怒りの矛先

 岩井三彦が残した『映像』は、彼の弟子がカメラを回収した翌日には世界中を駆け巡った。

 十五台以上撮影していたカメラであるが、一台たりとも未確認生物の姿を捉えたものはない。カメラ狂いと称される天性の撮影者であっても、人智を超える存在は捉えられなかったのだ。

 しかしその存在は証明された。

 かのように、三彦の身体が僅かながら宙に浮いたからだ。なんらかのトリックかとも疑われたが、その日のうちに三彦が意識不明の状態で発見された事で、情報は真実だと思われる。そして政府もこの映像が事実だと認め、未確認生物の存在を多くの人々が信じるに至った。

 今まで半信半疑だった世論が、一気に信用へと向かう。そして信じた結果、世論は新たな難問に直面した。

 これからどうするのか、という現実的な問題に。


「出現当初なら兎も角、今も断続的に犠牲者が出ているのです。政府の怠慢は明らかでしょう」


 この現実的な問題を前にして、力強い口調で、強面の中年女性は政府を批難していた。

 彼女が主張を述べたのは、近所の住人が集まった井戸端会議ではない。カメラや音響機器などの撮影機材が集められた――――とあるテレビ番組の撮影スタジオである。彼女はコメンテーターの一人として呼ばれた、女性評論家の秋山という。

 彼女は常に鋭い論説で政府を批難する……というより事あるごとに、時には難癖染みて政府批難をすると有名だ。ネット上では「条件反射で批難しているだけ」とも揶揄され、お世辞にも世間的な人気はない。事実早とちりか意図的か、デマに等しい発言をして炎上した事は一度や二度ではない。

 しかし一部の、しかし実数としては少なくない数の、政府を批難する様が好きな層には好評な論客だ。テレビ視聴者、特にこの報道番組が流れている局の視聴者にはそれが多い。

 視聴者が好むコメンテーターを出す。例えそのスタンスが、客観的に見れば問題があるとしても……視聴者に商品を売り込みたい、スポンサーの意向がある以上やるしかない。

 浜田健一郎は複雑な想いを抱きながら、ディレクターとしてこの番組――――十日前に現れた『未確認生物』対策についての討論の成り行きを見守っていた。


「具体的には、どのような対策が必要だったのでしょうか」


「現場の立入禁止を徹底すべきだったと思います。現場は警察が封鎖しているようですが、不法侵入する若者が後を絶ちません。更に多くの警察官を動員すべきでした」


 アナウンサーからの問いに、秋山はハッキリと答える。

 ……もっと警察官を動員しろと言うが、では他の問題はどうするのか。警察官が対応するのは未確認生物(オカルティアと世間では呼ばれている。この番組でもそう呼称する事があるだろう)だけではない。普段から起きている窃盗や事故、殺人の捜査も警察の仕事だ。警察官を現場封鎖に動員すれば、それらの捜査に人手が足りなくなる。

 未確認生物がどれだけ大きな被害を出した存在だとしても、警察官を全員送り込む事は出来ない。というより未確認生物の周囲数キロを立入禁止にして、その全ての道からの侵入を防ぐのにどれだけの人数が必要になるか。

 秋山の意見は、現実的に考えればいちゃもんに等しい。


「(とはいえ、感情的には共感を呼ぶ)」


 人間は何時でも現実的・論理的に考えられる訳ではない。むしろかなり訓練しなければ、感情的かつ衝動的に動く。

 秋山の意見は感情的には正しい。人命を守るため警察や政府は努力しろ、なんのために税金を払っているんだ……この気持ちは誰にでもあるものだ。納税者であるなら正当な意見でもある。その払っている税金の額が、全てを守るには到底足りない事から目を逸らせば。

 そして人間の大半は、自分の事は棚に上げるものだ。だからこそこの秋山にはある程度の人気がある。

 ただし全ての人が、彼女の感情的意見を好む訳ではない。


「そうは言いますが、警察対応にも限度があります」


 そうした人々の意見を代表するように、男性評論家・田口が批判する。

 彼もまたコメンテーターの一人。比較的、今の政権を肯定している立場だ。保守層と呼ばれる人々が好む発言が多い。

 一見して彼は現実的な発言が多いが、それは現政権や警察の行動を比較的肯定しているからだ。つまり現政権が(当たり前だが)現実的というだけ。彼自身の主張は、よくよく聞くとやはり絵空事である。

 とはいえ秋山の意見を否定した事には違いない。話の流れが、彼に移る。


「岩井氏の件は残念でしたが、全ての侵入を防ぐのは現実的ではありません。国民全員が危機意識を持つ事が重要であり、政府や警察は尽力していると思いますよ」


「その危機意識を与えたのは、岩井さんの映像のお陰でしょう? 政府が何をしたのですか」


「政府は最初から未確認生物の存在を肯定し、その危険性を伝えています。それを無視したのは岩井氏であり、これは自己責任の範疇ではありませんか?」


「岩井さんは政府の発表が信用出来ない中で行われました。政府に信頼があれば起きなかった事態の筈です。なら、これまで問題を起こし、国民の信頼を裏切ってきた政府の責任ではありませんか?」


 二人のコメンテーターは激しく意見をぶつけ合う。

 ……番組の様相を眺めている健一郎としては、田口の方に一理あると思う。

 というより秋山の意見があまりにも感情的過ぎる。政府が信用出来ないから、それを無視した人間が怪我をしたら政府が悪いなんて、あまりにも他責思考だ。

 だが現政権に問題が多いのも確か。閣僚の不祥事もそうだが、近年の増税を巡る発言の変化も国民不信を煽っている。「政府を信じなかったお前が悪い」と言われたなら、どの口だ、と言いたくなるのも確かだろう。


「(局としては、政権批判に持ち込みたいだろうがな)」


 少なくない数のマスメディア関係者に見られる傾向だが、『反権力』がマスコミの役割だと思っている節がある。この番組を放送する局は、特にその傾向が強い。

 確かに政府の批評はマスコミの役割だろう。が、なんでも批判する事は違うと健一郎は思う。それはただの逆張りだ。市民にとって得にならない、下手をすれば害悪ですらある。

 メディアがマスコミしかない時代であれば、それで世論を『啓蒙』出来ただろうが……ネットが広まった今の御時世でこの態度は通じない。「マスゴミ」という言葉はそんな世間の反発の現れだが、どうにもマスコミの危機感が薄いと健一郎は感じている。まだまだ自分達が玉座にいる、これからもいられると思っているのかも知れない。

 秋山も、田口も、意見はどうであれ『テレビ世代』だ。テレビの、マスコミの力の強さを信じてはいるだろう。


「自分からも、意見いいっすか?」


 ただ一人、ゲストコメンテーターとして呼ばれたこの男・新堂は違うかも知れないが。

 彼は所謂動画配信者である。ネット上で人気がある彼をテレビに呼んだのは、彼が若者の間で大きな人気があるため。テレビ離れが進むと言われている若者を、テレビに引き戻すための策略と言えよう。

 ……つまりテレビのためにネットの人間を使おうという魂胆だ。健一郎としては彼の『主張』に懸念があるため使いたくなかったが、視聴者受けを気にする上からの指示もあって入れざるを得なかった。良い悪いは兎も角、利用出来ると踏んでいるのがマスコミの傲慢さに現れかも知れない。

 そもそもテレビはネットの人間を使う気であるが、逆もまた然りだという事を失念していないだろうか。


「まず、自分は秋山さんの意見に賛成っすね。政府も警察も、もっとやるべき事があったかと」


「やるべき事と言うが、じゃあ何が出来ると――――」


「そりゃあ駆除ですよ。銃でもミサイルでも撃って、退治すれば良かった」


 あっけらかんと、新堂は答える。

 その瞬間、スタジオの空気が一気に冷えた。

 武力を用いて駆除すべき。

 つまり警察またはと、主張しているのだ。これに秋山も田口も口を閉ざし、黙ってしまったのである。


「……いえ、そこまでは」


「じゃあ何処までです?」


「何処までって、それは適切な……」


「だから、何処まで?」


 秋山が反論するも、新堂が問い詰めるとまた口を閉ざす。答えられる訳がない。感情に訴え掛ける秋山に、具体的なプランなどないのだ。


「駄目っすよぉ、対案もないのに反対なんて」


 おちょくるような、しかし正論で追い詰める新堂。秋山は苦し紛れに睨むが、彼は気にもしない。

 これが、健一郎が懸念していた点。

 新堂という男は、些か意見が過激なのだ。愛国主義的で、軍国主義的な……つまり「軍事力で国を守れ」という考え方である。

 しかし彼を「ネトウヨ」などという蔑称で纏めるのは賢明ではない。軽薄な言動に反し、彼は決して馬鹿ではないのだ。外国人差別やLGBTなど、『論理的』でない問題には口出ししない。語るのは何時だって現実的で、だけど少し過激な、何より世論が求めているもの。

 若者の求めているものを、彼はよく知っている。少なくとも、主な視聴者老人向けになったテレビよりは。


「しかし武力の行使は、憲法上我が国を脅かすものと定められています。未確認生物相手に自衛隊を出すのは違憲の可能性が」


「確か昔、トドを退治するのに出動したっすよね? あとクマも退治したとか。そういう形でも無理なんです?」


 田口の反論にも、しっかり疑問を呈する。

 実際問題、災害出動であれば名目は立つかも知れないと健一郎も思う。未確認生物オカルティアが国民生活を脅かしているのは確かで、それに対し自衛権を行使する事に文句を言う者は……何をしても文句を言う輩だけだろう。そしてそれは決して多数派ではない。


「やっぱね、日本にも自衛隊はある訳じゃないっすか。これが必要な時に使わないなんて、それこそ税金の無駄遣いだと思うんっすよ」


「いや、でも自衛隊は、その、戦争じゃないのだから……」


「今でも自衛隊は災害で派遣されてますよね? つーか災害か戦争かって関係あるんすか? 避難所の食料とか水って災害の時の備蓄だと思うんすけど、戦争の時は使っちゃ駄目なんてルール、ないっすよね? なんで自衛隊は駄目なんです? 今ヤバいんだから、出来る事はやりましょうよ」


 如何にも今風の話し方で自身の考えを主張しつつ、その理由も論理的に付け加えていく。

 口調こそ軽薄だが、理屈に問題は見られない。確かに、危機的状況に前例がないだのなんだの言って、打てる手立てを取らないのは愚策だろう。その力強い意見は、市民にとって好意的に映る筈だ。

 だが秋山と田口からすれば、あまりこの意見に賛同も出来ない。

 特に秋山は政権批判を繰り返す都合、反権力系の支持者が多い。そしてこういった面々は自衛隊に反感を持っている傾向にある。自衛隊の実力行使に賛成なんて言えば、支持者達から強烈な反発があるだろう。では新しい支持者が生まれるかと言えば、今までの言説があるので早々増えまい。

 田口にしても、あくまでも『中道』という立場だ。新堂の意見よりもずっと穏健な立場であり、災害救助や人道支援目的なら兎も角、武力行使前提の自衛隊出動には乗り気でない。

 しかし咄嗟の反論をしてもあっさり言い返されるのは、先程の討論からも明らか。舌戦で勝つのは難しいだろう。

 だからこそ二人とも何も言えないが、何も言えなければそれはそれで不味い。


「(大物コメンテーター二人を黙らせた……とんでもない泊が付いちまったな)」


 現実がどうであるかは兎も角、秋山と田口に反論させなかったのは間違いない。そして、民衆を馬鹿にするつもりはないが……世論というのが存外単純な事を、健一郎は知っている。

 二人の大物を黙らせた新堂の意見は『正しい』。テレビを見ている層がそう感じても不思議はない。


「(これは、大きな世論になるかも知れん)」


 果たして彼の言説が何処まで広がるのか。オカルティアの『脅威』に現実味を帯びた今では、恐らく反対者は少ない。

 一つ問題があるとすれば。


「(なんでもすり抜ける化け物に、ミサイルが通じるのかね?)」


 健一郎の懸念は、恐らく誰でも抱く。

 抱くが、しかし明確な反論も思い付かない。実際にミサイル攻撃が行われていない以上、効果がないという証拠はないのだ。やらないうちに無駄だと言うのは、反論ばかりで対案を出さない『活動家』と変わらない。

 とはいえミサイル攻撃もノーリスクではない。例えば一発当たり何十億もする攻撃を無駄遣いすれば、財政に大きな負担を与えるだろう。また、ミサイル攻撃なんてすれば、オカルティアが陣取る町は粉々に破壊される。その賠償や復旧の問題は無視出来ない。専門家が考えれば、他のリスクも思い付くかも知れない。

 だからこそ迂闊な攻撃は出来ない訳だが、されど自衛隊を動かすのは政治家だ。そして政治家は世論を気にする。世論の支持がなければ、選挙で落とされてしまう。

 野党が不甲斐ない現状、政権交代の可能性は低い。それでもあり得ない事ではない。ちょっとした『不祥事』なら兎も角、災害が起きているのに何もしないとなれば……流石に、現実味を帯びてくる。

 この番組での討論が世論に、日本政府の決定に大きな影響を与えるかも知れない。その結果、大きな問題が生じたなら――――


「(ま、その時は政治家に任せるとしよう)」


 発端の番組のディレクター責任者でありながら、しかし健一郎は他人事のように考える。

 確かにマスメディアには、情報発信者として相応の責任がある。

 しかし扇動したなら兎も角、討論の中に出てきた一つの意見が与える影響にどう責任を持てば良いのか。そもそも扇動や影響を考えた結果、討論の記録を消すのは言論統制ではないか。

 嘘を吐いたなら兎も角、意見の一つについてあれこれ言われてもどうにもならない。

 強いて言うなら。


「(上の連中が求めていたのは、こういう結結論ではないだろうが)」


 スポンサーや上層部の『横槍』で作られながらも、その意向に沿わない内容。

 それが生み出された事に健一郎自身は満足していたので、番組は止まる事なく日本中へと放送され続ける。

 討論の内容が、それこそ思った以上に世論を変えるなんて誰も思いもしないままに。

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