第7話わがままジュリエット②

「本田さんにお客様がお見えになってますけど」


 電話を終えた本田のもとへやって来たADの岩本が、来客の旨を伝えてきた。


「来客、俺に?」


 この業界では、人と会う時には前もってアポを取るのが常識となっている。ましてや、多忙なプロデューサー位の役職となれば、その辺り気遣いは言われなくても分かりそうなものだ。いきなりやって来て、本田に面会を希望する人物とは一体誰だろうと、本田は首を傾げた。


「来客って、誰?」


 ADの岩本に相手の名前を問うと、岩本は少し言い辛そうにその名前を告げた。


「それが………大俵おおたわら 平八郎へいはちろうさんでして………」

「はあーっ? 大俵 平八郎!」


 思わず、その名前を訊き返す本田。大俵 平八郎といえば、演歌界の大御所であり、また多くの演歌歌手を抱える音楽事務所の社長でもある。その演歌界の大御所が、マネージャーも通さずに直接本田に会いに来るとは、一体どんな用件なのだろう?

本田は、なんともいえない嫌な胸騒ぎを感じた。とりあえず、相手が相手だけに無下に断る訳にもいかない。本田は、岩本に部屋をひとつ確保して、大俵をそこに案内しておくように命じた。


「分かりました。確か控え室の空きがあったと思いますから、そこへご案内しておきます。しかし、一体何の用なんですかね?」

「どうせ、ろくな用じゃねぇだろ!」


うんざりした表情で、本田はくわえていた煙草を灰皿へと擦りつけた。



        *     *     *



「どうも、お待たせしました。大俵さん」


 本田が、岩本から聞いた控え室のドアを開けると、大俵はソファの真ん中にふんぞり返ったような格好で座っていた。


「ああ、どうも。お忙しいところ申し訳ありませんな、プロデュ―サ―のえ――と………」

「本田です」


 本田は、上着の内ポケットから自分の名刺を取り出して、それを大俵に渡した。


「ああ、そうそう本田さんでしたな。いや、歳をとると物忘れがひどくて………こりゃ失礼」


 どうせ俺の名前なんて、端から覚えちゃいないだろうに………本田は心の中でそう思ったが、そんな事は勿論口には出さない。


「それで、大俵さん。今日はどういったご用件で?」

「ああ、それなんだけどね……」


 そう言いかけた後、大俵は咳払いをひとつしてから目の前に置かれた緑茶に手を伸ばす。


「聞きましたよ、24時間公演の話」


少しの間を置いて、大俵は話を切り出して来た。


(やっぱりその話か………)


本田が抱いていた、嫌な予感は的中した。


「大俵さんのお耳にも届いていましたか。ええ、仰る通り我が局50周年の記念番組として、24時間ライブを企画しています」

「そうですか。いや、開局50周年誠にめでたい事ですなぁ」

「ありがとうございます」


 ありきたりな社交辞令を交わす本田と大俵………しかし、そんな事を言う為に大俵がわざわざこの場に出向いて来た訳では無い事は、本田も重々承知の上である。


「ところで、本田さん。のは、一体どういう事なんですかな?」


 やっぱり、そう来たか………言葉は丁寧だが、どこか威圧的な口振りで大俵は話の本題へと切り込んで来た。はっきり言って、本田の出演交渉リストの中に《大俵 平八郎》の名前は無い。大俵が演歌界の大御所と世間では言われているが、それは彼の芸歴が長い事と音楽事務所を持っている事が大きな要因であり、彼自身はそれほど人気がある訳では無かった。実際、NHKの紅白にもここ三~四年の間、選考から漏れていたのだ。


 ここは、はっきりと言ってやった方がいい。


「大俵さん。わざわざ出向いて頂いたのに、誠に申し訳無いのですが………」


 そう本田が言いかけたその時、突然本田のスマートフォンが控え室に鳴り響いた。

いったい誰からだろうと、本田が画面に目を移すと、その相手は相田局長だった。


「ちょっと失礼します」


 大俵にひと声かけた後、本田はスマートフォンを握りしめて控え室を出た。


「はい、本田です」

『ああ、本田君か。相田だが、もしかしたら今、君のところに大俵 平八郎氏が行ってないかと思ってね』


 驚いた事に、相田局長からの用件は大俵に関する話のようだった。


「ええ、まさに今、大俵さんと話をしている最中でした」

『その話というのは、やっぱりあれかね……自分を24時間ライブに出せという話だろうか?』


 まるで、今までのやり取りを見ていたかのように、相田局長は何もかもを知っていた。


「ええ、そうです。これから丁重にお断りをして、帰って頂こうと思っていたところですよ」


 本田がそう伝えると、電話の向こうからは相田局長の何やら困ったような溜め息が聴こえた。


 数秒の間が空いた後。


『本田君、悪いがそれ、どうにかならないかね?』

「と、言いますと?」

『大俵氏を出演させる方向で、話を進める訳にはいかないだろうか?』

「本気ですか? 局長!」


 本田は、思わず声を荒げて訊き返した。その剣幕に、相田局長は申し訳無さそうに事のいきさつを話し始めた。


「実は、局の方にスポンサーからの要望があってね………ほら、大俵氏がCMに出ている例の会社だよ。どうも、大俵氏がスポンサーの方へと根回しをしていたようでね」


 あのタヌキじじい!そんな事をしてやがったのか!本田は、思わずそう叫びたくなるのを、ぐっと堪えた。


 まんまと大俵にしてやられた。本田といえども局の人間である。スポンサー経由での局長の命令とあっては、逆らう訳にはいかない。


「分かりました。では、大俵さんの件は出演の方向で話を進めておきます………」

『悪いね………本田君』


 本田は、電話を切ると力無い足取りで大俵の待つ控え室の中へと入って行った。


「お待たせしました。こちらの手違いで大俵さんへのオファーが遅れてしまっていたようです………詳細が決まり次第、こちらから事務所の方へとご連絡致しますので………」

「そうですかぁ~いや、それならいいんですわ。いやぁ、御社の50周年盛り上がりそうですなぁ~」


 大俵は、上機嫌にそう言い放った後ソファから立ち上がり、豪快に笑いながら控え室を後にした。一人控え室に残った本田は、ポケットに丸めて突っ込んであった24時間ライブの出演予定アーティストのリストに、手書きで大俵の名前を付け足した。


 それを見つめ、深い溜め息をひとつつく。


 ジョニーズの古株アイドルの事といい、大俵といい、この業界には一筋縄ではいかない我が儘な連中が、なんと多い事だろうか………












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