第一章 シナリオライター、『源氏物語』の世界に入り込む

1 『源氏物語』を乙女ゲームにするなんて無理がある(改)

 そもそも、なぜ私と六条御息所たちが悪役令嬢に憑依することとなったのか。

 事の発端は、しばらく前のこと。

 『源氏物語』をベースにした乙女ゲームのシナリオを書いていた時分まで遡る───。


   ◆


//背景:野宮


【光源氏】

※笑顔※

「榊の葉の色は、楓や銀杏のように変わることはありません。そして、私の心も……決して変わることはないのです」


【六条御息所】

「……」


【光源氏】

「あなたへの想いが榊の葉のように変わらぬからこそ、その確かな想いを道標としてやって来ることができました」


【六条御息所】

※動揺※

「しかし……」


【光源氏】

「その証拠に、こうして神の設けた垣根をも越えてやって来てしまったではないですか。私の心を信じてはくださらぬのですか?」


【光源氏】

「ここは野宮。新斎宮が身を清める特別な場。神に許されぬ者が、その垣根を越えることができましょうか。いやできませぬ」


   ◆


「はあ? 信じられねぇわっ! 勝手な屁理屈ばっかり抜かしやがって。なんなんだ、いったいこの口から出まかせだらけの浮気男はっ!」


 ヒーロー・光源氏を口汚く罵ると、私は力強くキーボードのエンターキーを叩いた。


「……って、まあ私が書いた訳文だけども……!」


 怒りのあまり、こめかみがピクピクと小刻みに動く。

 興奮して体温が上がったせいか、手のひらには汗がうっすらと滲んでいた。


 かなり大きな声を出してしまったが、私の仕事場は自宅。しかも一人暮らし。

 オフィスではないので、周りの迷惑にはなっていないだろう。

 時刻は昼下がり。

 アパートの右隣に住む大学生も、左隣に住むOLさんも、平日の今頃は自宅にいない。それぞれ、キャンパスやオフィスにいる頃だから大声を上げたところで近所迷惑にもならない時間帯だ。


 本当なら、私も休憩を取る時間ではない。ここで筆を止めることなく、このまま原稿を書き進めなければならないのだが、自分で書いたセリフに胸くそが悪くなり、それ以上、続けて入力することができなかった。


「いや、おかしい。おかしいでしょ、この主人公。ちょっと前には、北の方――正室の葵の上ともなんかよい感じになってたよね? でも、葵の上が死んじゃって……、え、え、いったいどういうこと?」


 私はパラパラと『源氏物語』を捲る。現代語訳の部分を目で辿った。

 今、参考にしているのは「賢木巻さかきのまき」だ。

 その前の「葵巻」では、子どもを産んだ葵の上といい雰囲気になっていた。逆に六条御息所に対しては、「こいつ、生霊になって葵の上を取り殺したんじゃね?」という感じで疑って、ドン引いていたはず。

 いい雰囲気になる要素など、微塵もなかった。

 それなのに───なぜ葵の上が亡くなった途端、六条御息所といい雰囲気になっているのか。

 はっきり言って理解しがたい。

 さらに、私はこの先の鬼畜なストーリーを知っている。

 

「六条御息所の娘の斎宮にも、ちょっと浮気心を抱くのよね、こいつ……。で、あげくの果てに、義理の母にあたる藤壺中宮と禁断の……密通! しかも少なくとも2回目の……密通よ! 義母だし、天皇の后だし、いくらなんでもありえないタブー。なのに、二人の間には既に子どもまでなしている。そんな藤壺とまた密通。しかも、この同じ賢木巻で! この六条御息所といい雰囲気になってる直後に、そのタブーを犯してしまうなんて! ちょっとこのプロット……フォローできかねるわ。これ、全然ヒーローじゃないでしょ」


 私は頭を抱えた。


「ああ、まったく私ってば……どうして、こんな仕事を受けちゃったんだろう」


 髪の毛を掻きむしりながら、ゲームの企画書ファイルを立ち上げる。

 よりによってジャンルは乙女ゲーム。

 ヒーローは、光源氏。

 企画の根底から間違っているとしか言いようがない。


「『誰もが憧れる超イケメンの貴公子・光源氏。あなたは彼とのさまざまな恋模様を楽しむことができます』って……これ、逆でしょ。なんで、ヒーローが一人で女性登場人物が多数なのよ。女性の主人公に、正統派ヒーローからツンデレ、ヤンデレ、ドSなどなど、さまざまな個性の男性キャラが登場しないと乙女ゲームにならないでしょっ! 男性向けの美少女ゲームにしてよ、いったい誰なのよこの企画を立てたプランナーは……」


 せっかく、憧れのシナリオライターに転職できたと浮かれていたのも束の間。

 初仕事が早くも暗礁に乗り上げている。


 そう、これは私がメインシナリオライターとしてシナリオを手がける初仕事なのだ。

 30歳の誕生日を目前にした私は、夢を叶えるなら残された時間は少ない、これが最後のチャンスかもしれないと焦っていた。


 私は小学校、中学、高校とごく平凡な人生を歩んできた。文化祭でも体育祭でも目立つことがない。成績もパッとしない。主人公になることなどありえない。

 教室の片隅にいる、ごく普通の女子生徒だ。

 いや、むしろスクール・カースト下位の地味系女子だった。


 趣味は乙女ゲーム。

 スマートフォン・アプリのゲームだけではなく、ポータブルゲーム機のソフトもお小遣いが許す限り購入してはやり込んだ。

 なぜなら、その世界の中でだけは、私はヒロインになれるからだ。

 現実の世界で、現実の男性たちから相手にされない私は乙女ゲームという夢の世界でヒロインになるしかなかった。


 ゲームにのめり込み過ぎた私は受験勉強にそこそこの時間しか費やすことができなかった。その結果、入試でなんとか引っかかることができたのは三流大学のみ。

 そして、三流大学卒だと就職先が限られてしまうという事実にはっと気付いたのは大学三年のときだ。遅すぎた。憧れのゲーム会社数社にもエントリーしてはみたけれど、当然のごとく全敗した。

 高校時代にもっと勉強しておくんだった……、そう後悔したところで後の祭り。


 20代、最初に正社員として勤務した会社は絵に描いたようなブラック企業だった。サービス残業やパワハラが当たり前のように横行していた。

 さらに、生まれて初めて付き合った男性に二股をかけられたあげく捨てられた。社内恋愛だった。

 現実の世界はゲームのようにやり直しはきかない。

 働いても働いても給料は上がらない。

 一昔前なら、「女性なら寿退社」なんて道が当たり前だったのかもしれないけれど、現代の日本でそれが許されるのは一部の富裕層だけだろう。

 そんなお金持ちの男性と出逢うあてもなく、今いる会社で何の取り柄もない女の自分が出世できるとも思えない。

 スクール・カーストどころか、この社会のカースト下位で這いつくばるように生きていくしかないのかと絶望した。

 初めて人生の厳しさを知り、心身を病んだ私はまもなく退職したのだ。

 その後、派遣社員やアルバイトなどさまざまな業種を転々とするが、やりがいなど当然感じられず満たされなかった。

 そんなときも傍らにあったのは、乙女ゲームだ。

 どうせなら、子どもの頃から夢だった乙女ゲームのシナリオライター職に応募してみるか。これでダメなら、潔くあきらめよう。

 ダメだったとしても、今までと変わらず平凡な人生が続くだけだ。

 これが最後のチャンスと思い、ダメ元で応募してみたところ、未経験の私でも採用してくれる制作会社があったのだ。


「在宅でOK。明日からでもすぐに仕事に取りかかってくれると嬉しいんだけど」


 人事担当の言葉に「???」「未経験なのに?」と疑問が浮かびはした。しかし、それを打ち消してしまうぐらい、採用されたという事実に浮かれまくっていたのだと思う。


 やった~! 憧れの、乙女ゲームのシナリオライターになれたんだ~~~~~~!!!!!

 と。


 だが、しかし───。

 仕事を始めてみてわかった。

 この仕事、無茶がある。

 できるシナリオライターなら、すぐ……いや面接の段階で逆質問をして、違和感を覚え辞退したに違いない。

 こんな無茶な案件を進めようとするなんて、おそらくなり手がなかったのだ。もしくは採用されたものの途中で逃げ出したのだろう。


 かくいう私も、あんなに浮かれていたというのに今となっては激しく後悔している。

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