第八章 ねじれた月曜日

 朝、ピィちゃんの鳴き声で目が覚めた。

 ベッドに座ったままぼんやりとした頭に血がまわるのを待つ。

 ピピュイピピュイと御機嫌に鳴いているピィちゃんに私もおはようと声をかけた。

 でも、返事がない。

「ねえ、悠翔君、おはよう」

 ピピッと鳥の鳴き声だけだ。

 そういえば昨日は結局、人間の姿の悠翔君とおしゃべりしなかったな。

 インコの悠翔君はあいかわらず首を左右にかしげるだけでしゃべらない。

 かわいいからいいけどね。

 私は下におりて朝ご飯を食べた。

「小鳥は元気?」

 お母さんがカフェオレをいれてくれた。

「うん、楽しそうにピッピッて鳴いてるよ」

「学校に連れていくんでしょ」

「うん」

「うちで飼いたい?」

 え?

 顔にハテナマークが出てしまったらしく、お母さんが笑う。

「もし飼いたいなら、うちで飼ってもいいのよ」

 預かったという話が嘘なのがバレてるんだろうか。

「まあ、学校で友達に相談してみないとね」

 私はまたそんなその場しのぎの嘘を言ってごまかした。

 ピィちゃんの鳥籠に風呂敷をかぶせて家を出る。

 ものすごく目立つけどしょうがない。

 電車の中では特に鳴いたり暴れる様子もなくおとなしくしていてくれた。

 かえって、じゃらりと音のするおもちゃの方が気になるくらいだった。

 学校に着いて机の上に置いて風呂敷をはずすと、同級生のみんなは不思議そうな顔で小鳥を遠巻きに眺めていた。

 まあ、ふつう、学校にこんなもの持って来ないよね。

 誰も私の髪型のことは話題にしてくれない。

 はやく真緒ちゃん来ないかな。

 おもちゃで遊ぶピィちゃんを見たら、なんて言うだろう。

 予鈴が鳴って沢口さんと平山さんが入ってくる。

 でも、真緒ちゃんがいない。

 どうしたんだろう。

 私はスマホを取り出して、昨日二人で撮ったアイスの写真を画面に出した。

 また一緒に食べに行きたいな。

 あれ?

 写真がおかしい。

 なんで私は一人でアイスを持って笑っているんだろう。

 こんな写真撮った覚えはないんだけどな。

 画面の左半分に私が写っていて、右半分が広く空いている。

 こんな変な構図の写真、ただの失敗写真だ。

 なんで私はこんな写真を保存してあるんだろう。

 スライドさせても、真緒ちゃんがいない。

 何かがおかしい。

 二人で金曜日に食べたときに撮ったアイスの写真を表示させたとき、私はますます混乱してしまった。

 一枚も真緒ちゃんが写っていないのだ。

 写真は残っているのに、真緒ちゃんだけが消えている。

 いくら自動的に消える写真アプリだからって、人が消えるのはおかしい。

 スマホの故障?

 アプリの障害?

 あれ、何か操作方法を間違えたんだろうか。

 別のフォルダなんか作った覚えないんだけどな。

 ふと、お母さんに写真を見せたときのことを思い出した。

 お母さんに真緒ちゃんを紹介したときのあの表情だ。

 あれって、もしかして……。

 登校時刻のチャイムが鳴って悠翔君が駆け込んできた。

 なんだ……悠翔君……か。

 え?

 悠翔君!?

 心臓が飛び出そうなほど驚いて、私は思わず自分の口を押さえた。

 どういうこと?

 悠翔君がいる。

 相変わらず無愛想で、誰にも挨拶をしないで席につくなり突っ伏して寝たふりをしている。

 まちがいない、悠翔君だ。

 じゃあ、この小鳥は誰?

 ピピュイと綺麗な声で鳴くこのインコは誰?

 そんな質問をしたところで、インコだろと言われるだけだ。

 じゃあ、悠翔君は誰なの。

 もちろん木崎悠翔君だ。

 こんなこと、誰も理解してくれないだろう。

 私は立ち上がって鳥籠を持って悠翔君のところに駆け寄った。

 肩を叩くと面倒くさそうに彼が顔を上げる。

 右肩を上げながら頭をかく仕草は変わらない。

「お願い。ちょっと、来て」

「なんだよ」

「いいから、来て」

 まわりの子達が私たちをじろじろ見ている。

 そりゃそうだろう。

 先週まで地味だった女子が髪を切ってきて、なぜか小鳥の鳥籠を持ってイケメン男子に話しかけているのだ。

 私しか知らない途中のストーリーを省いたら、ただの痛い不思議ちゃんだ。

「なんで俺が……」

 悠翔君は立ち上がろうともしない。

 もうすぐ先生が来てしまう。

 涙がこみ上げてきた。

「お願い。ちょっとだけでいいから……」

 私の表情を見て迷惑そうな顔をしながら渋々悠翔君が立ち上がる。

 私は彼の手を引いて教室を出た。

 ちょうど先生と鉢合わせしてしまった。

「おい、おまえら、ホームルームだぞ」

「すみません、これ、ちょっと置いてきます」

 私は鳥籠を目の高さまで持ち上げて会釈すると、悠翔君の手を引いて廊下を走った。

「おい、なんだよ」

 階段の踊り場まで来て、私は悠翔君と向き合った。

 気持ちの動揺とダッシュしたせいで呼吸がなかなか落ち着かない。

「ねえ、どういうことなの?」

「何が?」

「どうしてピィちゃんと悠翔君が両方いるの?」

「このインコ、ピィちゃんって言うのか」

「だから、なんで悠翔君がいるの?」

 あからさまに馬鹿にしたような顔で悠翔君が笑い出す。

「はあ? おまえ、何言ってんの? ふざけてるのかよ。俺は俺だろ」

 教室に戻ろうとする悠翔君を私は必死に引き留めた。

「お願い、聞いて。ふざけてないし、私は真面目なの」

「なに、俺とつきあいたくて気をひこうとしてるの? 迷惑なんだけど。それに、そういうことなら、ノーってことで」

「違うの。そうじゃなくて」

 悠翔君が乱暴に私の手を振りほどいて階段を下りていく。

 引き留めようとしたけど、だめだった。

 膝が震えて立っていられない。

 お腹も痛くなる。

 いったいどういうことなんだろう。

 鳥籠の中にはインコのピィちゃんがいる。

 そして、今、目の前で悠翔君が廊下の角を曲がって見えなくなった。

 なにがなんだか分からない。

 私は叫び出しそうだった。

 気持ちが悪くて吐きそうだった。

 でも、今はこの鳥籠をどこかに置いて教室に戻らなくてはならない。

 ロッカーには入らない大きさだ。

 私は階段を駆け上がって、屋上扉前の踊り場までやってきた。

 小さな窓から春の日差しが入ってきて、小鳥を一時的に置いておくには悪くない場所だ。

 ピィちゃんはおもちゃをつついて楽しそうだ。

 階段にじゃらりじゃらりと音が響く。

「ごめんね、ピィちゃん。少しの間だから、遊んで待っててね」

 私はお腹を押さえながら急いで教室に戻った。

「おう、友永、はやく席に着け」

「すみません」

 先生にうながされて席につこうとして足が止まる。

 悠翔君の後ろに空席が一つ。

 私の席だけ?

 そんなはずはない。

 真緒ちゃんがいない。

 真緒ちゃんの席がない。

 さっきまであったよね。

 何かが急にねじれ始めていた。

「どうした。はやく座れ」

 先生が怒っている。

「え、あ……はい」

 私はしかたなく、悠翔君のすぐ後ろの席に座った。

 ここは真緒ちゃんの席なのに……。

 ホームルームが終わって先生が教室を出ていった。

 私は机に突っ伏している悠翔君の背中をつついた。

 わざと無視して振り向いてくれない。

 私は立ち上がって前に回り込んで悠翔君の両肩をつかんだ。

「なにすんだよ、てめえ」

 ものすごい剣幕で悠翔君が立ち上がる。

 思わず涙がにじんでしまう。

 でも、ひるんではいけないんだ。

 大事なことを確かめなければならないんだ。

「ねえ、悠翔君。あなたは悠翔君でしょ」

「当たり前だろ。知ってるなら聞くなよ」

「私の知ってる悠翔君じゃなくて、真緒ちゃんの知ってるユウト君でしょ」

 悠翔君の顔がこわばる。

「真緒って、おまえ……」

 聞きたくないけど、聞かなくちゃいけないんだ。

「ねえ、真緒ちゃんはどこに行ったの?」

 教室の隅で急に泣き出した子がいる。

 沢口さんと平山さんだ。

 顔面蒼白で過呼吸になってしまったらしい。

 周りの生徒が突然の発作に対応できなくてパニックが広がっていく。

「おまえ……」

 悠翔君が机に手をついて前のめりに私に顔を近づける。

「なんで赤城真緒のことを知ってるんだよ。八木沼中のくせに」

「だって……」

 私は悠翔君の目を見つめて叫んだ。

「だって、真緒ちゃんは私の友達だから!」

「やめろよ!」

 悠翔君が叫ぶ。

 固く拳を握って震えている。

「……やめろよ」

 何を?

 何をやめろっていうの?

 どういうことなのよ。

「いまさら死んだやつのことを言うのはやめろよ。俺達だってつらいんだよ」

 何言ってるの?

 死んだってどういうことよ。

 お腹が痛い。

 ギュッと刺し貫くような痛みが下腹部に走って、私は悠翔君の机をつかんだままうずくまってしまった。

 変な汗をかいてしまって髪が額にはりつく。

「なんだ、どうした」

 意識が遠のいていく。

 壊れたボイスチェンジャーみたいに悠翔君の声がゆがんでいく。

 おい、誰か、先生を呼んで来いよ。

 保健室の先生も、はやく!

 ちょっと男子、見ないでよ!

 みんなの声が遠い。

 悠翔君の顔が渦巻いていく。

 ピィちゃん。

 そうだ、ピィちゃんのところに行かなくちゃ。

 私は必死に手を伸ばしていた。

 なんでさっき置いてきてしまったんだろう。

 飛んでいけたらいいのに。

 翼があれば飛んでいけるのに……。

 ピィちゃん……。

 薄れていく意識の中で、風景が逆回転を始めていた。

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