第9話 あの日、そして最後の日

「ジーナはさ、なんで人形遣いにこだわるの?」


 ある日、夕食を食べながらピネロにそう問いかけられたことがある。落第ギリギリでなんとか魔術学院の試験を突破したと伝えた夜に。


「ピネロが、人形遣いになるっていうから」

「僕は、まあ……ジーナのお父さんに適正あるって言ってもらえたし……。でもジーナは昔から、糸に魔力を通すのも、魔力で糸を紡ぐのも苦手だったじゃん。無理に人形遣いを目指さなくたって……」

「もう、今更そんなこと言わないでよ」


 言い辛そうなピネロにそう切り返しながら、夕食を頬張った。


 自分の適正など、とうの昔にわかっている。故郷が滅んだあと、連れていかれた孤児院で、魔術の適正を調べられた。ジーナの魔術は、自身や自身の魔力を付与した物体を媒介に、空間転移を行うことができるというものだ。


 しかし、ピネロはそれを知らない。誰にも教えていなかった。ペルジェスから足のつかない亡命を行うために、寸前まで隠し通しておくつもりだったから。


 “英霊人形エインヘリアル”となった父に救出され、孤児院とは名ばかりの、他国の諜報員養成所で教育と訓練を受けた。そして、彼女は自身を助け出した者たちの祖国へ足を踏み入れ、そこの“女帝”に謁見し、ペルジェスを滅ぼすように命じられた。その際、“女帝”はピネロの生存と、亡命の話を持ち掛けてきたのである。


 生存者は自分ひとり、他は死んだと伝え聞いていたジーナにとって、それがどれほどの喜びだったか、余人には理解できまい。両親、友人、隣人たちが死に絶えたと思い、助け出してくれた父も目の前で物言わぬ人形と化した。それらの記憶から逃れたくて、必死で魔術の鍛錬に打ち込んだ。


 ただ流されて、全てを忘れようとした。そんな生の中で、最も親しい友人が生きていると知った。謁見の最中だというのに、泣き崩れるほど安堵した。そんなジーナの涙をぬぐい、“女帝”はこう言ったのだ。


「貴様に言い渡す任はひとつだ。ただ一度、私の任をこなせばよい。さすれば、貴様は貴様の友を連れて我が国に移り住み、穏やかな生を謳歌できよう」


 願ってもいない契約だった。“女帝”の国は安寧の夜に眠る国。魔獣にも、他国にも脅かされず、命の危機もない場所であることは、謁見前に国を見て回ったことでわかっていた。


 任務は、ペルジェスの要所にジーナの魔術具を仕込むこと。成功のあかつきにはピネロとの平穏な日々を取り戻せる。ペルジェスの王が死ねば、“英霊人形エインヘリアル”の契約も解け、父の魂は解放される。断る理由など何もなかった。


 そうしてジーナは諜報員としてペルジェスへと舞い戻り、ピネロと再会した。誤算だったのは、ピネロが未だに騎士団レギオン入りの夢を抱き、ことあるごとにそれを口にすることだった。


 だめだ、それだけはだめだ。心と記憶の抜け落ちていく父の姿がピネロのそれと重なった。話題が出るたびに怒り狂い、何度も喧嘩し、引き留めたが、それでもだめだった。


 なら、早く滅ぼしてもらうしかない。国が滅び、王族が消えれば、“英霊人形エインヘリアル”の作り手も操り主もいなくなる。あとはピネロを連れて、“女帝”との約定を果たせばいい。守る国がなくなれば、騎士団レギオンになる意味さえなくなる。ピネロの傍にいられるようになる。


 そのためにも、空間転移は明かせなかった。適正のない魔術を敢えて学ぼうとする劣等生。そう思われていた方が、ずっといい。


 だから、その日も決まりきった嘘を吐いた。


「ピネロの人形……私が作ってあげたかったの。お守りぐらいにはなるから……」

「君のお守りを戦線で失くしたら、僕は落ち込んじゃうかも」

「何度でも作ってあげる。ピネロが無事でいてくれるなら、なんだってできるから」


 微笑みかけると、ピネロは赤らめた顔を、夕食をかき込むことで誤魔化した。


 照れると顔を隠す癖は、いくつになっても変わらない。子供の頃には可愛いと思っていたその仕草が、今はたまらなく愛おしく、失われるのが恐ろしく感じた。


 夕食を食べ終えてしまったピネロは、耳まで真っ赤にしたまま席を立ち、指を鳴らして“隠密ヒドゥン”を解いた。傍らに隠していた、大きなぬいぐるみの背後に隠れ、少し大きくなった声で言う。


「そうだ、プレゼント! これ、あげる!」

「ど、どうしたの、それ? 今日、何かあったっけ……?」

「……あるよ。忘れちゃったの?」


 大きなぬいぐるみの影に隠れたまま、ピネロはぼそぼそと呟いた。


「……君と僕が再会した記念日」


 ジーナは目を丸くした。大きなぬいぐるみはピネロから魔力を得て動き出すと、ジーナへ歩み寄ってきて、優しく抱きしめてくれた。ふわふわしていて、暖かい。ジーナは布と綿の腕に顔をうずめた。


「そっか。今日だったっけ」

「うん。何か用意したいってずっと思ってたけど、これがいいかなって。ジーナにはドールショップの仕事もあるし、僕も忙しくて傍にいてあげられないから、代わりにって」


 代わり。誰かの代替品。ジーナの胸がちくりと痛んだ。騎士団レギオンには、父の魂を抜いて作った人形がある。それが父の代替として、王のもとで国を守る。だが、ジーナに父の代わりはもうない。父のように勇ましく凱旋することも、ピネロと一緒に高く持ち上げてくれることも、魔術を教えてくれることもない。


 このぬいぐるみだってそうだ。所詮は人形、ピネロの代わりは務まらない。ジーナはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、しばらく考えた末に呟いた。


「ねえピネロ。私、この子に名前を付けようと思うんだ」

「な、名前……ちょっと照れくさいよ。ちなみに、なんて名付けるつもり?」

「ボガート」


 さらりと言い放つと、ピネロはたちまちむせかえった。


「げほげほげほっ! ちょっ、それ、ジーナの親父さんの名前!」

「うん」

「……いいの?」

「うん、いいの。この名前でいい。だって、お父さんは……」


 あの地下室で見た、父の最期が蘇る。抑揚のなくなっていく、くぐもった声。“英霊人形エインヘリアル”も“被罰人形プリズナー”も、魂を抜かれて作った人形からは意思も記憶も削げ落ちていく。あの時、死して“英霊人形”と化した父は、最後に残った心を振り絞ってジーナを助けに来てくれた。


 今はもう、どこにいるのかわからない。王都で何かあった時、ペルジェスの王が必要に応じて呼び出す都合のいい手駒になってしまった。そうすれば、父が死んだ後もジーナは国の庇護を受けて何不自由なく暮らしていける。


 父の他にも、“英霊人形”となった騎士は多いはずだ。自分が死した後、家族に生活を保障してもらうために。ジーナが受ける保障は、彼女を引き取った孤児院を通じてジーナ本人に必要な分だけ流れてくる。孤児院とは名ばかりの、他国のスパイ養成所から、活動用の資金として。


 そしてその保障こそ、ピネロが騎士団レギオン入りを希望する理由のひとつだと察していた。自身が“英霊人形”となる契約を結べば、子供の代まで安泰になる。


 でも、受け入れられない。ふたりの間に子ができたとして、その子供にもジーナと同じ想いをさせるのか? 父を目の前で人形にされた、あの日のジーナと同じ想いを。そう訴えたかったが、湧き出す吐き気に黙らされるのが常だ。


 ボガートを抱いたまま懊悩していたジーナを、ピネロは心配そうに見つめる。ジーナはやがて、口を開いた。


「ねえ、ピネロ。次の記念日も、こうやってぬいぐるみ、作ってくれる? 次は女の子がいいな」

「で、今度はおばさんの名前を付けるつもり?」

「だめ? お父さんとお母さんの代わりに、いろんなお話を聞いてもらおうよ。ピネロと……幸せに暮らしてるよ、って話とか」


 見返りながら微笑むと、ピネロは顔を赤くして目を逸らした。


「か、考えとく……」

「うん」


 きっと、ピネロは作ってくれる。ジーナはそう確信していた。これでまた、元通りになる。ピネロとジーナの家族で、常夜の国で夢見るように過ごしていける。


 その想いが、あの日少し壊れたジーナの心を満たしてくれた。


⁂   ⁂   ⁂   ⁂   ⁂


 獣の声と梢の音が、途切れ途切れに聞こえてくる。連続しているのは荒い少女の息遣い。激しい頭痛の残滓が抜けてきたピネロは、なんとか顔を上げた。周囲は森で、ピネロの背丈より何倍も高い木々とベリーや葡萄ブドウの生る茂みがそこかしこにある。ピネロはボガートの小脇に抱えられていた。


 不意にボガートがジャンプして、背中にしがみついていたジーナが枝から無花果イチジクをもぎ取って口にする。森は全ての生き物にとっての餌場であり、群雄割拠の戦場だ。木の影、茂みの隙間から、魔獣の眼差しを感じる。


 ピネロは首をひねり、汗だくのジーナに問いかけた。


「どこに……行くの……? こんなところ、危ないよ。帰ろう、ジーナ……お願いだから……」

「黙って」


 ジーナは殺気立った声で黙らせる。ピネロは額に手を当てた。さっきまでの記憶が何故かあやふやだが、目の前の少女に怒声を浴びせられたことは覚えている。きっとこんな少女の姿だから、信じてもらえないのだろう。


(でも、変だ……。僕は、どうして女の子になったんだっけ……?)

(なんでジーナは森の中にいるんだろう……誰かから逃げているの? 誰から?)


 ピネロは首を振って、疑問を棚上げした。空間転移を駆使して移動した先で、枝先に生っている梨をもいで口にする。果汁が弾け、果肉もろとも魔力に変換された。何故か、魔力が尽きている。とにかく補充しなければ。


 ジーナがそうするように、手当たり次第に果物や野菜を食べて魔力を補給する。みるみるうちに魔力が体に戻ってくるが、空腹は満たされない。当然だ。本来肉体が食物を取り込み、魂が魔力を生み出せるようにするという手順をすっ飛ばして、食物を直接魔力に変換しているのだから。


 しかし、それは知る限りピネロにしかできないことだ。彼女はやがて魔力が突きかけてきたのか、ボガートを立ち止まらせた。息を荒らげながら背中を降りて、黒いマントの下から赤い粉の入った小瓶を取り出す。それに魔力を込めて適当な樹木に投げつけると、たちまち火災が発生した。恐れをなした魔獣たちが逃げていく。


 ボガートの小脇に抱えられたまま、燃え上がる炎を見つめてピネロが問う。


「なんで、こんなことをしているの……? どうして、こんなところに来たの……? ねえ、ジーナ……僕を、どこへ連れていくつもりなの……?」

「……私の国に」

「君の国って……君の国は、ペルジェスじゃ……」

「違う。あんな国にはいられない。お父さんを、ピネロを奪う、あんな国には」


 ピネロは疲れた頭を回して、なんとか言葉の意味をくみ取ろうとする。ジーナの父とピネロを国に奪われた? 一体何を言っているんだろう。ジーナの父は、ピネロたちの暮らす村を襲った魔獣に殺された。ピネロは今こうしてここにいる。何も奪われてなんかいないじゃないか。


「ジーナ、僕はここに……」

「まだそんなことを言っているの……?」


 炎を前に立ち尽くす、ジーナの声が怒りに震えた。彼女は振り返ったが、炎の逆光で顔が見えない。ボガートはピネロを乱暴に放り投げると、ジーナの傍らに立った。


「ピネロの命を入れられたから? 自分が本人だって、そう思ってるの!? ふざけるな! あなたがピネロじゃないことぐらい、もうわかってる! 人形に入れられた魂からは、意思も記憶も抜け落ちる……! 保ったところで一日が限界。そんなことも知らないと思ってるの!?」


 花園の上に座り込むピネロの前で、ジーナはボガートのちぎれた首をつかんで引き剥がした。銅色の髪をした少年の死体がそこに収められている。ピネロはそれをぼんやり見つめる。そして、思った。


(死体? ……?)


 目を丸くしたままのピネロの反応を、ジーナはどう受け取ったのか。彼女は壊れたように笑って、少年の頬に手を触れた。


「見てよ……あなたを動かすために、犠牲になっちゃった人の顔だよ。私には、この人しかいなかったのに。もうこの人しか、私のこの苦しみを、痛みを、分かち合える人はいないのに……あなたが奪っていったんだ! あなたのせいで!」


 泣き叫ぶジーナが何を言っているのか理解できない。ピネロは打ちひしがれたようにぺたんと座りながら、炎に塗りつぶされていくジーナへ向けて手を伸ばした。


 違う、ピネロは僕だ。そう言おうとして、舌がもつれる。なぜか、自分の言葉じゃない気がしてきた。じゃあ、誰の言葉だ? どうして僕の口から零れようとする?


 疑問とともに、不可思議な感覚がピネロを襲った。完成していたジグソーパズルのピースが抜け落ちていくように、記憶が欠けていく。


 誰かの地下工房。誰かに怒られた。黒い何者かと戦って、誰かに自分を証明して、ソファの上で安堵した。綺麗な女の人に助けてもらって、シャトラと名乗った。……シャトラ? ピネロではなく?


「あ、あ、あ……?」


 鳶色の髪をしたオッドアイの少女は、顔を手で覆って俯いた。抑えようもなく体が震える。得体の知れない恐怖が覆いかぶさってくる。鉄でできた毛布のようにピネロに圧をかける恐怖が投げかけてくる問いに、耳を塞いでいやいやをするように首を振った。


「僕は、僕はピネロだ……騎士団レギオン志望の魔術学院生で、人形遣い。アルバート師匠の弟子……ジーナと一緒に暮らしていて……“ツー・ナイツ・ディフェンス”が使えて……騎士団入りする理由は……」


(理由は……なん、だっけ……?)


 全身から冷や汗が噴き出す。炎がすぐ近くにあるのに、ひどく寒い。嫌だ、何も考えたくない。決定的な何かを失ってしまいそうだ。


 肩を抱いて蹲り、震え始める少女を、ジーナは目を丸くして見下ろした。その様が、何かを想起させる。腹の底から胃液とともにせり上がる、その記憶の正体を、彼女はよく知っていた。


 直後、パンッ、と乾いた音がふたりの思考をスキップさせる。森が一瞬にして魔力の光に包み込まれ、葉の一枚に至るまで煌めいて、凄まじい暴風によって消しとばされた。


 ジーナたちの真横に空白地帯が出来上がる。樹木も魔獣も全て吹き飛ばし、ふたりの前に現れたのは、ドレスめいた鎧姿の女騎士。“聖楽徒”レミハ。ここまで追ってきたのだ。


「ようやく……見つけました! 覚悟!」


 レミハはヴァイオリンの弓を剣のように抜き放ち、ジーナめがけて刺突を繰り出してきた。早い、反応が間に合わない。目を見開いたジーナは、ヴァイオリンの弓が細かく振動し、微細な光の粒をまき散らしているのを直視した。


 魔力を付与された弓の先端が触れれば、あらゆる物体は振動に耐えきれず粉微塵に崩壊する。防いだものごと破壊し尽くす、防御不可の一撃。それこそレミハを騎士たらしめる必殺の剣。


 それがジーナの胸に触れる直前、レミハのすぐ側面に白銀色の人影が飛び込んできた。長身痩躯、両腕が鎗となった騎士型の人形は、鎧の脇腹に突撃鎗を突き刺し、レミハを真横に吹っ飛ばした。


「がっ!?」


 オルゴールのシリンダーにように回転したレミハは空中で体勢を立て直し、吹っ飛んだ先にあった樹の幹を蹴って着地する。素早く身構え直した彼女の前に、人形が両腕の鎗を構えて立ちはだかる。その後方には、頭を抱え、膝を震わせながら立ち上がる鳶色の髪の少女がいた。


 レミハは訝り、ジーナを視界の片隅に収めながら警戒する。ジーナ自身、何が起こったのかわかっていないようで、その場に立ち竦んでいた。


「なんのつもりですか。あなたは、そこの少女を庇うつもりですか! その少女はあなたをかどわかし、ペルジェスに牙を剥いた罪人ですよ! 自分が何をしているのかわかっているのですか、ピネロくん!」

「ピネ、ロ……」


 かまかけも兼ねた呼びかけを復唱し、鳶色の髪は顔を上げた。空色とブラウンのオッドアイは不安定に揺れ動き、恐怖しているようにも、動揺しているようにも、絶望しているようにも見えた。


「僕は、ピネロ……そう、そうだよ……! そうだ……!」


 ずきん、ずきんと頭が痛む。握った手のひらから、ぽろぽろとチェス駒が落ちて、白銀色の輝きを放ちながら人形の姿を形作る。鎧姿の戦士が二体、魔術師風の人形が一体、要塞じみた巨人が一体。


 ピネロは激しくなる頭痛に苦しみながら、まなじりが裂けそうなほどに刮目した。縮み切った瞳の焦点が合わなくなり、涙が流れ落ちる。


 消えていく。何かの光景が。もはや何の光景だったのかも思い出せない。とても大切なものだったような気がするのに。あのテディベアを連れた少女を守らなくてはいけないという強迫観念の如き本能に従って“ツー・ナイツ・ディフェンス”を呼び出した。


「だから、守らなくちゃ……。でも、なんで、守るんだっけ……誰を、どうして」

「ピネロ……?」


 ジーナが茫然と呟く。三日前に死んだピネロの死体はここにある。本来の肉体を離れた魂は、一日と保たず記憶も意思も失うことを知っている。報告を受けた“女帝”は告げた。アルバートの“肉人形ホムンクルス”には、彼の娘の人格が宿っているはずだと。


 それらを信じた。だが、鳶色の髪の少女の様子は、“英霊人形エインヘリアル”となった父が父でなくなっていく様に似ている、いや同じであるような気がしてならない。


(まさか、本当に……ピネロ……?)


 ジーナがようやくその可能性に思い至った瞬間、ピネロは絶叫した。


「う、う……うわああああああああああああああああああああああッ!」


 ピネロが咆哮すると同時に、人形たちが動いた。“鎗兵ストライダー”がレミハの目の前に移動し、凄まじい速さで斬り結ぶ。


 人形の鎗や体はヴァイオリンの弓に触れた傍から崩壊し、再生していく。レミハはとっさに“鎗兵”の刺突を潜ってかわし、背後へ抜ける。その行く手を二体の“尖兵ソルジャー”が塞ぎ、殴りかかってきた。これも最低限の動きで回避し、泣き叫び続けるピネロへ走る。


(まずい、暴走している! これだけの数の人形を“魔力変換コンバート”して、しかも壊されたそばから再生なんてしていたら……魔力が尽きて死んでしまう!)


 立ち竦むジーナを一旦脇に置いて、レミハはピネロに向かって駆けたが、その場で立ち止まる。音によって、目の前に見えない壁が現れたことを察したからだ。背後から殴りかかってくる“尖兵ソルジャー”の拳を屈んで避けると、真横にスライドして跳躍。不可視の壁を飛び越える。


「ピネロくん! 気をしっかり持ってください! ピネロくん!」


 空中で呼びかけるが、再び現れた不可視の壁に遮られてしまう。虚空に斜めに配置されたガラス板のような防壁の奥では、ピネロが拷問の被害者のように泣き叫んでいる。その隣で、巨躯の“重兵フォートレス”が胸を展開。砲台を露出させ、魔力をチャージする。


 ピネロが秘していた人形が、仕掛けが、惜しげもなく白日の下に晒されている。操り主はとても人形を操作できるような状態ではないはずだ。人形遣いが近くにいれば、ある程度自律して動けるのか。それとも。


 “重兵”が太い魔力のビームを解き放った。ふっと透明な防壁が消える。宙に身を躍らせたレミハは、空気を蹴って体をひねりながらピネロへと落ちていく。からの手を伸ばして、呼びかけた。


「ピネロく……」

「消えて!」


 レミハの真横に瞬間移動してきたジーナが、レミハを蹴り飛ばす。斜めに落下したレミハはバク宙をして足を突くと、顔を上げた。銅色の髪の少年を収めた着ぐるみが、丸太のような腕を振り下ろしてくる。レミハはそれを片手で受け止めた。


 さっきはジーナの始末を優先していて気づかなかった。着ぐるみの頭部の代わりにあるのは、紛れもなくピネロの死に顔だ。


 落下して受け身を取ったジーナは、鳶色の髪の少女を抱きしめる。何が正しくて何が間違っているのか、ジーナにはもう判断がつかなかった。しかしいずれにせよ、ピネロの死体とこの少女の魂を持ち帰れば、“女帝”に蘇生してもらえる。そのために、レミハを排除しなくては。本気で自身を殺しに来る騎士を、逆に殺さねば!


「ボガート、お願い! その人を殺して!」

「この顔、ピネロくんの死体!? もう、何が、どうなっているんです!」


 レミハはボガートの腕を弾き、柔らかな腹を蹴り飛ばした。そこへ“尖兵ソルジャー”と“鎗兵ストライダー”が迫りくる。交互に入れ代わり立ち代わり繰り出される拳と鎗を回避しながら、レミハは焦燥に駆られた。


 空間転移の少女は、恐らく牢獄に叩き込んでも無意味だろう。連行すら困難な可能性がある以上、今ここで殺さねばならない。だがあの暫定ピネロの少女が防衛してくる。彼女にも山ほど聞きたいことがあるのに、もはや魔力も命もお構いなしと言わんばかりに人形を暴れさせている。


(人形は壊せば再生する上、その再生にも莫大な魔力を消費するはず! 魔術師風の人形と巨大な人形に至っては、独自に魔術を使う有様! このまま放っておけば、魔力の源泉たる魂の枯渇を招く)

(それはつまり、魂と密接なつながりを持つ精神と肉体の死と同義!)

(人形を壊さないように、これ以上魔力を浪費させないように、且つ少女を殺してピネロくんを生かす。難儀な!)


 騎士団レギオンは、ただひたすらに殲滅力を求められる。日々拡大する森を、進化する魔獣を、敵国の魔術師を殺し尽くすことが本懐。レミハの得意分野はもっぱらそっちだ。こんな戦い、経験したことも想定したこともない。


(でも、やるしかない!)


 覚悟を決めたレミハは、ヴァイオリンを取り出した。魔力を付与していない弓の背で攻撃をいなして“尖兵ソルジャー”と“鎗兵ストライダー”を転ばせ、ボガートに足払いをかける。


 拳を振り下ろしてくる“重兵フォートレス”の腕に飛び乗って駆け上がり、飛び越えるとまた見えない壁が現れた。ヴァイオリンの弓に魔力を流し、振動を以って風穴を空ける。その先では、ジーナが鳶色の髪の少女を抱きしめてあやしていた。


「ピネロ、ピネロなの……? ねえお願い、なんとか言って……!」


 少女はしゃくりあげながら、頭を抱えて守る、守るとそれだけを繰り返している。激しい頭痛は未だに止まない。記憶が薄れていく中、鳶色の髪の少女は弾かれたように顔を上げた。


 空中に、ヴァイオリンを構えたレミハ。彼女は弦に弓をあてがい、重苦しい音色を響かせる。


 空気が重圧を以って、人形たちを叩き伏せた。レミハは弓を出来る限りゆっくりと引いて旋律を維持。落下と同時に空間転移の少女を、鳶色の髪の少女から引き剥がして殺す。そのために、人形たちの動きをギリギリまで封じ込める。


 ピネロはジーナの両肩に手を置いて腰を浮かせると、周囲に魔力を固めて三日月型の刃を三本生み出した。もう頭痛は閾値を振り切って、何を見聞きしているのか、何を考えているのかさえ定かではない。ただひとつ残った、何かを守るという本能に従い、ピネロは魔力の糸をレミハへ伸ばす。


 ヴァイオリンごとレミハの両腕に糸が絡みついた。限界寸前の魔力を絞り出して作った刃に繋がった糸が。


「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「っっ!」


 魔力の糸が一気に縮み、刃がレミハめがけて飛翔する。レミハは逡巡した。複雑に絡んだ糸のせいでヴァイオリンも弓も捨てられない。刃は糸に導かれていて回避不可能。この状況では、声による砲撃で刃を壊すしかないが、その威力で撃てば直線状の空間転移の魔術はもとより、鳶色の髪の少女までも殺しかねない。


 レミハは下唇を噛んだ。“ツー・ナイツ・ディフェンス”。着ぐるみを着たピネロの死体。ピネロと名乗ったあの少女。限界まで加速した思考が、懸念を呼び出す。


(まさか……私は自分の生徒を、自分の手で殺さねばならない可能性があると?)

(もう死なせないと、傷つけさせないと誓っておいて。それすら守れず、挙句の果てに死なせねばならないかもしれないと?)

(ばかな、ばかな。そんなばかな!)


 ヴァイオリンが糸に絡んだせいで演奏が止まる。人形たちが起き上がる。遠距離攻撃の手段を持つ“封術師シーラー”と“重兵フォートレス”がレミハを見上げた。


 手をこまねけば詰みチェックメイトだ。レミハが死ぬか、鳶色の髪の少女が魔力切れの末に死ぬか。空間転移の少女は生き残るだろうか。生き残ればきっと、また国に牙を剥くのだろう。そうなれば、最終的に国は滅んで、大勢死んでしまうかもしれない。


 騎士は悲壮に顔を歪め、叫び声をあげた。


「あ―――あああああああああああああああ!」


 ピネロはとっさにジーナをかばった。ピネロはもはや、恐怖も何も感じていない。頭痛とともに失われたものの中、ただひとつ残った守護の意思に突き動かされての行動だ。


 レミハに背を向け、ジーナを守る。声が響き、魔力の光がそれを追う。空中で止まった刃が一瞬震えて砕け散った。ピネロたちに破壊の声が襲い掛かってきたが、耳には何も聞こえてこない。ピネロには、抱きしめられた温もりと、天地のひっくり返る感覚だけが感じ取れた。


 地面にレミハの魔力が激突した。土の混じった突風が四方八方に散らばり、梢を揺らした。ざわざわと葉擦れの音が鳴って、止まる。地面に着地したレミハは、魔力で編まれた糸を力尽くで引き千切って爆心地に駆け寄った。


「ピネロく……、……っ!?」


 レミハは弾かれたように立ち止まった。すり鉢状に凹んだ地面の中心に倒れていたのは、全身から血を吹き出した少女がひとり。髪の色は、ダークブラウン。ジーナがひとり、うつ伏せで倒れ、虚ろな目で血を吐いた。


「……ピネ、ロ……」


 虚ろになった少女の視線を追いかける。すると、立ちあがる途中で動きを止めた人形たちの中に、鳶色の髪の少女の姿があった。ぽかんと口を開けたまま、ボガートに抱き締められている。鳶色の髪の少女は、緩慢にボガートの背中を撫でた。


「え、あ……え……?」


 ぼやけていく視界の中、ジーナは鳶色の髪の少女が動いているのを確かめると、小さく微笑んだ。ボガートの下へ、無事に空間転移をさせることができたようだ。


 よかった、間に合った。血と破壊された臓器の欠片を吐き出しながら、ジーナはそう思った。鳶色の髪の少女がジーナへ手を伸ばしてくる。何か叫んでいる。何も聞こえない。


 どうして、そんなことをしたのだろう。死にゆく彼女には、理由を考えるだけの力も時間も残されてはいなかった。ただ、暖かな陽の差す森の中で、幼いピネロと抱き合う自分の姿が見えた。


「ピネロ……帰って、来たの……? 寂しかったよ……おねがいだから、もうひとりに、しないでよ……」


 幻想に向かって伸ばされた手が、土の中に落ちた。かしゃん、と儚い破砕音が何度か響く。“ツー・ナイツ・ディフェンス”で呼び出された人形たちが砕ける音だ。鳶色の髪の少女は、ボガートに抱き締められ、ジーナに手を伸ばしたまま震えていた。


「あ、ああ、あ……」


 人が死んだのが見えた。ほっとした顔で、穏やかに眠るように、血みどろで。守りたかったはずの人が、死んだ。


 でも、どうして守りたかったんだっけ。どうして大切だったんだっけ。あの優しい顔で眠る少女は、誰だったっけ……?


 頬に熱い筋が落ちる理由すらわからないまま、鳶色の髪の少女はぬいぐるみの腕の中で打ちひしがれていた。レミハはヴァイオリンの弓を下ろし、ゆっくりと生き残った少女に近づく。


 もはや、この少女は戦えまい。人形も消え、見るからに戦意喪失した少女からぬいぐるみを引き剥がす。死体の顔は、確かにピネロだ。だが、その少年と同じ魔術を、この少女は使ってのけた。だから、今一度、はっきりさせねばならない。


 レミハは鳶色の髪の少女と視線を合わせ、問いかけた。


「こんな状況で言うのもなんですが、大切なことなので先に聞かせてくださいね。あなたのお名前は?」

「名前……」


(僕の、名前は……)


 頭が痛む。何も考えられない。


 鳶色の髪の少女は色の違う両目からとめどなく涙を流しながら、口にした。


「わかりません……。僕の、名前は……誰……?」

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