第6話 戒厳令と、真相と
“CLOSED”。ドールショップの扉にかけられた一枚の板は、その一言で客を全て拒絶していた。幼い少女は、店の硝子戸越しに中を覗く。
天窓から燦々とした陽光を呼び込んだ店内は明るく、それらに照らされたぬいぐるみたちも可愛らしい。ここに入るなり大喜びする小さな子供は多い。だが今は、カウンターで布と縫い針を操る若い店主の姿すら無く、がらんとしている。
「……店長さんは?」
「いないみたいねえ。どうしちゃったのかしら」
少女と手をつないだ母は、首をかしげる。隣で魔術雑貨店の手伝いをしている若者が、木箱を抱えて現れた。母親が声をかける。
「すみません、ここのお店なんですが」
「ああ、ジーナちゃんに用っすか? 珍しい。二日連続で休店なんて、あんまりないのに」
「連続……?」
「昨日からかなあ。ジーナちゃんの姿を見かけてないんすよね。まあ一応、学生の身分みたいですし、忙しいんじゃないっすか? 明日には来るかもですし」
「そうですか……。だって、誕生日のプレゼントは、別のものにしましょう?」
「やーだぁ!」
涙目で駄々をこねる少女に、母親のみならず若者も苦笑いしてしまう。雑貨屋の中から、親方の怒鳴り声がした。慌てた若者は腕の中で揺れるたび、ごちゃごちゃと音を立てる木箱を抱えて駆け出していく。
残された母親は腕を引っ張り、飛び跳ねたり地団駄を踏む娘をどう説得すべきか悩んでいたが、ふと通りの入口側に目を向けた。ザッ、ザッ、と無数の足音が響いてきたのだ。
同じく異変に気付いた通りの者たちが顔を上げる。彼らの視線の先から、青白いクリスタルのような甲冑が、列を為して歩いてきた。通りで親に連れられていた男の子が、それらを指差して叫ぶ。
「“
透き通った装甲表面に揺らめくペールブルーの冷たい炎。手に手に剣や槍、盾を持ち、一糸乱れぬ足取りで整列したまま直進してくる騎士の軍団。魔術師のみならず、この国の誰もが彼らを知っている。死してなお国に忠義し、王の下で戦う騎士たち。
最前線に立つ守護者が
通りをたちまち埋め尽くした彼らは、その場に佇み何事かと驚く人々それぞれに体を向ける。誰もがただならぬものを感じて息を呑む。“
やがて青白い騎士たちは、兜に隠れて影すら見取れぬ口を動かし、同時に声を上げた。
「全臣民に、“指王”リグロトゥール様より勅命である! これより、戒厳令を発令する! 繰り返す、これより戒厳令を発令する! 臣民諸君は“
「え……?」
市民の間でどよめきが起こる。泣いて駄々をこねていた少女も気圧され、息を呑む。“
母親は娘を抱き上げ、帰途につく。その後ろを“
守ってくれているのだろうが、嫌な緊張感を感じた母親は、娘をぎゅっと抱きしめる。少女は母親の心臓がドクドクと鳴り響く音を聞いていた。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
「……見られた、全部……。ああああああーっ!」
ピネロは裸のままベッドに倒れ込むと、寝ぐせでぼさぼさになった頭を掻きむしりながら転げまわった。マットレスは柔らかく、ブランケットはすべすべしていて肌触りがいい。それが少女の肌をくすぐり、妙な気分にさせてくる。
ブランケットを被って丸くなったピネロは、羞恥で火が出そうな顔で煩悶とする。そんな場合ではないとわかっていても、自分の感情からは逃れられないのだ。スタイル抜群の美女に囲まれ、湯船の中で体を隅々まで洗われたという経験は、ピネロに大きなショックをもたらしていた。
脳をズタズタに引き裂くような壮絶な頭痛に敗北し、抵抗する余力もなかった昨夜と違い、ある程度回復した今になって恥ずかしくなっている。ジーナとさえ入浴を共にしたことはないピネロにとって、少し刺激が強すぎたのだ。
枕を抱きしめて悶えていると、赤とピンクで彩られた寝室の扉が開かれる。入ってきたのは、美しいドレスを身にまとった美女であった。彼女はくすくすと笑い、慌てて胸元を隠すピネロを見つめる。
「どうしたの、一体? 外まで声が聞こえていたわよ」
「えぁ、その……」
ピネロは顔を枕に埋め、端っこをつまむ。美女は救急箱を手にピネロのベッドに腰かけ、背中を向かせた。血で汚れた包帯を丁寧に解き、その下の肌に触れる。
「あら、もう傷が塞がってる。まあまあ深いように見えたけど……丈夫なのね?」
もごもごと言葉になっていない返答をしながら、ピネロは美女に身を任せた。確かに、痛みは全て消え去っている。昨夜は散々、魔術で攻撃されたはずなのだが。
といっても、すべてが突然だったせいか、何があったかあまり覚えていない。断片的に思い出せるのは、あの黒服が複数人がかりでイータの工房を教習してきたことと、必死に抵抗して逃げ出したことぐらい。気づけばピネロは娼館の近くに倒れており、この美女に匿われて手当てと
ピネロは顔を真っ赤にしながら、小さく礼を言った。
「あ、あの、ありがとうございます」
「気にしなくていいわ。それにしても、誰にやられたの? こんなかわいい子を痛めつけるだなんて」
後ろから、美女の手の甲がピネロの頬を撫でる。肌の柔らかさ、骨の硬さ。それが気恥ずかしくて、体を逃そうとすると抱きすくめられた。背中に大きく、弾力のあるものが押し当てられる。ピネロは思わず足を閉じた。
「恥ずかしがらなくてもいいのに。それとも、女の子同士は苦手かしら、シャトラちゃんは」
「シャトラ……?」
「あら、聞き間違ってしまったかしら。まあ、朦朧としていたものね」
ギクッと体を震わせたピネロを安心させるように、美女は頭を撫でてくる。名乗った覚えはない。なのに、その名前には覚えがある。聞き覚えではなく、もっと前に確かにそう名乗ったというような。いつのことだ? ……名乗ってしまったのか? 無意識に?
「改めて、名前を教えてくれる?」
「あっ、いえ……シャトラで、大丈夫です……」
「そう。良かった」
ピネロは後ろめたい気持ちになりながら、そう名乗ることにした。記憶こそ曖昧だが、全て見られておいてピネロという少年だと主張するのはなんだか憚られた。理由はうまく思い出せない。ここ何日かで色々あり過ぎたせいだろうか。なんだか嫌なことがあった気がするのだが。
ちらりとベッド脇に目を向けると、自分のウェストポーチが畳まれた服と一緒に置かれている。なお、服は昨日まで着ていたぶかぶかの学生服ではない。
「それじゃあ、着替えましょう。それからご飯ね」
男の沽券にかけて抵抗すべきか、怪しまれないために受け入れるべきか。明確に拒否したい気持ち半分、だがここで嫌がって怪しまれてもいけないという打算半分のせめぎ合いをしているうちに、ピネロの着替えは終わってしまった。
黒みがかったブラウンの、背中を開いたドレスはフリフリのミニスカートと一体化したタイプ。その上から服と同じ色のマントを羽織る。最後に踵の高い靴を履いて出来上がり。
着替えを手伝った美女は、ピネロと姿見の前で並び、満足そうに頷いた。
「うんうん、やっぱりこれが一番! みんなの反対を押し切ってよかったわ」
「似合って……ます?」
「ええ。とってもかわいいわ!」
「……か、かわいい、ですか……?」
ピネロはそわそわと体をひねりながら、自分の服装を見下ろす。なんというか、随分と防御力が低い。むき出しの背中や太ももから下を、空気が無遠慮に撫でまわしてくる。何より気になるのは、スカートの中だ。ぴたりとフィットした女性ものの下着が落ち着かない。
顔を上げると、不安そうな、困惑しているような表情の少女と視線が合った。思えば、こうして姿見の前に立つのは二度目だ。その時は全裸だった。本当に生まれたままの姿で学院や街中を駆けずり回ったのだと思うと、今更ながら恥ずかしくなる。
(いや、何考えてるんだ僕は! こんなの僕じゃない……!)
ぶんぶんと首を振って深呼吸する。危うく羞恥心で色々見失うところだった。早く魔術学院の仲間に自分のことを認知してもらわねば。そしてアルバートの地下工房で何が起こったのかを解き明かし、男の体に戻る。偽装のためとはいえ、ドレス姿を褒められている場合ではない。
何をしているのかと目を丸くしている美女に、ピネロは咳ばらいをして言った。
「すみません、服をいただけるのはありがたいんですけど、僕が前に着ていた服、は……?」
問いを発する口元に、人差し指が当てられる。美女は真剣な眼差しで行った。
「わ・た・し! 一人称はこっちの方がいいわ。少なくとも、あなたは“僕”が似合う子じゃないもの」
「~~~~~~~~~~~…………っ」
言いたいことは山ほどあったが、口いっぱいの酸っぱい飴玉を飲み下すように、苦労して腹の底に押し込む。ここで意固地になっても仕方ない。観念して、言い直す。
「……わ、私の着ていた服って、どうなってますか?」
「魔術学院の制服でしょう? 血だらけだし、傷だらけだったから、とりあえず洗ってはみているわ。あなたも魔術学院の生徒なのね。どこの学科?」
「人形科です。一応、人形遣いで……」
「え、本当に!? じゃあキャニアンは知っているかしら。キャニアン・コーラル!」
「えっ!? 知り合いなんですか!?」
「知り合いも何も、あの子はここの生まれなの! 嬉しいわ……あの子ったら、顔は見せるのに学校のことはひとつも話してくれないのよ」
はにかむ美女の顔を見て、ピネロは意外に思った。キャニアンと親しくして長いが、そういえば彼女の家族については聞いたことがない。
もしかすると、この美女は状況を打開する糸口になるかもしれない。イータの安否も心配だ。急いでキャニアンと接触し、事情を理解してもらわなければ。
逸って口を開こうとするピネロの口に、またしても人差し指を立てられる。美女は悪戯っぽくウィンクした。
「先にご飯にしましょ。つもる話はゆっくりと、ね」
ピネロは内心焦りながらも、不承不承頷いた。思えば、アルバートの地下工房に向かった日の昼以降、何も食べていない。魔力は魂から生まれ、魂は健康な肉体によって維持される。
(もう何回も無理してる……。昨夜も魔術を乱発する羽目になったし、このままだと臓器まで魔力に変わりかねない)
そこまで考えたところで、腹に触れる。思えば、体のどこも欠けていない。それを不思議に思ったが、指がむき出しの太ももに触れたところで背筋がぞわっとした。うっかり、“女の子”を意識してしまって顔が熱くなる。
スカートの裾を押さえ、太ももを擦り合わせながら部屋を出ると、メイド服姿の若い女性が慌てて駆け込んできた。
「
「どうかしたの?」
「キャニアンが帰ってきたんだけど、“
「戒厳令……!?」
目を剥いた美女と同様に驚愕しながらも、ピネロは強い危機感を抱いていた。戒厳令。即ち王都を封鎖した上で隅々まで捜索し、ペルジェスに仇なす者全てをいぶり出すという王族からの勅命である。
体温が一気に下がり、顔が青ざめるのを感じる。まさか、僕を捕らえるために? そう考えかけて、昨夜襲撃してきた黒服のことを思い出す。あの一件で、他国の
だが、恐らくピネロも引っ立てられる。ピネロはウェストポーチに触れた。
(キャニアンが帰って来てるって言ってたな。なら、“ツー・ナイツ・ディフェンス”を披露できる。昨日無理をした分の魔力はまだあるし、“
キャニアンは魔術学院で攻撃してくる素振りもなかった。イータ同様、最低限話を聞いてくれるはずだ。呼吸を落ち着けて、メイドに問いかける。
「あの、キャニアン……さんは、今どこに?」
「え? 部屋にいると思うけど……何か用? あるなら早く行った方がいいよ、すぐに出ちゃうから」
「彼女の部屋はどこにありますか?」
「奥の階段を上がって左に行って、奥から三番目の部屋だよ」
「ありがとうございます!」
バネ仕掛けのように頭を下げて走り出す。美女が呼び止める声も聞かず、よたよたと駆けた。踵の高い靴は異常に歩きづらく、走るなど以ての外だ。転びそうになるたび壁に手を突いて、なんとか体勢を維持していると、追いついた美女が腕をつかんで支えてくれた。
「そんなに急いだら危ないわよ。連れて行ってあげるから、一緒に行きましょう」
「す、すみません……」
「歩くときはほら、優雅に余裕を持って。スカートがめくれたらはしたないわ」
ピネロはひらひらと上下にはためくスカートを押さえ、顔を赤くする。
美女の腕にしがみつきながら、恋人にエスコートされるようにしてどうにか歩く。恥ずかしいことこの上ないが、そんなことを言っている場合でもない。我慢して階段に近寄っていくと、上から重苦しい足音が聞こえてきた。
手すりに体重を預けるようにして、キャニアンが降りてくる。ピネロは彼女の様子がおかしいことに気が付いた。いつも明るく、どこか尊大な少女は深く顔を俯け、今にも死にそうな顔をしている。美女もその様子に気づき、息を呑んでいる。
「キャニアン? どうしたの……?」
美女に呼びかけられたキャニアンは、操られるように顔を上げた。ピネロとかち合った瞳は、どろりと濁っていて暗い。しかしやがて、キャニアンは無表情のまま足早に階段を下りてきて、ピネロの両肩をつかんだ。
指が柔らかな二の腕に食い込み、痛い。顔をしかめ、振り払おうとするピネロに、不気味な人形のような無表情が迫ってきた。
「ここで、何をしているの?」
「何、って……うっ!?」
キャニアンはピネロの両肩をつかんだまま、背中を近くの壁に打ち付けた。大量の虫が腹から胸へ湧き上がってくるような恐怖がピネロの体内を支配する。見開かれたキャニアンの目は奈落のようだ。思わず目を閉じ、顔を背ける。キャニアンはおよそ感情の感じられない声で問い詰めた。
「ここで何をしているの? どうして、ここにいるの? 今まで一体どこにいたの? 君は昨日……どこで何をしていたんだ!」
「ちょ、ちょっとキャニアン! やめなさい!」
「うるさい! 姐さんは黙ってて!」
煮えたぎる湯が鍋の蓋から吹きこぼれるように、キャニアンは激昂した。静止した美女の腕を振り払い、ピネロの喉笛を握りしめる。明らかに正気ではない。いつもの彼女からは考えられない、深い闇のような憤怒。
ピネロは空気を求めて喘ぎながら、じたばたと暴れ始めた。
「やめ、ぇ……! キャニアン、僕は……っ、何も……!」
「何もしてないなんてはずはないだろ!」
「くぁぁっ!?」
思い切り首を絞められて、視界がぼやける。ピネロは頭を振るが、逃れられない。爪先も宙に浮いて、履きなれていない靴が落ちそうになる。キャニアンはたまりかねたように叫び散らした。
「答えろ! 昨日どこで何をしていた! イータを殺したのは……お前か!」
「は、ぇ……?」
怒鳴られた言葉の意味を、理解できなかった。イータを殺した? 誰が? ……僕が?
「ち、ちがぅ……! 僕じゃな……!」
「じゃあ誰がやったんだ! 知ってることを全て話せ! お前は誰だ!? 一体何者なんだ!」
「いい加減にしなさい!」
美女がキャニアンの首根っこをつかんでピネロから引っぺがし、頬に鋭いビンタを見舞う。解放されたピネロはその場に四つん這いになり、激しくせき込んだ。口からよだれが糸を引く。滲んだ涙が頬を流れた。
解放された喉に流れ込んできた空気を持て余して苦しみながら顔を上げると、キャニアンは黙って美女に抱き着き、小刻みに背中を震わせていた。美女はキャニアンの頭を撫でながら、優しく諭す。
「帰ってきて早々、一体どうしたっていうのよ。何があったの?」
キャニアンの唇から、歯の軋る音がした。いつも明るいキャニアンの、そんな姿を見るのは初めてだ。喉を押さえ、壁に手を突いて立ち上がるピネロの前で、キャニアンは大声で叫んだ。
「イータが……そいつがっ! イータを……あたしの友達を殺したんだ! そいつのせいで、イータが……!」
美女はキャニアンを抱きしめながら、厳めしい顔でピネロを見つめた。ピネロは背筋が凍り付くような思いを味わい、弾かれたように激しく首を横に振る。
イータが死んだ? ありえない。自分が殺したなんて。信じてくれると言った友人を、殺すはずはない。
ピネロは喉を鳴らして、なんとか言葉を吐き出す。
「違う、僕は殺してなんかいない。僕はやってない!」
「証拠は!? だったら殺してないって証拠を見せろ!」
「落ち着きなさいって言ってんでしょ!」
獣の如くピネロに噛みつこうとするキャニアンを美女が引き留める。キャニアンは伸縮式のステッキを取り出して、振り回しながら泣き喚いた。
「放してよ姐さん! そいつが……そいつのせいで!」
「やめなさい、キャニアン! 自分は名探偵なんだっていつも言っているでしょう? 目についた相手を誰彼構わず犯人扱いするのが名探偵のやることなの? 頭を冷やして落ち着きなさい!」
バチッ、と美女の両手から青い稲妻が散り、キャニアンの両脇腹に流し込まれた。キャニアンは苦痛に顔を歪めながら体を折ってその場に倒れ込む。ピネロは茫然としたまま、呻く友人と魔術師であるらしい美女を交互に見やった。
キャニアンは痙攣しながら身を起こす。その目は変わらず、ピネロをにらみつけていた。唇を噛み締め、目に涙を溜めて。ピネロの心が強く痛んだ。
「……本当、なの? イータが、死んだって」
首肯が返ってくる。ピネロは悲痛に顔を歪めた。昨夜の記憶はぼやけているが、それでも断言できることがある。イータを殺した者の心当たりなど、ひとつしかない。
「キャニアン、聞いて。僕は殺してない。イータを殺したのは、黒い服を着て、仮面をつけた連中だ。顔も名前もわからないけど、僕はそいつらに狙われて……」
ピネロの顔の真横を鋭い刺突が突き抜け、背後の壁を穿つ。それはキャニアンの持つステッキだった。
「そいつらは、どこにいるの」
「……わからない。僕もあいつらがなんなのか、わからないんだよ……。うちに戻ったら突然襲われて、そこをイータに助けてもらった。それから、イータの工房にお邪魔して……それから……」
ズキッ、と頭に痛みが走り、回想を阻む。思わず額に手を当てて呻くピネロの前で、キャニアンはゆっくりと立ち上がった。ひっこめたステッキを支えにしてピネロを見つめる。
ピネロはそこで、キャニアンの眼差しに自責の念があることに気が付いた。彼女は自分を責めている。どうしてだろうか。
キャニアンはピネロに覆いかぶさるようにして壁に手を突き、言った。
「それを、どうやって証明するの……? それだけじゃない、お前が証明しなくちゃいけないことは、他にもたくさん……!」
「わかってる。でも、証拠はあるんだ」
ピネロはウェストポーチからチェス駒を取り出し、キャニアンに見せた。複雑な紋様が彫り込まれたそれこそ、“ツー・ナイツ・ディフェンス”の核。誰にも教えたことのない、ピネロの魔術の根幹である。
「“ツー・ナイツ・ディフェンス”、“
チェス駒を握り、なけなしの魔力を注ぎ込む。必要分の魔力を与えれば、あとは駒に刻まれた術式が勝手に成型してくれる。
すぐに現れた鎧姿の戦士を見て、キャニアンは目を丸くした。数年間、同じ学科で授業を受ける中で何度も見た形状の魔術人形。それが戦うさまを何度も目にし、あまつさえ拳を交えたこともある。見間違えるはずはない。
「……“ツー・ナイツ・ディフェンス”……嘘だ、じゃあ君は……」
「信じて、キャニアン。僕は……」
動揺し、瞳をすぼめるキャニアンの前で、ピネロはうつむいた。記憶が覚束ないのがとてももどかしい。あの夜なにがあって、自分はどう逃げおおせたのか。どうしてイータが死んだのか。戦った相手の魔術はなんだったのか。思い出せないのが、歯がゆくて仕方がなかった。
キャニアンは顔をきつく歪めて、しばし無言になる。何を信じていいのかわからない顔だった。迷った瞳を、オッドアイで真っ直ぐ見つめる。変わり果てたピネロの姿が、キャニアンの瞳に映っていた。
美女は黙ってふたりを見守る。すぐそばの下り階段の影からは、女性たちも同じように見守っていた。階段を上がったところにピネロとキャニアンがいるせいで、上がるに上がれないのだ。
やがてキャニアンはピネロから離れ、外套を引き剥がした。裏地から伸びた糸がピネロの両手首を束ね、締め上げる。苦痛に顔を歪めるピネロの首筋をつかんだキャニアンは、怒りを暗く燻らせながら言った。
「……君を連行する。聞きたいことは山ほどあるから。でも、すぐには突き出さないであげる。どういうことだか、全部話してもらうよ。そういうことだから姐さん、行ってくるよ。クラスの全員、大図書館に集まれって言われてるんだ」
「心臓が飛び出るかと思ったわ。あとでちゃんと説明しなさいね」
「わかってる。ほら、行くよ」
半ば叩くように背中を押され、ピネロは階段を下りた。階下の女性たちがすぐにはける。段差を下り切ると広いロビーがあって、中では“
“
“
“
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