人気取り
関係閣僚会議。
それは政府が行う会議の一つ。関係があると思われる関係省庁の閣僚(つまり大臣)が集まり、大きな問題について話し合われる。例えば環境問題への対応、外国人の受け入れなどが過去では議題に挙げられてきた。それら会議の内容は議事録として記録され、ホームページなどで公表されている。
……しかし今回、内閣府で開かれたこの会議の議事録は作られない。
表向きは会議でもなんでもない、ただの集まり。だが実際には今後の政府方針を決める重大な会議に、現日本政府の閣僚が大勢集結していた。忌憚のない意見を言い合い、この後行われる本当の
いわばこれは事前調整のための会議。
それが必要なほどには、此度の議題――――国会議事堂内のとある一室で開かれた未確認生物対策会議は、この国の行く末を左右する重大なものだ。
「自衛隊に出撃命令を発動すべきです」
その会議の中で、力強い言葉と文脈で一人の男はそう発言を行った。
彼は非常に恰幅の良い大男であり、強面の顔をしている。実際運動が趣味だという彼は、恐らく
防衛大臣の他に、この会議室には大勢の、現政権が指名した全大臣や長官が揃っている。部屋が少々狭いためやや窮屈な間取りだが、相手の顔や仕草がハッキリと見える。防衛大臣の力強い物言いや表情もこの場にいる全員に伝わり、だからか咄嗟に反論する者はいない。
彼の任命者である内閣総理大臣・五十嵐宗十郎であっても、軽々しく口を開く事は出来ない。ただし活力ある防衛大臣に気圧されたのではない。防衛大臣の意見は、検討すべき方針の一つなのだから。
「……未確認生物に対し、攻撃するべきだと?」
「はい。自衛隊の総力を以て、これに対処すべきでしょう」
宗十郎が確認すれば、防衛大臣は改めて答える。真っ直ぐで、力強い眼差しを向けながら。
ただしそれは彼が熱血漢だからではない。
防衛大臣としては、『民意』に従っているだけなのだ。
「確かに、今の国民はそれを求めています。政権としては、応えるべきでしょう」
防衛大臣の意見に賛同したのは、内閣府の調整役でもある内閣官房長官。彼の言う国民の『要求』は、総理大臣である宗十郎の耳に届いている。
今から一月前に放送された、とある朝の番組。
その番組内でとあるコメンテーターが発した、「自衛隊での攻撃も考えるべきでは」という意見は、瞬く間に国民に広まった。市民を脅かし、日本の領土を占領している『侵略者』。それに対し何もせず、ただ手をこまねいているだけとは日本政府も不甲斐ない……そんな考えは今や国民の大部分が抱いている。
マスコミでも最近は怪獣退治に出ない政府、のような書き方で世論を煽る。余程の『反自衛隊』を掲げているメディアでもない限り、明確に支持を打ち出している状況だ。そう書けば政府を批難出来るというのもあるだろうが、反自衛隊な意見が市民から反発を買うと判断しているのだろう。
国民の大半は、自衛隊の出動を求めている。そして日本は民主主義国家。選挙で票を集めるならば国民の願いを叶えるのが最適な行動だ。単純に支持目当てであれば、攻撃を行った方が良い。
だが反対意見もある。
「私からは、反対を表明します」
年老いた女性こと環境大臣、彼女と深い関わりがある科学分野からは、攻撃に反対する意見が根強い。
「未確認生物は、非常に興味深い存在です。世界中が注目している貴重なサンプルであり、研究が進められています。それに対し攻撃、ましてや撃破をすれば、世界から批難される恐れがあるでしょう」
未確認生物の正体がなんであれ、科学的に興味深い存在なのは間違いない。
生物としても物質としても、現在の科学では説明出来ない存在。その秘密を解明すれば科学分野に大きな発展があるのは、学者ではない宗十郎にも想像は出来た。故に攻撃を控えてくれと、科学者達が言う気持ちは理解する。
しかしその意見は、現実的ではない。
「既に国民に被害が出ている中、それは危機感のない意見では?」
「死者は出ていないが、触れられた者は未だ全員昏睡状態と聞いている」
「立入禁止エリアへの不法侵入と、その結果の犠牲者もかなり出ているしな。自己責任と言いたいが、こうも出るとこちらとしても無策では批難されるぞ」
大臣達が言うように、様々な問題があるからだ。
特に問題なのは、『犠牲者』の存在だ。未確認生物の触手と接触した人々は、いずれも昏睡状態に陥っている。医学的には全くの健康体で、脳に損傷もないのに、何故か目覚めないらしい。
対策チームの立ち上げ、調査研究のための予算編成などを予定しているが……民主主義の正当な手続きには時間が掛かる。行政的にはかなり急ぎでも、世間的にはちんたらしているように見えるものだ。この『動きの鈍さ』も国民、特に被害者関係者の憤りを生んでいる。
また未確認生物のいる場所の周囲五キロを立入禁止を決定しているが、不法侵入を試みる輩(基本的には動画撮影をしたいなど、承認欲求を拗らせた輩だ)が度々犠牲になっていた。今は自己責任という事で、そこまで政権批判の材料にはされていないが、それも何時まで続くか。いくら自業自得でも、何度も繰り返されれば
「それらを知るためにも、研究をすべきというのが科学者の意見です。特に治療方法を知るためには、生理機能の把握が欠かせないと聞いています」
「経産省としても、軍事的な駆除には反対だ。研究を進めれば、技術的に大きな利益があるかも知れない」
それでも反対に回るだけの理由、利益があると訴える環境大臣。経済産業大臣も経済界からの本音を述べる。あの不思議な身体の秘密を解き明かせば、他国にはない商品を作り、市場を征服出来るかも知れない。経済大国日本の再来だ。
「そんなものは、退治した後の死骸を調べれば良いでしょう。生きたままにしておく必要はありません」
だが、防衛大臣のハッキリとした意見がこれを否定する。
実際問題、防衛大臣の考えは正しくないと宗十郎は思う。生物などは、生きていなければ分からない事も多い。特に酵素などは時間で分解され、死骸からは得られないものもある。
正確な生理機能が分からなければ、治療法の発見に至らないかも知れない。被害者を助けるという意味では、迂闊に退治という手立ては取るべきでないだろう。
しかしそれは、新たな犠牲者が出る可能性を容認するのに他ならない。
「先週は、不法侵入した動画配信者を救助するために突入した、救急隊員が二名襲われて意識不明となった。これ以上危険を放置するのは、この国の防衛を任される身として看過出来ない」
「……その点については、我々も同意見です。しかし攻撃する事で、なんらかの反撃をするかも知れません。未知数の脅威に対し、反撃を誘発するのは危険です」
反論する防衛大臣に対し、環境大臣が述べたのは更なる危険の可能性。ダメージを受けた未確認生物が、暴れ回ったらどうなるのか、という考えだ。
正直に言えば、宗十郎が今まで攻撃指示を出せなかった一番の要因がこれである。
何が、あの化け物の機嫌を損ねるか分からない。手負いの獣が非常に恐ろしいように、手負いの化け物は果たしてどんな暴れ方をするのか。予測出来ないからこそ、もしもを考えて躊躇してしまう。
だが、「何もしない」という選択なら何も起こらないとも限らない。
「アレが本当に生物なら、何時までもあそこに留まるとは言い切れません。いずれ動き出した時に、刺激したくなかったなんてのは言い訳にもなりませんよ」
防衛大臣が言うように、未確認『生物』の行動は予測不可能だ。今は出現地点から一定範囲内に留まっているが、今日にも何処かにふらふらと飛んでいく可能性もある。
もしもそうなれば、自己責任なんて言い訳は通じない。状況的には政府はその日まで何もせず、ただ見ていただけという事になってしまう。現政権の危機管理能力不足が原因だと、マスコミも野党も叩くだろう。じゃあお前らはどうしたんだと宗十郎としては言いたくなるが、言ったところで傍目には逆ギレだ。日本という国を任された癖に、何もしなかった事に変わりはない。
……攻撃した後に未確認生物が動き出せば、余計な事をしたとマスコミに言われるだろうが。自分達の昨日までの言い分などすっかり忘れて。しかし昨今は国民のマスコミ不信が根強く、過去の発言や記事を簡単に確認出来るネットの力もあって、『二枚舌』はすぐにバレてしまう。SNSの個人の発言も同様だ。
マスコミも国民も、影響力を持つ者であるほど迂闊な言動が出来ない時代。国民の要望を受け入れた政府は、言い方は悪いが一番無責任な立場でいられる可能性が高い。
「(一番支持を失わないのは、やはり攻撃か)」
宗十郎の頭の中にあるのは、己の支持率と今後の選挙の事。どの方針が一番『マシ』か考える。
批難されがちな考え方だが、民主主義は支持率と選挙を無視出来ない。言い方は悪いが、選挙に勝たなければ政治を行えないのだから、まずは選挙、そしてその勝敗に関わる支持率を気にするのは当然だろう。
勿論宗十郎自身の政治理念もある。
「(害獣駆除とはいえ、ミサイルなどの兵器を使えるのは好機か)」
彼は自衛隊について、更なる強化が必要だと考えている。戦争などする気はないが、近隣国の情勢不安から装備の更新は必要だと考えている。そのために自衛隊の武装強化など、様々な法案を通してきた。
未確認生物相手に銃器以上の火力を用いる事は、ある種の訓練にはなる。また、武力による現状変更を目論んでいるであろう国々に、戦う能力を示せば穏便に威嚇出来る筈だ。
よもや中国も、未確認生物退治に日本が武力を用いる事に反対はするまい。仮に反対したところで、賛同国は多くないだろう。自国に現れた害獣を退治するだけで『口出し』する国の仲間になりたいと思う国が、どれだけいるのかという話である。
ここである程度自衛隊の能力を世界に示すのも悪くない。
とはいえ、これは自衛隊がある程度活躍出来ればの話である。未確認生物相手にボコボコにやられ、壊滅状態に陥ればそれこそ政権に大打撃だ。こればかりは「お前達がやれと言ったんじゃないか」なんて言い訳にもならない。
決断するには、ある程度の勝算はほしい。
「攻撃するのは結構だが、勝ち目はあるのか」
「体組織などが得られていないため、あくまでも推論ではありますが……自衛隊から作戦は聞いています」
念のため確認すれば、防衛大臣は力強い口調で肯定する。
「その推論とは?」
「曰く、あの未確認生物がものをすり抜けている事から二つの可能性が考えられます。一つは素粒子のように小さな粒で出来ている事。原子よりも小さければ、原子の隙間を通れるという訳です」
「もう一つは?」
「電磁波などの光エネルギーが、なんらかの方法で生物的な形を保っているというものです。正体が電磁波であれば、電波や電磁波が壁を通り抜けるように、未確認生物も壁をすり抜けられるだろうとの事です。詳細な原理は不明ですし、カメラなどに映らない理由の説明も出来ないようですが、現時点で最も有効な仮説と聞いています」
「ふむ……」
「どちらのケースだとしても、正体は微細な存在です。よって銃撃などの物理攻撃はほぼ効果がありません。ですが自衛隊の使用する火器であれば広範囲を吹き飛ばし、大量の粉塵を撒き散らして電磁波を遮断する事で、このような存在にもダメージを与えられると期待されます」
防衛大臣は一通り話し終えたところで、一旦口を閉ざす。よく考えてくださいと言うように、最後にちらりと視線を向けた。
……あくまでも推論(しかも一部の現象が説明出来ない)との事なので、何処まで信じていいかは分からない。
しかしある程度は納得出来る。相手の正体がなんであれ、現実に現れ、目撃され、被害も出ているのだ。ならば未確認生物は現実の存在であり、ある程度は科学的常識が通じる筈。
完全に思い通りにはならずとも、それなりの成果は期待しても良いだろう。ならば挑むのは分の悪い賭けではない。負けるにしても善戦すれば、言い訳のしようもある。
「……分かった。自衛隊の出動を承諾しよう」
宗十郎の発言に、大臣達が微かにざわつく。動揺ではなく、前向きなざわつきだ。
実際に決定されるのはこの後の、議事録に残る関係閣僚会議で発言してから。しかし此処で決めた内容が後でひっくり返る事はない。
怪獣退治の戦いを始める事は、事実上決定されたのだ。
「ふむ、ようやく退治か」
「しかしそうなると、そろそろ名前も必要ではないか?」
「未確認生物のままで良いだろう」
「いやいや、やはりインパクトがほしい。国民の間でもオカルティアが定着しているし、こちらもそう呼ばないか?」
「まぁ、未確認生物だけでは味気ないしなぁ」
わいわいと賑わう会議室。防衛大臣の発言から、既に勝つ気でいるのか。暢気に名前について意見を交わす。
命を賭けて戦うのは、自分達ではないというのに。
勿論総理大臣である宗十郎も、直接未確認生物オカルティアと戦う事はない。宣言し、閣議を経て、法案が通り次第、自衛隊に出動命令が出される。戦うのはあぐでも自衛隊だ。こういうのも難だが、ここまで話が進むと最早総理大臣に出来る事など殆どない。
「(後は、現場の自衛官に任せるとしよう)」
最後は現場に任せるしかない。
若い頃は官僚の一人として『現場』を見てきた宗十郎は、せめて彼等が万全の仕事が出来るよう、堂々と発表を行おうと決意するのだった。
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