天にも届く

「う、ううぅ……」


 エミリア・フォックスは怯えていた。家の地下室に閉じこもり、ガタガタと震えている。

 電気の付いていない、真っ暗な地下室が怖いのではない。

 怖いのは外だ。ほんの数分前まで、外では悲鳴が聞こえていた。物が壊れる音も聞こえていた。だが今では何も聞こえないのが恐ろしい。

 齢十五の小娘であるエミリアでも、外で大変な事が起きたのは想像出来た。そして今では何もかもが終わった事も。


「パパ、ママ……」


 小声で、自分をこの場所に押し込んだ両親を呼ぶ。

 しかし返事は何時まで待っても返ってこない。


「なんで、こんな……」


 弱音を吐きつつ、過去を思い返す。

 ――――巨大オカルティア。

 或いはオカルティアのリーダーという意味を込めて、アルファ・オカルティアとも呼ばれている個体は、世界中を蹂躙していた。出現から僅か一ヶ月しか経っていないが、その犠牲者は何百万人、或いは一千万人以上にもなるという。詳細は、誰にも把握出来ていない。

 ただのオカルティアと違い、アルファ・オカルティアは重力を自在に操る。どんな建物も物理的に破壊する力により、小型未確認生物相手なら安全圏と思われていた宗教施設も破壊された。更にアルファ・オカルティアは小さなオカルティア……オカルティア幼体を無数に産出。今や数十万体と予想されるオカルティア幼体を、世界中にばら撒いている。オカルティア幼体は巨大な群れで都市部を襲い、数多の人間を昏睡状態に陥らせているらしい。

 アルファ・オカルティアの出現地点であるオーストラリアは壊滅。国際社会が全面支援している一部研究機関を除き、まともに動いている公共機関はないと言われるほど破壊的被害を受けた。そしてアルファ・オカルティアはその後世界中を飛び回り、北京や東京など、大都市を蹂躙している。

 エミリアの暮らすアメリカ合衆国テネシー州に位置するこの町は、それら大都市とは比べるまでもない大田舎だ。ビルなんて何処にもない。ボロい家が疎らに並び、畑や牧場が一面に広がる土地である。勿論人口も少ない。

 この田舎町がアルファ・オカルティアに襲われた。

 恐らく、この先にある大都市への『通り道』にあったからだろう。それでもしっかり蹂躙していくあたり、悪魔のような、という言葉さえ足りぬほどの暴君であるが。

 エミリアは両親に押し込まれる形で、この地下室に避難させられた。その両親は家財などを運び込むといって一階に出ていて……それから戻ってこない。悲鳴も聞こえていた。何が起きたか、想像は容易い。


「私達、悪い事なんて、何もしてないのに……」


 どうしてこんな目に遭わねばならないのか。鬱屈とした気持ちが湧き、それを抑え込むようにエミリアは首から掛けている十字架を握り締める。

 しばし俯くエミリア。

 やがて彼女は顔を上げた。頬をぱちんっと叩き、前を向く。

 何時までもこんな場所に閉じ籠もっていても仕方ない。だが、なんの行動も起こさないのは論外だろう。助けが来るまで待つのも一つの手だが、アルファ・オカルティアが通過した後はオカルティア幼体が滞在している場合もある。この場合、救急隊は何時までも来ない。対抗策がないのに突入しても、意識不明者が増えるだけだ。

 自分で安全圏まで逃げるしかない。


「……よし」


 覚悟を込めたエミリアは立ち上がる。

 壁に手を当て、手探りで出口の扉を探す。真っ暗とはいえ自宅の地下室だ。構造ぐらい、ある程度は把握している。

 大きな問題もなく扉の前まで辿り着いたエミリアは、ドアノブを掴み、そこで一回深呼吸。

 意を決して、扉を開けて外に出る。

 尤も、外にあるのは行き止まりと梯子だ。本来この地下室は竜巻から避難するためのもの。普段から使うものではなく、出入りの利便性はそこまで考えていない。

 梯子をせっせと登り、一階との境目である天井の扉を開ける。そこから顔を出し、家の中を見回す。

 そこは家のキッチン部分。

 荒らされた形跡はない。壊れたものも、恐らくない。一見してなんの異変もない光景に、エミリアは僅かに安堵する。

 ――――安心していられたのは、キッチンの外に出るまでだったが。


「ひっ……」


 僅かに上がる悲鳴。身体から血の気が一気に引いていく。

 リビングに行けば、そこには二人の大人……両親が倒れていた。

 身体は、恐らく息継ぎによるもので、僅かに動いている。だから生きてはいるのだろう。しかし俯せのまま起き上がろうともしないのは、あまりにも奇妙だ。

 エミリアは、理解はしている。

 二人ともオカルティア幼体に襲われたのだろう。テレビで見た通りの症状であれば、きっと、二人とも意識不明の状態だと思われる。

 すぐにでも医者の下に連れていきたいが、人命救助の訓練など受けた事もないエミリアには、大人一人運ぶのも難しい。運んだとしても、引きずりながらどれだけ歩かねばならないか。このド田舎にあるのは、手術台もないような町医者だけなのに。

 救急隊を呼ぶのが最善の行動だ。テレビのニュースでも、下手な救援活動より専門家に任せた方が良いと言っていた事を思い出す。


「っ……」


 せめて風邪を引かないように。そう思いバスタブからタオルを持ち出し、倒れる両親に掛けておく。

 自分に出来る対処をしたら、いよいよ助けを呼ぶ。

 まず家の電話を使う。が、音信不通を示す音が聞こえるだけ。次に自分のスマホから警察や救急に連絡しようとしたが、こちらもろくに繋がらない。

 不自然、ではない。

 アルファ・オカルティアにより蹂躙された後は、多くの被害者が出る。警察や救急などはそちらの対処に忙殺され、エミリアの電話を取る余裕などないのだろう。


「……直接、警察とかに行くしかない」


 最初から、ある程度は予想していた事態。どうにか気持ちを落ち着かせ、次にすべき行動を起こす。

 ただし真っ直ぐ外には向かわず、まずは自室へと向かう。

 自室に着くや、エミリアは部屋の本棚と向き合う。迷わず伸ばした手は、一冊の分厚い本を掴んだ。

 聖書だ。


「よし。これがないとね!」


 聖書を抱きかかえると、エミリアは更に気力を充実させる。

 エミリアの家族は、キリスト教福音派……とする宗派に属していた。エミリア自身も聖書は正しい事が書いてあると信じ、進化や地質学など学校の勉強はあまり信じていない。

 彼女にとって聖書は力を持つ。例えそれが最新の印刷技術で量産されたものだとしても、だ。いわば最強のお守りである。


「さぁ、行くわよ!」


 聖書と十字架を頼りに、いよいよエミリアは玄関へと向かう。絶対に自分が助かるとは思っていない。だがきっと天におわす主が見守ってくれると信じ、ドアノブを力強く回して家の外に出た。

 ――――主に対する信頼とそれに伴う安堵は、一瞬で吹き飛んだ。

 家の外には、巨大な『爪痕』があった。

 長さは、ざっと五百メートルはあるだろうか。数時間前まで家の前にあった筈の、牧場がごっそりと抉り取られていた。

 爪痕の本数は三本。等間隔に並んでいて、深さは十メートル近くあるだろうか。よく見れば木材やら瓦礫やらが底に溜まっている。科学者でも技術者でもないエミリアには、残骸の状態などよく分からないが……まるで圧搾されたかのように潰れている。

 この破壊は、恐らくアルファ・オカルティアが刻んだものだろう。瓦礫が潰れているのは、重力操作の影響か。

 この爪痕により、畑も家も全部潰されていた。精々、運良く生き延びたと思われる牛が数頭いるだけ。牛達も何が起きたか分からないようで、興奮しながら歩き回っていた。


「め、滅茶苦茶過ぎ……」


 まともに受けたら、人間など跡形も残らないだろう。そう思わせる破壊力に、足が竦んでしまう。

 だが狼狽えながら見渡し、偶々目に入ったあるものによって我を取り戻す。

 それは町の教会だ。厳密には、教会があった場所と言うべきだろうが。家から遠く離れた、しかし家が疎らで畑や牧場しかない土地故によく見えた教会は今や柱一つ残っていない。

 代わりとばかりに、クレーターが残されていた。

 爪痕なんて生易しいものではない。執拗に、何度も叩き潰したかのような穴が幾つも出来ている。それでも足りないと言わんばかりに薙ぎ払ったのか、周囲にはしっかり爪痕まであるではないか。

 エミリアは親に言われ、オカルティア達がやってきた時は地下室に隠れていた。だからアルファ・オカルティアが何をしたかなんて、想像するしかない。

 だがこの景色を見るに……余程の敵意を以て、教会を破壊したのだろう。


「なんて酷い……!」


 信仰を大切にする福音派のエミリアにとって、この光景は恐怖よりも怒りを生む。

 お陰で頭はスッキリした。どれだけ怒っても、アルファ・オカルティアは倒せないのも分かっている。

 何より今は父と母を助けねばならない。

 警察に連絡を取るため、エミリアは町の警察署の方へ歩き出そうとした


【■■■■■■】


 直後、身の毛のよだつ声がした。

 聞いた事のない声だった。しかしエミリアは知っている。『奴等』の声は、テレビでは拾えない。だからきっと、初めて聞いたこの声は……


「……………」


 刺激しないように、驚かせないように。ゆっくりと振り返る。

 尤も、今にも触れそうな位置にいるオカルティアを前にした瞬間、飛び跳ねるほど驚いたが。


「ひ、ひぃいっ!?」


 尻餅を撞いてしまうエミリア。臀部から伝わる痛みは、しかし目の前の存在に意識が向いている今は感じている余裕がない。

 エミリアのすぐ近くにオカルティアがいた。

 大きさは、触手を含めても一メートルあるかどうか。全体的に丸っこいフォルムをしていて、あどけなさを感じさせる。

 オカルティアの幼体だ。群れから逸れたのか、はたまた独り立ちしたのか。いずれにせよまだこの町に残っていた個体がいたらしい。


「こ、来ないで!」


 エミリアは反射的に近くにあった石を掴み、投げ付ける。

 しかし石はあっさりオカルティア幼体の身体をすり抜けていく。それは周知の事実だったが、いざ見せ付けられるとエミリアに強い動揺を呼び起こす。

 エミリアにとって幸いだったのは、オカルティア幼体はすぐには襲い掛かってこなかっな事だ。

 うろうろと、観察するようにエミリアの周りを飛び回るばかり。赤ん坊が見慣れぬものに興味を持つように、この若いオカルティアも人間が気になるのか。

 とはいえその好奇心が、何時エミリアを傷付けるか分からない。


「(に、逃げないと……!)」


 逃げようとするエミリアだったが、上手く立ち上がれない。

 どうやら、腰が抜けてしまったらしい。

 こんな時に!? そう思えども腰にはやはり力が入らず。

 逃げられない。

 追い詰められたエミリアは、顔を青くする。そしてオカルティアは興味を剥き出しにするかのように、六本の触手をうねらせながら伸ばす。動けないエミリアはその首に掛けてある十字架のアクセサリーをぎゅっと握り締め――――


「あ、悪魔よ、去れぇ!」


 ぶちっと引き千切るや、十字架と共に右ストレートを繰り出した。

 ヤケクソのパンチだ。尤も、エミリアは不良でもなければ運動神経バツグンでもない。むしろ聖母マリア様のようなお淑やかさを目指した結果、かなり非力である。

 そもそもオカルティアに物理攻撃は通じない。それぐらいの事はエミリアも知っている。

 強いて言うなら握り締めた十字架の、イエスの加護を信じて振るったが……冷静に考えれば「これすっごい罰当たりじゃない?」と思っただろう。

 そんな事も考えられないぐらい、必死に繰り出した拳は

 


【■■■■■■■】


 続いて聞こえてきたのは、悲鳴に近い叫び。


「へぅ?」


 目を瞑ったまま殴っていたエミリアには、何が起きたかも分からない。間の抜けた声を漏らし、恐怖で強張っていた瞼が微かに動く。

 すると、そこにはもうオカルティアの姿はなかった。

 いや、厳密にはある。あるが……大慌てと言わんばかりの勢いで、エミリアから逃げ出していた。変な鳴き声を上げ続け、かなり必死である。

 何があったのだろうか。難しい事はさっぱり分からない。

 一つ確実に言える事があるとすれば。


「た、助かっ、た?」


 それを認識したら、ますます身体から力が抜けてしまう。

 だが、今はへたれている暇はない。倒れている両親の救助を優先すべきだ。ましてや追い払えたオカルティアを追うなど以ての外。

 なんだが戦えたような気もするが……それは自分の役目ではない。

 奴等を倒すのは、軍人だとか、だとかに任せるのが一番だろう。

 そう考えながら気持ちを整えたエミリアは、改めて警察署に向かう。

 そこで此度の出来事を話した結果、多数の研究者に詰め寄られる事になるとは、想像すらしないままに……

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