第29話 桜の渓谷



 産神が呼びに来る間、ククはシシに天界を案内してもらい、新婚旅行気分でシシと手を繋ぎながら歩く。

 神々や眷属達から注目されるが、白狼と狼獣が誰も近づかせないようにする。

 そうでなければ、もはやクク以外には愛を向けていないシシが、どのような行動に出るか分からなかったからだ。 

 実際、シシはククを人気のない場所へ連れて行き、二人の時間を満喫している。

 だが、興味のある神々は集まって来てしまうため、シシは何度も周囲を睨みつけた。



(シシが、さっきから睨んでる。楽しくないのかな)



「シシ、楽しくない?僕との新婚旅行……僕だけが楽しいのは意味がない」



「ッ……楽しいよ。ただね、俺達に付き纏う連中が煩わしいんだよ。せっかくククが可愛い表情を見せてくれているのに」



 そこで、漸く周りの気配に気づいたククは、無表情になって尻尾を地面に叩きつける。



「気づかなかった。僕とシシの邪魔をしないでほしい。どうして僕達に構うの?見てて何が楽しいの?」



「俺が天界にいるというだけで、珍しい事ではあるからね。でも、今回は俺のツガイが気になるようだよ」



(気になっても、ついてくる必要はないんじゃないの?もしかして、僕が挨拶をしないから?)



 ククは挨拶を済ませて、早くデートの続きをしようと、神々の元へ歩きだそうとするが、それはシシによって止められてしまう。

 シシは三番目の神であり、冥界という界層を管理しているため、ある意味最高神であると言っても間違いではない。

 実際、モノノケにとっては古竜が最高神であり、下界では創造神が最高神であるのだから、シシは冥界での最高神と言えるだろう。

 だからこそ、そのツガイであるククも地位が高く、創造神の一部を分け与えられた息子である事もあって、非常に特別な存在であった。

 そのため、天界でのククの言動は慎重にしなくてはならず、神格化されているククが神となった時、どのような影響が出るか分からないのだ。



「この接触で、神々がククに何を求めるか分からない。神格化されている期間中のことは、神となった時に影響が出やすくなるんだよ。穢れもそうだし、信仰心もそうだけど、何よりも神々の言葉は影響が出やすいから、絶対に駄目だよ」



「分かった。でも、邪魔はされたくない。新婚旅行とデートは別物なのに」



「そうだね。こんなに可愛いククを見せるわけにはいかない。よし……白狼も狼獣もまとめて振り切ってしまおう。クク、これから楽しい事をするから、よく見ててね」



 そう言ったシシはククを抱えると、印を結んでニヤリと笑う。

 その視線の先には、慌てる白狼と狼獣の姿があり、シシに向かって苛立ちを隠しもせず、狼獣は「陣で待つ!」とだけ叫んだのだ。

 そうして、ククとシシは一瞬にして別な場所へ移った。

 その場所は桜が満開に咲く渓谷となっており、シシは滝のそばまでククを連れて行く。



(凄い……綺麗。この花、初めて見た)



 ククは桜や滝や川など、その場にある全てに目を奪われ、徐々に思考そのものが働かなくなる。

 自然の音を聞き、自然を瞳に映し、全てを捨てて自然に溶け込む。

 それは無垢そのもので、雑念も何もなく、ただひたすらに『無』であるが、心には温かい炎が灯っている。

 そんなククの様子を、シシは嬉しそうに見つめ、愛しいツガイが自然に身を委ねる手助けをするようにククの足を川に入れ、剥き出しになっている桜の木の根に座らせた。



 そして暫くの間、ククは何も言葉を発さず、尻尾も揺らす事はない。

 だが瞳は輝き、表情は穏やかである。

 シシはククを見守りながら、ククの意識がこちらに戻ってくるのを待つ。



「……シシ、この場所は凄く綺麗で、美しいっていう言葉がピッタリだ。でも、還りたくなる。どうしてだろう」



「ここは、俺が生まれた場所だよ。俺は自然から生まれた龍で、元々は鱗も桜だったんだよ。この桜の木……ここから生まれたのが俺。ククが座っている根は、俺が生まれた時に盛り上がってしまってね。不恰好だけど、ククの椅子にできたのなら、この根も悪くはないかな」



(シシの言葉は、時々よく分からない事がある。でも、これは愛しいって気持ちなのかな。僕は、この根が愛しくてたまらない)



 ククは桜の根を愛しそうに撫で、その表情にシシは目を丸くして固まる。

 ククの微笑みが、これまでとは違うものであると、シシはすぐに気づいたのだ。



「不恰好でもいいじゃん。シシはいつもかっこいいから、こんな部分があった方が可愛い。でも……そっか、ここはシシが生まれてきた場所なんだ」



 ククはいまだに固まるシシの頬に触れ、初めてシシの赤いツノに触れた。

 シシのツノは熱を持ち、ククの手を温める。

 その心地良い温もりに、ククは頬擦りをした後、口づけをした。



「ッ……クク、俺を誘ってるの?」



 シシは熱を含んだ瞳でククを見つめ、桜の根に押し付けるようにククを押し倒す。

 だが、ククはそんなシシを前にしても、シシのツノから手を離さず、シシは龍の尻尾を出して、ククの尻尾に絡ませた。

 ククからしてみれば、シシの尻尾は温かく心地良いが、シシからしてみれば、ククの尻尾はヒンヤリと冷たく、それでいて心地良い水の中にいるような感覚であるため、自分の昂った気持ちを抑える為にも尻尾を絡める事が多かった。




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