第10話プレイバックPartⅡ①
ロックBAR《レスポール》での一件から、一夜明けた翌日。陽子は、いつも使っているバッグよりも大きなサイズのバッグを背負って、局へと出勤して来た。
それを自分のデスクの上に置くと、意気揚々とバッグのファスナーを開けてその中身を取り出す。
「どうした陽子、転職でもするのか?」
「なんでそうなるんですか! そんな訳無いでしょ!」
からかうような本田の台詞に、陽子が大袈裟に頬を膨らませて反論する。そんな陽子の右手には、今朝自分の家から持ち出して来た、黄色い表紙の《タウンページ》があった。
「ゆうべのマスターの証言を参考に、これに載っている建設会社に片っ端から電話をかけてみます! 絶対に《森脇 勇司》を見つけてやるんだから!」
そう宣言し、陽子はデスクの上に置いたタウンページの黄色い表紙をバシン!と力強く掌で叩く。
「よっ! 女捜査官~初音 陽子!」
そんな陽子に対し、周りにいたスタッフの誰かから冷やかしの声が飛ぶと、周辺からどっと笑いが巻き起こった。
* * *
午後5時………
「……そうですか………わかりました。お手数をおかけして申し訳ございません、どうもありがとうございました」
陽子は、電話の相手先に丁寧な感謝の意を告げると、受話器を置くなり天を仰いで大きな溜め息をひとつついた。
「ここもダメかぁ………」
そして、タウンページの建設業の欄に何本も引かれた赤い棒線を、またひとつ増やす。朝からずっと、こんな調子で建設会社へと電話をかけ続けているが、有望な情報は何一つ得られなかった。
トリケラトプスの消息を捜し始めて、およそ一ヶ月でようやく掴んだ僅かな手がかり───ボーカルの森脇 勇司が去年の夏にどこかの工事現場で働いていた。
そんな、蜘蛛の糸のように頼りない手がかりをもとに、陽子は一軒一軒の建設会社に電話で確認を取るという地道な方法で、森脇の捜索を根気強く毎日続けた。
最初は陽子一人が行っていたその作業も、そのうちに何人かのスタッフが仕事の合間に協力するようになり、効率は何倍にも改善されたのだが、それでも森脇を見つけ出すまでには至らなかった。
そんな日が何日も続き………
やがて、桜の季節を通り過ぎ五月を迎えた。
* * *
「見つからないそうじゃない。トリケラトプス」
局長室に呼ばれた本田が、真っ先に浴びた台詞がそれだった。
「はい、申し訳ありません局長。スタッフの協力のもと必死に手がかりを追っているのですが、未だ居所が掴めない状況でして……」
「本田君らしくないね。出来ない約束を自分から言い出すなんて」
相田局長は、特番の会議で本田がトリケラトプスの名前を出した時、既に彼にはトリケラトプスをステージに出すまでの目安がついているものと思っていた。それなのに実際は、まだ彼等の居所すら掴めていない。そんな本田の見切り発車についての失望を込めた言葉だった。
「出来ないとは思っていません!必ず彼等をステージに立たせて見せます!」
「僕としても、是非ともそう願いたいものだが、なにせもう3ヶ月も経っているんだ。ここはひとつ、ライブ内容を変更する事も考えておいた方がいいんじゃないのかな?」
「内容の変更?」
本田は、訝しげに相田の言葉に疑問符を付けた。
「つい先日、この番組をライブのMCに芸人を絡ませて、音楽六割、バラエティ要素四割の総合エンターテイメント番組にしてはどうかと、バラエティ部門からの提案を貰ったところだ。トリケラトプスの穴埋めには、その位の抜本的な変更が必要かもしれない」
「冗談じゃない!」
相田が口にしたその番組内容は、本田が理想としている純粋なライブの内容とは大きくかけ離れていた。もしそんな事になれば、本田が苦労して出演成立までこぎつけた何人かのストイックなアーティスト達から、キャンセルが続出するであろう事は目に見えている。
「ちょっと待って下さい! それじゃまるでバラエティ番組じゃないですか! そんな変更は、私にはとても承服出来ません!」
本田は声を荒げて反対するが、相田にとってはライブの音楽的な意義云々などよりも、番組の視聴率の方が大事に決まっている。
「バラエティ結構じゃないか。私は数字が獲れるのなら、それで構わない。トリケラトプスの出演が無理なら、やむを得ないだろう」
相田は、平然とそう言ってのけた。
「トリケラトプスは絶対にステージに上げて見せます!ですから、ライブ内容の変更はもう少し待って下さい。お願いします局長!」
本田も必死に食い下がる。彼が今それを認めてしまえば、ライブ内容の変更の話は、更に加速して現実のものとなってしまうであろう。
だが、相田としても社運を懸けたこの特番を低視聴率で終らせる事は断じて許されない立場の人間である。不確定なトリケラトプスの出演交渉の成立を待つより、確実な道があればそれを選ぼうと考えるのもいた仕方が無いと言えた。
内容の大幅な変更ともなれば、それなりに準備も必要となる。時期を誤れば、それさえも実現不可能になるかもしれないのだ。
「しかしね本田君、絶対などと言ってもあてにはならんよ。もし彼等が見つからなかったら、どうするんだね?」
相田のその問い掛けに、本田は強い決意を秘めた表情で力強く言い放った。
「その時は、私のクビを切るなりなんなり好きにして下さい!」
まさか、本田がそこまで言うとは思っていなかったのだろう……自らの職を賭すとまで言うあまりの本田の熱意に、相田もそれ以上の強硬な態度をとる事を躊躇した。
暫く瞑目し思案すると、相田は本田に向かって告げた。
「あと二週間だ………それまでにトリケラトプスの出演交渉が成立しない時には、ライブ内容の変更に取りかかる。僕に出来る譲歩は、そこまでだよ本田君」
本田にとって、それはかなり厳しい条件であった。しかし、それを飲む以外に本田に残された選択肢は無い。
「わかりました。全力を尽くします」
短く返答し、厳しい面持ちで局長室を出ようとする本田の背中越しに、相田から思いがけない言葉が掛けられた。
「僕だって辛い。彼等のステージ、本当はとても楽しみにしていたんだ」
かつては、トリケラトプスを熱狂的に追いかけた事もあったという相田。それは、テレビNETのテレビ局長という重責を一身に背負わなければならない男の、心から発せられた偽りの無い本音であった。
* * *
局長室から出て来た本田の表情には、苦悩と焦りの色が滲み出ていた。トリケラトプスとの出演交渉の期限があと二週間だと区切られたところで、依然として彼等の足どりは掴めていない。元々、トリケラトプスはデビュー当時から謎の多いバンドであり、メンバーのプライベートな情報が乏しい事も今回の捜索をより困難なものにしていた。
(本当に間に合うのだろうか………)
いいようのない不安が、本田の心にずっしりと重くのしかかる。そんな気持ちを抱いたまま、自分のデスクに戻って来た本田の目に、今日も朝からずっと電話での捜索を続けている陽子の姿が映った。
「わかりました……お手数をおかけして申し訳ありません。では、失礼致します……」
辛辣な表情で受話器を置く陽子。その様子を見れば、本田がその結果を訊くまでも無い。
相田局長から告げられた事を陽子に話しておくべきか、本田は迷ったが、考えたあげくその事は自分の胸の内だけに留めておこうと決めた。
「いやぁ、参りました。本当に見つかりませんよ森脇 勇司。でも心配しないで下さい、本田さん!日本中の建設会社に電話してでも、絶対捜し出して見せますから!」
本田の顔を見るなり、陽子がそう強がって見せる。そんな陽子の言葉を受けて、本田は穏やかに微笑んで見せた。
正直、今の本田の沈んだ心には、こんな陽子の明るさが何よりの救いになる。
(ギリギリまで、踏ん張ってみよう。諦めるのはまだ早い………)
さっきまで本田の心に重くのしかかっていた何かが、ほんの少しだけ取り除かれた。そんな気がした。
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