反撃
岩倉姫乃は、その手に持つ矢をまじまじと眺めていた。
非常に美しい矢だ。
箆(矢の大部分を占める棒部分の呼び名)はクヌギの幹から削り取り、作られたもの。それもただのクヌギではなく、『神域』で大切に育てられたものを使っている。
羽根はこの矢を作るために育てられた、ニワトリから得た一品。何十羽と飼育した中で最も美しい雄鶏から得るが、決して鶏を傷付けてはならない。大切に、丁寧に、神に感謝して羽根を頂く。その後ニワトリは捌かれ、貢物として山に献上する。
そして一番重要なのが鏃。
『神域』にある小さな洞穴。その最奥にある大きな石を削り、加工し、作り出す。科学的には玄武岩の一種らしく、さして珍しくもない石らしいが……重要なのは神域の石である事。神聖な石を使っているが故に、神事としては価値がある。
そういった工程を経て作られた矢だ。武器として見れば、ハッキリ言って役に立たない。もっと攻撃的な素材は他にあり、そういったもので作った方が実戦的である。恐らくこの矢一本で戦うなら、包丁などの方が余程扱いやすくて威力もあるだろう。というより銃やらロケットランチャーやらがある現代において、弓矢で戦うなど論外だ。今時ただの猟師でも銃を使う。
だが、神具としては最適だ。
科学よりもオカルト寄りであろうオカルティアと戦うなら、核ミサイルよりもこちらの方が頼もしいだろう。
「素晴らしい逸品です。ありがとうございます」
プレハブ小屋の一室にて。簡素で近代的な部屋に似合わない巫女服を着込んだ姫乃は、パイプ椅子から立ち上がるや深々とお辞儀をする。
彼女の前にいたスーツ姿の男……日本国政府から派遣された官僚は、表情一つ変えず、淡々と答えた。
「礼には及びません。むしろこちらからの提案を受けてくださり、我々の方こそ感謝しています」
「……神域に現れた化生に打つ手がなく、野放しになっていた時に貴方がたからの提案がありました。貴方達がいなければ、今も手をこまねいていたでしょう。ですから、こちらとしても感謝をしたいのです」
姫乃は気持ちを伝えつつ、三ヶ月ほど前の事まで記憶を遡る。
三ヶ月前。岩倉神社が管理する山……神域に、日本を訪れていたアルファ・オカルティアが現れた。
アルファ・オカルティアは神域である山(正確にはそこに建つ神社)の一部を重力操作により粉砕。比喩でなく神社は粉々に砕け、中にいた岩倉神社神主とその妻は圧死した。神社の巫女兼跡取り娘である姫乃は、高校に通っていたため生き延びた。
神社を破壊した後、アルファ・オカルティアは山の麓に向けて進行。そこで大勢の人間を襲いつつ、大量のオカルティア幼体を放った。麓にあったのはそこそこ発展した住宅地。オカルティア幼体、更にアルファ・オカルティアからの襲撃を受け、住宅地にいた市民五万人が昏睡状態に陥った。姫乃の友人達も、少なくない数が犠牲になった。
その後アルファ・オカルティアとオカルティア幼体は、市街地を後にしたが……群れから逸れたのか。オカルティア幼体の一体が、神社跡地の神域に居座ってしまう。
両親と友人をいっぺんに失い、更には幼少から慣れ親しんだ神社の山さえも奪われる。悲しみに暮れるのを通り越し、怒りが姫乃を突き動かす。
とはいえ相手は、世界中の誰一人としてまともに戦えていない相手。敵討ちも何も出来ず、鬱屈とした日々を過ごしていた。
そんなある日の事、国からオカルティア対策の協力を要請された。
「こちらとしても、受けてくれて助かりました。なにせ……」
「ミサイルさえ効かない相手に、伝統の弓矢で戦えって言われても誰も受け入れない、でしょうか?」
「……ええ」
国が提案したオカルティア対策は、強い信仰心による神事を経た武器で挑むというもの。
常識的に考えれば、最早気狂いにしか思えない作戦だ。オカルティアによる混乱がなければ、今頃マスコミがこの作戦をバッシングしていただろう。神事で作った武器で戦うなんて、あまりにも『非科学的』過ぎる。
しかし効果は立証されているらしい。
姫乃はあまり詳しくは分からないが、なんでも海外では強い信仰を集めた道具で『攻撃』出来た例が幾つかあるという。小型未確認生物やオカルティア幼体が宗教施設に近寄れないのも、信仰が集まった結果ではないかと言われている。
その信仰を集めたもので武器を作れば、オカルティアにダメージを与えられるのではないか。
……理屈は分かる。だがそれを差し引いても、些か非科学的だろう。姫乃のように、復讐心と信仰を兼ね備えた者でなければまず受けまい。
「ところで、私が信仰するのは神道なのですが、問題はないのでしょうか。海外で例があるというなら、キリスト教などがいいのでは?」
「キリスト教で例が多いのは確かですが、イスラム教や仏教、少数民族の独自信仰でも事例があります。重要なのは信仰の有無であり、宗派は問わないと専門家から言われています」
理屈の上では、神道でも問題はないらしい。
用意する道具は全く非科学的なオカルトなのに、それに頼る理由は科学的統計。なんだかチグハグに思えて、姫乃は少し口許が弛む。
しかし『科学的根拠』があるなら、安心だ。
どれだけ神を信仰していようとも、神社の娘だろうと、現代文明で生きる以上姫乃も科学からは離れられない。彼女が使うスマホも、病院でもらう薬も、料理をするキッチンも、全て科学の産物である。
オカルト武器の有効性が科学的に証明されているなら、尚更信じられるというもの。
「作戦には護衛の自衛隊員が三名付きます。ただしオカルティアに銃弾は通用しません。あくまで退却時、その援護を行う程度です」
「心得ています。それに、仮に私が負けたとして……それはそれで、今後に活かすのでしょう? ならば問題ありません」
元より、命が大事ならこんな無謀な作戦には挑んでいない。
岩倉神社最後の生き残りとして、神道に遣える巫女として、命を惜しむつもりはない。
「……協力、感謝します」
官僚の深々としたお辞儀。顔が微かに歪んでいるのは、自身の娘ぐらいの子が命を賭す事への嫌悪か。
ならばその顔を笑顔にしようと姫乃は改めて決意にする。
一人では成し得なかったであろう敵討ちのチャンスをもらったからには、その恩義に報いたいとも姫乃は考えているのだから。
……………
………
…
翌日、ついに作戦は決行された。
作戦の概要は至極単純。山の何処かに潜むオカルティア幼体に、三ヶ月近い準備期間を経て用意した特製の矢を撃ち込む。それで殺せれば良し、殺せなくともダメージを与えられれば成果ありとして撤退、効かなければ情報持ち帰りのため全力で退却だ。
そして矢を撃つのは、巫女である姫乃。単純な弓矢の腕ならもっと上手い者もいるだろう。だが矢は清らかな巫女が放つからより効果を増す。そういう信仰がある故に、姫乃がやらねばならない。
かくして姫乃は三人の自衛隊員(全員女性だ)と共に、神社跡地の裏にある山を登っていた。険しい山ではないが、神域……神のいる場所として管理されており、あまり人の手は入っていない。銃を持つ自衛隊員は勿論、大きな和弓を持ち、矢筒を背負う姫乃にも辛い道のりだ。
この山を覆う森は、第二次大戦時と高度経済成長期に伐採され、その後ブナやクヌギが植樹されたもののため天然林ではない。だが以降五十年近く、神事のために行う年一本程度の伐採を除いてほぼ手付かずのこの森は、徐々に天然林の様相に近付いている。植物は自由に生い茂り、神事以外だと神職の出入りも少ないので獣道以外の道はない。
科学者曰く、山には絶滅危惧種の虫やら鳥やらも多いらしい。鳥は兎も角、虫はあまりいない方が良いなぁ、と年頃の女子である姫乃はちょっと思うが。
なんにせよこの神聖で貴重な森に、あんな化け物は似合わない。
「……………」
自衛隊員三人は、姫乃の歩みに合わせつつ周囲を警戒する。
森に住み着いたのは幼体とはいえ、オカルティアには違いない。樹木だろうが岩だろうが、なんだってすり抜けてしまう。もしも今この瞬間、姫乃が横切ろうとした木の裏にオカルティアが隠れていたら……
もしもを考えると、姫乃は身震いしてしまう。
だが歩みは止めない。逃げ帰るつもりもない。必ず奴等に一矢報いて、両親や友達の仇を――――
「止まって」
考えながら歩いていたところ、自衛隊員の一人に肩を掴まれる。
文句は言わない。彼女達がわざわざそうした理由はすぐに思い当たった。
自衛隊員達は指で「あそこの木に身を隠して」と指示。姫乃はこれに従い、木に隠れる。そして傍にいる自衛隊員が指し示した方を見遣る。
そこに、ふわふわと浮かぶモノがいた。
オカルティアだ。体長は触手含めて一メートルあるかないか。三ヶ月前から山に居着いた幼体で間違いない……と姫乃は思う。もしかすると最近やってきた別個体かも知れないが、見分けが付かない以上それを考え出すと切りがない。そして考える意味もない。
相手がオカルティア幼体である以上、攻撃対象には違いないのだから。
【■■■■■■■■■■】
能天気に飛び回るオカルティア幼体。隙だらけの姿はこちらが嘲笑われているようにも見えるが、これから攻撃しようという姫乃達にとっては好都合である。
姫乃は物音を立てないよう、ゆっくりと握り締めていた弓を構えた。矢筒から矢を一本取り出す。
用意した矢は、たったの三本。元々大量生産するようなものではなく、また一本用意するのに(儀式や素材の選択があるため)多くの時間が必要で、十分な数が賄えなかった。
前向きに考えれば、三回までなら失敗出来ると言えるかも知れない。だが一発で倒せるとは限らない。それに弓の練習は幼い頃からしてきたが、それでも百発百中という訳にはいかない。三発全部外れる事もあり得るだろう。
不安は、いくらでも浮かぶ。
だが、考えたところでやるべき事は変わらない。
「(今は、私の神を信じるだけ)」
呼吸を整える。背筋を伸ばし、弓を真っ直ぐに構え、矢を弦に当てた。
和弓は世界的に見ても非常に大きな弓だ。長さは二メートルにも達する。上手く扱うにはかなりの訓練が必要だが……使いこなせば威力は凄まじい。
儀式用の、攻撃的ではない矢とはいえ、和弓で放てば十分な殺傷力を持つ。ただしその威力も、当たればの話である。
【■■■■】
唐突にぐるりとこちらを振り向いたオカルティアに、果たして当てられるだろうか?
「気付かれた!」
姫乃が反応するよりも前に、自衛隊員の一人が言葉に出す。
直後、二人の自衛隊員が前に出た。
彼女達は銃を構えている。だがそれで戦おうという訳ではない。オカルティアの気を引き、姫乃から注意を逸らそうとしているのだ。
効果は覿面、というより幼いオカルティアには人間達の思惑など分からないのか。自衛隊員の動きにあっさり釣られ、オカルティアは彼女達の方を見た。
慌てて撃ってはならない。外せば、自衛隊員達の努力も無駄になってしまう。
自衛隊員に躙り寄ろうとするオカルティアを慎重に、ギリギリまで狙いを絞っていき……
「(此処っ!)」
自衛隊員を襲うためにオカルティアが動きを止めた、瞬間、姫乃はついに矢を放つ!
巨大な弓が生み出す力は、矢を一瞬にして目にも留まらぬ速さへと変えた。撃ち手である姫乃にも、矢の軌跡は見えない。
果たしてオカルティア幼体は、この矢が見えていたのか。
なんにせよ逃げも隠れもしなかったそいつは、矢を避けない。そして集中して放った姫乃の矢は、正確にオカルティアを捉えていた。
矢はオカルティア幼体に『命中』。
その切っ先は、半透明な身体に突き刺さって止まった。
【■■■■■■■■■■■■■】
オカルティア幼体が叫ぶ。鼓膜が破れそうな、だが肉体的には何も感じない、奇妙な悲鳴を上げた。
矢は、オカルティアに刺さっていた。
矢の重さにより落ちているのか、オカルティアは地面に転がっている。六本の触手を激しく振り回し、痛みに苦しんでいるようだ。
姫乃は慎重に、オカルティアに歩み寄る。ある程度距離を詰めたところで、また弓を力強く引き……もう一度矢を撃ち込む。
一射目よりもずっと近い位置からの射撃だ。威力も格段に上であり、先程よりも更に深々と矢はオカルティア幼体に突き刺さる。これでもオカルティア幼体は暴れていたが、残る一本の矢も撃ち込むと、その動きが鈍り始めた。
これでもしばらくは暴れていたが……数十秒ほど待つと、触手がいよいよ動かなくなる。鳴き声も聞こえなくなった。
「……死んだ、のでしょうか」
「近付かないで! 我々が確認します」
姫乃を牽制し、自衛隊員達がオカルティアの下に向かう。
一人がオカルティア幼体に刺さった矢を持ち、矢に刺さっているオカルティア幼体を持ち上げた。オカルティアはまだ生きているのか、微かに触手を動かしたが……自衛隊員達には届かない。
もう、抵抗する体力もないのか。
そのまま放置すれば死ぬのか。
つまり。
「勝った?」
ぽつりと姫乃の口から、思った事が言葉として漏れ出す。
直後、姫乃はぺたりと地面にへたり込んだ。
腰が抜けたのだ。生まれて初めての経験に、姫乃は驚きと困惑で呆けてしまう。
同時に、ニヤけてくる。
「へ、へへ……勝った……勝ったのね……!」
勝利を確信し、姫乃は笑う。自衛隊員達も、微かに笑みを浮かべていた。
実験成功。オカルティア幼体に、宗教儀式により作った矢は効果的だと証明された。
とはいえ今回倒したのは、あくまでもオカルティア幼体。
世界初、かも知れない偉業だとは思うが……しかしアルファ・オカルティアは幼体とは比較にならない大きさだ。儀式用の矢が効果的と分かったところで、そのまま応用なんて出来ないだろう。そして奴が野放しでは、人類の未来は変わらない。
果たしてこの結果は、何かの役に立つのか。
……姫乃は考えるのを止めた。ただの女子高生、それも神道に傾倒し過ぎて実は学校の成績があまり良くない彼女には分からない。
こういう事を考えるのは、科学者の役割だ。
自分に出来るのは、今後も矢を作るための儀式を続ける事。
そしてより強い矢を作るために、自身の信仰を高めておく事ぐらいだろう――――
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