第8話 黒羽の散逸

 ふうっ、と軽くふき放たれた魔術の煙が、目にも止まらぬ速さで黒服の全身を射貫く。額から腹までを三色に遷移する煙のトゲで貫かれ、引き裂かれた黒服の体は煤となって散る。煙の主、“幻酔妃”マイラは舌打ちをこらえた。


 離れた屋根の上で収束し、再び人の形を取り戻す黒い霧。片膝を突いた黒服は片膝がガクンと落ちかけたところで踏みとどまる。度重なる魔術の行使が、彼に消耗を強いているのだ。


「ふう……これが音に聞く“幻酔妃”。なるほど、末恐ろしい」

「わっちを知るとな? 流石、間諜の仕事をしているだけはありんす。けれどもわっちはぬしを知りんせん。捕らえてその面の皮ごと仮面を剥がして、心の裡まで赤裸々に語ってもらいんしょう」


 マイラがそう告げると、辺り一帯を包む煙がさらに大きく広がり、濃くなった。黒服は煤を周囲に渦巻かせ、煙に捕らわれないようにする。下手に距離を稼ごうものなら、たちまち殺害されるだろう。広域を包む煙の結界は即ち、マイラの手のひらの上に等しい。


 魔術の煙は重圧を以って、球状の煤の防壁ごと黒服を圧し潰そうとしてくる。全方位からの強大な圧力に、黒服は全霊で抵抗する。この拮抗が崩れれば、待つのは悲惨な拷問死と死後の搾取だ。


 足元に両手を突いた黒服は、仮面の下で顔を歪める。彼の魔力も限界が近い。連日の戦闘と鳶色の髪の少女の追跡、さらに自律して稼働する自分の分身の生成に単独での陽動作戦。諜報員にあるまじき大立ち回りとオーバーワークだ。


(この強大で美しい魔術師を相手に生きて任務を完遂する以外、もはや安寧の道はない、か。私にここまでさせた分はしっかり結果を出しているのだろうな……!)


 別行動をしている同僚たちに恨み節を内心で吐くと、懐からざらざらとした声が聞こえてきた。同僚からの伝令だ。


「隊長、ターゲットを捕獲しました。現在ポイントB地点に集合しています」

「ならば先に行け! 私は今取り込み中だ」

「無粋でありんす。わっちを前にしておきながら、どこの馬の骨とも知れぬ輩と呑気に雑談とは。無粋なことこの上なし」


 突如、煤の壁が叩き割られた。黒服が見上げると、煙を凝縮して作った巨大な斧がそこにある。黒服がとっさにとった回避行動を、流れ込んできた煙が全身に絡みついて封じ込める。煙の刃は黒服の右肩から右腰までを削ぎ落とした。


「ぐあああああああッ!」

「ほう、片方の肺が欠けてなおその悲鳴。活きが良いのは助かりんす。すぐ死なれては困りんしな」


 いつの間にか黒服の背後に立っていたマイラが、魔術具の煙管をくるくると回す。無数の触手の形を取った煙は、黒服のマントをズタズタに引き裂き、懐のぬいぐるみを刺し貫いて奪い取り、トゲのついた毛布となって黒服の傷口を覆う。


 苦痛に叫ぶ黒服は、奥歯に仕込んだ小さな魔術具を噛み潰して自決を図る。が、口内に入り込んだ煙草の匂いがそれをさせなかった。仮面と覆面の隙間から侵入した煙の触手が自決用の魔術具を仮面もろとも奪い取る。


 やがて、黒服は全身を包帯状の煙で包まれ、きつく締めあげられた。マイラの指先に、黒服の男が藻掻く感触が煙を通じて伝わってくる。そちらを意識しつつマイラは周辺一帯の煙を使って被害状況を精査した。


 建物の損壊は最小限。怪我人の止血は完了、全員命に別状なし。


「“英霊人形エインヘリアル”! 下手人を捕縛しんせん。怪我人を順次搬送したのち、拷問の申請をしなんし!」


 捕らえた黒服ごと屋根から飛び降り、煙を集めたマイラは、苦々しく唇を歪めた。煙草の苦みがべっとりと舌に張り付くようだ。慌ただしくマイラが戦っていた区画に集う“英霊人形エインヘリアル”たちに黒服を引き渡す。


「わっちの隊員たちの仕事ぶりは?」

「全域において避難誘導と警戒を続行中。現在目立った異常はないとのこと」

「レミハはどこに?」

「大図書館に到着。敵数名を殺害したが、生徒たちは大きく負傷し約半数を取り逃がした。現在は敵陣へ突撃するべく、ジェスター・ブダペストの儀式を待っている」

「何をしているのでありんす……!」


 マイラはおっとりした同僚の顔を思い浮かべて嘆息する。王都に潜り込んだ敵を生け捕りにできないばかりか、守ると息まいていた生徒たちをも傷つけられたなど。これでは、なんのためにレミハの足止め役を引き受けたのかわからない。しかも取りこぼしたとあっては。


 問いかけに答えてくれた“英霊人形エインヘリアル”から離れつつ、次の行動を考える。レミハに加勢すべきだろうか。否、彼女の音響魔術は繊細なコントロールが難しく、下手に加勢すれば巻き添えを食う。単騎で本気を出すとなれば、音の届く範囲内全てを無差別に破壊しかねない。マイラの“煙操魔術えんそうまじゅつ”で中和・相殺できるか怪しい。


 数秒の思索の末、マイラは首を振った。事情の全てを聞いたわけではないが、ことの発端はレミハの失態だと本人が言っていた。ならば、失態の全ては本人の武勲で清算すべきだろう。それが騎士というものだ。


 ならば、自身がやるべきは引き続き王都の全てをくまなく精査し、危機の芽を全て摘むことである。


 マイラは再び煙を膨張させ、肺活量と魔力の許す限り煙を吹き出す。自分だけでは王都全域をカバーするにはとても足りない。だが、それでも数十人分の働きはできよう。


「本当に……久方ぶりの休暇でこれとは、割に合いんせんな」


 煙を四方八方に広げ、建物の中から石畳の隙間まで調べ上げながら、マイラはげんなりと呟いた。


「あまりに不穏な騒がしさ。近々戦争でも起こるとでも? 時期尚早にありんす」


⁂   ⁂   ⁂   ⁂   ⁂


 ピネロは虚空に放り出せるような感覚のあと、地に叩きつけられた。


 乾燥した硬い土の感触。顔を上げると、そこは見覚えのある荒野である。命の気配のない大地のど真ん中に放り出されていた。


「ここは……? 僕はさっきまで、図書館に」


 当惑するピネロの首根っこが捕まれ、後ろに引っ張られる。そのまま固い金属の棺へ押し込まれかけ、慌てて抵抗した。ピネロの両肩に手を押し付けているのは、あの小柄な黒服だ。


「は、離して! 僕を……どうするつもり!?」

「当然、あなたの命を返してもらう。あなたが奪っていった命を!」


 小柄な黒服はピネロともみ合いながら、力を強めた。ピネロが押し込まれているのは棺には、人型の頭部が彫刻されている。それは、悲しげな表情をしていて、開いた口はどうやら空洞のようだ。ただの金属の箱ではない。恐らく魔術人形のたぐい


 しかし、それよりも先に確定させねばならないことがあった。ピネロは疲労困憊の体に鞭打って身を起こし、小柄な黒服の頭をつかんだ。少し裂けた覆面を破いて、剥ぎ取った。


 ダークブラウンの髪が、荒野の風になびく。何かの間違いであってほしいというピネロの願いを受け流すように。覆面の下にあったのは、見間違えるはずのない、十年来の幼馴染の顔。


 ずっと考えないようにしていたのだ。なんでジーナの部屋にあの黒服たちがいたのか。その答えは、ボガートを操っている時点で、その名を呼んだ時点で、見えているのに。どうしても、考えたくはなかったのだ。


 それでも、これが現実だった。


「……ジーナ、どうして」


 パンッ。頬に痛みが走って、顔が棺の中の暗がりへと向く。ピネロの頬を張ったジーナは、涙を溜めた目で睨んでいた。


「気安く……私の名前を呼ばないで。自分がピネロだとでも言うつもりなの? 彼の命を使って蘇ったから? そうすれば見逃してもらえるって、“城主”アルバートに言われたの? ふざけないで! あなたが何者かなんて、こっちはとっくにわかってるのよ!」

「ち、違う……」


 浴びせられた怒声に対し、ピネロは喉を震わせながら反論した。


「違う、僕はピネロだ! 蘇ったって……なんのことなの!? だって僕はこうしてここに……がふっ!?」


 重い拳がピネロの腹に叩き込まれる。棺ごとひっくり返され、蓋をボガートのふわふわした両手が閉じようとした。焦ったピネロは、ウェストポーチから新たなポーンを取り出した。頭痛も、無理して捻出した魔力の代償にも構ってられない。“尖兵ソルジャー”を作り、反撃する。


 棺から飛び出した“尖兵”はボガートの頭と胴体の付け根を殴り、さらに拳をひねってアッパーカットを繰り出した。棺に覆いかぶさるようにしていたボガートは大きく仰け反り、首がちぎれる。中身が露出した。ちぎれた綿と、それに囲まれた人の顔。


「――――――えっ」


 ピネロの頭が真っ白になった。ボガートを着ぐるみのように着ているのは、ジーナの顔と同じくらい見間違えようのない面立ち。銅色の髪をした少年の顔。ピネロ・ガビの面貌だ。


 時が止まったように感じる。なぜ、本来の自分の顔がそこにある。なぜ、ボガートの中に。肌は土気色で、目を閉じていてとても生きているようには思えない。


 なんで、どうして、


 意識が持っていかれたせいで、“尖兵ソルジャー”がコントロールを失って凍り付いた。その隙にボガートが腕を振るい、“尖兵”を棺の中に叩き伏せて蓋を閉じた。ガチッ、とロックのかかる音が、ピネロを我に返らせたが、もう遅い。


 ピネロは蓋の裏側を叩きながら叫んだ。


「ジーナ! 開けて、ここから出してよ! どういうこと!? なんで君が……なんで僕が! ジーナ、ジーナぁっ!」


 呼びかけるが、答えはない。棺の外で暗い瞳を落としながら、ジーナは蓋を殴りつける。腕を伝って棺に流れ込んだ魔力の光は、棺についた顔を刮目させ、棺の内壁に仕込まれていた糸でピネロの全身を縛り上げた。


 “尖兵ソルジャー”もろとも拘束されたピネロはたちまち動けなくなる。体中に糸がきつく食い込んで苦しい。柔肌に痕をつけた無数の糸は、少女と兵士の体から魔力を吸い上げ、暗い棺の内部を照らす。


 ピネロの脳が、ドクンと拍動した。脳の中心に無数の針で覆われた心臓があって、脈を打っているかのような。奪われゆく魔力が強制的に補填され、反動でピネロの脳を苦痛で満たした。


「あ、ああ……っ、あああああっ! や、やめて! 魔力を……あぁあああっ!」


 ピネロの悲痛な訴えは、当然棺には届かない。空洞となった口から、溜め息のように魔力の霧があふれ出す。閉じ込めた者の魔力を吸い上げ、無為に排出する機構なのだ。


 既に何度も底をついていながら、魔力を無理矢理引き出されたピネロの体は、本人の意思に関係なく、命を繋ぐために別のものを魔力に変えていく。


 一体、何が失われる? 肉体さえ残さず消えてしまうのではないか? 喪失の恐怖を苦痛が圧し潰していく。


 ジーナはくぐもった声を聴きながら、ふらふらと後ろに数歩下がる。彼女の顔も汗びっしょりで、呼吸も荒い。ろくに食事も睡眠もとらないまま、幾度となく空間転移の魔術を使い彼女の体にもまた、限界が近づいているのだ。


 そんな彼女へ、ともにレミハの攻撃から逃げ延びた黒服が声をかける。


「済んだなら行くぞ。隊長からの連絡が途絶えた。死んだものとして扱い、今すぐにここを離れる。奴らが王都に集中しているうちに、女帝の下へ戻るぞ」

「ええ、わかってる……。けど、私は……」

「魔力切れなんだろう。仕方ない、どうにか国境警備を突破し、外の森で食料を補給する。あと少しの辛抱だ、亡命が叶うぞ、兄妹」


 作戦終了時で気が緩んでいるのか、はたまた緊張をほどよく緩めるためか。同僚の黒服はジーナの背中を軽くたたいた。ジーナは頷くと、ボガートの頭を被せてピネロの死に顔を覆い隠す。


 他の黒服がふたりがかりで棺を起こして移動体勢を整える間、ジーナはぬいぐるみの腹に額をうずめた。ようやくだ。これでようやく、幼馴染の少年をこの国から逃がしてあげられる。魂を王に売り渡すなんて馬鹿な願いを捨てさせられる。


 あとは、あの少女を“女帝”に差し出し、ピネロを蘇らせてもらえば済む。そう考えたところで、鳶色の髪の少女に対する怒りがふつふつと湧き上がってきた。


「アルバートの……人形……っ!」


 ぎりぎりと歯を食いしばり、怒りを堪える。ピネロが帰ってこなかったあの日の夜、ジーナは突然舞い込んだ任務に駆り出された先で、ピネロの死体を目の当たりにした。あの謎多き地下工房、最終的に城人形と化し、自爆して消えたあの部屋で。


 どうして、ずっと一緒にいるといつも言ってくれていたのに。なぜよりにもよってあの日、あの夜、あの場所でピネロは死んでいたのだ。これでもう、本当に独りになってしまった。そう嘆くジーナに、隊長は一通の手紙を届けてくれた。


 ジーナが仕える女帝からの手紙。命は命で贖える。ピネロの命を代償にして蘇らせた人形ならば、その人形の命を代償にしてピネロを蘇らせることもできるのだ、と。


 生体魔術不全の法則のせいで、他者に働きかける魔術は恐ろしいほどに難易度が高い。だが、決して不可能ではないと、かの“女帝”はジーナの目の前で実演してのけた。彼女にしかできない、ともいえよう。その彼女ができると言うなら、縋るしかない。


 ボガートを抱きしめ、魔力をほんの少し注げば、大きなぬいぐるみはジーナの頭を優しくなでてくれる。その中にはピネロの死んだ肉体がある。致命的な損傷のない肉体、蘇るための器が。これが腐る前に、届けなければ。


 悲鳴を響かせる棺が引き起こされた。棺は魔力の息を吐くのをやめて、奪った魔力で宙に浮かんだ。これを持ち帰れば問題はない。暫定的にリーダーに収まった男が頷く。


「よし、このまま荒野を南下して国境を出る。空間転移は既に見せた。国境警備にいつ通達と警戒の指示が来るかもわからん。急ぐぞ」

地下したの魔術方陣はどうする? 壊さず出てきてしまったが」

「一応、地上うえから潰していく。空間転移がバレたらことだからな」


 サブリーダーの黒服が懐から金槌を取り出し、魔力を込めて振り上げる。槌で砕かれる運命の地面の下には、彼らの仮拠点のひとつがあった。そこには手をつないだぬいぐるみの輪で作られた魔術方陣が敷かれている。


 ジーナはボガートから離れ、それを見守った。陣を作るぬいぐるみたちは、全てジーナの作だ。人形魔術に代わって、ジーナに宿った魔術の適正。それが空間転移の魔術。そして、その魔術を支える魔術具の作成。


 本当は、ピネロと同じ魔術を使いたかった。彼を守ってくれるような人形を作って、自分の手で整備して。どうせ彼が意思を曲げないなら、そういう関係で戦場までついていきたかった。ジーナには人形遣いの才はなく、ピネロもついぞ、自分の人形を見せてくれることはなかった。


(……生き返ったら、きっと教えてくれるよね)

(もう魂を賭けて戦う必要なんてないんだよ、ピネロ。一緒に逃げよう。逃げた先で、ふたりでずっと一緒に暮らそう)

(魔獣にも、他国にも、脅かされることなんてない。誰を失うこともない場所で、ずっと……)


 ボガートの頬に手を触れ、疲労とともに息を吐いた。荒野の地面が破砕する。その土砂は空高く、塔のように舞い上がった。


 黒服たちが凍り付く。土砂は空中で円盤状に渦を巻き、小石や砂利のひとつひとつが踊るようにくるくると回る。真下の地面には大穴が空いており、サブリーダーの金槌を持った手首は消え去っていた。


「ぎっ、ああああああ!」


 血を吹き出す腕を押さえ、サブリーダーが悲鳴を上げる。地面に赤黒い染みを残しながら後退しながら、彼は残った腕で仲間たちに臨戦態勢の指示を出す。即座に身構える黒服たちの前で、大穴からゆっくりと浮かぶ者がひとり。


 ところどころカールした長い髪。ドレス型の鎧とも言うべき、マントを羽織った優雅な装い。ヴァイオリンで怒りの旋律を奏でるその女性の名は。


「その声音、またお会いしましたね。グレイドくんが世話になりました」

「“聖楽徒”レミハ……! 貴様、まさか空間転移を!? どうやって!」


 サブリーダーを睨んだレミハは弦にあてがったヴァイオリンの弓を思い切り引いた。鋭い音色が響き、黒服たちの両腿から先が斬り落とされる。次々と地を舐め、何が起こったかわからないまま硬直する彼ら全員に、レミハの声が聞こえてきた。


「そうですね、牢に繋がれ、全てを話してくれるなら、あなた方の質問に答えるのもやぶさかではありませんよ。……鳶色の髪をした、左右で色の違う瞳の少女を連れ去りましたね? その悪趣味な人形の中にいる子のことです。返していただきます」


 旋律が変化した。一喝の下に諸人をひれ伏せさせるが如き一音のみだったさっきとことなり、高圧的に迫るような、のこぎりで木材を切り落とすような音。ピネロを閉じ込めていた棺の全身に火花と共にいくつもの切れ込みが走り、数秒でバラバラにしてしまった。


 捕らわれていたピネロが、全身に糸を絡みつかせたままその場にへたり込む。“尖兵ソルジャー”は魔力を食い潰されて既に消滅し、ただのチェス駒に戻っていた。


 唖然としていたジーナは、金属の頭が荒野に転がった音で我に返る。切り落とされた両足から血があふれているが、気にならなかった。それよりもボガートだ。ボガートの足も同じように切られている。中に収めたピネロの足ごと!


「あ、あああっ! ピネロ、ピネロが……!」

「ピネロ……はあ。ここ数日、あの子の名前をトラブルの渦中でよく聞きます。四六時中食事をする以外は、問題を起こさない優等生だったのですが。そこのお嬢さんも彼の関係者ですか? 大人しく投降してくれるなら……」


 言葉が終わる前に、ジーナは涙目でレミハを睨んだ。レミハは素早く演奏し、ジーナの両腕を切り飛ばした。しかし切り飛ばされた四肢は、よそから飛んできた魔力の糸によって縫い合わされた。人形遣いの黒服のアシストだ。


 サブリーダーが残っている手で地面を叩く。彼の左右で地面が次々とささくれ立ち、無数の土くれの矢を作ってレミハへ飛ばす。他の黒服たちもそれに続いた。


 土、炎、風、水。魔力消費を度外視した後先も考えない一斉攻撃がレミハに襲い掛かった。レミハはヴァイオリンを演奏し、振動する魔力の防壁でそのすべてを難なく防いでいく。


 攻撃は当たらなくとも、視界を塞いだ。サブリーダーはとめどなくあふれる血液と急激に冷えていく体温に耐えながら、ジーナへ叫ぶ。


「逃げろ! 魔力を振り絞って遠くまで! その娘を連れていけぇっ!」

「失敗すれば、終わり……いや、終わった後も永劫地獄だ! 行ってくれ!」

「お前の魔術なら逃げ切れる! 行け!」

「いいえ。もはや誰一人、逃がすわけにはいきません」


 レミハが叫び、曲調を変える一瞬の隙に暫定リーダーの黒服が全霊をかけた。出せる限りの最高速度で放てる魔術でヴァイオリンを狙う。撃ち出された地面の欠片は、魔力のこもった音波によって跳ね返され、暫定リーダーは見えない巨大な鉄槌に潰されたかのようにぺしゃんこになって死んだ。


 その時にはもう、ジーナはボガートを抱きかかえて魔術を発動していた。ぼうっとへたり込んだままの鳶色の髪の少女の首を捕まえ、全力で遠くまで転移する。ほんの一瞬を奪うべくレミハに挑みかかった黒服たちは、一人を残して十人十色の死に方をした。


 破裂、解体、血液沸騰。死屍累々の有様となった荒野でひとり生き残った黒服は、口内に隠し持った魔術具を噛み砕いて自害を図る。が、重いヴァイオリンの音が鳴ると、彼の下顎と両腕の骨が炸裂した。筋肉と皮膚を破って骨片が四方八方から飛び出す。


「あがぁッ、はッ!?」

「全員の命と引き換えにひとりと目的の人物だけは逃がす戦略。よくもそこまでやるものです。しかし」


 レミハはもはや何もできず、失血死を待つだけとなった黒服から視線を外して振り返った。唯一顔を晒していたダークブラウンの髪の少女が、荒野の果てにある森へと移動している。


(一瞬で私の射程から逃れるほどの移動距離。厄介ですが、魔術具の補助なしでは視界内の転移が限度と見ました)

(逃がしはしません。彼女はここで排除します!)


 レミハは足場にしていた土くれを蹴って飛び出した。


 両足に魔力を纏わせ、地を踏む音に魔力を付与し、追い風にして爆発的に加速する。既にあの少女は森の中へと消えてしまった。星の数ほどの魔獣を育てる魔境へと。遮蔽物の多い場所で空間転移されるのはまずい。何より、森で食事をとって回復されれば今度こそ逃がしてしまう。


 大地を片足で踏みしめ、蹴る。地面の破砕する音を魔術で増幅し、追い風に変えて加速する。森が一瞬にして大きくなっていく。同じ失態は繰り返さない。レミハは両手を叩いて周囲に魔力をまき散らし、探知を展開した。

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