第6話 みどりサンの『ピンクのデイジー』
「素敵な衣裳ね」
奈落で声をかけてきた、女性を宿主としている〈連中〉のひとり。酒場のスタッフらしい。制服を身につけ、名札もある。源氏名のようだが。
しかしリルことみどりサンは、その顔をどこかで見たような気がしてならない。
考えてみれば、その社会の上層にいた個体に寄生するのが〈連中〉なのだから、たまたまそれが著名人であっても不思議はないのだ。
「黒のロングスカートがとてもシックだわ」
「ふふ。一張羅よ」
会話には乗るべきだった。
何せ潜入調査中なのだ。
「今日はじめてここで歌うの。嬉しくて」
「そう」
〈連中〉のひとりであるのに、わざわざ下層の人間に声をかけてくるのは珍しい。
「ここは歌手の入れ替えが早いって聞いたんだけど。でも、なるべく長く勤めたいな」
同じことを、また言ってみた。
「オーディションで『ピンクのデイジー』、歌ってたわね」
聞かれていたのか。
まあ、ここの酒場にいるなら聞こえるだろう。
「懐かしかった」
リルことみどりサンは、そこで気づいた。
「……」
「そうよ」
〈連中〉も、笑うことがあるとは。
「中沢みどり。私の宿主よ」
中沢みどりはどうして一曲のみで表舞台から消えたのか。
大ヒット歌手となってすぐ、財閥の令息と恋仲になり、家庭に入ったのだ。玉の輿だ。
(結局〈連中〉の〈社会の上層部〉ということの理解って、どうもその程度なのよねえ)
きっと一族まるごと寄生されたのだろう。気の毒に。
(寄生から自由になるときは、もろとも死亡したとき)
そんなものたちに支配されているのが今の地球。
現状、平穏な暮らしは守られているが、それは大々的な侵略攻撃の果てに身体も意思も奪われた一部の人間たちと引き換えに得たものだ。
(決してまともな在り方じゃない)
「この宿主は、自分の昔のことをそうして懐かしがるのよ」
(何を言っているの)
自分が無理に奪った身体なのに。
面白い性能を楽しむみたいに。
「こういうことを〈不随意運動〉として矯正しようとするのよね。〈運転〉の邪魔だと言うのよ」
「矯正」
(軽々しく〈運転〉ですって?)
「もう出番ね。
長く勤めたければね、あまり上手に歌わないことね。クビになるのは、サンプル収集完了とされた歌手よ」
「サンプル?」
「歌を聴いたときに〈不随意運動〉が起こりやすい歌手のパターンを調査してるのよ。変な研究でしょ?」
「ありがとう。
でもどうしてそんなこと、新入りのあたしに教えてくれたのかしら?」
〈中沢みどり〉は答えなかった。
奈落は動き出してするするとステージ上へ登ってゆく。
「リル!」
スポットライトを浴びる新顔の歌手を、ササキが紹介する。
「はじめまして、リルです!」
客席は冷え切っている。
教わった通りだ。
だが、こう言わねばなるまい。
「バンドのみなさんと、今夜は沸かせちゃいますよ! 踊ってくださいね!」
誰もがそれぞれのテーブルから沈んだ顔を向け、目はうつろ。
手元にグラスが並んでいるが、酒が入っているとも思えない。
〈連中〉は、宿主を〈乗り物〉と認識しているので、〈酔い〉など不都合なのだろう。運転の妨げになるものは、そう、〈矯正〉対象とされるのだろう。
(酔いならわかる。懐かしさ。宿主の肉体に残る記憶に〈連中〉の行動は影響されるの?)
寄生された宿主の意識がどうなっているのか、実は知られていないのだった。人格は保てているのか。眠っているのか。覚めているのか。
(どういうこと?)
「『ピンクのデイジー』!」
曲名を告げた瞬間、本日たまたま不在だったベースの代理をしていた一郎クンが、何かに気づいて目を見開いた。
リルが歌いだしてすぐに、全照明が落ちた。
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