第2話 旅立ちに王様から何ももらえないのは伝統なんですよ

「起きなさい」


 ――まだ眠い。


「起きなさい、私の坊や」


 ――邪魔しないでほしい。


「早く起きないと布団を引っぺがしちゃうぞ?」


 ――それは困る……ってこの声、ルーリエじゃない? じゃあ誰?

 おれ? おれの声?

 まだ寝ていたい自分に対して早く起きろとおれが告げているのか?

 妙な感覚だ。

 おれは勢いよく布団を持ち上げる。見たことがない、でも見知った顔がそこにあった。


 母さん?

 いや待て、ほんとにおれの母さんか?

 だってすげえ美人だぜ?

 素朴なんだけど、その飾り気のなさが造りの良さを引き立てているというか……。


 うーん。

 ……駄目だ、記憶が混濁してて判断できねえ!


 でも怪しまれるといけねえから、とりあえずこのままにしておこう。

 下手に口を滑らせて事態が悪化するのもいけねえしな。


 にしても。

 自分の息子を。

 坊やって……。

 そろそろ本気で名前を決めなきゃいけない。うーん母さんには頼れねえし、自分で考えるしかないんだが、いざやることになったらくっそ難しい。世の中でペットを飼っている人には敬意を表するわ……。

『速さ』に通じるものがいいな、なんとなく。そう、なんとなく。でも重要なことのような気がする。おれを表すものとしてふさわしいのは速さだと、自分の内が告げている。なぜなら……なんでだっけ? あれ、思い出せねえ! けど、いまはそれどころじゃねえ。


 名前なまえ……、早く決めないと。

 そう、早く。

『セナ』は有名だから、使いにくい。タロウやイチロウと同じくらい大勢いそうだし。

『マッハ』…………マッハから取って『マハ』でどうだろう。うん、これでいこう。

 決めた名でおれは早速だが母さんに催促する。


「母さん、坊やはやめてくれよ」

「そうだったわね、マハ。私ったら昔の癖でついつい……」


 ふう、よかった受け入れてもらえた。

 なんだかうさん臭さもあったけど、いまはこれでいい。

 昔の癖とやらを聞いてみたい気もするが、さっさと先の会話を促す。


「それで? なんで急かして起こそうとしてたの?」


 すると母さんは形のいい眉をゆがめて、怒った顔になった。


「今日は王様に謁見する日だとあれだけ言っておいたでしょう!」

「王様? 謁見? なんのこと?」


 あ、いけね。つい出ちゃった。


「忘れた? まさか忘れたとでも言うの! ああ……なんて子でしょう……」

「冗談だよ、冗談! 王様にお話を聞いてくるんだよね!」


 内心どきどきしてる。

 この受け答えで正しいのだろうか。

 機嫌を戻してもらえるだろうか。


「驚かさないで。坊やが狂ったかと思ったじゃない」

「そんなことあるわけないだろ。おれはいつも至って普通さ」


 なんだかカタコトが混じってね……?

 返答しようとしたら釣られるんだけど、会話として成り立ってるか? うーむ。

 おれが悩んでいる素振りをしているにも関わらず、母さんは言い募ってくる。


「じゃあマジックローブに着替えて」

「へいへい」


 ん?

 なんだかいま、記憶の隅にかつんと衝撃があったような。

 気のせいか。

 王様に会うということもあり、マジックローブは新品ぴかぴかだった。それと、どこかしら有名なブランド物らしい。機能性よりも様式美を重視しており、おれはあまり好きじゃない。危険に対処できないからね。意味のない文様と、派手な装飾が、うっとうしい。


 * * *


 外に出ると、初夏の陽気に誘われた微風が、鼻の奥をくすぐった。

 目指すお城までは大通りに出てから突き当たりまで行けばいいだけだ。


 とりあえず急いで向かう。

 すれ違う人たちから怪しい目で見られない程度に。


 何重にも備えられた門番の人たちに挨拶をしながら、王様の元へとたどり着いた。

 めちゃくちゃ広い部屋。

 天頂を覆い隠すほどに高く感じる天井。

 どれも規格外。

 その主はといえば、部屋の奥、一段段差が高くなっている場所に立っていた。赤い外套で身を隠しているが得に意味はないだろう。謎を抱えておけば心理的に優位に立てるという簡単な計略と思われる。


「どうした、入り口で突っ立ってないでこちらに来るがよい」

「あ、はい」


 言われるまま、王様の近くとも遠くとも言えない微妙な距離に位置取った。

 すると、王様が、白くたっぷりと流しているひげを撫でて一言。


「そなたが女神に選ばれし《勇者》か?」


 おれはずっこけそうになった。

 なになに、どういうこと? どうしてそうなった?

 おれの挙動不審に疑いを持ったのか、王様が鋭い眼光を向けてくる。この老人、ただ者ではないぞ……。いや、王様なのはわかってるけどね。オーラがあるっていうか。


「女神の名を申してみよ」

「ルーリエさんですね」

「おお…………この世の誰にもしゃべることが許されぬ真の名を口に出来るとは! そなたはまことに世界を救う勇者なのだな!」

「ええ、まあ……」


 んんん?

 世界を救うの? おれが? なんで?

 というかこの世界ってそんなに危ないの?


「ではこれより旅立つのじゃ。魔王グリフォンを打ち倒し、世界を救って見せよ!」

「わかりました、やるだけやってみます」


 ここで否定してもこじれそうなだけだったので、おれは不承不承ながら魔王グリフォンってやつを倒す旅をついでにすることにした。

 主目的はあくまで世界に散らばっているという、記憶の捜索だ。

 そう、いま現在のおれは記憶喪失の真っ最中……のはずなんだけど、どうにもこうすべてが抜け落ちた感じではなく、一部が欠けている感覚なのだ。違和感があるよ。


 にしても、なーんか王様の言動が怪しいんだよなあ。母さんもそうだったけど。

 怪しいってのは文字通りの意味じゃなくて……こう、決まったことをしゃべっているというか……そうか!

 おれは、はっと気づいた。というか記憶が繋がった。バラバラになっている記憶の一部が、しゅるんと合体した感じ。


 もしかして……ここって……。

 おれのやってったリアルタイムアタックのゲーム内世界?

 いやいや、そんな馬鹿な。

 ルーリエも言ってたじゃないか、おれはこの世界で育ったって。

 いかん、なぜだろう。記憶が曖昧になってきた……自信がねえ。



【ルーリエアラート! ルーリエアラート!】

 ◆記憶の一部が開放されました◆



「のあっ!」

「どうした、すっとんきょうな声を出しおって」

「いま変な声がして?」

「なぬ? 儂にはなにも聞こえなかったがのぉ?」


 護衛の兵士にも問いかける王様。

 兵士たちは首を振り、聞こえなかったことを示す。

 つまり、おれにしか聞こえないなんらかのシステムが働いた? 不気味すぎて信じたくない。自分の育った世界がゲームだったなんて……。


「あ、いえ、じゃあこれで……おれは行きましょうかね……」


 立ち去ろうとしながらもちらちらと王様のほうを振り返る。


「なんじゃ?」


 王様が反応した。


「いやあ、なにか旅に役立つものでもくれないのかなあ、と」

「ふはははは!」


 豪快に笑われた。

 いや、だって危険な旅なんだろう?

 路銀くらいくれたっていいじゃない?


「いまこの世界は魔王グリフォンめの手先、魔物どもの凶悪化により流通が麻痺しておるのはおぬしも知っておろう」

「はい」


 知るわけねえだろ。

 おれが知っているのはゲーム攻略のチャートだけだ。

 細かい設定は頭に入ってねーか、どっかに落としちまってるよ。


 ……いかん、自分で自分の正気を疑える単語と思考でいっぱいだ。

 なんでこの世界のことを知っているのかは深く考えないほうがよさそうだな。


 と、王様の怒鳴り声がびりびりと伝わり、おれもなんとか応答する。


「びた一文たりとも出せる金などないわ!」

「おれに死ねと?」

「とにかく定期リセット前に早く魔王を倒すのじゃ!」

「……ん? 待ってください、定期リセット? なんですかそれ?」

「なんじゃ、勇者のくせに常識を知らぬのだな」

「うっせ」

「なにか言いおったか?」

「いえ」


 ここは黙って会話を合わせておこう。


「定期リセットとは世界のいざこざが最初に戻ってしまうことを言うのじゃよ」

「無駄骨もいいところじゃねえか!」


 おれは思いがけず叫んでしまった。

 は、早く冒険を進めて魔王を倒さないと……それまでのすべてがなかったことになってしまう……! やだよ、せっかく苦労した冒険が一瞬で水の泡とか!


「女神さまの加護があらんことを……」

「…………」


 ルーリエのやつ適当なこと言いやがって。なーにがルーリエの名を出せばなんとかなるだ。怪しい気配がぷんぷんしやがるぜ。

 でもこの世界で産まれてこの世界で育ったおれは、女神を信じていたのだろうか。もしそうなら恐ろしい。今後は二度と神なんて信じないことにしなきゃいかん。いいように利用されるだけだわ、こりゃ。


 とぼとぼと豪奢な城の廊下を歩いていると、むなしくなってくる。

 いっそ、宝物庫に忍び込んでお宝をごっそり奪ってから出発しようと、魔が差してくる。

 ……どうしておれは宝物庫の場所を知っているんだ?

 まあいいか。

 これも残っていた記憶の一部なんだろう。

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