第五章 二人の金曜日
翌朝、目覚まし時計が鳴り響く前に私はベッドに起き上がっていた。
今日は真緒ちゃんに謝るんだ。
気合い充分だった。
悠翔君は鞄の中でタオルにくるまって眠っていた。
あいかわらず羽を膨らませてお団子みたいにまん丸だ。
The early bird catches the worm.
なんか英語の授業でそんなことわざを習ったような気がするんだけど、全然あてはまらないね。
朝寝坊だとご飯がもらえないぞ。
じゃあ、私は朝ご飯を食べてきますよ。
下におりてキッチンにいるお母さんに声をかけた。
「おはよう」
「あら、びっくりした。どうしたのよ」
普段は呼ばれないと朝食に下りていかないからこんなふうに言われてしまう。
「学校が楽しいから早く行こうと思って」
「へえ、めずらしいこと。でもまあそれなら良かったわね。ご飯できてるよ」
テーブルの上には納豆と卵焼きが並んでいた。
「いただきます」
「あら」
と、お母さんが私の髪に手を伸ばした。
「ごみがついてるわよ」
お母さんがつまんだのは鳥の羽毛だった。
「枕から出てきたのかしらね」
「布団かなぁ」
お母さんはただのゴミだと思ったらしく、ゴミ箱に捨ててそれっきり洗濯物を干しに行ってしまった。
今日学校から帰ったら部屋の掃除をしておこう。
知らないうちに羽毛が抜けて飛んでいるのかもしれない。
朝食を終えて部屋に戻ると私は着替えをした。
前髪はピンで留めて顔にかからないようにした。
さて、出かけますか。
あ、悠翔君を起こさないと。
鞄の中を見たら、インコの悠翔君がまん丸の目で昨日のこぼれた餌をついばんでいた。
「オハヨウサツキ、オハヨウサツキ」
うん、おはよう。
あれ、起きてたの?
「あ、あんたまた私の着替え見てたでしょ」
「ミテナイ、キョウミナイ」
「ウソツキ」
「ウソツカナイ。インコ、ウソツケナイ」
「私あんまり胸なくてガッカリした?」
「ガッカリ、ガッカリ」
なんてやつだ。
私は体操服を放り込んで鞄のファスナーを閉めた。
鳥は羽ばたくために胸の筋肉が発達してるんだよね。
そりゃあ、私より大きいでしょうよ。
ああ、もうムカツク。
まあいいや。
今はそれどころじゃない。
ちゃんと謝るんだ。
真緒ちゃんに気持ちを伝えるんだ。
ベランダで洗濯物を干しているお母さんに大きな声で「行ってきます」と声をかけて私は出かけた。
早めに出たとは言っても、電車はいつものだから、登校時間が変わるわけではない。
ホームで何本か別の行き先の電車をやり過ごす。
直通は一本だから、結局乗るのはいつもと同じ車両のいつもと同じドアだ。
何となく知ったような顔ぶれの乗客に囲まれながら、電車の窓に映る自分の顔に向かって私は呪文をかけた。
私は言える。
ワタシハマオチャンガスキ。
何度でも呪文を繰り返す。
大丈夫、ちゃんと言える。
いつのまにか鼻の横のニキビも消えていた。
電車を降りたところで鞄のファスナーを開けた。
「サツキクルシイ、サツキヒドイ」
「おとなしくしてなさいよ」
校門をくぐって昇降口まで来たときに、何か雰囲気が違うような気がした。
もちろんそんなの気のせいとしか言いようがない。
でも、その予感は当たっていた。
教室には真緒ちゃんがいた。
沢口さんと平山さんとおしゃべりをしている。
私が入っていくと、みなの目が一斉にそらされる。
でも、視野の隅ではしっかりと私の行動を観察しているのが分かる。
『あんたのことを見ているよ』と、無言の圧力を伝えてくるのだ。
あ、中学の時と一緒だ。
みんなは場の空気を変えることを拒む。
いつもと同じ雰囲気で、いつもと同じ流れで一日が始まるのが当たり前なのだ。
それを壊す者はいないことにされる。
そういう部外者が近づくなら距離を置かなければならない。
しかもそれは意図的ではなく、あくまでもさりげなくでなければならない。
『いいえ、私たちそんなことしてません』
そう主張できなければ自分に面倒が降りかかるからだ。
私のことはすでにみんなに知れ渡っているのだ。
私が自分の机に鞄を置くと、平山さんが声の調子を上げて話し始めた。
「いやもう、高校の部活ってマジきついわ」
沢口さんも同調する。
「でもさ、茶道部に行ったメグなんて、二時間正座だってよ」
「お菓子食えるとか言ってたじゃん」
「『あなたたちはまともに正座もできないんですか』って二時間説教だって。もう味なんて分からないって」
三人で笑い合って楽しそうだ。
真緒ちゃんはこちらを振り向きもしないし、沢口さんも平山さんも、私に声をかけるタイミングを与えないように、ずっとしゃべり続けている。
言わなくちゃ。
真緒ちゃんごめん。
練習したでしょ。
……だめだ。
やっぱり言えない。
真緒ちゃんに振り向いてほしかったけど、自分から声をかける事ができなかった。
もう私はこのクラスにはいないことになっているんだ。
私はあきらめてしまった。
あんなに言うつもりだったのに、勇気のかけらもなくなっていた。
私はピンをはずして前髪を垂らした。
髪で顔を隠してうつむく。
いつもの私に戻る。
それでいいんだ。
私は空気のような存在で、誰からも相手にされない。
それでいいんだ。
そうやってまた三年間、時が流れていくのをじっと我慢していればいいんだ。
いないことにしてくれてありがとう。
変な嫌がらせをされるよりよっぽどましだ。
逃げなくていいんだから。
楽でいい。
席に座ろうと椅子を引いたとき、鞄の中からピィちゃんが顔を出した。
「マオチャンオハヨ」
真緒ちゃんの肩がピクッと動いた。
でも振り向いてはくれない。
「マオチャンゴメン」
いいよ、悠翔君。
ありがとう。
でももういいよ。
私が言わなくちゃ意味ないでしょ。
鞄からインコの悠翔君が飛び立って真緒ちゃんの肩に乗る。
「マオチャンダイスキ。マオチャンダイスキ」
耳元で何度もさえずっている。
沢口さん達の表情がこわばる。
真緒ちゃんは首をかしげてピィちゃんの言葉に耳を傾けていた。
「マオチャンゴメンネ。マオチャンゴメンネ」
真緒ちゃんが急に立ち上がった。
驚いたピィちゃんがピョイッと真緒ちゃんの頭の上に飛び乗る。
だめだよ、髪が崩れちゃう。
でも真緒ちゃんはそんなことにかまわずに振り向くと、いきなり私の腕をつかんだ。
ものすごく怒った顔で私のことをにらみつけて教室の外に引っ張っていく。
ぐいぐい引っ張っていって、廊下の端まできて私を非常階段のドアに押しつけた。
「ズルイよ。鳥に言わせるなんて。言いたいことがあるならあたしに直接言って」
そうだ。
私はずるい。
自分で言わなくちゃダメだ。
喉が詰まって声が出ない。
でも私は振り絞って言った。
「真緒ちゃんごめん」
私をじっとにらみつけている真緒ちゃんから逃げてはいけないんだ。
「真緒ちゃんごめんなさい。本当は友達だって言ってくれてうれしかった。でも自信がなくて、私なんかでいいわけないよって、こわくなっちゃったの。本当はうれしかった。本当は真緒ちゃんと仲良くなりたかった。本当は謝りたかったの。ごめんね、真緒ちゃん」
「言えるじゃん。言えばいいじゃん」
真緒ちゃんは私に向かって怒ってくれていた。
「サツキちゃんずるいよ。あたしが鳥に甘いって知ってて、こんな作戦で攻めてくるなんてさ」
「サツキズルイ。サツキズルイ」とピィちゃんも唱和する。
「本当だよね。ピィちゃん」と真緒ちゃんが頭に手をやると、ピィちゃんは手に乗って頬をすりつける。
「サツキズルイ、サツキズルイ」
「こら、ピィちゃん、もうそれくらいで許してあげなさい」
「マオチャンゴメン。マオチャンダイスキ」
「おまえはいろんな言葉を覚えて偉いね」
真緒ちゃんにほめられてピィちゃんは羽を膨らませてぶるるっと体を震わせた。
「じゃあ、『マオチャンカワイイ』は?」
インコは首を左右に傾けるだけだ。
「この子頑固だよね」と真緒ちゃんが苦笑する。
私も思わず笑ってしまった。
真緒ちゃんももう怒っていない。
ありがとうね、悠翔君。
「本当に昨日はごめんなさい」
私は頭を下げた。
「いいよべつに。気にしてないから」
気にしてない。
また言われてしまった。
真緒ちゃんにとって私なんかどうでもいい存在なんだ。
「キニシテル。サツキダイスキ」
ピィちゃんが鳴く。
ああ、そうか。
私がまたそんな弱気な事を考えているからイエローカードが出ちゃった。
私の事を気にしていないんじゃなくて、言葉通り、昨日の事を気にしていないという意味なんだ。
それを私がねじ曲げたらダメだ。
真緒ちゃんが微笑む。
「この子、私の気持ちも分かるんだね」
ピィちゃんは真緒ちゃんに頭を撫でられて、クックッと鼻を鳴らしながら私の手に飛び移ってきた。
真緒ちゃんがまっすぐ私を見つめている。
「ねえ、サツキちゃん、屋上から飛び降りろって言われたらどうする?」
え、飛び降りろって言うの?
イジメ?
真緒ちゃんが眉を斜めにして苦笑する。
「あのさ、もちろん無理じゃん」
あ、そうだよね。
そんなこと言うわけないか。
「たとえだからね、たとえ」
「うん」
「でさ、あたしに飛び込んでこいって言われたら、どうする?」
あたしに飛び込む?
真緒ちゃんにっていうこと?
私は意味がつかめずに、返事をためらっていた。
「やっぱり迷う?」
真緒ちゃんが首をかしげる。
飛び込んできてって言われたら飛び込んでいきたいけど、どうやったらいいのか分からない。
私はまだ迷っていた。
「サツキちゃんが迷ってたら、やっぱりあたしは悲しいよ。だって、信じてくれてないってことでしょ」
ちがうの。
そうじゃないの。
私は信じてるし、信じたいの。
でも、どうしていいのか分からないの。
予鈴が鳴る。
真緒ちゃんがかかとでくるりと回って歩き出す。
私もついていく。
真緒ちゃんの背中は寂しそうに丸まっている。
友達をこんなふうにさせてしまった私はダメな子だ。
私もいつの間にかうつむいていた。
真緒ちゃんの背中を追うのではなく、廊下を見ながら歩いていた。
いつだって私はまっすぐ前を向いて歩くことのできない人間なんだ。
後ろ向きだって前向きだって、どっちだって同じだ。
私は進むべき方向を向いていないんだ。
大事な人のことを見てもいないんだ。
うつむきながら歩いていたら、目の前に誰かの靴のつま先が見えた。
あっと思った瞬間、私は誰かの懐に飛び込んでいた。
真緒ちゃんが私を抱きしめていた。
いつのまにか立ち止まって振り向いてくれていたんだ。
私は真緒ちゃんに抱きしめられていた。
「こわい?」
「ううん」
真緒ちゃんの頬が私の頬に触れる。
あれ、なんで濡れてるの?
ほっぺをグニっとつままれる。
いた、イタタ、真緒ちゃん痛いよ。
「あたし、昨日泣いちゃったんだからね」
「ごめんね」
「だめ、許さない」
両手でほっぺをグニグニされる。
私はピィちゃんじゃないよ。
「もう絶対に逃げないって約束して」
うん。
逃げたりしない。
ごめんね。
「逃げるのはだめだよ。すごく寂しかったんだから」
きっとインコのピィちゃんが逃げたときのことを思い出したんだろう。
心の傷をえぐり出してしまったんだ。
そこまで気づいてあげられなかった。
私は私のことしか考えてなかったんだ。
本当に情けない。
こんなんじゃまた真緒ちゃんを悲しませるようなことをしてしまうだろう。
強くならなくちゃいけないんだ。
姿はインコでも心は鷲の悠翔君みたいに。
私は悠翔君の正体を教えてあげようかと思った。
その方が二人にとって良いことなんじゃないか。
喉まで出かかったけど、思いとどまった。
悠翔君は言わないと決めたんだ。
言ってしまって正体を知られたら消えてしまう。
それは悠翔君にとって良くないことなのだ。
私が勝手に変えてしまっていいことではない。
ごめんね、真緒ちゃん。
やっぱり内緒にしておくね。
悠翔君の代わりに私が真緒ちゃんに寄り添ってあげればいいんだ。
だからもう弱気になっちゃいけないんだ。
「真緒ちゃん、私、この子をまた隠してくるね」
私はピィちゃんを両手に包んだ。
「あ、ねえ、チューさせて」
真緒ちゃんはピィちゃんのくちばしに口づけて手を振ると教室に戻っていった。
私の手の中でピィちゃんが震えている。
やばい、急がなきゃ。
周りに人もいる。
くるりと反転してダッシュで廊下を曲がって階段を下りる。
人のいないところまで来て、ピィちゃんが飛び立ったかと思うと悠翔君の姿になった。
こっちに背中を向けているけど、髪型の乱れに焦りが感じられた。
「あぶねえよ。あいつにばれるところだったぞ」
私は髪の毛を手でなでつけている悠翔君の背中をつついた。
「ありがとうね」
「なにが?」
「仲直りさせてくれて」
「おまえがちゃんとあやまったからだろ。早く教室に行かないと遅刻だぞ」
悠翔君が駆け出すのを私も追いかけた。
教室に入るときに、悠翔君がいったん立ち止まって、何事もなかったかのような涼しい顔で席に向かう。
「うす」
いつも通りの無愛想な挨拶だ。
演技が上手だ。
「あ、ユウト、おはよう」
「なんだよ、おまえ。何にやけてるんだよ」
「うっさいわね。あたしの気分にあんたが口出しすることないでしょ」
「へいへい、真緒様、すみませんでした」
悠翔君が席に座ると、真緒ちゃんが後頭部をつつく。
「いってえな」
振り向かない悠翔君をもう一度つつく。
「なんだよ」
二度目で振り向いた悠翔君に、真緒ちゃんがささやく。
「いつもいてくれてありがと」
「なにが?」
「なんでもないよ。前向きなよ」
「なんだよ、おまえがちょっかい出したくせに」
先生がやってきてホームルームが始まった。
ホント、二人とも仲がいいね。
私に対するみんなの視線も元に戻っていた。
特に注目されるわけでもなく、かといって無視する事もなく、無難で平穏な学校生活だ。
真緒ちゃんは私に優しく接してくれた。
休み時間になるたびに振り向いて私に話しかけてくれた。
寝ていて聞いてなかった授業内容のこと。
次の時間にある漢字の小テストのこと。
悠翔君の髪の寝癖がひどくて笑いをこらえるのが大変だったこと。
とりとめのないおしゃべりがこんなに楽しいなんて久しぶりだった。
そして今日も午前中日課で、放課後、また遊びに行こうと誘ってくれた。
「アイス食べに行こうよ」
「うん、行く」
私は迷わず答えた。
真緒ちゃんは振り向いて悠翔君の背中をつつく。
「ユウト、あんたは?」
「行くわけないだろ」
「あいかわらず無愛想だね。カッコつけてるつもり?」
「んなわけねえだろ」
「とか言って、あたし達の会話盗み聞きしてたくせに」
「してねえし。あんだけでけえ声でしゃべってたら全員に聞こえるさ」
「聞き耳立ててたんじゃないの」
真緒ちゃんにまた後頭部の寝癖をつつかれて、面倒くさそうに払いのける。
二人のお約束のやりとりを眺めながら、私は心の中で悠翔君にお礼を言っていた。
まあ、どうせ鳥の姿に戻して、一緒に連れていくことになるんだけどね。
なんだか、いつのまにか一緒に暮らすことになってるけど、まあいいか。
私もべつに嫌じゃない。
ただ、調子に乗せると面倒だから素直な気持ちは内緒にしておこう。
学校を出て私と真緒ちゃんの二人で昨日と同じ道を歩きながらショッピングモールに向かった。
悠翔君とは隠れてキスをして鳥の姿に戻してある。
今は鞄の中でタオルにくるまっておとなしく昼寝を楽しんでいた。
私の方から呼び出してキスを迫ったときはさすがに悠翔君の方がびっくりしてた。
私だってやるときはやるよ。
真緒ちゃんのためだからね。
昨日は緊張して何もしゃべれなかったけど、今日は違う。
真緒ちゃんからだけでなく、私の方からもいろんな話題を出しておしゃべりできた。
ピィちゃんという名前のことを話題にしたら驚いていた。
「昔飼っていたインコの名前なんでしょ」
「なんで知ってるの?」
「なんとなくだよ。昔インコを飼ってたって言うから、そうなのかなって」
「あ、そうか、そういうことか。びっくりした。名探偵かと思った」
笑うと真緒ちゃんの髪がふんわり揺れる。
軽やかでうらやましい。
ペット屋さんに寄って小鳥たちにご挨拶をしてからアイス屋さんに行った。
平日のお昼はやっぱり空いていた。
真緒ちゃんは熱心にメニューとケースの中のフレーバーを見比べて迷っている。
これもいいし、あれもいいと、うろうろしている。後ろに並んでいる人はいないからいいけど、これが土日の混雑時だったら大変だ。
「サツキちゃんは決まってるの?」
「うん」
「意外と即決なんだね」
ふだんの私は優柔不断だ。
今はただ、この前食べておいしいと知っているから迷わないだけだ。
「そんなことないよ。真緒ちゃんが迷いすぎじゃないの」
自分の方が余裕のある状況だからか、ちょっとした軽口も言えるようになっていた。
真緒ちゃんが口をとがらせて腕を組む。
「あたし、けっこう優柔不断だよ。メニューとか決められないもん」
「じゃあ、一緒に同じのにしようよ。私が決めるから」
「あ、それいいね。何がおすすめ?」
「これ」
もちろんニューヨーク・ブルーベリー・チーズケーキだ。
「あ、それ、この前食べようかどうか迷って結局やめた方なんだ。いいね、これにしようよ」
『この前』というのは、三人で来て私の事を無視したときの事だろうか。
いけない、またネガティブな感情がわいてきてしまった。
真緒ちゃんに腕をつつかれた。
「え?」
「カップとコーンどっちにするかって」
ぼんやりしていて気がつかなかった。
店員さんも私の事を見ている。
「あ、カップでお願いします」
気づいてくれなかったことを気にしていて、自分の方がまわりに気がついていなかった。
ちょっと苦笑してしまった。
「なに、どうしたの?」
「ううん、べつに。ぼんやりしちゃったなって思って」
「ああ、よくあるよね」
真緒ちゃんは先に自分の分を受け取りながら席を探している。
ワッフルコーンにしたんだね。
私もカップのアイスを受け取って二人で丸いカウンターテーブルに行って座った。
「これすごいボリュームだよね。テンション上がるわ」
「おすすめして良かった」
「サツキちゃんは前にこれ食べたことあるの?」
「うん」
真緒ちゃんは無邪気に質問している。
私がこのアイスを食べたときのことを本当に知らないんだろう。
あの時は横を向いていたし、同じ豊ヶ丘高校の制服だって、この辺は地元だからよく見かける。
入学したばかりで顔だってあやふやだったかもしれない。
私みたいな地味な子のことなんて気がつかなかったとしても真緒ちゃんの落ち度ではないだろう。
勝手に邪推していた自分が恥ずかしかった。
私は考え事をしながらスプーンを持ってアイスを食べようとした。
「ちょ、サツキちゃん待ってよ」
真緒ちゃんがあわてた声で私を止めた。
「え?」
「写真くらい撮ろうよ」
あ、そうか。
「ごめん。この前も私ね、写真撮る前に食べちゃって、後から気づいて失敗したなって思ったんだ」
「まあ分かるけどね。これを前にしたらつい手が出ちゃうもんね」
真緒ちゃんはスマホをぎりぎりまで近づけてアイスの写真を撮っている。
画面いっぱいで、三倍増しくらいにおいしそうに見える。
私も自分のスマホを出して写真を撮った。
「はい、笑って」
真緒ちゃんが私に顔を近づけて右手でアイスを持って左手でスマホを前に突き出す。
高校に入学して友達と二人で写真を撮るのは初めてだ。
シャッター音が鳴ったときに、つい目を閉じてしまった。
「サツキちゃん、お約束過ぎる。もう一枚ね」
こんどはうまくいった。
「最初のはお宝映像にしておこうっと」
「えー、変だから消してよ」
「いいじゃん。どうせ一ヶ月で消えるんだし」
「消える?」
「あれ、アプリ使ってないの?」
真緒ちゃんはスマホの写真アプリを教えてくれた。
日記のようにアルバムを整理してくれる写真ヒストリー・アプリだ。
「これ、自動的に一ヶ月すると消えるようになってるんだよ」
「消えちゃったらもったいなくない?」
「変な写真が流出しても消えてくれる方が安心じゃない?」
そういうものなのかな。
「それに、新しい思い出をどんどん積み上げていけば寂しくなんかないじゃん」
「ああ、そうか」
「使ったことないの?」
「私、スマホ買ってもらったの高校合格してからだから」
「じゃあ、登録の仕方教えてあげるよ。あたしたちのグループも作っておくよ」
真緒ちゃんと同じグループ。
夢みたいだ。
設定して、さっき撮った写真もデータ交換してくれた。
初めての友達と一緒の写真だ。
真緒ちゃんがスマホ操作の手を止めてスプーンを持つ。
「じゃあ、溶けないうちに食べよっか」
「うん、そうだね」
アイスを一口すくって食べると、真緒ちゃんが目を細めて顔をふるわせる。
「ふう、チョーウマ。おすすめだけあるね。シマウマよりチョーウマ」
へんなダジャレだけど、思わず笑ってしまった。
「よかった。喜んでくれて」
空気を含んでふわふわな舌触りとクリーミーなチーズケーキの滑らかさが口の中で合わさってとろけていく。
「やっぱり、ここのアイスって、食感が全然違うよね」
「おいしいよね」
一口食べるごとに真緒ちゃんの頬が上がって髪の毛が揺れる。
髪の毛もアイスも軽くてふわふわだ。
一緒に食べているとこの前よりおいしい気がする。
私も単純だな。
「サツキちゃんはブルーベリーが好きなの? チーズケーキ?」
「あ、両方かな」
「じゃあ、最強だね、これ」
「うん、でしょ」
真緒ちゃんがトッピングのブルーベリーをスプーンに乗せそこなって手でキャッチする。
「セーフだね」
私が笑うと真緒ちゃんも笑ってくれた。
「あたし、左利きじゃん。けっこう不器用でさ」
「そうなの」
「うん、まあ、左利きのせいじゃないか」
真緒ちゃんがスプーンにブルーベリーを一粒乗せて私に差し出す。
え?
「はい、あーん」
思わず顔が熱くなる。
どうしたらいいんだろう。
「どうしたの。味見だよ。はやく、落ちちゃう」
同じ物なんですけどね。
ぱくっと一口。
うん、同じ味だ。
「じゃあ、私も」
私も一口すくってブルーベリーを二粒乗せて真緒ちゃんに差し出す。
「お、ダブルだね」
大きな口を開けてガブッとくわえる。
「あたしさ、口も不器用で、よくこぼして親に怒られるんだ」
口も不器用って、おもしろい。
少しの間、アイスに集中していたら、真緒ちゃんが急に思いついたように話を切り出した。
「ねえ、お互いに質問しあって正直に答えるっていうゲームしようよ」
正直に?
うん、と私の戸惑いを見透かすように真緒ちゃんがうなずく。
正直という言葉に不安を感じてしまった自分が嫌だった。
言いたくなかったり、答えられない質問をされたらどうしよう。
友達なのに隠し事をしなくてはいけなくなる。
でもここで断ったら嘘をつくつもりだと思われてしまう。
どっちもだめだ。
私は渋々承諾した。
やったあ、と真緒ちゃんがコーンを持ったまま手を叩く。
はずみで落としそうになって苦笑いしている。
本当に不器用なんだね。
「じゃあ、あたしからね。好きな動物は?」
「なんだろう……」
「あれ、インコじゃないの?」
あ、そうか。
そうだよね。
でも、あれはインコのようでインコじゃないし。
それを説明することもできないからもどかしい。
「あはは、そうだよね。なんで考えちゃったんだろう」
「当たり前すぎて気がつかないこともあるよね」
真緒ちゃんは優しい。
「じゃ、次はサツキちゃんの番ね」
「ええと、好きな色は?」
「つまらない質問だな」
あ、ごめんなさい。
だって、いきなりつっこんだ質問するわけにもいかないじゃない。
「ウソウソ。いちいち固まらないでよ。冗談だから」
真緒ちゃんが笑っている。
私をからかうとおもしろいんだろうか。
「あたしね、けっこう紫が好き。ブルーベリーっぽい感じの紫」
「青紫?」
「うん、でもぱっと見て紫って分かる程度の青紫」
「むずかしいね」
「そうかな。サツキちゃんは?」
「私は銀色かな」
「え、シルバー? おもしろいね」
真緒ちゃんが手を叩いて目を丸くする。
私は変なことを言ってしまったかと思ってうつむいた。
「あ、ごめん。色っていうか、輝きって感じじゃんって思ってさ。でも、あたしもゴールドより、シルバーの方が好きだな」
「真緒ちゃんはアクセサリーはつけないの?」
「あたしさ、たぶん金属アレルギーなんじゃないかな。かゆくなっちゃうんだよね」
ああ、そうなのか。
言われてみれば確かにリングもピアスも何もつけていない。
「それにさ、けっこう汗もかくから、時計とかもバンドがやっぱりかゆくてつけられなくてね」
そんなに汗かきには見えない。
いつもきれいだもん。
「じゃあ、次はあたしだね」
あれ、今私に色の質問を返したのに。
まあ、いいや。
「あたしの誕生日プレゼント何にする?」
「え、いつなの?」
真緒ちゃんがニヤリと笑みを浮かべる。
「今日」
「ホントに!?」
うん、マジと真顔になってうなずく。
「今日が私のハッピーバースデー」
「ゴメンね、知らなかった」
「まあ、言ってないからね。しょうがないじゃん」
ちょっと気まずい空気が流れるのをかき混ぜるように真緒ちゃんが肩を揺らしながら首を振った。
「サツキちゃんは五月の何日なの?」
「ううん、十一月」
「うわマジ? サツキちゃんなのに」
「そうなの。お父さんがね、娘が生まれたら何月生まれでも『さつき』にするって決めてたんだって」
「みんなに間違われるでしょ」
「うん、ほぼ全員」
「変なキラキラネームよりも迷惑だよね。あ、迷惑とか失礼だね、ゴメン」
「ううん、実際、私も困ってるし」
「お父さん、変わった人?」
「どうだろう。鉄道オタクだけど、ふつうかな」
「娘を困らせるくらいなら、ちゃんと五月になるように計画的にしろって……。あ、ナシナシ。今のナシね」
真緒ちゃんがおでこを真っ赤にしながら、ちぎれそうな勢いで左手を振って話題を変えた。
「ねえ、最後の晩餐ってあるじゃん。あれって何にする?」
また真緒ちゃんが質問してる。
順番関係なくなっちゃった。
「うーん、なんだろうね。一つだけにしろって言われると難しいよね」
「あたしはね、サツキちゃんとだったらなんでもいいよ」
私の答えを聞く前に真緒ちゃんが自分の話を始めた。
それに、私と一緒だったらって、照れちゃうよ。
「あ、そうだ。このアイスをもう一回食べるとかいいよね」と真緒ちゃんが叫ぶ。
「デザートじゃない」
「だって、最後の晩餐なんだから、何食べたって自由でしょ。遠慮すんなって。ていうかさ、食事のシメがデザートって、逆に正しくない? 順番的に」
「あ、そういえば、そうか」
最後の晩餐の最後だ。
「うん、正しいよ。あたしは正しい」
真緒ちゃんが胸を張る。
あんまり出てないんだなって思っちゃった。
ゴメン。
私との唯一の共通点だ。
ちょっと親近感を抱いちゃった。
ほんとゴメン。
アイスを食べ終わって私たちはショッピングモールの中を歩いた。
服屋さんをのぞいたり、鞄屋さんで財布を選んだり、一人の時と同じ場所とは思えないほど楽しかった。
前に一人でアクセサリーを見たお店にもやってきた。
「サツキちゃんに似合いそうなやつはどれかな」
真緒ちゃんが次から次へと私の髪にあてて選んでくれる。
「これ似合うね」
真緒ちゃんが手にしたのは、シルバーの音符が並んだト音記号のヘアピンだった。
この前来たときに私も気になっていたものだ。
「さっきシルバー好きだって言ってたし、サツキちゃんの髪は黒いから似合うよ」
「ありがとう」
「ストレートで太くて健康的な髪でうらやましいよ。細くて色の薄いあたしより似合うよね」
私はあわてて手を振った。
「かわいくないし」
「ヒドイな。あたしそんなにダメ?」
「ち、ちがうの、私の方。私がかわいくないの」
あわてる私に、アクセサリーを商品棚に戻しながら、真緒ちゃんが低い声で言った。
さっきのアイスみたいな冷たさだった。
「うん、かわいくないよ」
え?
「自信のない女の子ってかわいくないよ。かわいらしさって、自分が好かれているって自覚がないと出てこないもん」
真緒ちゃんの言う通りだ。
なんだか涙が出そうだ。
「自信を持てとは言わないけど、べつに自分を悪く言うことはないと思うよ」
真緒ちゃんの言うことは正しい。
私もそうしたい。
でも、どうしてもネガティブな感情の方が先にわいてきてしまう。
黙り込んだ私の手を真緒ちゃんが握ってくれる。
「まあ確かにサツキちゃんは地味だけどさ、べつに無理しなくてもいいと思うし、素材はいいから、それを活かせばけっこう変わるんじゃないかな」
「真緒ちゃんはどうやっておしゃれの勉強してるの」
真緒ちゃんが大笑いする。
何か変なことを言ってしまったんだろうか。
「勉強って、サツキちゃんって、ホント真面目だよね。雑誌見たり、ネット見たり、適当だよ。べつにいいじゃん、化粧なんかしなくたって。すっぴんがきれいなんだもん。ナチュラルな魅力ってうらやましいよ」
「そんなことないよ。ニキビだってできてたし」
「ねえ、あたし、ほめてんだけど、気に入らないの?」
「あ、違うの、ごめん」
「そういうの、遠慮っていうか、謙遜とか卑下っていうんだっけ? いきすぎるとよくないんじゃない? なんかさ、あたしが本気で何を言っても否定されちゃうと悲しくなるんだよね」
「あ、ごめんね」
「ごめんって謝ってばっかりいるし。サツキちゃんは悪くないのに、なんで、何に対して謝ってるの?」
真緒ちゃんが後ろから私を抱きしめてくれる。
お店の鏡に映った二人の顔をのぞき込んで微笑んでくれる。
逃げないでって言っているんだ。
逃げたりしないよ。
「ごめん、なんかあたし怒ってばっかりだよね。サツキちゃんのこと見てると、なんかイライラしちゃうんだよね」
無理もない。
私自身がそうなんだから。
「私、高校に入ったら、自分を変えたいなって思ってたの」
真緒ちゃんはそんな私を馬鹿にしたりはしなかった。
「じゃあ、あたしがプロデュースしてあげるよ」
プロデュース?
「もうさ、デビューしちゃおうよ。アイドル化計画ね」
鏡の前で真緒ちゃんは私の前髪を上げておでこを露出させた。
「あのさ、もうちょっと眉毛を整えるとか、そのくらいはした方がいいんじゃない? やってあげようか?」
真緒ちゃんは私をトイレに連れていって、洗面台で鞄からポーチを取り出した。
ハサミとシェーバーで私の眉毛を整えていく。
下をストレートラインにして、上を緩やかなカーブにそろえて、明るめのペンで色を入れていく。
鏡に映る私はさっきまでの私とは全然違っていた。
「ああ、ほら、表情が変わるよね。すごく似合うよ」
確かに眉毛を変えただけで明るい雰囲気になる。
真緒ちゃんは私の髪の毛を編み込みにして頭の上でまとめて止めた。
「うん、ほら、長いからいろいろアレンジできていいよね」
不器用だと言ってたのに手際がいい。
それを指摘すると真緒ちゃんが笑う。
「毎日やってるからじゃないかな」
真緒ちゃんが私の手を引っ張ってさっきのアクセサリー屋さんに戻る。
音符のついたヘアピンを持ってレジへ行く。
ちょっと待ってよ。
会計を済ませると値札をとってさっそく私の髪にはめてくれた。
鏡の前に連れていかれて二人で一緒にのぞき込む。
鏡が夢の国への入り口のように思えた。
ヘアピン一つでプリンセスに変身した私がいた。
「はい、私からのプレゼント。友達記念」
「あ、ありがとう」
「すごく似合うよ」
涙が出そうだ。
「うん、ありがとう」
私からも何かお返ししなくちゃならない。
そもそも、さっきお誕生日だって言ってたっけ。
「真緒ちゃんはお誕生日のプレゼント何がいい?」
鏡の中の真緒ちゃんがニヤリと微笑んで、鏡の中の私に向かって指をさす。
「サツキちゃんと友達になれたのが一番のプレゼントだよ」
はあ?
思わず顔が赤くなる。
真緒ちゃんも自分で言って恥ずかしそうだ。
「一度言ってみたかったんだ、こういうベタなセリフ。いいチャンスくれてありがとう」
鏡の中で真緒ちゃんがまた私を抱きしめてくれる。
「あたし四月生まれだから出会いのチャンスは結構あったんだけど、今までこのセリフを言うタイミングに合わなかったんだよね。サツキちゃんが初めてだよ」
真緒ちゃんの気持ちがありがたかった。
でも、だからこそ、やっぱり何かあげたい。
「気持ちだけじゃなくて、やっぱりプレゼントもしたいよ」
真緒ちゃんは少し考えてから鏡の中の私に言った。
「じゃあ、誕生日プレゼントに、ショートヘアのサツキちゃんを見せてよ」
「え、切るってこと?」
「うん、思い切ってイメチェンするの」
私はためらっていた。
いまさらばっさりショートにしても大丈夫だろうか。
「今すぐ?」
「まさか。さすがに今すぐでなくていいよ」
「じゃあ、今度考えてみるね」
「楽しみにしてるよ」
鞄の中のピィちゃんが目を覚ましたらしく、ピピュイと声を上げた。
「あ、目が覚めたね」
真緒ちゃんが頬を撫でてあげると気持ちよさそうに羽を膨らませて体を震わせる。
私たちはショッピングモールの建物を出て、外のベンチに腰掛けた。
昨日買ってもらった餌を鞄から出して、真緒ちゃんの手のひらに出すと、ピィちゃんが飛び移ってついばむ。
「ホント、かわいいね、この子」
悠翔君に聞いた話を思い出した。
「ねえ、昔インコを飼ってたとき、よく話しかけてた?」
「うん、そうだね。インコって言葉を覚えるからね」
「髪型とか相談してた?」
「え、なんで分かるの?」
悠翔君の話は本当だったらしい。
とは言っても、それを伝えるわけにはいかない。
「あ、ただ何となく思っただけ」
「なんだ、そっか」
それっきり真緒ちゃんも特に気にしていないような表情でピィちゃんに餌をあげていた。
「昔飼ってたインコはね、よく私のTシャツの裾から潜り込んでよじ登ってきてね。襟のところから顔を出して、私の唇にくちばしでチュッチュチュッチュしてくれてたんだよ。ふわっふわでくすぐったくて、それでいて温かくてね。かわいかったな」
悠翔君、あんたそんなことしてたの?
今、同じことしてたらそうとうエッチだね。
インコの悠翔君は何も知らないふりで餌をついばんでいる。
ホントは聞いてるくせに。
「なんか、またインコを飼いたくなっちゃったな」
真緒ちゃんがつぶやくと、ピィちゃんが顔を上げて首をかわいらしく振った。
「でも、また逃げられたら嫌だしな」
「え、逃げられちゃったの?」
私は何も知らないふりをして尋ねた。
「うん、一生懸命探したんだけど、見つからなくてね。やっぱりすごく寂しくてね。また同じことになったらやだよね」
聞いているはずなのにインコの悠翔君は何も知らないような調子で餌をついばんでいる。
「鳥籠に閉じこめておいたらかわいそうだし、閉じこめるからこそ逃げていくんだし」
「でも、案外、鳥籠の方が居心地が良いから出たくないのかもしれないよ。鳥にとっては安心できる家でしょ。そこにいれば、大好きな飼い主さんが遊びに来てくれるわけだし」
私は悠翔君の言葉を借りて言ってみた。
「じゃあ、逃げちゃったのは、居心地が悪かったからなのかな」
真緒ちゃんが急に泣き出した。
ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちてピィちゃんがピピュイと飛び退く。
手の中でアワがふやけていく。
私は不用意なことを言ってしまったことを後悔した。
悠翔君の気持ちを伝えたかったにしろ、軽々しく言うべきではなかったんだ。
「そんなことないよ。鳥って驚いたら飛んでいっちゃうでしょ。きっと、何かふだんと違うことが起きて、びっくりしちゃったんじゃないかな」
「何も知らないで見てきたようなこと言わないでよ」
大きな声を上げた真緒ちゃんの手からインコが飛び立って私の鞄に飛び込んだ。
私はなんて言っていいのか分からなかった。
また黙ってしまった。
何かを言おうとすればするほど頭の中に言葉があふれてきて何も言えなくなってしまう。
お詫びの言葉すら喉の奥に詰まって出てこない。
涙をぬぐって真緒ちゃんが立ち上がる。
「ごめんね。怒鳴ったりして」
真緒ちゃんが私の手を握ってくれる。
手についていたアワの粒が私の手にもついた。
「ううん。私もごめんなさい」
なんとか声を振り絞って言えた。
「今日は帰るよ。また来週ね」
真緒ちゃんは両手をはたいてから軽く左手を振ると、私に丸い背を向けて歩き出した。
今日は金曜日だったっけ。
明日と明後日は学校が休みだ。
すっかり忘れていた。
「あ、うん、また月曜日ね」
私も真緒ちゃんに声をかけると、ピピィと鞄の中でインコが鳴いた。
悠翔君が自分の姿を見せたくないと言っている以上、私が正体を言ってしまっていいはずがない。
でも、これじゃあ、真緒ちゃんがかわいそうだ。
私はさっきもらったスマホの写真を表示させた。
アイスを顔に寄せた真緒ちゃんが笑っている。
真緒ちゃんには笑顔がよく似合う。
あんなふうに悲しそうな顔は似合わない。
私にできることは悠翔君と話をすることだ。
「家に帰ったら、相談しようね」
鞄の中のピィちゃんに声をかけると、返事もしないでタオルの奥にもぐりこんでしまった。
「逃げちゃダメだよ。大事なことだからね」
私鉄駅まで戻ってきて、始発電車に乗る。
今日も帰りの電車は閑散としている。
膝の上にのせた鞄の中で、インコの悠翔君はタオルにくるまって顔すら出さない。
都合の悪いときに逃げるのは私だけじゃないじゃない。
電車を降りてからは寄り道しないで急いで家まで帰ってきた。
部屋に駆け込んで着替えを済ませてから鞄の中のピィちゃんを出す。
両手にのせてくちばしに口づけると悠翔君が現れた。
「なんだよ」
「真緒ちゃんがかわいそうだよ」
「おまえが心配することじゃないだろ。してやれることなんて何もないんだし」
確かにそうだけど。
だからといって放っておくことはできない。
「なんとかならないのかな。なんとかしてあげたいのよ」
「あの時のことを知っているのは真緒と俺だけだ。それは俺と二人だけの秘密だ。他のやつが口出しできることじゃないさ」
でも、その秘密を私も共有している。
私にも何かできる事があるはずだ。
「本当のことを言っちゃダメかな」
「うるせえよ。そんなに俺を消したいのかよ」
そんなつもりじゃなかったのに。
でも、そう言っているのとかわらないんだ。
ごめんなさい。
心の中では言いたくても、声に出すことはできなかった。
ああ、だめだ。
また黙っちゃうと、よけいに怒らせてしまう。
私はなんとか声を振り絞ろうとした。
でも、その必要はなかった。
悠翔君が私を抱きしめてくれた。
「ごめんな。わがまま言って。怒鳴って悪かったよ」
私は首を振ってうなずいた。
「なんだよ、どっちだかわからねえぞ」
悠翔君が微笑む。
下でお母さんが呼んだ。
「ちょっと、誰かいるの?」
まずい、話し声を聞かれてしまった。
私は悠翔君に抱きしめられたまま口づけをした。
鳥の姿になった悠翔君は鞄に飛び込んでタオルに潜り込む。
階段を上がってきたお母さんがドアをノックした。
「ちょっと、サツキ、どうかしたの?」
「なんでもないよ」
私はスマホを手にしてドアを開けた。
「スマホでラジオを聞くアプリを入れてたんだけど、音量が大きくてびっくりしちゃった」
「なんだ、そうなの」
「学校の友達に教えてもらったんだけど、操作を間違えちゃったみたいで」
「今はスマホでいろんなことができるのね」
「うん、今晩新曲の発表があるんだって」
私は中学の時によく聞いていたガールズバンドの名前をあげた。
お母さんは疑うこともなく微笑んでくれた。
「楽しみでいいわね」
「あ、そうだ。ねえねえ」
私は今日撮った写真を見せようと思った。
「あら、アイス食べたの。おいしそうね」
「友達だよ」
真緒ちゃんを紹介したつもりだったのにお母さんが変なことを言った。
「じゃあ、友達と一緒に撮れば良かったのに。自撮りっていうんだっけ」
「え? どういうこと? ……写ってるじゃん」
「どれ?」
え、どういうこと?
こっちが聞きたいくらいだよ。
「真緒ちゃんって言うんだよ」
「ふうん。そうなの。もうすぐご飯だからね」
お母さんは怪訝な表情で下におりていった。
なんだかよく分からないけど、とりあえず悠翔君のことはごまかせたから良かった。
ドアを閉めると、鞄の中からインコの悠翔君が顔を出していた。
「ねえ、ピィちゃん。どうしたらいいのかな」
ピピィと鳥の声で鳴く。
「しゃべれるんでしょ。ずるいよ」
ピピィと返事をする。
何よ、もう人間の言葉では話もしたくないの?
私は小物入れに使っていたプリン容器から中身を取り出した。
近所のケーキ屋さんで使われていた陶器製のヒヨコ型で、かわいいから洗ってとっておいたのだ。
鳥の餌入れにちょうど良さそうだった。
ザラザラとたっぷり餌を入れて机の上に置くとピィちゃんが容器の隣に飛び移った。
ついばむのにちょうどいいらしく、ピピュイと上機嫌に鳴く。
本当にただの鳥みたいだ。
お母さんに夕飯ができたと呼ばれたので私はピィちゃんをそのままにしてキッチンへ行った。
夕飯を食べながら髪を切る相談をした。
「友達にね、髪切ってみたらって言われたんだ」
「真緒ちゃんていう子?」
「うん、ショートがいいって」
「いいんじゃない。あなた私と同じでまとまらない髪質だから、長いと大変なんじゃないかっていつも思ってたのよ」
お母さんは意外にもあっさりと賛成してくれて、カット代もくれた。
「おつりは学校のお昼代にしていいからね」
「じゃあ、千円カットにしてお小遣い稼いじゃおうかな」
「だめよ。ちゃんとしたところにしなさい」
マジな顔で怒られた。
「はーい」
「お母さんの行ってるところ、店長さんに予約お願いしてみようか?」
「うん、じゃあ、お願い」
部屋に戻ってきたら、机の上が大変なことになっていた。
ピィちゃんが容器をひっくり返して、そこらじゅうアワの粒だらけだったのだ。
ピィちゃんはのんきにこぼれたアワをついばんでいる。
「こら、いたずらしちゃだめじゃないの」
机の上に散らばった粒はすぐに手でかき集めることができたけど、よく見ると、床に羽毛が散らばっていた。
「あんた、羽ばたいたでしょ」
ピュッピィと陽気な声で鳴く。
しゃべらないつもりだな。
「もう、しょうがないな。掃除するよ」
お母さんに見られないうちに片づけておかなければならない。
私はセロテープを手に巻いて羽毛をペタペタくっつけていった。
「ガムテープの方が早いんだけどな」
今度、自分用のコロコロ粘着テープを買ってこようと思った。
ペットを飼うのは大変だな。
掃除を終えたところでお風呂に入った。
お風呂上がりに、ヘアサロンの予約が取れたとお母さんが教えてくれた。
「ちょうどキャンセルが出たんだって。明日の土曜日ね」
「うん、ありがとう」
部屋に戻るとインコの悠翔君がもう鞄に入って眠っていた。
私も電気はつけたままでベッドに潜って文庫本を読んでいた。
いつもなら金曜日は夜更かしをしてしまうのに、今日はすぐに眠くなってしまった。
本が頭に落ちてきて、いつのまにか眠っていたことに気づいた。
明かりを消す前に鞄の中の悠翔君をたしかめた。
鳥の姿のまま気持ちよさそうに眠っている。
ベッドにもぐって膝を抱えるような姿勢で目を閉じた。
電灯の消えた部屋は真っ暗だ。
カーテンは遮光タイプだから星の光も入ってこない。
ふと、まぶたの裏に悠翔君の顔が浮かんできた。
なんでよ。
べつにこの前みたいに私のことを包んでくれたらいいのになって思ってるわけじゃないんだからね。
顔が火照ってきて、寝付けなくなってしまった。
私はあの優しさを知ってしまったんだ。
ぎゅっと目をつむって変な妄想を追い出そうとすればするほど、枕に押しつけた耳の中で鼓動が大きくなっていく。
いつのまにか全身にうっすらと汗をかいてしまっていた。
布団をはねのけてベッドの上に起き上がる。
机の上の鞄には生き物がいるはずなのに、今はまったく気配がしない。
私は真っ暗闇の中で立ち上がって、手探りでピィちゃんのところへ歩み寄った。
鞄に手が触れる。
ファスナーを指でたどると、タオルの感触、そして、ぬくもり。
大丈夫。
ここにいてくれる。
私はそっと声をかけた。
「おやすみ、悠翔君」
暗闇の中から返事はなかった。
でも私は安心してベッドに潜り込んだ。
今度はすぐに眠れそうだった。
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