みどりサン

倉沢トモエ

第1話 フルーツパーラーのみどりサン

 みどりサンがホールの仕事を終えてフルーツパーラーの裏口から出てきたのは午後六時。調理場見習いの田中くんと料理長がタバコのついでにお互いの田舎の話をしていて楽しそう。


「あら、田中さん。今年はご帰省されるんですの?」

「妹が小学校を卒業するんでね。何か持ってってやろうと思うんだ」

「いいわねえ」

「みどりサン、お疲れさん」

「お先に失礼します」

「明日お休みだってね。ゆっくりしてね」

「ありがとう」


 近くに大きな神社がある。戦後は〈未開の風習〉と目こぼしされて残された。

 未開と言われようとそれはそれ、楽しい大晦日からお正月はお参り客目当てにフルーツパーラーも忙しいので、給仕係は今のうちに交代で休むのだ。


 裏通りから表に出ると、みどりサンはまっすぐ地下鉄の駅に降りて、ちょうど滑り込んできた車両に乗り込む。

 フロアと調理場を行き来する自分の両手からは生クリームの匂いがするな、とか、ハンドバッグの中にあるビスケットが割れないといいな、とか、そんなことを考えている間に降りる駅に到着した。


「みどりサン」


 退勤ラッシュの時間だというのに、降りたのはみどりサンだけだ。古びたレンガの壁。空襲の影響でところどころ煤けている。


「お疲れさま」

「お待ちどおさまでした」


 ホームに立っていた赤いハンドバッグの美女に言ってからみどりサン、パーラーと同じ言い方をしてしまったことに気が付いて、ふふ、と笑った。


   ◆


「あら。ご苦労様。焼きいも食べる?」


 赤いハンドバッグの美女とみどりサンが古びたビルジングの三階にあるその事務所に着いたとき、電話番のサトコちゃんは休憩中だった。


「大好物をもらっちゃ悪いわ。はい、おみやげ」


 ハンドバッグからビスケットの包みを出して、みどりサンはにっこり笑う。


「やったあ。みどりサン大好きよ」

「サトコちゃんは、今年は田舎帰るの?」

「どうしようかなあ。兄貴は何やってるのかわからないし。お父さんもお母さんも最近はずいぶん具合いいみたいだし。顔見に帰りたいかな。うん。

 はいはい、」


 黒電話がジリジリ鳴り、サトコちゃんの仕事だ。


「はい。〈コガラシ商会〉です」

「みどりサン。こちらはこちらで、どうぞ」


 美女が応接室にみどりサンを案内する。


「はい」


 応接室のテーブルには、レースのテーブルクロスにガラスの灰皿とライターが置かれている。


「点検済みよ」


 美女が言うのを合図に、みどりサンはハンドバッグからコンパクトを取り出す。


「ボス。みどりです」


 化粧を直すふうのかたちでのぞくコンパクトの向こうには〈指令室〉がつながっている。


「〈みどりサン。クリスマスはフルーツパーラー、忙しかったようね。ご苦労様でした〉」

「どういたしまして。本日も異常はありませんでした。あちら様も、年末はゆっくりしたいのかしら?」

「〈何よりだわ。

 でも、そんなところに悪いんだけど〉」


 おいでなすった、と、みどりサンは肩をすくめる。


「〈これから一郎クンのところ、ちょっとだけお手伝いお願いできないかしら〉」

「バンドマンの一郎クンですか?」


 帰りのクルマを調達するのに、手間だわとみどりサンは思った。


「〈年末でしょう? あちらは毎日にぎやかでね。ちょっと手に余ることがあるみたい。お願い〉」

「わかりましたア」


 明日は久しぶりのお休みをいただいたのに、ついてないかも、と、みどりサンは思った。

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