第2話 三人いるみどりサン
電車の行き来がやかましいガード下に、一張羅を着て楽器ケースを抱えたごろつきたちがたむろっている。
そこでタバコを一本吸い終わるまでに、迎えのトラックが来る。来ることになっている。
「ねえねえ、」
トランペットケースを抱えた男に、けばけばしい色のショールを巻いた女が話しかけた。
「ここにいたら、歌わせてもらえるって聞いたんだけど?」
「ああ。でも初めての顔には一度面接があるぜ」
「そりゃそうよね。でも決めた。あたしも行こう」
昨日まではどこかのキャバレーにでもいたのだろうが、こちらのほうが稼ぎがよいとの噂が耳に届いたのだろう。みんなそうだ。
「あたし、リル」
「五郎だ」
「みなさんも、よろしくね」
砂埃をあげながら幌のついたトラックが来て、リルも五郎もほかのごろつきたちもみんな詰め込んでさっさと行ってしまった。
◆
『稼ぎがよい』のは本当だった。
新入りは面接をされ、その腕前を見られる。
そこでの判断でAからDまで位付けがされ、提示された報酬額を飲めば決まりだ。
「最低でもここらの相場の倍だからね」
手ぶらの男はピアニストだ。ゲンさんと呼ばれている。戦前は世界各国で演奏旅行をしていた。本人は黙っているが、現在Aランクの待遇らしい。
「ありがたいんだよ。お袋の加減が良くないからね。ただ、」
言葉を切って、
「〈連中〉の酒場で弾いてることは伝えてないよ」
「隠し事するような誰かと暮らせてるのは、うらやましいよ」
「あ、済まないような愚痴言っちまったな」
「こんなご時世だからなあ」
「でもさあ、あたし聞いたわよ」
リルは小声になる。
「『雨降り横丁』の梶川レイ子とか、『桟橋の二人』の君原さとるとかも来てたんですって?」
「なんだ、そんな話も広まってたのか。別に秘密でもないよ」
ゲンさんは、薄く笑った。
「大ヒット曲がいくつもある歌手はね、来てますよ。ただ、なぜかすぐにお払い箱になるだけさ。〈連中〉の方針だから、理由はよくわからないよ」
「〈三人みどり〉も、二人までは来ていたんだよ。『すてきなランダラン』の
〈三人みどり〉というのは、戦前に大いにレコードが売れた女性歌手だ。レコード会社はそれぞれ違うのだが、たまたま三人とも〈みどり〉という名前だったので、芸能記者たちがそう呼び始めたのだった。
「もう一人誰だっけ?」
「『ピンクのデイジー』の
「そうそう。一曲だけ、って言うけど、その一曲があれば、どこでも誰にも喜ばれるんだからそれが大事なんだなあ。うらやましいよ」
「困っちゃうな。あたし、これというヒット曲はないんだなア。どうなるかしら」
「どっちにしろ今、歌手は決まってないんだから、少なくとも今夜は歌えると思うよ。その分だけでも稼いでいきなよ」
「それ聞いて安心しちゃった。短い間かも知れないけど、みなさんよろしくね」
リルは栗色の髪を肩のあたりで巻いている。
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