被害状況

「……くそっ。この人も『駄目』か」


 マルタン・ルソーは悪態を吐き、顔を顰めた。

 彼の前には、一人の男がいる。

 建物と建物の間を走る狭い路地裏に、男は俯せで倒れていた。推定年齢三十代。中肉中背。外傷なし。自発呼吸あり。脈拍の乱れなし。簡易な診察であるが、この男が現状すぐには死なないと、マルタンは考える。そして救助隊として数多の命を救ってきた彼の優れた診察能力は、ほぼほぼ誤りを生まない。

 それでもマルタンが悪態を吐いたのは、意識を失った男が目覚めるとは到底思えないから。

 の症状が、オカルティアの被害者によく似ているがために。


「その人はどうだ?」


 同僚に声を掛けられ、マルタンは首を横に振る。同僚は頭を掻きながら、大きなため息を吐いた。

 この人に起きた出来事が悲劇だとは理解している。だが嘆く事はしない。今は嘆きを口にするよりも、自分達の仕事をすべきだとマルタン達は考えていた。

 何しろ化け物の被害は目の前で倒れている男だけではない。この町の至る所にいるのだ。


「この人で何人目だ……オカルティアどころの被害じゃないぞ」


「俺が見た分だけで、この人で六十五人だ。全隊で同じだけ見付けているなら、もう三千人を超えているだろうな……最終的には六千人を超えるかも知れない。何しろ町一つ分だしな」


 同僚と話をしつつ、マルタンは事の発端を思い返す。

 ――――突如、空から半透明な化け物が現れた。

 与太話にも聞こえる出来事が、フランスにあるこの町を襲った。化け物達は地上に降りると、次々と市民を襲撃したという。

 町はパニックに陥った。あまりに突然の事故ろくな避難誘導も行えず、人々は瞬く間に制御不能の集団へと変貌。倒れた人は踏み付けられ、逃げ遅れた人は容赦なく怪物に襲われる。警察や消防が対応する暇もなく、被害者はどんどん増えていき……

 マルタン達救助隊が来た時、町は壊滅状態に陥っていた。

 昨日は大通りで倒れていた人々を『救助』しており、この時点で被害者救助者は二千人を超えている。しかも救助の手が伸びたのは、被災地のほんの外側だけ。化け物の出現地点、最も奇襲に近い襲われ方をした中心部までは届いていない。

 今日も複数の部隊に分かれ、被災地中心部に向けて救助を進めていた。とはいえ一軒一軒家や路地裏を見れば、いくらでも被害者は見付かる。大通りは倒れている市民で溢れ返っている始末。この調子では全ての救助を終えるのに、あの三日は掛かるだろう。

 つまるところ人手がまるで足りていない。


「(本来なら軍や他国の救助隊を受け入れてほしいが、それも難しいだろうな)」


 正確な情報ではないが、小型の化け物が現れたのはフランスだけではないらしい。テレビ報道ではイギリスやアメリカ、中国とロシアにも現れたという。

 そしてどの国でも、大きな被害が出たという。

 どんな国でも、まずは自国の救済を行うものだ。動ける救助隊は自分達の国に充てがわれ、そこでの任務を優先する。他国で人助けをする余裕などない。

 ならばせめて軍や警察の派遣を、とマルタンは思うが、これも難しいらしい。

 何故なら空からやってきた化け物達は、未だ消えた訳ではないのだ。一部は『消滅』(何処に行ったかは分からないが忽然と消えたらしい)したものの、大部分は人間を襲った後も帰らず、化け物達は国中を飛び回っている。軍などはそちらの対応・進路上の市民の避難誘導を優先しており、犠牲者の救助をする余裕がない。

 更にこの化け物集団は、当然と言うべきか国境など意識せず自由に動き回る。隣国での被害が何時自分達に降り掛かるか分からない。考えなしに人道支援を行って、自国が壊滅したでは間抜けが過ぎる。そのためどの国も軍隊さえも出せない有り様だ。

 外からの助けはおろか、自国の軍や警察も頼れない。救助のプロフェッショナルであるマルタン達救助隊が、全ての人々を助け出さねばならないのである。

 泣き言を言っている暇はない。


「兎に角、この人も運ぶぞ。手伝ってくれ」


「ああ。しかし……いや、なんでもない」


 手伝いを頼むと、同僚はほんの一瞬迷いを見せる。倒れている男の足を掴む動きも、ややぎこちない。

 彼の気持ちはマルタンも理解する。何故ならこの男が目を覚ますとは、マルタンも思っていない。

 男の状態は、オカルティアに襲われた犠牲者に酷似しているためだ。バイタル的には全くの健康体なのに、意識を取り戻さない。オカルティアに襲われた人々も、オカルティア出現から二ヶ月近く経った今でも目覚めていないという。

 半年後にも目覚めないとは限らない。一年後や二年後なら尚更であるし、肉体的には目覚めない方がおかしい。しかし長年救助隊員として、多くの人の生き死にを見てきてマルタンの勘としては……あまり、期待出来ないと感じている。

 とはいえ、だから見捨てるなんて真似は出来ない。未知の症状だからこそ、勘が誤っている可能性は大いに有り得る。治療法も将来明らかとなるかも知れない。何より息をしている人を道端に捨て置くになど、一人の救助隊員として出来ない。

 同僚と協力して男を路地裏から運び出し、表通りにいる仲間へと渡す。手すきになればすぐに次の救助へと向かう。

 今マルタンにやれるのは、この繰り返しだけだ。


「次は……」


 一人を助けたら、手近な家へと向かう。人々が倒れているのは道端だけとは限らない。あの小さな化け物達もオカルティア同様壁をすり抜けるのだ。安全と思って逃げ込んだ建物内で襲われた人は、一人や二人ではない。

 そうして一軒一軒の家を見て回り、鍵が掛かっていたら抉じ開けて中に入り、倒れている人々を救助していく。

 やがて、とある教会に辿り着いた。

 フランスもまたキリスト教徒が多い国の一つ。キリスト教に由来する寺院や教会は、町中にも点在している。勿論真新しいものだって少なくない。

 それらはあくまで宗教施設であり、『敵』の攻撃から身を隠すのが本来の役割ではない。しかし大きくて丈夫な建物は、逃げ込むには最適だ。教会という施設の立場上、外から来た人を拒む可能性も低い。

 それに……


「……この教会を見に行くぞ」


「ん? おお、そうだな」


 行動を言葉で伝えると、同僚も快諾。マルタンは彼と共に教会へと向かう。

 教会の中と外を分ける、大きな扉の前でマルタンは一度立ち止まる。軽く深呼吸をし、意を決して扉を開けた。

 中には、大勢の人々がいた。

 それも人々だ。数は二十人程度。老若男女、歳も性別も共通点がない。成り行きで集まっただけの集団だろう。

 彼等はマルタンの姿を見て、驚いたのか目を大きく見開く。口をパクパクさせる姿は、子供が見れば変顔と言いそうな表情だ。尤も、彼等がそんな顔をしていた時間はさして長くない。

 すぐに、助けが来たのだと理解したからだ。


「きゅ、救助か!?」


「助けが来てくれたの!?」


 人々は一斉にマルタン達の下に駆け寄ってくる。助けを求める、必死さがありありと感じられた。

 これが『初』ならマルタンも少しは動揺しただろう。しかしこの手の対応は、数えるほどとはいえ経験済みだ。


「落ち着いてください。未確認生物の姿はありません。避難所まで誘導します」


「皆さん、こっちに集まってください。歩けない人、怪我をした人はいませんか?」


 マルタンが説明を行い、同僚が人々を集める。

 ようやくの救助に誰もが安堵したのか。緩みきった笑みを浮かべながら、教会に逃げ込んでいた人々がぞろぞろと外に出てくる。同僚は一瞬マルタンにアイコンタクトを送ると、集まってきた人々と共に避難場所へと向かう。

 一人残ったマルタンは教会内を探索する。

 教会内に取り残された人がいないか、確認するためだ。同僚が集めた際、怪我人の有無を聞いていたので恐らく大丈夫だろうが……しかし彼等は酷く安堵していた。安心しきった人間というのは、とんでもないミスをするものだ。

 それに彼等が化け物の大群という惨事に見舞われた事を思えば、あれはさして関係のない人々の集まりだと思われる。顔も知らない相手が増減したところで、小さな子供などであれば兎も角、大人相手なら大して気にするまい。

 故に最終確認は必要だ。加えて、マルタンは気になる事があった。


「(此処も、何かがあるようには見えないな……)」


 教会内をざっと見て回ったか、置いていかれた生存者含め、気になるものはない。

 何もないのが、気になる。

 突如現れた化け物達は、オカルティアと同じようにものをすり抜ける。つまり銃などの攻撃は勿論、建物にこもる行為も無意味だ。事実これまで見てきた建物内には、化け物に襲われたと思われる『意識不明』状態の人が何人もいた。

 ところが教会内に、犠牲者はいない。

 化け物達は教会に侵入してこなかった、という事だ。


「(此処だけなら、偶々そういう事もあるって話で終わりだが……)」


 マルタンの印象では、事はそう単純ではない。

 化け物の大群に襲われたこの町では、犠牲者だけでなく生存者も多く見付かっている。マルタンも既に数度、生存者の集まりを救助する事が出来た。

 そして彼等はいずれも、教会などの宗教施設に隠れていた。

 一例だけなら偶然かも知れないが、二例三例と続けば恐らく必然だろう。化け物達は、理屈は分からないが、教会に近付くのを避けているのだ。


「(しかしどうして?)」


 を抜きに考えれば、教会に使われている建材に特別なものなどない。歴史のある建物なら兎も角、最近建てられたものなど他の建物と同じコンクリートだろう。

 仮にオカルト……つまり神への信仰が化け物を追い払ったと考えても、やはりおかしい。


「(信心深さが大事だと言うなら、もっと生存者がいてもおかしくない)」


 フランスは統計上、人口の七割程度がキリスト教徒と言われている。

 実際のところ、日常的に教会へ行くような『熱心』な信者は総数の十パーセント程度と言われているが……見方を変えれば、一割はそれなりの信仰心があるのだ。更にその十分の一、全国民の一パーセント程度はかなり強い(ハッキリ言えば日常生活で問題が生じるぐらい)信仰心があるだろう。

 もしも信仰心で化け物を追い払えるなら、もっと生存者がいてもおかしくない。いや、いなければおかしい。だが実態は、まるで蹂躙されたように人々は余さず襲われている。

 一体、何が人々を守ったのか。

 それが分かれば、化け物に襲われる人を減らせるかも知れない。

 何より、『自衛』が出来れば自分達救助隊の活動を妨げるものもないとマルタンは思う。


【総員に通達。未確認生物の群れの一部が、この地域に向かっていると通達あり。退却の準備をせよ】


 自衛さえ出来れば、救助の中断という屈辱も味合わずに済むのに。


「……………」


 撤退命令を伝えてきた、胸下にある通信機を掴んだままマルタンは口を閉ざす。

 本音を言うなら、この命令は拒否したい。まだ此処には、救助を待つ人がいるのだ。それこそ意識を失った人々だけでなく、教会などで生き延びた人もまだいるかも知れない。彼等を残して立ち去るなんて、救助隊として屈辱の極みである。

 しかし化け物達は、救助隊を見逃すなどという『人道意識』を持ち合わせていない。

 遭遇すれば、マルタン達も容赦なく襲われるだろう。マルタン自身は、自分の命が多少危うくなっても構わないと考えるが……救助隊というのは専門職だ。肉体的素養に加え、長年の訓練を重ねてきた身である。誰でも簡単になれるものではない。

 マルタン達救助隊が襲われれば、その分救助隊の人員が減る。つまり今後救助出来る人の数が大きく減るという事だ。今この地域にいる一人を助けるため、未来の十人の被災者を助けられなくなるのは非合理だろう。

 また、仲間が襲われたとなれば他の隊員達の士気に関わる。士気というのは気持ちの問題とはいえ、非常に大きな要因だ。『やる気』がなくなれば、隊員の動きは大きく鈍る。それは被災者の救助を遅らせ、やはり未来の犠牲者を増やす行いに他ならない。


「……了解」


 合理的に判断し、しばしの時間を経てマルタンは命令を受け入れる。

 それでも感情的には納得がいかず、彼の足は中々動かない。

 自身の頬を叩いて気持ちを一新し、ようやくマルタンは、誰もいない事を確認した教会を後にするのだった。

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