最後の決戦

「……長かったな」


 ジョージ・カービーはぽつりと独りごちる。先日髭を剃ったばかりの顎を片手で撫でつつ、貫禄ある老いた顔を顰めながら、鋭い眼差しである場所を見つめた。

 一年。

 研究者達が考案した、アルファ・オカルティアの誘導作戦が『実行』されてからそれだけの月日が流れた。

 アルファ・オカルティアの出現から数えれば二年、オカルティア自体の出現から数えると三年以上経っている。人生として見ればさして長くない時間であり、ましてや人類史から見れば一瞬の出来事に過ぎない。

 だがこの三年で、人類の文明は壊滅的打撃を受けた。

 オカルティアや小型未確認生物に襲われて意識不明に陥った被害者は、全世界で二十億人を優に超えた。厳密には多くの国で正確な統計を諦め、自宅療養患者(つまり入院費を払えない貧困層)は数えていない。労働人口が短時間で激減した影響から、多くの国で経済が破綻。将来への不安から治安は悪化し、それを守る警察組織が税収不足から殆ど機能しない。オカルティア以外の、政治混乱による犠牲者は果たしてどれほどになるか……

 人類文明は終焉に迎えつつある。もう、手遅れかも知れないと思う程度には。


「(全て向こうの機嫌次第とはいえ、何も出来ないのはあまりにもどかしいものだった)」


 アルファ・オカルティア誘導作戦、などと名前を付けたところで、やっている事はただの大規模軍事演習だ。アルファ・オカルティアが来るのを、演習をしながら待つだけ。

 あまりにも受け身な作戦故に、少なくない数の国(というより各国の派閥)が『積極的』な攻撃を敢行。アルファ・オカルティアが襲うと予測された場所への、臨機応変な攻撃作戦が採用した。

 しかし予想された通り、何処を襲うかも分からない、人類を遥かに上回る機動力のアルファ・オカルティア相手に待ち伏せなど出来ず。移動の手間、他国に移動する際の外交問題などで上手く兵力が集まれない。何より威力がある『新兵器』は重く、運ぶのに時間が掛かる。臨機応変どころか各個撃破され、物理的に誘導作戦反対派はいなくなった。

 お陰で、という言い方は相応しくないが……誘導作戦には十分な兵力が結集している。

 アメリカ某所の広大な平野。そこには今、総数三百万にもなる大兵力が集結していた。一割も集められれば良いと思われていた兵力は、オカルティア被害の増加により守るべき国民自体が減った影響で、多くの国が少なくない割合の兵力を出せるようになったからだ。そして演習として、この一年間武器の扱いも各国の連携も散々やってきた。

 今なら、十分戦える。

 この地にのこのことやってきたアルファ・オカルティアとも、対等以上に戦える筈だ。


【■■■■■■■■■■】


 奇怪な鳴き声を上げながら、アルファ・オカルティアは空高く、高度五百メートルほどの位置に浮かんでいた。

 胴体部分の直径八十メートル。触手の長さ二百五十メートル。全長三百三十メートル……どのオカルティアよりも遥かに巨大な身体は、空高くから降りてきた。地中をすり抜けて奇襲された例も過去にはあり、そういった最悪の展開にならなかったのは一つの幸運かも知れない。

 とはいえ上から見下ろすように佇むのは、挑む側からすれば不気味だ。

 果たしてアルファ・オカルティアには、平野に展開する軍がどう見えているのか。此処は米国でも特にだだっ広い平野で、地面には背の低い草が生えているだけ。木がないどころかろくに起伏もない。

 『演習』に参加している約三百万の兵士のうち、実戦を行うのはその六分の一である五十万人。それらはオカルティアから十キロ圏内に展開している。残りは弾薬補充など後方支援を行うため、この十キロ圏の外に展開していた。ジョージ達指揮官及びその補佐を行う兵士は、後方二十キロの位置に用意された屋外臨時基地にいる。屋根すら張られていない、オカルティアを目視で確認するための簡易な基地だ。

 アルファ・オカルティアの視点(目があるかさえ分からないが)からなら、ジョージ達の基地まで視界に入っているだろう。果たして奴は、この大部隊を前にしてどんな行動を取るのか。


「(最悪なのは、逃げられる事だな)」


 今の人類には、積極的にアルファ・オカルティアを追う術はない。もしもアルファ・オカルティアが目の前の軍を「これは危険だ」と判断し、そそくさと逃げられたら……戦いすら出来ない。

 そうなるとお手上げだ。オカルティア達は人類を各個撃破し、人類は重たい兵器を満足に使えないまま絶滅する。そしてアルファ・オカルティアが生物兵器……何処かの誰かの侵略兵器なら、そう立ち回るだろう。

 まだ作戦が成功したかは分からない。兵士達が戦闘態勢を整える中、ジョージは息を飲んでアルファ・オカルティアを見つめる。


【■■■■■■■■■■■■■】


 アルファ・オカルティアの答えは、六本ある触手を大きく広げた威嚇的ポーズを取る事。

 どうやらアルファ・オカルティアは合理的選択よりも、闘争心に従う事を選んだようだ。

 ……或いは、この程度物の数ではないと思ったのかも知れないが。


「よし。最初の賭けには勝った! 全部隊に攻撃準備を指示! 動けるようになった者から、演習通りに攻撃を行え!」


「了解!」


 ジョージからの指示を受け、周りの部下達は迅速に動く。

 一年。軍事訓練として見れば十分な時間とは言い難いが、各国の軍組織とは念入りな連携を鍛えてきた。この地に集結した三百万もの大部隊との情報交換は、基地内のオペレーターの様子を見る限り想定通りの混乱に留まっている。

 また、現場でも作戦が始まった。

 微かに聞こえてくる銃声。遮蔽物のない平野故か、どうにか攻撃が行われている事が耳で確認出来た。アルファ・オカルティアを視認し、尚且つ司令部から指示があり次第順次攻撃を行うよう訓練している。

 二十キロ離れたジョージ達のいる場所では、銃弾の軌跡など見えない。しかし今頃、アルファ・オカルティアには何百何千の弾丸が当てられているだろう。微かに聞こえてくる、激しい銃撃音がそれを物語っていた。

 勿論ただの弾丸ではすり抜けて、なんの効果もない。だがこの戦場にいる兵士達が撃つのは、この戦いに備えて作られたもの。

 銀製の弾丸だ。


「(この科学世紀に、あんなオカルト兵器に頼る羽目になるとはな……!)」


 何故銀の弾丸が選ばれたのか? それは銀がだからだ。

 本当に、ただそれだけの理由で作られた弾丸。本来ならばふざけるなと言いたいところだが、オカルティア達にとって効果的なのは『信仰心』である。銀が神聖なものだと信じているから、銀の弾丸が力を持つ。

 十分な信仰を与えた銀の弾丸であれば、幼体オカルティア程度ならば倒せる。これは過去に行われた、通常の駆除作戦で証明されている事だ。アルファ・オカルティアはオカルティア幼体よりも遥かに巨大だが、それならばよりたくさんの銃撃を浴びせれば葬り去れる……

 と、いう作戦が通じれば良かったのだが。


【■■■■■■■■■】


 アルファ・オカルティアは怯むどころか、嫌がるような素振りすら見せない。上げる鳴き声も、何処かこちらを小馬鹿にしているように聞こえる。

 銃弾はまるで効いていない。パチンコでハエは仕留められても、グリズリーには傷一つ付けられないように。

 それでいて、アルファ・オカルティアには人間達の情けない『狼藉』を笑って許すほどの度量はないらしい。銃撃を受ける身体を一瞬ぶるりと震わせ、高々と触手を一本振り上げてから――――

 勢いよく振り下ろした、瞬間、大地に深々とした『溝』が刻まれた。

 長さ数百メートル、深さは十メートル以上。まるで爪痕のようなそれは、アルファ・オカルティアの能力である重力操作により刻まれたものだ。強力な重力の『塊』を、さながら鞭のように叩きつける事で攻撃しているらしい。

 破壊力は凄まじく、地面もコンクリートも砂のように粉砕してしまう。当然、人間も跡形も残らない。今頃攻撃の跡地には血飛沫だけが残っているだろう。

 あの一発でどれだけの命が失われたか。想像するだけでジョージは心が痛む。

 だが近くで戦う兵士達は、己の役割を理解している。彼等はアルファ・オカルティアを倒そうとしているが、それが叶わずとも命懸けで奴を足止めする事も任務なのだ。


「心霊兵器の用意はどうなっている?」


「現在照準を合わせています! 三十秒で完了とのこと!」


 ジョージが確認すれば、通信士からそのように返答がある。

 心霊兵器――――アルファ・オカルティアに対抗するため開発された、信仰心を集めた兵器だ。それらは此処司令部から離れた、アルファ・オカルティアから二十キロの位置に配備されている。

 今の人類であれば、二十キロどころか数百キロ後方からでも攻撃可能だ。にも拘らずこれほどの『至近距離』にいなければならないのは、オカルティアがレーダーなどで捕捉出来ないため。目視で照準・誘導を行わねばならず、リスクを承知で近くにいなければならない。

 それでも二十キロも離れているため、アルファ・オカルティアの巨大でも豆粒のように小さく見えるだろう。だがこれについては問題ない。一年間、射手はこの時のために演習をしてきたのだから。


「信仰ミサイル『ロンギヌス』、発射されました!」


 聞こえてきた報告。その一言で、ジョージの脳裏には今起きている出来事がハッキリと思い描ける。

 信仰ミサイルとは、端的に言えば信仰心を込めたミサイルだ。

 ロンギヌス型はキリスト教系列の信仰を集めたもの。開発はジョージが所属する米国により行われた。ミサイル自体が槍のような構造をしており、内部にを格納している。キリストの血が付着しているとされる聖遺物にキリスト教信者が祈りを捧げ、多くの信仰心を集めた。

 聖遺物が本物である必要はない。そして信者にはそれが偽物だとは伝えていない。重要なのは信仰心であり、それは偽物相手より本物だと思う方が強力だ。だから偽物を本物と騙れば、十分な信仰心を得られる。

 効果は小型の武器(銀製でもなんでもない十字架でもオカルティア幼体を攻撃出来る)で実証済み。爆薬は積んでいないが、オカルティアに爆発は効果がないので問題ない。そしてこれで攻撃が届くかどうかは、見れば分かる。

 アルファ・オカルティア目掛けて飛翔する十本のミサイル。白煙を残しながら瞬く間に空を駆け抜け――――

 アルファ・オカルティアにした。

 そう、着弾。ミサイルがオカルティアに触れた瞬間、粉々に砕け散ったのだ。今までそこに何もいないかのように、全てのミサイルがオカルティアの身体をすり抜けていたというのに!


【■■■■■■■■■■】


 アルファ・オカルティアにとってもこれは予想外だったのか。着弾した身体は大きく波打ち、そして傾く。六本の触手を忙しなく動かしており、慌ただしく体勢を立て直す。

 身体に傷は見られず、ダメージは大きくないだろう。だが何かしらの干渉は与えたに違いない。

 それは、人類にとって快挙。

 今まで触れる事すら許されなかった相手に、ようやく一発食らわせたのだ。


「油断して手を休めるな! 次の攻撃を始めろ!」


「了解!」


 ジョージが活を入れ、通信士を介して米軍全体に司令が伝わる。間髪入れず、ロンギヌスが次々と射出された。

 ロンギヌスの量産過程はペテンに満ちている。「より強い信仰を集めたい」という名目で、一日に三度、それぞれ違う偽ロンギヌスに祈りを捧げさせた。つまり一日三本のロンギヌスを生産したのである。この事実を知るのは、ジョージ達高位の軍人と研究者だけだ。末端の兵士には何も知らされていない。

 この一年間で作られたロンギヌスは一千本以上。演習では一日当たり一本程度の使用量に抑えたため、まだ六百本以上残っている。今まで後方で山積みにされていたそれを、今ここで一気に放出する!

 空を何十ものミサイルが飛び、アルファ・オカルティアに命中。爆薬がないため、推進部分の爆発を除けば部品が飛び散るだけの『地味』な光景だ。しかし今まで加えたどんな攻撃よりも、アルファ・オカルティアを痛め付けている。

 そして人類の攻撃手段は、これだけではない。


「! アラブ首長国連邦軍を中心に、イスラム教系列の軍も攻撃を開始! サラー砲、使用します!」


 通信士が新たな武器の使用を報告する。

 イスラム教系の国々も、アメリカキリスト教国とは異なる兵器を開発した。

 その中の一つがサラー砲と呼ばれる迫撃砲だ。『礼拝』を意味するこの砲の弾には、アルファ・オカルティアに破壊された礼拝堂モスクの建材が使用されており、これを大砲の要領で発射している。

 科学的に見れば、ただの瓦礫だ。砲弾というより投石器という方が正しいかも知れない。しかしイスラム教は現在でも多くの信者が、真剣に祈りを捧げている宗教である。真面目な信者が減少しつつあるヨーロッパ諸国とは違い、国民の大多数が真剣な祈りを行えるのだ。つまり心霊兵器の量産体制が整っている。

 一年で六百発のミサイルしか作れなかったアメリカと違い、彼等は一年で数十万発の砲弾を製造した。しかも生産数の少なさから一日一発しか使えない米国と異なり、イスラム系の軍は毎日何百発もこれを撃っている。

 兵士の練度はどの国よりも高い。雨のように、何百もの砲弾がアルファ・オカルティアに降り注ぐ!


【■■■■■ ■■■■■■■■】


 無数の砲弾を胴体(と思しき部分)に受け、アルファ・オカルティアはお辞儀をするように身体が揺れる。触手を振り回し、砲弾を防ごうとするのは余程嫌だからか。しかし砲弾はいくらでもある。止まる事はない。

 そしてアルファ・オカルティアが砲弾の対処に夢中になっている間、背後から一発のミサイルが飛んでくる。

 一見してただのミサイルだ。実際、それはただの……性能が良いだけのミサイル。

 だが、これさえもアルファ・オカルティアに命中。巨大な爆発を起こす! 本来ならばすり抜ける筈の、ただのミサイルが、だ。


【■■■■■■■■■■■■■】


 背後からの不意打ちに、アルファ・オカルティアが叫び、仰け反る。効果は覿面。そしめ体勢が崩れた事で、触手で防いでいたサラー砲を全身で浴びた。

 一発のミサイルのお陰で、少なくないダメージを与えられた事だろう。


「(ほう。まさか本当に効くとは……やはり信仰対象は、神である必要はないか)」


 今し方アルファ・オカルティアに撃ち込まれたミサイルは、日本の自衛隊により開発された。

 正式名称は、『科学信仰ミサイル』。

 その名の通り、科学に対する信仰心を注ぎ込んで作られた。日本人は世界でも稀な、無神論が非常に多い国だ。オカルティアの存在自体否定する、科学的を通り越して非科学的な、科学万能論者も少なくない。

 その科学万能論者達を集め、オカルティアのインチキを暴く……という名目でミサイルを作らせた。

 作り手達は知らない。自分達の科学信仰という非科学的なものが、アルファ・オカルティアを痛め付けたなど。しかし当人達の認識などどうでも良いらしい。

 何かに対する祈りが、オカルティアに届く。それが『科学』の導き出した結論であり、正しい事が日本により証明された。


【■■■ ■■■■■■ ■■■】


 アルファ・オカルティアに次々とミサイルが降り注ぐ。オカルティア被害により日本はかつての生産性を失っているが、それでも今此処には二百本の科学信仰ミサイルがある。その全てを此処で使い切る勢いで、次々とミサイルは飛んできた。

 心霊兵器はこの三種だけではない。少数民族の呪物である人形を詰め込んだミサイルを積んだ戦闘機、仏典を押し込んだ巡航ミサイルも飛んでいる。

 世界各地、ありとあらゆる宗教が、オカルティア打倒のため振るわれる。宗教の違いで絶え間なく争っていた世界が今、一つになりつつある。

 人類存亡の危機を前に、ようやく人類は統一された敵に立ち向かっている。


「行け……このまま押し切れ……!」


 ジョージは想いが口から溢れ出す。

 ここでアルファ・オカルティアを倒せば、オカルティア被害は少しは収まる。通常オカルティアを倒せるという確信も得られる。つまり全ての悪い流れが、この戦いにより変わる筈だ。

 安心するには早い。だが人類が力を合わせれば、乗り越えられない壁などない。ジョージはそう信じており、

 アルファ・オカルティアはそれを嘲笑う。


【■■■■■■■■■■】


 無数の攻撃を受け続けていたアルファ・オカルティアが、六本の触手を大きく広げた。

 瞬間、オカルティアの周りに

 現れた膜はシャボン玉のように、僅かだが揺らいでいた。しかし見た目に反し極めて頑強らしい――――膜に触れたミサイルや砲弾は、アルファ・オカルティアに届く前に爆散しているのだから。


「なっ……!? あれは一体……」


「現在解析を試みています。ですが、過去に確認されていない事象です」


 通信士からの報告に、ジョージは顔を顰める。今まで確認されていないのは当然だろう。アルファ・オカルティアにここまで攻撃を与えた例は、今までない筈なのだから。

 それに、解析を待つ必要もない。


「(攻撃を受け続けて、展開したものだぞ。どうせバリアの類に決まっている!)」


 人間達の攻撃を防ぐため、アルファ・オカルティアはバリアを展開したのだ。少なくともそういった働きがある事は、ミサイルが防がれた事実からして明白である。

 これでは人類側の攻撃は届かず、アルファ・オカルティアの駆除は叶わない。とはいえ外界との接触を遮断する膜となれば、あちらも好きには攻撃出来ない……

 そんな常識がジョージの脳裏を過る。そして彼は鼻で笑った。

 オカルティアに常識的な考えが通じた事など、今までにあっただろうか?


【■■■■■■■■■■■■】


 否である。さながらそう宣告するように、アルファ・オカルティアは触手を人間達の方へと伸ばす。

 直後、平野がクレーターに変わった。

 一瞬の出来事だった。アルファ・オカルティアを中心にした、半径十五キロが圧壊したのである。

 クレーターに見えるのは、半径十五キロの大地が突如強まった重力により潰れたため。草も虫も人間も、全てが事態を理解する前に潰れた。最早地面の染みすら残らない。あまりの重圧に、全ての物質が混ざりつつある。

 そしてその力は、半径十五キロに留まらない。ジョージ達がいる、アルファ・オカルティアから二十キロ離れた位置にまで及んでいた。


「ぐ、が……!?」


 ジョージは両手を地面に付き、這うような体勢になる。両手で支えねば、地面に倒れ伏してしまうほど身体が重いのだ。

 どうにか頭を動かし、辺りを見回せば……通信士など、他の兵士も軒並み倒れている。誰もが体勢を立て直すので手いっぱいで、各部隊の連携という本来の任務は果たせそうにない。

 ジョージも指揮官としての働きをするのは、このままでは無理だ。状況の把握どころか、声すらまともに出せない有り様なのだから。


「(まさか、ここまでの力を……!)」


 アルファ・オカルティアを見くびっていたつもりはない。全人類の叡智を結集し、死力を尽くさねば倒せない相手だとジョージは思っていた。

 だが、二十キロも離れた位置にここまで強力な重力を届かせるというのは、流石に想定していない。

 あまりにも無尽蔵の力。強さに差があり過ぎる。これではまるでゾウに喧嘩を売ったアリだ。人間が展開した最強の陣形さえも、オカルティアにとっては腕一本で粉砕出来る程度のものに過ぎないというのか――――

 次々と脳裏を過る弱気な、それでいて否定出来ない事実。端から勝ち目のない戦いだったのではないかと、勝てると考えた自分達があまりに愚かなのではないかと、ジョージは思い始める。

 されど彼は、極めて人間主義的な思想の持ち主。力を合わせた人類に超えられない困難などないと、人間の強さを信じている。

 信じていたから気付く。

 自分達とアルファ・オカルティアの力に、今の状況ほどの『差』はないと。


「(そうだ……本当に、アリと象ほどの力の差があるなら、奴は守りを固める必要なんてない!)」


 アルファ・オカルティアはバリアを展開した。つまりバリアがなければ自分の身が危ないと、少しは思った筈だ。

 見方を変えれば人類の攻撃は、直撃さえすればアルファ・オカルティアを打倒し得る。それを叶えるのに後どれだけいるかは兎も角、アルファ・オカルティア自身の行動がこれを証明していた。

 そしてバリアが展開された今でも、まだ人類の勝ち目は消えていない。


「(あのバリアは今まで展開されていなかった! もしもなんの消費もない、呼吸程度の労力で出来るなら最初から張っていた筈だ!)」


 恐らくあのバリアは、身の危険を感じたがための対応策。

 よって普段は使いたくない、奥の手と考えるのが自然だ。エネルギー消費が激しいのか、耐久性に限度があるのか、はたまた別の理由があるのか……

 詳細は分からない。分かる必要もない。確実に言えるのは、あのバリアを破ればアルファ・オカルティアには後がない事。そしてそれは、決して不可能ではない事だ。


「ぐ、ぅ、くぅうぅ……!」


 骨が軋み、内臓が圧迫される。その苦しみに悶えながらも、ジョージは通信機の傍に這っていく。

 重力は今も強くなっている。アルファ・オカルティアはそれほど力を振り絞っている。この力が奴にとってどの程度全力かは知りようもないが、この場にいる人類を徹底的に叩き潰すという意思は感じられた。

 ならば、やるべき行動は一つ。


「ぜ、全隊に、通達……!」


 どうにか身体を起こし、倒れている通信士の横で通信機を掴む。呼び掛けるは、この戦場にいる全兵士全人類

 展開していた前線兵士の大半は、アルファ・オカルティアから半径数キロ圏内にいた。機械に映らない以上電子的な誘導が行えず、目視誘導が必要なため致し方ない配置なのだが……結果として、この重力攻撃で前線部隊は文字通り全滅しただろう。

 補給部隊などの後方支援も、精々十数キロの範囲にいた。生き残っているのはこの外側に展開していた部隊のみ。全体の一割いるかどうかだろう。

 普通の作戦ならば壊滅と判断し、撤退すべき状態だ。だがここで逃げてどうなる? 全世界の軍隊から、少なくない数の兵力を集めての決戦である。もう二度と、この兵力は集められない。撤退した場合アルファ・オカルティアは体勢を立て直し、また同じだけの攻撃をしなければ今の状態まで持ち込めない。

 今、ここで奴を倒さねばならない。


「アルファ・オカルティアは、限界の筈だ! あのバリアは苦し紛れの一手に過ぎない!」


 掛ける言葉は強気で、自らの勝利を疑わないもの。そうでなければ兵士は信用しない。戦おうとは思わない。

 今は戦わなければならない。どれほど微かな可能性だとしても、ここで負ければ、本当に人類は終わる。


「し、司令部は壊滅したが……戦闘は、続行だ! 最後まで、戦え!」


 最早狂気じみた、されど現状を打破する唯一の作戦。

 それを伝えた瞬間、ついに通信機が耐えきれないと言わんばかりに潰れる。

 そしてジョージ含めた作戦司令部の軍人達も残さず潰れた。もう、誰も戦場を指揮する事は出来ない。

 だがジョージの言葉は戦場中に伝わり、受け入れられた。

 ややあって空を飛んでいく無数のミサイルが、彼の意思を引き継いだ事を物語っていた。

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