジの方は、怯むどころか、陽子の神経を更に逆撫でする事を口走ったのだ。


「ああ、あの時の威勢がいい赤いフィットの女! 思い出したよ。どうした、のか?」

「あの時もアンタだったのかっ! てか、オシッコなんて漏らしてないわよ!」

「まあまあ、そんなに眉間にシワを寄せてたら、せっかくの美人が台無しだぜ」


 度重なる旗振りオヤジの無礼な発言に、陽子もついつい大声になってしまう。


「バカにしないでよっ!」


 少しは申し訳なさそうな顔でもすればまだ腹の虫も収まるというものだが、この完全に人を食った旗振りオヤジの態度は、陽子の怒りをますます巨大化させるばかりであった。


「大体、何カ月同じとこ工事してんのよ! 国家予算の無駄使い! この税金ドロボー!」

「そんな事は、国のお偉いさんに言うんだな。俺だって税金払っているんだぜ」


 陽子がああ言えば、旗振りオヤジはこう言う。そんな二人のやり取りを、陽子の車の後ろに着いていた車のドライバー達は、ある者は好奇の目で、またある者は呆れたような眼差しで見物していた。


 いつの間にか、対向車の一列はとっくに通り過ぎており、今度は陽子達の車線が通る順番なのだが、いつまで経っても車が来ない事を不審に感じた現場の同僚が、無線で旗振りオヤジに催促をしてきた。



          *     *     *




『ちょっと、どうなってんの? こっち全然来ないよ、!』

「いや~悪い悪い、ちょっとトラブってさ、今すぐにそっちへ誘導するから!」


無線の通話ボタンを押しながら、そう同僚に答えた旗振りオヤジは陽子の方へと向き直り、まるで野良犬でも追い払うように右手の甲を上下に振って自分の車へと戻れと促した。


「ほら、遊びはもうおしまいだ!さっさと車に戻って………」


そう言いかけて陽子の顔に目を移した時、旗振りオヤジははじめて陽子の異変に気が付いた。


「ん?どうかしたのか………」


 つい先程の彼女の様子とは、明らかに違う。陽子は、まるで悪魔か何かにでも憑依されたように地面の一点を見つめて、よく聞き取れないような小さな声で呪文のように何かブツブツと唱えていた。


「森脇森脇森脇森脇森脇森脇森脇森脇森脇森脇森脇森脇モリワキモリワキ………………」

「おい、いったいどうした? 気分でも悪いのか?」


陽子の変貌ぶりに、只ならぬ何かを感じた旗振りオヤジは、心配そうな表情で俯いた彼女の顔を覗き込む。


その瞬間。




「もりわきいいいいいいいいっ!」

「うわああああああああっ!」


大きなパッチリした目をことさら大きく見開いて、まるで人間に襲いかかるゾンビのように飛びついてきた陽子に、旗振りオヤジは腰を抜かすかと思うほど驚いて、地面にべったりと尻餅をついた。


勢い余って、陽子がそれに覆い被さる。


「バカヤロウ!びっくりするじゃねぇかっ!」

「まさか、アナタが森脇さんなの?」


伝説のロックバンド、トリケラトプスのボーカリスト森脇 勇司と陽子との、これが最初の出逢いだった。




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