第7話

研三が、仕事が休みの日に書店のシャッターを上げると、店の前に小学生の男の子が立っていた。

「どうしたの」

って聞くと

「宮沢賢治の詩集が欲しいんです」

「わかった。探してみるね」

しばらく研三は、探してみる、いや探している振りをした。この店に、宮沢賢治の詩集がないのは、研三にはわかっていたんだが、子供の切実な気持ちを配慮してのことだった。

そこで

「店にはないけど、僕の古いのを、良かったらあげようか」

「いいんですか」

「何で、宮沢賢治?」

「学校で習ったんですが、感動して」

「雨ニモマケズなんか、いいよね」

「はい」

「ちょっと待っててね」

2階へ駆け上がると、恵美子が

「どうしたの」

「本屋の妖精が来た」

「えっ」

研三は、恵美子に頷いてみせてから、引っ越しの時から入れたままの、段ボールの中を探して

「あった」

と言って、研三が1階へ降りて宮沢賢治の詩集を、少年に渡して

「古くてごめんね」

宮沢賢治の詩集は、研三が何度も手に取っていたためか、かなり変色してしまっていたが、少年は

「ありがとう。大切にします」

「僕も小学校の時に、感動して買ったんだよ」

「そうなんですか」

少年は、研三に頭を下げて、自転車に乗って帰っていった。恵美子が研三の横にきて

「今の男の子が妖精?」

「そう。思い出したんだ」

「何を?」

「あの子、宮沢賢治の詩集を買いに来たんだけど、店に無かったので僕のをあげたんだ。そこで思い出したんですよ」

「・・・」

「あの詩集、ここで買ったんですよ。僕も小学生の時に」

「へぇー、その時の店番は私?」

「恵美子さんのお母さんだったと思います。店番してたの」

「それで妖精?」

「そうです。大切なことを思い出させてくれたんです。その頃から僕が、この店に本を買いに来てたってことを」

恵美子は、研三の手を握って

「研三君の大事なことを、思い出させてくれたのね。あの妖精さんは」

「はい、けどあの少年はもう、この本屋には来ないかもしれない」

「だから妖精なんでしょ」

「はい」

「けど、いいじゃない。研三君は妖精さんに、いいことしてあげたんだから」

研三は、ニコッとして

「そうですね」

研三と恵美子は、妖精が帰っていった道を、しばらくながめていた。

研三は、本屋の中を振り返って

「この本屋には、思い出がいっぱい詰まってるんです」

「妖精さんの本以外に?」

「恵美子さんのお母さんに、子供扱いにされたこと」

「うん」

「そして、司馬遼太郎の胡蝶の夢の足りない1冊を買いに来て、恵美子さんに会えたこと」

「・・'」

「その後、恵美子さんに会いたさに、この店の前を何度も通ったこと」

恵美子は、研三の手を自分の目の前へ持っていき、指をからませながら

「そんなに。そんなに、私のことを思っていてくれてたなんて・・・。嬉しい」

恵美子は、自分の頭を研三の肩にあずけた。すると研三は、鼻の下を人差し指でさすっている。



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愛しいひと 赤根好古 @akane_yoshihuru

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