覚めない眠り
【都内で確認された巨大生物は、現在●●区にて停止。警察による監視が続けられており……】
テレビから流れるアナウンサーの声。既に三度は聞いた内容が繰り返された事から、これ以上の収穫はないと判断した冴山雄三は席から立った。
自分が仕事をするのための部屋である『院長室』から出た彼は、真っ直ぐにとある場所へと向かう。
目指すは重篤な患者が収容されている、集中治療室だ。長い廊下を速歩きで進んでいく。
「冴山院長!」
道中、正面からこちらに小走りで来る一人の医師が声を掛けてきた。
田澤という医師だ。年齢五十代の男性医師。ベテランの脳外科医であり、多くの患者を救ってきた名医でもある。顔が強面で口調がぶっきらぼうな事から、子供受けが悪いのが玉に瑕だが。
そして雄三は、このベテラン脳外科医の上司……都内某所にあるこの国立病院の、院長を務めている身だ。
田澤は雄三の横に付き、踵を返して共に歩く。どうやら『報告』のため、院長室に行こうとしていたらしい。
ならその報告を促す。
「状況は?」
「現在六十四名を受け入れています。もう病床の空きはほぼありません。これ以上の受け入れは、他の入院患者に影響が出るかと」
ただ一言問えば、田澤は雄三の知りたい事をハッキリと伝えてくれた。予想していた答えであるが、出来れば違ってほしいという思いもあり、雄三は唇を噛み締める。
田澤が伝えた状況とは、未確認生物被害者の入院状況だ。
都内某所に未確認生物が現れて、半日ほどが経った。今でも未確認生物は出現場所(近くの自然公園と言われている)からあまり動かず、ふわふわと漂っているらしい。
らしい、というのは、あくまでも目撃者の証言しかないため。
報道によれば、目では見えてもカメラには映らないとか。最初聞いた時は雄三もそんな馬鹿なと思い、今でも正直なところ信じきれていない。質の悪いデマではないかと、心の奥底では思っている。
しかし現実に、病院には被害者が続々と送られてきた。
こうなっては信じない訳にもいかない。未確認生物に触れられたという被害者を入院させ、対処する事となった。
報道によれば、怪獣の被害者は直接的なものだけで三百人を超えるという。確認された被害者は今も増え続けており、雄三の病院に運び込まれたのはそのほんの一部。しかし病院とて無限に患者を見れるものではない。ベッドや医療器具、そして医者の数は有限なのだから。
田澤が言うようにもうすぐ受け入れは限界だろう。これ以上受け入れれば、他の入院患者の管理も出来なくなる。
病状次第とはいえ、命を預かるのだ。「無理をすれば出来る」なんて気軽には言えない。それは患者の命を守るだけでなく、医療事故から病院を、ひいてはそこに勤める医師や看護師を守り、今後もこの地域の医療を支えるためにも必要な線引だ。院長として、そこは決断しなければならない。
「分かった。状況を見つつではあるが、これ以上の受け入れは私の権限で拒否しよう。とはいえ国や警察から圧があるかも知れん」
「状況が状況です。我々としても最善は尽くします」
「ああ、頼んだぞ」
田澤の力強い言葉に、頼もしさを覚える。勿論それは善意に依存した頼もしさ。過剰に頼るのは好ましくない。
それに、どれだけ医療側が気持ちを高めても、現実問題として『最悪』は起こり得る。医者というのは無敵ではないのだ。
「(いや、所謂最悪は避けられてはいるんだが……)」
そこまで考えて、雄三は顔を顰めた。
そう、現時点だと医者として考える『最悪』にはなっていなかった。少なくとも一旦院長室へと戻った、ほんの十分二十分前までは。
「……患者の容態は?」
「現時点で死者はいません。バイタルなども追っており、一部危険な患者もいますが、所有していた薬などから持病の範疇と思われます」
改めて田澤に聞けば、十分前と変わらない報告を受ける。
未確認生物に襲われた人々は、誰も死んでいない。
倒れた際の怪我(老人であれば骨折なども多い)や、避難する人に踏まれた時の負傷などはある。だが触手に触れられた事に起因すると思われる、死亡事例は今のところ確認されていなかった。
一見して、それは幸運に思える。訳の分からない生物に触れられ、何事もないのだから。
……実際には、まるで違うのだが。
「……………」
辿り着いた集中治療室の前。部屋の側面にある窓から、雄三は中の様子を窺い見る。
中には何十という数のベッドと、その周りを忙しなく行き来する医師や看護師、そして寝かされている患者達がいた。
患者は全員、未確認生物の触手と接触している、と思われる。状況証拠や救急隊の証言からの推定だ。全員心臓は動き、息もしている状態。脳波や血糖値など、各種数値にも極端な異常は見られない。身体の中身である骨や神経の検査もしており、転んだ際の傷を除けば、大きな問題は見られなかった。
なのに、誰も目覚めない。
いや、目を開けるなど目覚めてはいるのに、誰一人として自発的行動を起こさないのだ。
「現在も、一人も意思表示をしていません。嚥下機能や瞬きなど、無意識的行動に支障はないのですが……」
「意識的行動は、やはり見られないと?」
「……はい」
重々しく、田澤は頷く。
「疑う訳ではないが、脳波に異常はないんだな?」
「はい。私以外の脳外科医にも見てもらいましたが、異常は確認出来ません」
脳波検査で分かる事は多い。脳の血管障害や、頭部損傷による神経異常、薬物などに寄る意識障害の確認に役立つ。全ての異常が分かるほど万能ではないが、未確認生物の被害者達のような『意識障害』の判定は得意分野だ。
なのに、何も分からない。
田澤は非常に優秀な医者だ。世界最高峰とまでは言わないが、日本トップクラスだと雄三は考えている。彼でさえ問題が見付けられないとなると、恐らく本当に異常はないのだろう。
しかし異常がないなら、意識障害が起きる筈もない。
「本当に、奇妙な事になっていますねぇ」
考えていると、雄三はまた声を掛けられた。
やってきたのは柔らかな笑みを浮かべた、中年の女医。顔立ちには相応の年齢を感じさせるが、しかし張りのある肌や整った体躯などはまだまだ『女らしさ』がある。実年齢は五十代だというのに。
彼女の名は佐々木。この病院で血液内科医を務めている。今回の未確認生物被害者の血液検査も、彼女が行っていた。
この状況で笑っているのは不謹慎にも見えるが、これはどんな患者が来ても緊張させないための一種の演技。それが顔に張り付いているだけ。雄三は笑みを気にせず、佐々木の顔を見る。
「血液検査も問題なしか?」
「ええ。中にはかなり危険な数値の方もいましたけど……」
「患者個人の体質と思われる、という事か」
「そうです。勿論、断言は出来ませんが」
「つまり、原因は未だ分からないと」
「はい。正直、検査結果を見てもまるで手応えがありませんね」
佐々木のあっけらかんとした、諦めきった物言い。ほんの数時間の検査であるが、だとしても不自然なほどに情報がないのだろう。
ならば、未確認生物は何もしていないのか?
検査結果だけ見れば、そうとしか言えない。だから要因は他にある筈だ。患者達が今も目覚めないのは、例えば触られた事による精神的ショックなどを考えるべきではないか――――
「(そんな訳あるか!)」
雄三も理屈では思えども、感情では納得出来ない。
数値上なんの問題もないのに目覚めない。一例二例なら、言い方は悪いが「そういう事もある」で済ませられるだろう。しかしこれだけ、何十何百という被害者が出たのだ。間違いなく、未確認生物が触れた事により引き起こされている。
科学的根拠はなくとも、状況証拠はそう言っているのだ。何より見方を変えれば、数値上の異常がないからには新たな原因……現代医療の想定していないものが原因の筈である。「未確認生物に触れられた」は、十分現代医療では想定していない原因だ。
絶対、奴等が原因に違いない。
「分かった。今後は検査方法を少し変えよう。二人とも、普通なら見ない部分も重点的にやってくれ」
「分かりました。とはいえ、普段やらない検査といっても、というところではあるのですが」
「……ですねぇ」
念入りな検査を命じるも、田澤も佐々木もいまいち情熱が感じられない。
これもまた、仕方ない。普段見ない検査、なんてものは、つまるところ成果が出ないからやらないのだ。一般的な異常であれば通常検査で問題はなく、奇妙な異常でも違和感のある数値は出てくる。先進国の医療に関しては、普通に受けられる方法が基本的には『一番』効果的なのである。
とはいえ未確認生物出現からまだ一日も経っていない。より精密な検査をする時間なんてなかった。更に詳細な、細かな検査をすれば何かが分かる可能性は……ゼロではない。
仮に、そういった検査をしても何一つ科学的に原因の糸口を掴めなかったなら。
「(その時は、医者ではなく科学者の役割か)」
自分達に出来るのは何処までか。上に立つ者として線引はしておく。
線引から先は手を出さない。そこは自分達の手には負えない、身を削るだけの行いだからだ。無駄な努力は、こちらで助けられる人を減らす。
医者が助けるのは、未確認生物の被害者だけではない。人間が侵される病は、他にいくらでもある。冷たいように見える判断は、より多くの人を救うための合理的決断だ。
それに、線引はしても諦めるつもりはない。
「そんな腑抜けた気持ちでいるな。やれる事は全部やれ。全力を尽くすぞ」
「「……はい!」」
雄三が抱くその気持ちは二人の医師も変わらない。
方針を確かめ合うと、三人は各々の全力を尽くすため、この場を後にするのだった。
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