第7話 図書館戦場

「つまり……どういうことです?」

「聞かれたってわからないよ」


 魔術学院大図書館の一角で、オレンジとキャニアンはそろって溜め息を吐く。すぐ近くの壁にはキャニアンの外套が張り付いていて、額縁に収められた絵画のようにピネロが磔にされている。無造作に広げた手足を繊維で締め付けられた鳶色の髪の少女は、縋るようなまなざしでふたりを見ていた。


 オレンジは目頭を押さえて首を振る。


「アルバート老に呼び出された。気づいたら女の子になっていた。信じられるわけがないでしょう。生体魔術不全の法則に真っ向から反しています」

「そうだよねえ……。姫から聞いた話とも食い違うし、なによりこれだよ」


 キャニアンは鼻を鳴らすと、不意にピネロの口に指を突っ込んだ。


「んぐっ!?」

「……あの、キャニアン? 何をしているのです?」

「確認!」


 口腔をかき混ぜ、歯茎の裏に触れ、舌を指で挟んで擦る。ピネロは嫌がって顔を背けようとするが、お構いなしに蹂躙した。やがて引っこ抜かれた指には唾液が糸を引く。続いてキャニアンはピネロの胸を揉みしだいた。


 ピネロは甲高い声を上げて身もだえする。


「ひぁっ!? ん……っ! や、やめてよ、痛い……!」

「どう考えても、女の子のおっぱいの感触なんだよねえ……唾液は出る、歯も歯茎もある、脈拍もあるし、呼吸もしてる。見てよ、涙も出てる。……しょっぱい」


 ピネロの目尻に浮いた涙をすくって舐め、キャニアンは顔をしかめた。なんの躊躇もなく行われた痴漢行為と、甘い声音で呻くピネロを、オレンジは驚いた顔で見つめていたが、首を振って理性を保った。


「えー、ごほん。ともかく主張は理解しましたが、その弁解は苦しいものと言わざるを得ませんし、イータを殺していないという証拠にもなりません。ですが……」

「“ツー・ナイツ・ディフェンス”、でしょ?」


 キャニアンは傍らに立つ“尖兵ソルジャー”を一瞥する。娼館でピネロが出したものを、そのまま連れてきた。門番を買って出ていたグレイドは目玉が飛び出すくらい驚いていたことを思い出す。


「それに、昨日学院で見せたオレンジとイータの対処も、前に実技の授業でピネロがやってみせたのと全く同じだ。“魔力変換コンバート”、それも魔力を鋼鉄に変えるなんて燃費の悪すぎる魔術を敢えて主力にするのはピネロぐらいのものだし……」

「ですが、何の魔術を使えばピネロがこんな少女の姿になるというのです? もう一度言いますが、生体魔術不全の法則から考えて、肉体を作り替えられたという線はあり得ません」


 キャニアンとオレンジは、そろって腕を組んでうーんと唸る。キャニアンが指を一本立てて見せた。


「ピネロの脳みそを取り出して、この女の子に移植した説」

「不可能です。根拠は瞳の色と我が国の医療技術。脳は視神経と直結しているので、脳と目をセットで取り出す必要があります。脳がピネロと同じなら、瞳の色もピネロと同じ青銅色でなくては。第一、脳を移植するなんて技術、ありえませんよ」

「じゃあ、この女の子が自分をピネロだと思い込んでるとかは?」

「脳移植よりはまだ信憑性はありますが……なぜ?」

「こう、魔術かなんかでピネロの記憶を植え付けられて……」

「生体魔術不全の法則」

「……だめか」


 キャニアンがアイデアを出し、オレンジが否定する。それを何度か繰り返した末、ふたりはがっくりと項垂れた。


「あーん……じゃあもう何がどうなってるんだよぉー!」

「どう考えてもうまく辻褄が合いません。もう何が何やら」


 自称名探偵と教室いちの理論派がさじを投げた。何が何やらわからないのは僕の方だ、という言葉をピネロは内心に留める。


 念のためと拘束された体を居心地悪そうに身じろぎしていると、キャニアンに指を差された。


「それで……一応、吾輩たちの中でピネロかどうか信じきれないから……仮の名前で呼んでいい?」

「じゃあ、シャトラで……」

「わかった。シャトラ君、昨日の昼から夜まで、どこで何をしていた?」

「ええっと、昨日は家に戻って、そしたら黒い服の二人組に襲われて……そこでイータに助けられたんだ。それから匿ってもらって、またあの黒服に襲われて、気づいたらあそこに……」

「う――――――――――――ん!」


 キャニアンは天井を仰ぐと、ふらつくようにして背後の手すりにもたれかかった。


 キャットウォーク状になった二階からは、クラスメイトたちが一階の本棚を移動し、スペースを作っているのが見える。緊急の避難場所、あるいは戦場となった時、広く使えるように。キャニアンたちも手伝うべきだが、ピネロの見張りがある。


 キャニアンは小道具入れから魔術具の虫眼鏡を取り出して、ピネロに向ける。魔力を通せばレンズに映るものが変化し、様々な情報を教えてくれる。体温、発汗、魔力の程度。項垂れたピネロの熾火のような魔力は、再び強く燃え上がろうと藻掻いている。だが、回復はあまりに遅い。


 憔悴しながらも冷静さをある程度取り戻した名探偵の少女は首をひねった。


 ピネロを名乗る少女、仮名シャトラについて、疑惑はいくつもある。しかし、どんな仮説も噛み合わない。記憶の確認は道中で行った。キャニアンたちと裸のシャトラが魔術学院で戦ったことは忘れていたが、ピネロしか知らなさそうなことはあらかた覚えている。


(吾輩が同居生活始めたばっかりのピネロの家に遊びに行って、ジーナと仲良くなった話とか出されたんじゃあなあ……。学校の話も、あやふやなところはあるけど大体覚えてるみたいだし)

(忘れてることも多いけど、覚えてるところは細かいところまで覚えてるせいで追及し辛い。なんなんだこれ)


「はぁぁぁ……」


 大きなため息を吐く。学生の身分でできることは全部やった。レミハにも連絡は入れたし、あとはシャトラが逃げないように気を配るだけ。アルバートの工房を探して真実を探るにしても、戒厳令の解除後になるはずだ。


「結局、吾輩にできることって、大したことじゃないんだなぁ。図書館に押し込められてるし」

「当然でしょう、学生ですよ? 法典の規則を破ってまでできることなんて、もとよりありません。下手に首を突っ込まず、最初からレミハ先生や裁断省の方々に任せるべきだったんです。大体あなたはいつもいつも……」


 オレンジのお説教を聞き流しながら、キャニアンはボーッと一階を見下ろした。


 クラスメイトたちには、まだシャトラのことを詳しく話していない。何人かが気にしてこちらをチラチラと見てくる。彼らはなんて言うだろう。いっそ手詰まりなら、意見を聞いてみるべきか。


 そんな風に考えて、はたと気づく。目に映る人影が、やけに少ない。


 身を乗り出して食い入るように見つめるが、やはり少ない。元居た人数の三分の一ほどが消えているように思える。気のせいか? 他のところに行ったのだろうか。違うと、勘が告げていた。


 その勘は、当たっていた。


「キャニアン、伏せなさい!」

「!?」


 オレンジの鋭い声に叩かれ、キャニアンは振り返った。


 次の瞬間、キャットウォークの手すりから大量の水があふれ出して滝のように落下する。その波に乗ったオレンジは水に足を取られて転びかかったキャニアンを引っ張り上げると、パイプオルガンをかき鳴らした。


 切迫した旋律とともに、水柱が突き上がる。複雑に絡み合いながら空中を射貫くそれらが狙うのは、翼のようなマントを広げて飛行する黒い服の何者かだ。


 壁に磔にされたまま置いてけぼりを食らったピネロは、思わず顔を上げた。霞んだ記憶の中に残るその姿は、間違いない。ジーナの部屋で見かけ、そしてイータの工房に襲い掛かってきたあの黒服であった。


「あいつら……性懲りもなく!」


 ピネロはぐいぐいと体を動かすが、キャニアンの拘束は強固で抜け出せない。水の槍に追われていた黒服は空中で身を翻すと、翼に浮かべた魔法陣から紫色の光線を放ち、槍の穂先とぶつけ合わせた。


 突然の騒ぎに気付いた階下の生徒が顔を上げる中、ピネロの目の前で手すりが輝き、あの小柄な黒服が姿を現す。ピネロは油断なく睨みつけながらも、窮地に焦る。出現させたままの“尖兵ソルジャー”が、ピネロの前に立ちはだかった。


 目を動かすと、鉄砲水の上を滑るようにしてオレンジは階下にたどり着いていた。空中の黒服が放つ紫色の光線を、キャニアンは伸縮式のステッキを伸ばして振り回し、撃ち落していく。見れば、階下でも散発的に戦闘が始まっている。


 様々な形の人形たちが、突然現れた賊へと襲い掛かり、反撃を受ける。たちまち戦場と化した図書館には、何人もの黒服が現れ生徒を襲っていた。ピネロはもがきながら叫ぶ。


「やめろ! お前たちは一体なんなんだ! どうして僕を付け狙う!? 僕が目的なら、僕だけを連れていけばいいだろ! ほかのみんなには手を出すな!」

「黙っててよ……悍ましい肉人形が!」


 小柄な黒服は、手すりから跳んだ勢いでピネロの腹に拳を叩き込んだ。胃袋を潰され、ピネロは大口を開けて呻いた。逆流した胃酸があふれ出す。


 小柄な黒服は激しくせき込むピネロの胸倉をつかんで外套ごと床に引き倒し、怒りに拳を振るわせる。ピネロは苦しみながらも仮面に覆われた顔を睨んだ。


「あなたのせいで……すべてが台無しだ! あなたなんかのために、何もかも!」

「それは……こっちのセリフだっ!」


 ピネロは拳を握り、魔力を集中させる。またまた無理をする羽目になるが、仕方ない。無理をしてでも戦わねば。まぶたの裏に、前髪の長い少年の横顔が浮かんだ。


 開いたピネロの手のひらから飛び出した刃を、小柄な黒服はすんでのところで回避した。ハットが飛ばされ、仮面の下に被った黒い布の覆面が僅かに裂ける。ピネロはさらに、口内に魔力で含み針を作って吹きかける。


 バック宙で相手が飛び離れたところで、ピネロは全身に刃を生成し、糸を断つ。この外套はキャニアンを人形遣いたらしめるものだ。内心で謝罪しつつ立ち上がり、“尖兵ソルジャー”と並んで身構える。頭は釘を打ち込まれているかのように痛むが、おかげで最低限戦える。ウェストポーチの駒も“重兵フォートレス”以外なんとか使えそうだ。


 小柄な黒服はピネロの背後に瞬間移動し、首筋に手刀を繰り出してくる。ピネロは裏拳で相手の手首を打って防ぎ、回し蹴りで小柄な黒服を追い払った。ヒールを脱ぎ捨てて裸足になり、キャニアンの外套を拾って丸めて持ち主に放り投げる。


「キャニアン!」

「ちょっ、君、何逃げだしてるの!?」

「逃げたりしないよ! そっちはそっちで集中して!」

「ああもう、仕方ないなあ!」


 キャニアンは丸められた外套を受け取って頭上に広げる。裏地から伸びてきた糸で自分の手足を繋ぎ、マリオネットのように空中に浮きあがった。空中に浮遊した黒服が鼻を鳴らす。


「水に魔力の糸を通して成型する人形遣い。そして自分を操る人形遣いか。どちらもそれなりに難易度の高い魔術だが……所詮は技術自慢の学生に過ぎない」

「試してみますか、けががらす。先に言っておきますが、投降した方が身のためですよ」

「否、お前たち全員を殺して逃れる方が身のためだ!」


 宙に浮いた黒服は再度、翼に浮かべた魔法陣から紫色の光弾を乱射する。重厚なパイプオルガンの音色とともに、オレンジの周囲から水の鎗が何本も撃ち出された。それらは魔力の砲弾を貫き、黒服を狙う。


児戯じぎめ!」


 黒服は慌てることもなく、再度魔力弾を発射して水の鎗を相殺。空中に立ち込める水蒸気を突き破ったキャニアンが、ステッキで殴りかかった。


 空中で、階下で、戦闘音が響き渡る中、ピネロは背後に降り立つ長身の黒服にも気づく。恐らくはジーナの家にいたもうひとりだろう。黒い霧を操るタイプの。


 ピネロはウェストポーチにから取り出したふたつのポーンに魔力を注ぎ、鎧姿の戦士をもう一体呼び出した。“ツー・ナイツ・ディフェンス”、“尖兵ソルジャー”。もっともスタンダードで、魔力消費の少ない人形。


 主を背中で挟むように身構えた魔術人形を眺め、長身の黒服が声を上げた。


「何度見ても素晴らしい出来映えの人形だ。しかし、あまり抵抗はしない方がいいのではないか? 無理して魔力を捻出しているのだろう。顔に出ているぞ」

「余計なお世話だ。それより、お前たちは何者なんだ。何が目的だ!」

「こうして執拗に貴様の前に現れているのだから、察してくれてもいいだろう。そも、私は昨夜、その問いに答えたぞ。生きたお前が必要なのだ、とな」

「……どういう意味だ」

「そのままの意味だが?」


 長身の黒服は余裕ぶった態度で切り返してくる。一方で小柄な方はじりじりと足を動かして、今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。ピネロは下唇を噛んだ。このまま真正面からやりあえば、苦戦は必至。魔力の無理な捻出の反動で頭が割れるように痛い。代償はなんだ。どこを持っていかれる?


 だが、まだ口は動く。時間を稼いで、キャニアンの連絡を受けたレミハが来るまで持ちこたえる。


「もうすぐ、ここに最強クラスの騎士が来る。この惨状を見た彼女が君たちにどういう態度をとるか、想像できる? 今退けば見逃してくれると思うけど」

「出来んな。こちらも昨夜から現在に至るまで、犠牲を出し続けているのでね。手土産のひとつでもなければ、処断されるというものだ」


 長身の黒服がマントを跳ね上げる。腰に巻いたベルトの瓶が次々に栓を跳ね飛ばし、あの黒い霧を渦巻かせた。


「何より、貴様の確保は何よりも優先される。安心しろ、生け捕りだ。貴様は生きていることにこそ意味があるのだから」

「じゃあ、ここで僕が自死を選んだら? 帰ってくれるのか?」

「させんよ」


 小柄な黒服が床を蹴った。“尖兵ソルジャー”の一体が応じて駆け出し、殴りかかるが、小柄な黒服は瞬間移動で“尖兵”を飛び越える。すぐさま振り返った“尖兵”は体をひねりを利用して小柄な黒服を殴りつけるも、小柄な黒服は無視して再度瞬間移動。ピネロのすぐそばに現れた。


「くっ!」

「自死はさせん。どんな手をつかっても貴様には生きてもらう。もっとも、自害したところでここに集まった若人を生かしておくつもりはないがな。なに、未来の前借に過ぎない」


 素早い踏み込みからのつかみ、足払い、急所狙いの打撃。ピネロは連続で襲い掛かる攻撃を体術でいなしつつ、膝で相手のふくらはぎを蹴りに行く。


 瞬間移動で距離を取った小柄な黒服に、“尖兵”が飛び蹴りで急襲した。小柄な黒服は飛来する蹴り足をつかんで振り回し、階下に投げ落とす。やはり腕が立つ。


「加えて言うならば、貴様が頼りにする騎士とやらはここには来れまい。“聖楽徒”レミハ……単騎でも脅威だが、遠ざけ方は色々とある。例えば、目の前で殺されそうになっている市民を用意する、とかな」

「お前……ッ!」

「ピンチはチャンスだ。手ごろな人質は、皆自宅にいる。今は人助けで手一杯。空中に吊るされた子供が順番に死んでいく光景を、見逃す騎士ではないだろう?」


 ピネロはぎりっ、と奥歯を噛み締めた。ため込んできたストレスが燃え立ち、あふれ出す。ぼやけた夜の光景が、苦痛と共に蘇った。


「イータも……そうやって殺したのか」

「あの蛇骨人形の少年か。奴は大したものだった。何せ、我々のうち四人をひとりで相手取り、半数を戦闘不能に追いやった。子供で良かったよ、生き延びたらどうなるかわからん」

「殺してやるッ!」


 ウェストポーチに手を突っ込み、駒をふたつ足元に叩きつける。魔力を流し込まれた駒は、新たな人型を作り出した。長身の黒服も片手を掲げ、黒い霧を別の形に編み上げる。


「“ツー・ナイツ・ディフェンス”―――“鎗兵ストライダー”、“封術師シーラー”!」

「“煤竜怨スーロン貪食ターラー”!」


 ピネロの傍に現れたのは、それぞれ両腕が鎗になった細身の騎士とローブを纏った魔術師の人形。長身の黒服が編み上げたのは多頭の竜。


 黒い竜が一斉に牙を剥き、ピネロと人形たちに食らいかかった。ローブをまとった魔術師が割り込み、大きな宝珠となった両手を差し向ける。見えない壁が竜の頭部を全て受け止め、それぞれを球状に丸めて封じた。


 その真下を細身の騎士が全力で駆け抜け、黒服の腹に両手で刺突を繰り出した。右手は三叉鎗、左手は突撃鎗。黒服は連続で繰り出される穂先や追撃の蹴りを難なく避けると、片腕にまとわせた煤で竜の頭部を作り出し、“鎗兵”の三叉鎗を噛ませて止め、噛み砕く。


「脆い!」

「舐めるな!」


 ピネロは激しい頭痛を怒りで塗りつぶし、右目を閉じて叫ぶと、“鎗兵ストライダー”が壊れた三叉鎗を再生させて突きのばした。黒服は肘と膝を折り曲げ、とっさの防御態勢を取るが、脇腹を抉られる。血飛沫が舞った。


(この人形、壊されたそばから再生させられるのか? いいや、ありえん! この大きさの人形をゼロから魔力で編むだけでもとんでもない魔力消費を強いられる! 再生させるとなればなおさら……!)


「なるほど、流石は“城主”アルバートの一番弟子といったところか! だがあまり無理をするものではないぞ! 命は大事にしてもらわねばな!」

「どの口で言うんだ、人殺しが!」


 “封術師シーラー”が深手を負った黒服に両腕を向け、楕円形の結界に閉じ込める。腕を持ち上げることすら困難な狭苦しい空間に閉じ込められた黒服の胸を、目にも止まらぬ速さで踏み込んだ“鎗兵ストライダー”の突撃鎗が貫いた。


 貫かれた黒服の姿がぼやけ、黒い霧となって散る。魔術で生み出した分身だったか。だがピネロにそちらを気にしている余裕はなどない。


 床を舐めるほど低い姿勢で駆けてきた小柄な黒服を、“尖兵ソルジャー”が二体がかりで止めにかかる。顎への蹴り上げと、それを見越した殴打。小柄な黒服は瞬間移動で“尖兵ソルジャー”飛び越え、ピネロに向かって加速した。


 ピネロは両目を閉じ、右目だけ開いた。素手で白兵戦に応じ、数度の打ち合いの末に顔面を拳を叩き込む。鮮やかに後転して距離を取った黒服の後頭部を狙い、“尖兵”がパンチを打った。黒服は首だけ動かして避けると、伸びきった腕を両手でつかみ、肩を起点にして一本背負いで床に叩きつけた。


「“尖兵ソルジャー”、解除! 魔力還廻かんかい!」


 仰向けに倒された“尖兵”が消滅し、チェス駒に戻る。それを形成していた魔力は持ち主であるピネロの体に流れ込み、その細い左腕に刃のついたガントレットを形成した。


「ふっ!」


 拳に沿う形で伸びた刃が、黒服の側頭部をかすめた。頭のてっぺんから首元を覆っているのであろう覆面が裂けて、髪が露出する、ダークブラウンの髪の毛が。


 ピネロは拳を突き出した勢いを使って体をひねり、鎗のような蹴りを繰り出す。肋骨がひび割れる嫌な手応え。胸板を強打された小柄な黒服は吹き飛ばされ、キャットウォークから階下へと落ちた。その胸元から何かが零れる。ピネロは本能的にそれをキャッチすると、指笛を鳴らした。


「捕らえろ“封術師シーラー”!」


 魔術師風の人形が浮き上がり、光の球に小柄な黒服を閉じ込める。だが小柄な黒服は瞬間移動。またぞろ背後を取る気かと素早く振り返ったピネロの手首が、軋むほどに握りしめられた。


「返して……!」

「“鎗兵ストライダー”、“尖兵ソルジャー”!」


 ピネロの人形が小柄な黒服の左右から迫る。だが小柄な黒服は構わず、ピネロの手首を握りしめ続ける。突き出した鎗と拳が命中する寸前で、二体の人形は顔面を殴り飛ばされて吹き飛んだ。


 ピネロは人形を殴り飛ばした大柄な影を見て目を見開く。見覚えのあるテディベアがそこにあった。かつてピネロが自作した、大きなぬいぐるみ。大切な人にプレゼントした、この世にひとつしかないはずのもの。ここにあるわけがないもの。


 小柄な黒服は、“隠密ヒドゥン”で隠していたぬいぐるみの名を叫んだ。


「ボガート!」


 巨大なぬいぐるみが茫然と立ち尽くすピネロの顔面に拳を叩きつけた。しまった、と思った時にはピネロは吹き飛ばされ、壁に激突して床に伏せる。


 背中の痛みも、鼻から流れ落ちる血の感触も感じない。何度見ても、その小柄な黒服の傍らに立つのはピネロがプレゼントしたぬいぐるみだった。あの日、ジーナのベッドで横たわっていたはずの。


 目に蘇るジーナの部屋。何故かジーナの部屋にいたふたりの黒服。そして、彼女の傍らに立つボガート。まさか、まさか。


「……ジーナ……? 君なの……?」


 打ちひしがれた声で呟くと、小柄な黒服の肩がビクッと震えた。それだけで十分だった。ピネロの心に糸がぷつんと途切れる音が響く。


 虚脱してへたり込むピネロの顔面を、狙いすました殴打が弾き飛ばした。


「あなたが……ピネロみたいに、私の名を呼ぶなぁぁぁっ!」


 聞き間違いかと思った。だが、どうやら違うらしい。他人事のように考えながら、ピネロは無抵抗で殴られた。頬、鼻、腹。怒りのこもった拳が次々突き刺さっても、体に力が入らない。頭痛が強くなり、視界が真っ赤になっていく。


 膝から崩れ落ちかかる少女の喉をつかみ上げ、小柄な黒服は力任せにピネロを叩きつけた。彼女は倒れ伏したピネロを見下ろし、肩で息をする。その息遣いからは、抑えきれぬ憎悪と憤怒が感じ取れた。


「……あなたは、殺さない。殺したら、全部台無しになっちゃう……まだ間に合う、だから……」


 ぶつぶつと呟きながら、小柄な黒服はマントの下から黒い鳥のぬいぐるみを取り出した。それも、見覚えがあった。最近、ジーナが作っていた商品。作り慣れてしまうほど、何度も注文されたというあれだ。


 ジーナがぬいぐるみに魔力を注ぎ、輝かせると同時に図書館の扉が外側から砕かれた。落陽とともに息を切らして飛び込んだレミハは、集団魔術戦で荒れ果てた図書館の中を見渡して絶句する。


 破壊された人形、傷ついた生徒たち。壁際に寄せた本棚の影からは、地だまりに転がる手足が見える。彼らと比べて、無傷ではないものの平然と佇む黒い服に仮面の集団。何が起こったのかを察したレミハは、悲壮な激情に顔を歪め、咆哮した。


「あ゛あ゛ああああああああああああッ!」


 一番近くにいた黒服の体が膨らみ、水風船のように弾け飛んだ。絶叫とともにレミハから放たれた魔力が黒服ひとりひとりの体を取り囲み、次々に爆殺していく。小柄な黒服をはじめ、生き残っている者たちは危機を感じて即座に黒いぬいぐるみの魔術具を起動。すぐさまその場から姿を消した。


 ひとしきり声を上げたレミハは、少しの間その場で動けなくなっていたが、やがて生徒たちの鼓動や微かな声を卓越した聴覚でキャッチすると、すぐに図書館の外へと叫ぶ。


「“英霊人形エインヘリアル”、負傷者の救護を! お願い、急いで! これ以上子供たちが死ぬところなんて見たくはないの!」


 彼女に呼びつけられ、“英霊人形エインヘリアル”たちがどかどかと大図書館へ押し入り、自力で立てない生徒たちを背負って運び出していく。それらと入れ替わりに、丸刈り頭の大柄な少年が入ってきた。


 彼も全身砂や土、血に汚れていて、立っているのもやっとという風貌だった。


「師匠……なんすか、こりゃあ」

「グレイド君、あなたも治療を受けなさい。私が不甲斐ないせいで、苦労を掛けてしまったわね」

「俺は平気ですよ。そんなことより、こいつはどういうことですか……。なんで中がこんなことになってんだ!? 俺は誰も通してねえ、なのにどうして中がこんなことになっちまったんですか!」


 悲壮なグレイドの叫びが大図書館に木霊した。


 図書館の外もひどい有様だった。あちこちで土のトゲや岩石がぶちまけられ、岩でできた人形の残骸が転がっている。岩石の魔術を得意とする都合上、大図書館外の見張りに立候補したグレイドは、自分と同じ魔術を操る黒服を相手に苦戦を強いられていたのだ。


 大図書館へ押し入ろうとする黒服をなんとか食い止めはした。だが、中はこの有様だ。あの黒服も、グレイドではなく“英霊人形エインヘリアル”やレミハを優先している節があった。大図書館内部の用を済ませるまでの陽動兼足止め役だったらしい。


 グレイドは膝を突き、地面を殴りつけてむせび泣いた。


「畜生……畜生! 何が、何が騎士団レギオンだ! あんな奴ひとりも倒せねえくせに、中の連中を守れもせずに、俺はどの面下げて! 畜生ッ!」


 己の体たらくに自己嫌悪するグレイドを気にかけながらも、レミハは大図書館の中へ入る。安全を考慮して集めたはずが、どうしてこうも裏目に出る? 恐らく理由は、キャニアンが“英霊人形エインヘリアル”に託した伝言にある。


「先生、魔術学院で会った女の子を確保しました。一緒に大図書館で待っています」


 それを聞いて、レミハは大急ぎで魔術学院へと向かった。だがその途中で、自宅謹慎していた民たちが突然空高く吊り上げられ、ひとりひとり拷問されながら殺され始めたのである。


 対処に追われ、最終的に救援に来た“幻酔妃”マイラの隊に対処を任せてようやくここまでやってきた。全てが遅かった。伝言をよこした張本人キャニアンは、ステッキを折られ、マントを引き裂かれて気を失っていた。


 怪我人の搬送に続いて、壊れた人形を運び出していく“英霊人形エインヘリアル”たちの合間を縫って手掛かりを探す。はじけ飛んだ黒服たちの血だまりから魔術具を。そして、二階。


「……“ツー・ナイツ・ディフェンス”」


 置き去りにされ、所在なく佇む人形たちを前に、レミハは小さく呟いた。行方不明となった教え子の人形が、煤に塗れ漆黒となったキャットウォークの前に棒立ちとなっている。持ち主の姿はない。


 レミハの目に覚えがあるのは“尖兵ソルジャー”と“重兵フォートレス”のみ。それでも、二年間見続けた人形の形状を忘れることはない。これらはピネロの作品だ。ピネロはここにいた。そして、ついさっきまで戦っていた。


 ことここに至れば、本人がいないとはいえ認めざるを得まい。ピネロは確かにここにいて、キャニアンは全裸でレミハの前から逃げ出した少女をここに連れてきた。あの少女は、ピネロなのだろう。あとは会って確かめなければ。


「グレイド君、キャニアンさんが連れてきた女の子について、何か聞きましたか?」

「何も……聞いてねえです。師匠が来てから話すって……」

「そうですか」


 レミハは顎に手を当て、次に何をすべきかを思考する。目的は当然、戒厳令を前にボロを出した潜伏者たちの殲滅と、暫定少女となったピネロの救出。しかしあの者たちは、空間転移の魔術を使う。どこを探せばいい。


 ともかく、悩んでいても始まらない。一刻も早く全員を狩り出さねば。ここまで暴れられた上、逃がすわけにはいかない。


 踵を返したレミハは、すぐに足を止めた。一体いつからそこにいたのか、モノトーンの派手な衣装に身を包んだ道化師が、憂いを帯びた表情で一階を見下ろしていた。


「嘆かわしいですねえ、実に嘆かわしい。国の叡智と歴史を積み重ね、未来ともども肥えていくことばかりを望まれたこの大図書館で、よもやこの国で最も書に親しむべき学徒たちが血を流す羽目になるとは」

宮廷道化師ジェスターブダペスト……なぜここに?」

「我らが仕えし“指王しおう”の嘆きをお伝えに」


 ブダペストはレミハに一礼すると、メイクを施した顔から憂いをぬぐい去り、真顔になった。大図書館の入口から飛び込んできた鳩の群れが彼の頭上を旋回し、黒い鳥のぬいぐるみをいくつも落として去っていく。


 見間違えようはずもない。たった一瞬だったが、それらはあの黒服たちが逃走に使ったぬいぐるみと全く同じ形をしていた。


「ジェスター、それは?」

「不遜にも、我らが“指王しおう”の居城に仕掛けられていた、魔術具にございます。こめられた魔術の解明には時間を要しましたが、ええ、なんとか読み解くことができました。これらは空間転移の魔術を使う際、座標を指定し、扉を開くためのものでございます」


 説明を聞き、ピンときた。恐らく、黒服たちが持っていたぬいぐるみが、移動したい場所におかれたぬいぐるみの下へ所有者ごと転移するという仕組みだろう。


 グレイドが入口を守っていながら、中に侵入したのはこういうカラクリだったわけか。そして、同じ方法でペルジェスの王を暗殺するつもりだったに違いない。


「つまり、そのぬいぐるみを逆用すれば……」

「運が良ければあの黒服たちの本丸に攻め入ることができましょう。……レミハ師団長、これより“指王”の命をあなたに告げます」

「拝命します。私に何をお望みですか?」

く、敵の牙城を発見し、我らが臣民に仇なす者を悉く排除せよ」


 レミハは胸に手を当て、優雅に一礼してみせた。刮目した瞳に憤怒と決意が漲る。


「確かに承りました。我が恥、我が醜態を、我が剣と血、そして不届き者どもの臓物を以って贖います!」

「よろしい、ではすぐに準備に入りましょう。あなた様に付き従う軍勢は国境警備の任にありますがゆえ、“英霊人形エインヘリアル”を遣わします。英霊の加護のあらんことを!」


 ブダペストは高くジャンプし、くるくると水車のように回転しながら図書館の一階に着地。鳩を一羽、投げるように大図書館の出口へ飛ばすと、伸びきった腕で一連の事柄に見惚れていたグレイドを手招きした。


「そこな若者よ! 傷つき、己の不甲斐なさを恥じ、なおも何事かを為そうと欲するのであれば、我らが騎士を送り出す準備を手伝うのです!」


 道化師に声をかけられたグレイドは、涙に塗れた顔を上げる。傷だらけの腕で涙をぬぐうと、どうにか立ちあがった。


「わかった……俺は何をすればいい」

「まずはこちらへ。魔術方陣を描きます」


 道化師に駆け寄るグレイドに、指示を出すブダペスト。レミハは取り残された“ツー・ナイツ・ディフェンス”を見つめながら、舌を焼くような苦い気持ちを噛み潰す。悔恨、不甲斐なさ、怒り、無力感。若芽を守れず、何が騎士か!


 レミハは“ツー・ナイツ・ディフェンス”に触れ、指先から魔力を注ぎ込む。連日の波乱を鎮める。そう決意した瞳は、人形が放つ白銀の輝きよりも煌々としていた。

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