第2話 再会と災厄の日

 翌朝、出勤するジーナを見送ってから、ピネロは魔術学院へと足を向けた。すでに自由登校ではあり、授業はないが、学院の図書館には膨大な資料が詰まっている。知識を求める者ならば、行かない手はない。


 運送の人形遣いをつかまえて学校まで行く間、小さな柑橘類を口に含むピネロの頭はジーナのことでいっぱいだった。危惧したような気まずい空気は無かったが、彼女の眼差しが気になっている。真っ直ぐ、鋭く、何かを決断したような目が。昨日のことを切り出しても、黙ってうなずくだけだった。


(認めてくれたってことなのかな。それにしては、様子が変だったような……。納得して受け入れたっていうより、ならこっちにも考えがあるって感じの……)


 振り返るが、当然そこには目覚めだした都の街並みが広がるだけで、ジーナはとっくに見えなくなっている。今更ながら、別れたのはまずかったような気がしてきたが、彼女にはドールショップの仕事がある。


 考えても仕方がない。帰ったら聞いてみよう。そう思い直して荷台から飛び降り、魔術学院の門を潜った。大図書館に踏み入ると、入口で派手な少女とばったり出くわす。


「あれ、ピネロ! 来たんだ?」

「キャニアンこそ、何しに? 勉強?」

「そういうこと。吾輩の黄金色の頭脳に、できる限り知識を入れておかないとね」

「熱心だね。さすが名探偵」

「えへへ、もっと褒めてくれていいんだよ!」


 得意げにウィンクをするキャニアンと受付を済ませて入口を潜る。魔術学院の図書館はバカでかく、あちこちに階段やはしごが用意されている。キャットウォーク状になった二階に上がる最中、大量の本を抱えた人形とすれ違った。


 禿頭、生気のない瞳、額に刻まれた番号。木製だが、やけに精巧で人間そっくりなだけに、不気味に感じる。キャニアンも同様なのか、ピネロの背中に隠れてこわごわと人形を見送る。


「はあ、いつ見ても慣れないなあ」

「見慣れておいた方がいいんじゃない? 裁断省にも“被罰人形プリズナー”はたくさん配備されてるだろうし」

「いやまあ、そうなんだけどさ……」


 “被罰人形プリズナー”。犯罪者の成れの果て。裁断省に罪ありきと判決を下され、ペルジェスの王の手により魂を人形に封じられた奴隷たち。国民全員に配られる法典に逆らうと、自我も記憶も失い、ああなってしまう。


 キャニアンは大げさに、持ち上げた両手をワキワキと動かしながら訴えた。


「でもやっぱりさ、嫌じゃない? 人があんな風になると思うとぞっとするよ!」

「君、犯罪者をあんな風にする側になるんだけど」

「そうだけどさあ!」

「っていうか、来るところこっちであってる? 法律関係は下の階だったような」

「ああいや、吾輩も今日は魔術の勉強をするつもりなんだ。調査に使えそうな魔術を探したいし。ピネロは?」

「僕は、人形作りの本をね」

「“ツー・ナイツ・ディフェンス”のためでしょ。マジメなんだから!」


 ほとんど人がいないのをいいことに、キャニアンは笑って冷やかしてくる。ピネロは肩を竦めた。


「自分で言うのもなんだけど、かなりいい出来だと思ってるんだ。これを極めた先に自分の奥義があるって気がしてさ」

「魔術の奥義、極点魔術アルス・マグナか。騎士団レギオンの師団長はみんな持ってるって聞くし、やっぱり切り札はいるよね」

「それも、一回こっきりじゃないやつがね。どんな相手にも通じて、それで無事に帰ってこれるような。……でないと、ジーナを安心させてあげられない」


 そうつぶやいた自分の頬は、強張っていた。こんなとき、師匠がいてくれたなら。そんな風に思ってしまう。“ツー・ナイツ・ディフェンス”の開発に大きく寄与した当代最高と名高い人形遣い。彼の知識を借りられれば良いのだが。今となっては詮のない話である。


 溜息をこらていると、キャニアンに頬を突かれる。目をやれば、どこか不機嫌そうな顔に見つめられていた。


「今、師匠のこと考えてたでしょ」

「なっ、なんでわかったの……?」

「それはもちろん、吾輩が名探偵だから」


 にんまりと笑う少女から目を逸らす。彼女は頭の後ろで手を組み、ピネロを追い越した。


「未練がましいんだから。吾輩たちを捨てた人のことなんて、忘れちゃえばいいのに」

「もし探してくれって依頼したら、探してくれる? 名探偵さん」

「え、ヤダ。見つけてどうすんの?」


 不機嫌そうなしかめっ面が向けられた。ピネロは肩を竦める。きっとグレイドやイータ、オレンたちも似たような反応をするだろう。


 目的の書架についたところでキャニアンと別れ、自分の本を探し始める。ペルジェスでは人形遣いが隆盛しているが、それ以外の魔術がおざなりかというとそんなことは全くない。騎士団レギオンのトップ層にも、人形遣いでない魔術師は多い。


 目下の目的は、“ツー・ナイツ・ディフェンス”のさらなる可能性を探ること。最強の名をほしいままにするために。本を取り出してはパラパラめくって吟味し、戻してまた別の本を取り出すということを繰り返していると、どこか冷ややかな声が浴びせかけられた。


「そんなところで、何の本を探しているの?」

「……ソラ」


 渋くなった顔を上げると、本棚の列の外に黒い服の少女が立っていた。長く伸びた白い髪、片目を隠す帯状の眼帯。頭には不吉な黒い角飾り。冷たい空気をまとった少女はピネロに近寄り、ほぼ同じ高さの目線を合わせる。青白い瞳が開きっぱなしの本を一瞥した。


「ふうん、生物に頼らない永久魔力機関作成の論文……。そんな無理難題を研究するよりも、あなたに向いた魔術を極めた方がいいっていつも言っているのに。案内してあげるわ」

「禁書庫の魔術はいいって。それで、何しに来たの? いつものお誘いのことは、昨日の内に話し終わったと思うけど」

「うやむやにしただけじゃない。生憎、それで諦める気はないの」

「ああそう……」


 まったくもう、と心の中だけで呟いて、ピネロは銅色の髪を掻いた。


 ソラは愛称、あるいは偽称。その本性を以てして、彼女は再三ピネロを勧誘してきていた。最も重要な部分を秘して、誘いに乗ったら答えると言って。昨日の夕方、改めてノーを突きつけたのだが、それでもなおダメらしい。


 ピネロはソラの方を見ず、本に目を落とす。正直、あまり彼女には関わりたくない。成り行きで襲われていたところを救ったあたりで付きまとわれるようになった上、勧誘もかなり執拗だ。なにより彼女の誘いは、騎士団レギオンに入って国を守るというピネロの目標と真っ向から対立している。そのことは昨日も念押ししたのだが、一向に意に介さない。


「他に用がないなら、集中したいんだけど」

「用ならあるわ。ねえピネロ、師匠に会いたくはない?」


 ぴしっ、と音を立てて集中がひび割れた。ピネロが驚きの表情をソラに向けると、彼女は一通の手紙を差し出してくる。


 封筒を開き、中の便箋を取り出す。そこに書かれた文章を読み解いたピネロは絶句した。差出人の署名は、失踪した師匠の名だ。


「これは……アルバート師匠から……? どうして君がこれを!?」

「今朝、学院に届いたのを代わりに受け取ったの。後で渡してあげようと思って……ああ、言っておくけど、中身は見てないわ。何かいいことでも書いてあった?」


 ピネロは何も答えず、ソラに背中を向ける。早足で図書館を出ようとするところを、ソラの声が呼び止めた。


「伝書鳩をしてあげたのに、お礼のひとつもなし?」

「どうせ、お礼を言うなら結婚しろって言うんでしょ。なら言わないよ」

「夫が嫌なら、愛人でも構わないと言っているじゃない」

「はあ……」


 穏やかに微笑む彼女に、これ見よがしに溜め息を吐く。口を開けばすぐにこれだ。どこでこれほどの執着を買ったものか。何度も浮かんだ疑問を棚上げして、すぐさま図書館を飛び出す。途中、キャニアンに呼ばれたが、耳には入らなかった。


 一も二もなく駆け出し、逸る気持ちのまま、“ツー・ナイツ・ディフェンス”で騎馬型の人形を呼び出してまたがる。全身を魔力で編まれた銀鉱の馬は、風のように王都を囲む壁の門を突っ切ると、たちまち外の広大な農園に出た。


 “被罰人形プリズナー”が生い茂る植物の一本一本を丁寧に処理し、カカシ型の魔術人形が悍ましい咆哮を上げて野鳥を追い払うのを横目に、ピネロは人形に揺られながら手紙を取り出す。


 差出人はアルバート・フォート。人呼んで、“城主”アルバート。王国最大の魔術人形をいくつも生み出し、多くの戦役で勝利を収めたペルジェスの英雄。そして、二年ほど前までピネロたちの属する人形科特待生クラスを受け持っていた男でもある。


 背中に火を点けられたように道を急ぎながら、文面を再確認する。ごく普通の便箋には、次のように綴られていた。


親愛なる我が弟子、ピネロ・ガビへ

 時候の挨拶をしたいものだが、既に外の季節などわからなくなって久しい。君は既に魔術学院を卒業した頃だろうか。かつて君が草案を持ち来たり、私に教えを求めて作り上げたかの魔術は、どれほど洗練されただろう。あるいはもはや、私の顔など忘れようと、魔術ごと遺棄してしまったか。

 かつての門下生よ、君たちに何も語らず破門を言い渡し、行方をくらませた私をどのように思っているか、想像するに余りある。それでもこうして筆を執ったのは、その理由を君に伝えるためだ。私はある魔術を研究するため、身を隠す必要があった。そして研究は結実した。その成果を、最も優秀な弟子であった君に贈りたい。

 未だ騎士団レギオンを志しているだろうか。最強の魔術師たらんとし、愛する者を守らんと練磨しているだろうか。ならば、必ずやこれは君の力になろう。

 今にも死なんとする私の遺産を、どうか受け取りに来てほしい。同封した鍵と地図は、私の地下工房へ君を導くためのものだ。急いでくれ。でなければ、なにもかもが跡形もなく消え失せてしまうだろう。

                           アルバート・フォート


「……流石にふざけすぎじゃないか、アルバート師匠?」


 苦々しくそうつぶやいた。


 ピネロは、魔術学院人形科の特待生クラスに所属している。初等部以降、人形遣いとして頭角を現した者たちが集められる教室だ。かつては、アルバートが教鞭を執っていたが、彼は忽然と姿を消したのである。生徒全員に破門を言い渡して。


 理由も言わずに放逐された生徒たちは、当然ながら憤慨した。けれど彼はいなくなり、代わりの教師があてがわれた。代わりに来た女教師も国内トップクラスの人形遣い。人選に不満の声は上がらず、誰もがアルバートなど最初からいなかったかのように振舞った。唯一、己の魔術の全てを打ち明け、積極的に教えを請うたピネロ以外は。


(それが前触れもなくこんな手紙を……。何を考えてるんだ? 僕たちを破門して、何を研究していたって? それで何を渡したいって?)


 自分でもよくわからない感情が腹の底で燃えている。破門された怒りか、気にかけていた師から連絡が来た喜びか、師匠の遺産に対する興味か。きっと、そのすべてだろう。ない交ぜになった想いが、ピネロを鞭打ったのだ。


 何はともあれ、誘いには乗る。そして全てを明かしてもらい、王都まで引っ立てて、クラスメイト全員に謝罪させてやる。心に強くそう誓って、ピネロは頭を下げて人形を加速させた。


 ウェストポーチから林檎を取り出し、かじって口の中で魔力に変える。手持ちの食料はこれっきりだ。移動だけなら事足りるだろうが……。


(いつもの果物袋くだものぶくろ、持って来ればよかった!)


 自宅に置いてきた食べ物を詰めた袋に未練を感じつつも、ピネロは魔力の手綱をぴしゃりと打ち鳴らした。


⁂   ⁂   ⁂   ⁂   ⁂


 来たと思えば、とんでもない速度で走り去っていったピネロを見送って、キャニアンは不思議そうに瞬きをした。彼が姿を消した方を見つめ、首をかしげる。


「……なにあれ?」

「アルバート先生に会いに行ったそうよ」

「は?」


 ぽかんとした間抜け面で振り返った途端、キャニアンが後ずさった。歩み寄ってくるのは、胸の下で緩く腕を組んだソラ。


「げえっ、姫じゃん。なんでここにいるの?」

「私がいたらいけないの? これでも一応学生なのよ」

「ほとんど学校来ないくせに……」

「忙しいのよ。普通の子より、学ぶことが多くてね」


 悪びれもせず肩を竦めるソラに、キャニアンは懐から取り出した虫眼鏡を突きつける。魔術具の虫眼鏡は、次々と映る像の色を変えながら、ソラを探った。


「私の心でも見えた?」

「見えたらよかったのにね! っていうか、アルバート先生に会いに行ったって……どういうこと? なんで姫が知ってんの?」

「さあ。手紙の宛名はピネロなんだし、彼に聞いてみたらどう? もしかしたら、連れ戻してくれるかも」


 ソラが冷笑すると、キャニアンは憎たらしそうに唇をひん曲げた。大体の相手と仲良くできると自負しているキャニアンだが、ソラとだけは馬が合わない。仕方なく虫眼鏡をしまう。


「で、どこに行ったの?」

「そこまでは。気になるなら追いかけてみたら、名探偵さん。近頃は物騒だもの、危ない目に遭うかも」

「ピネロなら大丈夫でしょ、吾輩たちの中で一番強いもん。あ、ていうか、そんなに心配なら、君が行けばいいじゃん。いっつも呼び出したり追い回しては粉かけてるんだし」

「あら、嫉妬?」

「ちーがーいーまーす! 困らせるなって言ってんですぅー! ピネロにはジーナがいるんだから。横恋慕は感心しないよ?」

「愛人でも、私は一向に構わないわ」

「そーゆーとこだよ、そーゆーとこ!」

「お静かに」


 キャニアンが怒鳴ると、近くにいた“被罰人形プリズナー”が忠告してきた。キャニアンは上がりかけた悲鳴を両手で押し込め、声を潜めながら謝罪した。ソラはその様子を見て目を細める。犯罪者の魂を封じ、永遠に労働を強いられる人形を。ここ最近、数が増えてきた。


 ソラは身を翻し、図書館の奥へと歩き出した。


「あ、どこいくの!?」

「禁書庫よ。言っておくけど、ついてきたら罰せられるから、そのつもりで」

「誰もついていかないよ!」


 ソラはひらりと手を振り、その場を後にする。キャニアンはなんだったの、と小さく呟いたが、答えはでそうになかったので、仕方なく勉強に戻ることにした。


⁂   ⁂   ⁂   ⁂   ⁂


 ピネロが指定された場所にたどり着いた時には、すっかり日が暮れてしまっていた。朝早く王都を出たというのに。後先考えずに飛び出したことを後悔しかける。今から帰っても、よくて明朝だ。ジーナに心配をかけてしまう。


(かといって、ここまで来ておいて引き返すのもな)


 乗ってきた人形の両目から放たれる光が照らす先を無言で見下ろす。現在地はペルジェス南東、国境にほど近い荒野だ。草や低木がまばらに生える赤茶けた大地に、鉄板が一枚埋め込まれていた。周囲にはひとつとして人工物の類が見当たらないために、かなり浮いている。


 便箋から取り出した鍵を鍵穴に差し込み、鉄板を開く。呼び出していた人形に手を触れると、ピネロより背の高い獣は光となって握り拳の中に吸い込まれていった。開いた鉄板の下は、闇。


 手紙の内容が確かなら、ここがアルバートの地下工房だ。こんなド辺境に作って、何をしていたのやら。訝しみながらはしご伝いに滑り降りると、上でガシャンと扉の閉まる音がした。不意に明かりが点いて、一本道の通路を照らす。奥にはまた、鋼の扉。警戒しながら、開いて押し入る。


 部屋の中は広く、まさしく実験室といった具合。魔術具を満載した灰色の大テーブル、何かの瓶詰を並べた棚、積み上げられた栞付きの本。そして、動きを止めた魔術人形たち。おおよそ人の気配がない空間に、ピネロは声を投げかけた。


「師匠? アルバート師匠、どこですか?」

「……来たか」


 うっそりとした声が、部屋の奥からした。そこにあった扉のノブがゆっくりと回り、キィィと音を立てて開かれる。ピネロは半歩引いて身構えた。そこに立っていたのは、背の高い老人である。


 一瞬誰かわからなかった。随分とやつれてしまった顔もそうだが、落ちくぼんだ目の輝きがピネロを怯ませる。憂いと狂気のぎらつきの奥に、冷たく燃え上がる炎のような感情があった。


「アルバート……師匠?」

「久しぶりだな、ピネロ。しばらく見ないうちに大きくなった。手紙を読んで来たのだろう。届いて何よりだ」

「……こっちこそ、悪戯じゃなくてよかった」


 ピネロは緊張しながら、両手に魔力の光をまとわせる。保護者ぶるような口ぶりに少々腹が立ったのもある。対面したことで、理由もわからず破門された怒りに薪がくべられたような恰好だ。しかしそれ以上に、不気味な気配が彼に臨戦態勢を余儀なくさせた。


 ピネロのすぐ背後には、“ツー・ナイツ・ディフェンス”で呼び出した等身大の人形が“隠密ヒドゥン”の魔術で隠されている。ピネロの一存で、いつでもアルバート老人に飛びかかり、組み伏せられるが……相手は一線を退いて長いとはいえ、最強と謳われた人形遣いだ。部屋が狭く、他の人形を出し辛いのが悔やまれる。


 抜け目なく勝算と戦法を吟味しながら、ピネロは尋ねた。


「こんなところで何をしていたんですか。誰にも何も言わずに、僕たち全員を破門したくせに、今更僕だけ呼び出して。一体、何が目的なんです?」

「君こそ、何が目的で来た。遺産目当てか、また教えを請いに来たか、怒りをぶつけに来たのか、はたまた私を連れ戻すのか?」

「全部です」


 少し剣呑なピネロの言葉に、アルバートはただ笑いを漏らしただけだった。ピネロは訝しく眉をひそめる。随分と雰囲気が変わった。かつての師は、老いてなお活動的で、自らの肉体ひとつで生徒の人形を組み伏せてのける豪傑だった。笑顔を絶やさず、生徒たちはまるで己の祖父のように彼を慕ったものだ。それが今や、随分と枯れてしまっている。


 アルバートは背を向けると、扉の奥へ歩いていく。無言でついてこいと指示されているかのようだ。ピネロは警戒しながらも付き従った。


「それで、師匠。僕の質問に対する答えは?」

「君だけを呼び出した理由か。君でなければ駄目だからだよ。“ツー・ナイツ・ディフェンス”のノウハウが必要なのだ」

「…………」


 一定の間合いを保ってついていく間、ふとアルバートの服がおかしいことに気が付いた。背骨のあたりが妙に盛り上がっている。よく見れば、両手は球体関節だ。老いた体を義体で補強しているのか?


 左足を微かに引きずりながら、アルバートは言う。


「君の人形は、他の誰が作ったものとも異なる。“魔力変換コンバート”で戦う都度人形を生み出すというアイデア自体は昔からあったが、なにせ莫大な魔力が必要となる。人ひとりでは到底賄えないほどのな」

「魔力が必要なら、ご自分で用意できるでしょう? 僕は燃費の悪さを魔力の生成効率を上げて誤魔化してるだけですが、師匠の城砦人形は……」

「大型の魔力炉を搭載し、動かしている。だがその方法は流用できない。用意する機構があまりに巨大すぎ、常に戦場に身を置かねばならん上、人間サイズの人形にはとても搭載できんからな」

「その人間サイズの人形が、研究成果ですか。“城主”と呼ばれたあなたが、らしくもない」

「そうだ。勝手ながら、“ツー・ナイツ・ディフェンス”シリーズに加わる新たな人形を作らせてもらった。それを君に提供しよう。……ここだ」


 いくつも枝分かれした廊下を歩き、一番奥の扉を開く。ピネロは張り詰めた空気を感じながら、アルバートに続いて部屋に入った。後ろ手に“ツー・ナイツ・ディフェンス”で生み出した人形に指示を出す。もしアルバートが魔術を使おうとしたら抑え込め、と。


 それを知ってか知らずか、アルバートは部屋の中にピネロを招いた。天井と床に描かれた方陣と上下を繋ぐ鋼鉄の柱が注意を引いた。部屋中には見たこともない器具が詰め込まれ、魔法陣を取り囲んでいる。いや、部屋を取り囲むものと魔方陣、そして鉄柱の全部まとめてひとつの魔術具なのだろうか。


 ピネロはドア枠の外から、じっくりと内装を見分しながら問いかける。


「この部屋は?」

「私の研究成果を生み出すものだ。これを起動することで、君は新たな人形を扱えるようになる」


 ピネロは目を細め、部屋と己の師匠を見つめる。この魔術具はなんだ? なんの研究だ? なぜ自分なのだ? 聞きたいことはいくつもある。だが、アルバートは無言でピネロを見つめ続けるのみだった。有無を言わせぬ迫力で。


「ここに人形があるんですか? それとも……」

「今から完成させるところだ。聞きたいことはたくさんあるのなら、急いだほうがいい。生い先短いと言ったろう。実際……ぐぶっ、そろそろ限界でな」


 口元を覆うアルバートの手の隙間から、黒くねばついた液体が染み出し、糸を引きながら垂れ落ちた。ぞっと寒気がピネロの背筋に襲い掛かる。明らかに血液ではない。この老人は、自分の体を一体何で動かしているのだろう。


「難しいことは何もない、“ツー・ナイツ・ディフェンス”を作る際、最後に施す工夫をしてくれれば、それで……。方陣に魔力を注ぎ、ごほっ、こほ……っ」


 アルバートが震えながら背中を折り曲げると、黒い粘液の塊がべしゃっと床に打ち付けられた。ピネロは泡を食って駆けよるが、アルバートはその手を振り払う。にらみつけてくる眼差しは、自分の要求に応じなければ、このまま死ぬと言わんばかりの頑なさだ。


 どうしてそこまで、と思いつつ、ピネロは逡巡する。明らかに様子がおかしいからと、何もかも見なかったふりをして帰るべきか。それとも要求通りにやるべきか。考る時間は短い。ピネロは銅色の髪を掻きむしると、魔術方陣に両手を置いた。


「ああもう、やったら僕の質問全部に、洗いざらい答えてもらいますからね! ついでに、王都に戻ってみんなに謝ってください!」

「いい……だろう……!」


 消え入りそうな声の言質が取れた。ピネロは息を吸うと、目を閉じて集中する。心臓で増幅された熱が両腕を伝って魔術方陣に流れ込むイメージ。両手が白銀色に輝き、床の方陣に色彩が移る。たちまち全体が輝き始めた方陣はガコンと音を立てて回転を始めた。


「起動しましたよ、先生。これでいいですか?」

「ああ、そう、そうだ、そのまま……人形を動かすように、魔力を繋げ。指示は出さなくていい、魔力がつながりさえすれば、あとは勝手に……!」

「は、はい。……?」


 ピネロの両手に違和感が走った。腕の骨が床に吸い込まれていくような、感覚。とっさに方陣から離れようとするが、手のひらが地面に縫い付けられてしまったかのように、ぴくりとも動かせない。白銀色の光は鉄柱を登り、天井の魔法陣にまで伝播した。部屋を囲う魔術具が震えて輝き、音を鳴らす。歓喜に震えるが如く。


「うっ……!?」

(これは、まさか……僕の魔力を吸い上げてる!?)


 方陣の回転が加速した。糸車よろしくピネロの中身を巻き取り、鉄柱の中身に注いでいく。その場に釘付けにされたピネロは、水の中に沈んだ何かに触れたような気がした。硬い地面についたままの手に、その感触が確かにあった。冷たい液体の中に、硬さをはらんだ弾力。


 ピネロは恐れと驚きに目を見開いた。これは一体、なんだ?


「な……ぐっ!? これは一体……人形、いや、人間……!? 師匠、これは一体……え?」


 アルバートは四つん這いで起き上がろうとした体勢のまま、動かなくなっていた。半開きの口からはドロドロと黒い液体が垂れ落ち、両目は濁って虚ろ。何か絶望的な状況の中で、一縷の希望がつながった。そんな表情で、彼は事切れていた。


 怒涛のような混乱がピネロに押し寄せる。だが、それらをひとつひとつ精査する前に、ピネロは自分が暗い深淵に引きずり込まれるのを感じた。


「う、うあああああああああああっ!?」


 意識が引っこ抜かれ、凄まじい速度で引き回される。体がねじられ、別の何かとり合される。じたばたともがいても、減速する気配さえない。悲鳴も上げられない。未知の感覚と混乱が恐怖をもたらした。入ってくる速度が速すぎて、輪郭さえ認識できないビジョンの数々。自分が振り回され、吊り上げられ、突き落とされる。水の中に叩き込まれたような感触を最後に、ピネロの意識はぷっつりと途切れた。

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