信仰の科学
「……此処も、壊滅状態ってところね」
南スーダン某村にて。一人の白人女性がぽつりと呟いた。
彼女の名はシャルロッテ・ホワイト。オーストラリア出身の科学者であり、普段は故郷オーストラリアの大学で研究を行っている。三十代半ばながら丹精で若々しい顔立ちをしつつ、年齢相応の色香を持つ美女だ。今は厚手の作業着と、背中を覆うほど大きなリュックサックを背負い、色気はあまりないが。
彼女の傍には、黒人の若い男も一人いる。彼は現地の案内を頼まれたガイド。身長百八十にもなる大柄で、分厚い胸板を持つ屈強な男である。顔立ちも無骨であるが、趣味は読書(と筋トレ)という大人しい人物だ。
この二人が訪れた村は、極めて貧しい村落である。建物の数はほんの十数棟。泥と藁で作り上げた、非常に簡素な家が無秩序に並んでいる。スラム街でも、先進国ならもう少しまともな家に暮らしているだろう。
とはいえ世界一の最貧国ともされるこの国では、このような建物ばかりの村など珍しくない。内戦による疲弊も大きく、酷な言い方をすれば人の死があり触れた国だ。
そういう意味では、村が『壊滅』というのも取り立てて騒ぐような話ではないだろう。
ただしその村の建物が一つも壊れず、被害者全員が意識不明という状態でなければの話だが。いや、そうだとしてもやはり騒ぐような事ではないかも知れない。既に世界では、この結末もあり触れた悲劇になりつつある。途上国のみならず、先進国であったとしても。
「此処を襲ったのは?」
「小型未確認生物の群れと聞いています」
「そう。やっぱり現状より深刻なのは、小さな方ね」
ガイドの話に納得しつつ、シャルロッテは思考を巡らせる。
小型未確認生物。
凡そ二ヶ月前に行われた、中国の人民解放軍が主導して行われたオカルティア攻撃作戦。その時使われたと言われている(詳細は公表されていない。が、『開発元』であるアメリカは断言している)重力兵器の影響か、そう呼ばれる未知の生物が世界のあちこちに現れるようになった。
小型未確認生物は体長数十センチから一メートル程度と、大半は人間よりもかなり小さい。しかしいずれもオカルティアと同様に、銃弾などの物理攻撃をすり抜け、遮蔽物も意味を為さない体質を有する。そして触れた人間を意識不明にするという、オカルティアと同様の特性は有している危険極まりない存在だ。
ちなみに肝心の重力兵器は、発射した重力点が遅過ぎて命中しないという体たらく。改良次第だが、少なくとも現時点ではオカルティアや小型未確認生物の駆除には使えない。
奴等は現状野放し。被害は収まる気配もない。そしてその惨状は此処、アフリカの土地にも及んでいる。オカルティアよりも圧倒的に膨大な個体数故に、被害規模は今やオカルティア以上だ。むしろ(噂話程度だが)オカルティアが小型未確認生物を食べたという報告もあり、オカルティアの方が『マシ』という考えが主流になりつつある。
「(WHOの発表では、全世界での小型未確認生物関連被害者が凡そ百万人。でも、こういう土地の人間はそもそも数えられていないのよね)」
小型未確認生物の被害は拡大の一途を辿っている。被害者百万人という数字も、シャルロッテが母国を立つ前に聞いたものだ。今頃、もう十万人ぐらい増えていてもおかしくない。
ちゃんと統計が取れている先進国ですらこの有り様だ。インフラの整備が足りず、政治的腐敗が蔓延する貧困国で、どうして全容が把握出来るのか。
貧困国ではテレビや新聞など情報媒体のインフラが乏しいため、小型未確認生物の存在自体知らない者も少なくない。独裁国家ともなれば、混乱を恐れて情報の隠蔽を試みる事もあるだろう。知らなければ小型未確認生物を見ても避難すら儘ならず、被害は大きくなるばかり。
実際の犠牲者数は、国連発表の数倍になるかも知れない。
「……ここの被害者は、どうなってるの?」
「全員捨て置かれました。あの建物の中にいます」
シャルロッテが尋ねると、ガイドは村のとある建物を指差す。村にある他の家と大差ない、土と藁で作られた簡素なものだ。
恐らく誰かの家をそのまま使っているのだろう。そう思いながらシャルロッテは扉代わりに掛けられている布を捲り、建物の中を覗き込む。
そこには、人が寝かされていた。
いや、人だったもの、と言うべきだろう。その身体は中身が露出しており、様々な部分が欠損していた。血肉の腐敗した臭いが、布を捲った瞬間一気に溢れ出す。ハエと思われる虫も大量に飛び交い、羽音が非常に五月蝿い。
彼等が生前どんな姿だったのか、解剖学の素人であるシャルロッテには最早想像も出来ない。ただ、身体の小さな者が多い。恐らく子供の遺体だろう。
常人ならば一目見れば嘔吐し、臭いで失神する。されどシャルロッテにとっては最早見慣れた光景で、彼女は微かに眉を顰めるだけだ。心の内側は別だとしても。
「……遺体が欠損しているわ。奴等、肉は食べなかったと思うんだけど」
「ハイエナか何かが食べたと思われます。この辺りには生息していますから」
「ああ、そうね。動かなければ新鮮な肉よね……確か、この村が襲われたのが五日前だっけ」
「ええ。三日前には村人は他の村に移住したと聞いています。その時には恐らく捨て置いたのでしょう」
捨て置いた。その言葉にまたもシャルロッテは眉を顰める。
顰めた上で、仕方ないと思う。
残された建物から分かるように、此処は世界でも特に貧しい村だ。仕事は一家が食べていくのがやっとな農業と牧畜ぐらいしかない。それさえも、気候次第では頻繁に飢饉が起きて大人も子供も亡くなるような土地である。医療も民間療法(という名の効果の有無すら微妙な野草)が精々。
そんな生活水準で、意識不明の家族を何時までも養えるだろうか?
『現実』を見れば、不可能だと分かる。「見捨てるなんて人として許されない」なんて善性を振り回したところで、実際食べ物や水の生産が足りないのだ。やれば全員死ぬしかないなら、見捨てるのが合理的である。
そしてこれは、南スーダンのような貧困国だけの問題ではない。
「(むしろここで見捨てる選択が出来ないから、先進国の方が後々深刻になるかも知れないわね)」
オカルティアや小型未確認生物の被害者の回復が出来ていないのは、先進国も同じだ。推定百万人以上もの被害者が病院で意識を失ったままになっている。オカルティア達が野放しな以上、今後も増えていくだろう。
そんな彼等を何時まで入院させれば良いのか?
何かあってはいけないと、高価な医療機器を備え付ければ当然それだけ金が掛かる。富裕層ならば兎も角、一般家庭には重たい支出だ。仮に国が全額負担するにしても、それらの金は結局のところ税金である。今なら一国辺り数万人程度の被害者数なので賄えなくもないだろうが、十万人、百万人と増えればそうも言っていられない。
医療リソース、つまり人員や機器への負担も問題だ。医療関係者も医療機器も、その数は有限。入院患者が増えればそれだけ人手も機器も不足する。オカルティアなどの被害者に心電計を全て使った結果、心不全で救急搬送された人の心電図が取れない、なんて事もあり得るのだ。
数を増やせば良いという意見もあるだろう。医療機器に関しては(製造までの年数やメンテナンス、保管場所の問題を無視すれば)可能かも知れない。しかし医療関係者というのは、ただ予算を増やせば増えるものではない。
何しろ人命に関わる専門職。一人の医療関係者を育て上げるのに、何年もの時間が必要だ。そうして育った者も、最初は経験のない未熟者。研修などをまた何年も行う。『まとも』な医者が育つのに、十年近い年月が必要である。今から用意したところで、増えるのは十年後だ。もっと細かなところを言えば、それら若い医者候補の人材を育てる教員もまた増やさねばならなず、教員となる人を増やすためには……と連鎖的に考えねばならない。凄まじく優秀な政府が最善手を打ったところで、効果が出るのは二十年は先の話だろう。
だからといって、被害者を捨て置く訳にはいかない。絶対助からないという確証があるならまだしも、原因不明の昏睡状態ならば目覚める可能性もある。国民にしても、自分達を助けてくれない政府を支持する理由はない。とはいえ予算・人手不足で行政が回らなくなれば見捨てる事の支持も増え、国民は分断状態に陥るだろう。場合によっては内乱を引き起こす。
もしもオカルティア達が何処かの国の生物兵器なら、なんとも意地の悪い産物だ。国家予算を、医療リソースを、将来を摩耗させるのだから。人を殺すよりもずっと。
「(比喩でなく、このままだと崩壊する先進国も出るかも)」
オカルティア及び小型未確認生物の被害を止めなければ、人類文明は崩壊する。自らが確立し、繁栄の基礎となった、強固な医療体制・倫理観によって。
シャルロッテが予想するこの最悪を防ぐ方法は一つしかない。
オカルティアと小型未確認生物を退治、または回避するための技術の確率だ。猛獣が傍にいても暮らしていけるように、被害を軽減出来れば社会は維持出来る。
そのためのヒントが、この村にある。だからシャルロッテはオーストラリアからこの地までやってきたのだ。
「……此処はもういいわ。あの場所まで案内して」
「分かりました」
歩き出したガイドの後ろを、シャルロッテは付いていく。
案内してもらったのは、村の中に建てられたとある建物。
他の家と違い、かなり豪華な作りの『教会』だった。豪華といっても、泥と藁よりはマシな掘っ立て小屋であるが。十字架が掛けられていたので、恐らくキリスト教系の建物だろう。
本来、この地域に根付いている宗教はキリスト教ではない。教育支援などで訪れた宗教系ボランティアが建てたものだ。所謂布教活動である。
実際教育などの支援は必要であり、ボランティアは善意で来ている。布教程度の『見返り』を求める事が良いか悪いか、というのは難しい問題だ……シャルロッテの専門でもないので、極論これはどうでも良い。
シャルロッテはそのどうでも良い建物の前で、リュックサックを下ろす。
中から取り出したのは、一台の大きなカメラのような機械。ただし備え付けられたモニターに表示されるのは、レンズが向いている先の景色ではなく無数の数字であるが。
この一月ほどで作られた機器のため、まだシャルロッテも扱いに慣れていない。だが数値の意味ぐらいは理解している。
「ふむ。やっぱり、重力変動は僅かね」
そうでなければ米国製重力計測器の真価を発揮する事は、出来ないのだから。
「(曲がりなりにも、論文の大本だけはあるわね。こういう機械を用意しているなんて)」
中国は否定しているが……重力兵器の基礎理論は、アメリカが生み出したものだ。その理論を応用すれば、今までよりも遥かに精密かつ微量の重力波を検知する機器も作り出せる。
流石に量産は間に合わず、優秀な科学者にだけ貸し出された。シャルロッテはその一人という事だ。
さて。計器に数値が表示されたという事は、なんらかの重力的な歪みが此処にあるという意味になる。そして機器の向き先を変えれば、数値の大小も僅かだが変化する。
重力は質量により生じる。どれだけ小さくとも、質量さえあれば重力はあるのだ。だから小物や建物があれば理論上重力にも差は生じる。しかしそれを考慮しても、出てきた数値の差は大き過ぎるものだった。
本来なら機器の故障を疑う。しかしシャルロッテは世界中で確認された、ある事象を知っている。
様々な宗教施設で重力変動が検出された、という事象だ。
「この施設、村人はどのぐらい使ってたの?」
「自分は住人ではないので、正確には知りませんが……あまり使われていなかったと聞いています。村人の大半は別の宗派です」
「ふむ。それなら数値通りね」
ガイドの説明を聞き、シャルロッテは納得する。
――――宗教施設を、小型未確認生物達は忌避している。
これは世界各地で確認されている現象だ。一例二例だけなら偶然という可能性もあったが、世界中で何十何百と見られた事象である。
そして特筆すべき点は、この事象が見られた宗教施設では、重力変動が確認されている事。
数値としては極めて小さな、これまでの人類では決して観測出来なかったもの。今シャルロッテが使っている、最新かつ革命的(というより隠されていた)装置があってこそ知る事が出来た。だからまだまだ、測るほどに新発見も多い。
小型未確認生物が宗教施設から発せられている重力変動を嫌っている、というのも装置があってようやく裏付けられた。今でも世界各地で計測値が発表され、説の検証が進められている。
シャルロッテの二つの仮説も、この地でようやく裏付けられた。
「(仮説一、重力変動の変化は場所によらず起きている)」
宗教施設周辺で重力変動がある事は、既に他の科学者から報告されている。しかしそれらの報告は彼等の地元……先進国で確認されたものばかり。
南スーダンのような途上国で確認されたのは、初ではないものの希少な一例だ。ここから推察するに、恐らく『地域』は重力変動に関与していない。
とはいえこれはある程度推測されていた事でもある。重力変動はヨーロッパでもアジアでもアメリカでも確認されているのだから。またイスラム諸国でも多く確認されているため、キリスト教系に限定される訳でもない。仏教系施設でも例はあったので、アブラハム系(アブラハムの聖書を起源とするユダヤ教・キリスト教・イスラム教を纏めたもの)である必要もない。アフリカだけ例外と考えるより、同じだと思う方が自然だ。
勿論仮説は裏付けられなければ、どれだけ論理的でも机上の空論に過ぎない。その意味ではこの分かりきっていた発見にも価値はある。
しかしそれよりも重大な発見がある。
「(ここに逃げ込んだ人達は、全員小型未確認生物に襲われ、助からなかったと聞いている)」
宗教施設に逃げ込んで助かった者はいる。それは事実だが、だが「宗教施設に逃げ込めば助かる」という訳でもない。逃げ込んだのに襲われたケースの方が、圧倒的に多い。
必ずしも教会が安全でないなら、何が避難者の命運を分けたのか。建物の素材や立地に何かあるのではないか、というのが大半の科学者の見識であるが……シャルロッテはこう考える。
「(仮説二。信仰が弱いと重力変動も弱い)」
利用者の信仰心の有無、或いはその信仰が向けられていた歴史の長さ。これが重力変動の強さと比例している。
これだけ聞けばオカルト的だと多くの科学者が感じるだろう。科学は再現性が重要だ。気持ちを込めたから結果が変わったというのは科学的ではない。というより似非科学の典型的な言い訳である。ましてや質量により生じる重力が、よりにもよって『想い』で変わるなど幻想が過ぎるというものだ。
シャルロッテもそれは理解している。だが数多のデータを取り、解析するほどにそのような結論が導き出される。
今回アフリカまで来たのも、そういったデータの積み重ねを得るため。最近建てられたキリスト系教会であれば、住民の信仰心は然程強くない。かといって現地宗教も、キリスト教との競合により弱まっていた筈。二つの宗教の勢いが、競争により弱まっていたとすれば……
……このケースだけで確信を得るのも早計だ。信仰の力で重力変動を起こせる、というトンデモな説を立証するには、膨大なデータが必要だろう。
しかしデータもなしに発表すれば、非科学的として説は無視される。そして一度『非科学的』と判断されれば、未来の天才がシャルロッテと同じ説を発表しても、その前情報だけで相手にされない可能性がある。もしもこの信仰重力影響説が正しければ、それはオカルティアや小型未確認生物への対策を遅らせる、人類の未来を脅かす失態だ。
誰の反論も許さないぐらい、仮に否定されてもそこから前に進めるぐらい、慎重に事を進めねばならない。
「さて、次は……」
計測した記録を纏めたところで、シャルロッテは次の現場に向かおうとする。一刻も早く、真実を明らかにするために。
そう思っていたが、歩みを止めるものがいた。
スマホの着信音である。
「ん? 誰から……」
スマホを取り出し、画面を見る。
表示されたのは、オーストラリアにいるであろう友人の名前。
着信したのはメッセージアプリ。しかも何通と送ってきている。何か用でもあるのか。それに彼女は新聞記者をしている。その彼女からの忙しない連絡は、何かしらの意味があるのではないか。
そう思い、すぐ中身に目を通す。
結果、シャルロッテは大きく目を見開いた。
ガイドも異変に気付いたようで、不思議そうにシャルロッテの顔を覗き込む。何時もであれば、シャルロッテは彼の疑問を察して答えただろうが……今の彼女にその余裕はない。
故郷オーストラリア。
その国の大都市であるシドニーにオカルティアの大群が現れたと聞かされれば、如何に冷静な彼女の心も平静は保てないのだ――――
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