第8星屑のステージ①
3月15日………
特番会議の日から、およそ一ヶ月。24時間ライブの出演交渉は、それなりに順調だった。本田の予定していた、およそ百組近くの出演交渉リストのうち、三分の一近くのアーティストとの交渉は成立していた。人気どころのアイドルグループは勿論のこと、普段テレビにはあまり出ないアーティストも、このライブの出演には快く承諾してくれている。まあ、あの大御所演歌歌手約一名がそのメンバーに加わっているのは、本田にも誤算であったのだが………
ただ、肝心のトリケラトプスとの出演交渉は未だに成立していない。担当の陽子が必死になって捜すも、彼等の消息は全くと言っていいほど掴めていなかったのだ。
「すいません、本田さん………一生懸命捜してはいるんですけど………」
神妙な表情で頭を下げる陽子の前で、本田は顎に手を当て何かを考えているようだった。
すると、次の瞬間。
「陽子、お前今夜この後予定あるか?」
本田の突然の問い掛けに、陽子は少し驚いたように顔を上げた。
「は?……いえ、別に予定はありませんけど?」
「仕事が終わったら、飲みに行くか」
想定外なその台詞に、陽子は瞬きを何度もしながら本田の顔をまじまじと見つめた。
「どうした、行くのか、行かないのか!」
「いえ、行きますよ! モチロン」
実を言うと、仕事もスマートにこなし真面目でルックスもまずまずである本田に対し、陽子は尊敬もし、秘かに恋心を抱いていた。本田は今まで、番組の打ち上げ等でスタッフ全員で飲みに繰り出す事はあっても、本田に個人的に誘われた事など一度も無い。もしかして、本田は自分に対し上司と部下以上の特別な感情を抱いているのではないか?そんな淡い期待を抱きながら、陽子は本田の誘いを二つ返事で快諾するのだった。
* * *
同日午後8時、六本木………
「本田さんから飲みに誘ってくれるなんて光栄です。どの店にします?私、別に居酒屋とかでも全然構いませんよ~なんなら、カラオケボックスでも………」
本田と肩を並べながら、飲みに誘われた事がよっぽど嬉しかったのか、陽子はまるでもう既に酔っているのではと思うようなハイテンションで本田に話し掛けた。
「行く店はもう決めてある。黙って俺について来い」
「ハイ、どこまでもついて行きます」
本田は『少し静かにしてくれ』という意味でそう言ったのだが、どうやら陽子は違う意味に捉えているようである。
15分位歩いただろうか。本田はある一軒のバーの前で立ち止まった。
『ロックBAR・レスポール』
その店の看板を見るなり、陽子は眉間に皺を寄せた。
「ロックBAR?」
「この店だ」
そう言って、本田は木製の店のドアを開けた。店の中に足を一歩踏み入れて、本田が後ろを振り返ると、陽子はどういう訳か仏頂面をして店の前に突っ立っている。
「どうした陽子、中に入るぞ?」
「は、はい………」
開けられた入口から見える店の中では、威勢のいい80年代のロックンロールが耳を塞ぎたくなるような大音量でガンガン鳴り響いていて、モヒカンや赤い髪の男達がバーボン片手に踊っているのが確認出来る。少し前まで陽子が夢見ていた、二人ワインを手にしての本田との甘い語らいは、この店ではとても叶いそうには無かった。
* * *
薄暗い照明に煙草の煙が揺らぐこの店内の壁には、ビートルズ、ツェッペリン、ディープパープル、ストーンズ………世界のロックシーンを彩ってきたビッグバンドの名盤のアルバムジャケットが、そこかしこに飾られていた。よく見ると、その中にはいくつかの日本のバンドのジャケットもあり、トリケラトプスのアルバムもその中に含まれていた。
本田がカウンターの一番奥の席に座ると、陽子もそれに倣って彼の隣に座る。
「あれ、こりゃ珍しい。本田君じゃない」
カウンターの中から本田に声を掛けてきたのは、ロックというよりはジャズかクラッシックの方が似合っていると思わせるような、紳士的な印象の初老の男だった。
「マスター、ご無沙汰してます」
そう言って、本田は初老の男に軽く頭を下げた。どうやら、本田とこのマスターと呼ばれた男とは面識があるらしい。
「お隣は、本田君の彼女?」
「いえ、彼女だなんてぇ~~」
「職場の部下です。ただの部下」
マスターの質問に陽子が照れる間も無く、本田が間髪入れずにそれを否定する。そんなに即座に否定しなくても、と、陽子は頬を膨らませて横を向く。その後で改めてマスターに自己紹介をした。
「そうか、ヨーコさんと言うのか……いい名前だ」
「そうですか、ありきたりな名前ですよ?」
マスターの台詞に陽子が謙遜してみせると、彼はその理由についてこう言った。
「いやいや、ヨーコと言えばあの《ヨーコ・オノ》と同じ名前だ。この世界の者としては、拝みたくなるような素晴らしい名前だよ」
マスターは、そう言って穏やかに笑ってみせた。
「本田君はバーボンで良かったかな?」
「ええ、君は何を飲む?」
「それじゃ、私はビールをお願いします」
カウンターテーブルの二人の前に、ショットのバーボンそしてビールが置かれると、本田と陽子はそれを手にし「お疲れ様」とグラスを合わせた。
「それにしても、大きな音ですね。いつもこんな感じなんですか?」
いつもの話し声より少し大声で、陽子がマスターに尋ねると、マスターは穏やかな笑顔で答えた。
「週末で少し盛り上がっていたものでね。確かに少々音量が大きいな、これじゃ会話がし辛い」
そう言って、マスターはグラスを拭いていた手を休め、カウンターの奥にある音響機器へと手を伸ばした。それと同時に店内に鳴り響いていたロックサウンドの音量が、徐々に控えめになっていくのが分かる。
陽子は、自分の後ろの方で陽気に踊っているモヒカン男達から苦情が出ないかと少し心配になったが、モヒカン男はまるでそれに気付かないように、相変わらず奇声を上げながらリズムを刻み、愉しそうに踊っていた。きっと、既にバーボンのボトル一本を空けている彼等の頭の中では、店内でかかるロックのビートとは他に、別のサウンドが鳴り響いているに違い無い。
ロックBARなる、こういった店に入ったのは陽子は初めてだった。確かに酒を飲んで陽気に騒ぐのに、ロックという音楽のジャンルは案外うってつけなのかもしれない……と、そのモヒカン男達の踊る姿を見ていると、妙に納得してしまう。
入店前は、その店の雰囲気に眉をひそめていた陽子だったが、一杯目のビールグラスが空になる頃には、彼女の持ち前の好奇心も手伝って、陽子の心中にそんな偏見は微塵も残っていなかった。
「マスター、このお店はもう古いんですか?」
「そうだねぇ………もう、35年になるかな」
陽子の問い掛けに、マスターは穏やかな笑顔で答えた。
「へえ――、そんな前から!それじゃ、由緒正しい立派な老舗なんですね」
「ハハハ、この店が由緒正しいなんて言われたのは、オープン以来初めてじゃないかな」
陽子の後ろで踊っているモヒカン男達の方へ目をやって、マスターは愉快そうに笑った。
「でもマスター、俺のようなロック好きの人間から見れば、この店はある意味『聖地』みたいなものですよ」
陽子とマスターの会話に、本田が入る。その口振りは、あながちお世辞や冗談でも無いという風な、心のこもった言い方だった。
「そう言えば、本田君が最初にこの店にやって来たのは20年位前だったかな………ずいぶん尖った金髪の青年だったな」
「え"っ!! 金髪の青年―――っ!」
マスターが発したその単語に、思わず口に含んだビールを吹き出す陽子。そして、隣の本田の困惑した表情を見て、ゲラゲラと大声を出して笑い出した。
「金髪―――っ!本田さんが――っ! ヒッ、ヒイィィ―――可笑しい―――っ!」
「陽子、お前笑い過ぎだ! マスター、俺の昔の話は勘弁して下さい………」
「ヒッ、ヒイィィ―――! 苦しい!」
「おい!いい加減にしろ! いつまで笑ってんだお前はっ!」
「だって…金髪―――っ! 本田さんが金髪―――っ!」
当時の本田の髪型は、金髪といってもそこまで派手では無い、例えるならサッカーの本田圭佑のような感じだったが、今、陽子の頭の中に浮かんでいる本田はドラゴンボールのスーパーサイヤ人のように四方八方に放射線を描いたド派手な金髪だった。
そんな頭の本田が、鼻ピアスのおまけ付きで、陽子の頭の中で中指を立ててポーズをキメている。
「ありえね―――っ」
「おい!」
酔いのせいなのか、それとも恥ずかしさのせいなのか、本田は真っ赤な顔で陽子を叱り飛ばした。
そして、そんな二人のやり取りをマスターは愉快そうに眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます