かなえる

 みよが最近電話に出てくれない。夏休みのはずだから、そんなに忙しいわけではないはずなのに。しかも就職活動だって全然していなかった。すでに十件ほど着信を残しているが、折り返しもないまま数日が過ぎている。

「それでは、入場のBGMはこの曲で……そうですね、やっぱり定番ですから。人気ありますよこの曲」

「でも、ほかの人の結婚式とかぶらないかなって少し心配なんですよね。よくかかってますよねこの曲」

「みなさんそう仰いますが、案外ほかに参列した式のことは思い出さないものですよ。どんなに定番の曲を使ったとしても、おふたりの結婚式は初めてですからね」

 プランナーの言葉に菜穂子が安堵の表情を浮かべる。その顔をみて、プランナーがとてもやさしげに目を細める。そんなやりとりを、僕が微笑ましげに見守る。それがこの場においての正解だ。

 正しいことをするのは、簡単だった。正しくないことをするほうが、難しい。正しさは、いつだって僕たちのゆくべき道を指し示す。

「では、最初のスピーチはご新郎様が……」

「はい」

「拓実くん、ちゃんとできるかなあ」

 くすくす笑いながら菜穂子が茶々を入れてくる。プランナーがすかさず「大丈夫ですよね、ご新郎様、しっかりした方ですもの」と大袈裟なくらい堂々とした口調で言った。

「拓実くんは人前でしゃべるの苦手だから、大丈夫かなあ」

 プランナーの浅い太鼓判は菜穂子には届かず、彼女はずっとぶつぶつ僕を心配している。

「たしかに苦手だけど……僕ももう大人なんだし大丈夫。菜穂子は案外得意だったからね、こういうの。生徒会だったし」

「ああ、おふたりは幼馴染みなんですよね」

 二人で話していると、プランナーがさっと話を割って入ってくる。ふわふわのスポンジケーキをきれいに切るように、なめらかに、ごく自然に。いままできっと数えきれないほどの夫婦を相手にしてきたのであろう彼女は、新郎新婦の会話を決して邪魔せず、絶妙なタイミングで会話を盛り上げる。

「そうなんです、幼稚園のときからずーっと一緒にいて、もう二十年以上……」

 わあ、とプランナーが口もとで手をたたく。祝福の音。これは菜穂子が愛してやまない音だ。

「そういうのって、とってもあこがれます。お二人、すごくお似合いで素敵ですもんね。絶対いいお式にしましょうね」

 幼馴染みと結婚。羨ましい、あこがれる、いままで散々言われてきた。そのたびに菜穂子は「長くいすぎたせいで素敵とか、そういう感覚もうなくて」と満更でもなさそうにおどけて、僕はそれに対して「こっちのセリフだよ」とやはりおどけて口を動かす。

 決まりきった、正解の回答。もう何回も同じ言葉を口にしてきた。これにかんしては答え合わせをしなくても、菜穂子が「たいへんよくできました」の顔をしていることはわかる。

「それにしてもご新婦様、お腹があまり目立っていないみたいだから、ドレスも大丈夫そうですね」

「はい、一応ゆるめのかたちにしてもらったんですけど、なんとか大丈夫そう。あとは、太らないように気をつけないとですね」

 ひとつの突っかかりもなく、するすると自分が妊娠していることを話す菜穂子。彼女は自分が嘘をついているということを、自覚しているんだろうか。嘘を口に出すことで、もはやそれが彼女にとって事実になっている気配すらあった。

 

 結婚式の最終確認は、滞りなく終わった。ドレスもブーケもBGMもヘアメイクの予行日も決まり、フルコースのランクも納得のいくものにし、菜穂子が散々悩んでいた席次もようやく決定。引き出物、引き菓子も発注した。あとは額をみるだけで吐きそうになるお金を式場に振り込んで、一カ月後の本番を待つだけだ。

 だれの式に参列してもだいたい同じことが行われるというのに、どうして結婚式を挙げたがる人はいまでもなくならないのだろう。どうして飽きることなく結婚式が挙げられているんだろう。

「当日はよろしくお願いします」

 打ち合わせを終え、プランナーが外まで見送りに出てくれる。僕たちは互いに深く頭を下げて別れた。

「あ、拓実くん、結婚式やってるよ」

 植木で区切られた式場の庭で、幸福を叫ぶ声がする。菜穂子は赤の他人の結婚式を羨望の眼差しでみつめていた。結婚式へのあこがれは、菜穂子にとってずっと正しいもので、絶対に捨てられないものだったんだろう。

「……ウェディングドレス、着るのがずっと夢だったんだあ」

 菜穂子はわかりやすい性格をしていると思う。昔からドラマや映画に出てくるベタな恋愛にあこがれたり、恋人になった僕のために料理を一生懸命勉強したり、バレンタインデーに手作りのチョコレートをくれたり、一緒に帰りたいのに自分から誘うのを恥ずかしがって、偶然を装って僕のことを待ちぶせしたり、デートに誘ってほしいがためにどうでもいい話を振ってきたり。共通の友人は皆、そんな菜穂子のことをかわいいと褒めた。そして菜穂子もそれが正当な評価だとわかっているようだった。

「ねえ拓実くん」

 ふつうでいじらしいと言われる菜穂子。その評価を守るために、ふつうではない嘘をついた。

「私にドレス着させてくれてありがとー」

 菜穂子の語尾が不自然に伸びる。ドレスを着たいという彼女の願いを叶えたのは僕ではなく、菜穂子自身だ。彼女の希望がまた通り、概ね良いの人生はそろそろもう一段階評価が上がる。

 菜穂子から逃げなかった僕に与えられたものは、「ふつうでかわいい幼馴染み」と一生一緒にいられる特権。この特権は、だれも羨まなくていい。ぞっとするほどありふれていて、どこにも特別なことなんてない。

「それは、当日言うセリフでしょ」

 菜穂子にほほえみかけた僕がもらったのは、「たいへんよくできました」の笑顔。きっとまわりから見たら、僕たちはどこにでもいそうな、たいそう幸福そうにしている二人なんだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る