第10話 無知は愚か者
愛に溢れた龍は内に炎を宿し、全てを焼きつくして無に還す。
それが元々の冥王としての役割であった。
あらゆるものを焼き尽くし、魂ですらただの入れ物として無にしてしまうシシは、魂に命の灯火が宿る瞬間をなによりも愛していた。
まだ産神も死神も存在しなかった頃、シシこそが生あるものの神であり、創造神ですらシシを前にすれば、命を左右される。
そんなシシは、命というものを何よりも愛し、命を奪う無を愛し、そして無から生み出される新たな命を楽しみにしていた。
だが、神々が増えるにつれ、世界も変わっていき、シシの役割も変わっていった。
シシは焼き尽くす事を辞め、魂の循環のみをし、愛を与えて育むという幸福を奪われた。
それでもシシは誰よりも愛に溢れ、様々な命を愛した。
今では、その全ての愛をククに向けるようになり、ククという存在の全てを愛している。
ククの笑顔に、ただ恋をしてしまったから。
「クク、ごめん。好きになってごめん。でも、愛してしまったら、もう戻れない。ククを手放すくらいなら、その命を何度でも奪って、俺も一緒に命を手放そう。たとえ不死身であっても、死ぬ時は一緒だ」
シシの重すぎる愛は、ククだけでは足りないが、ククの命をシシに捧げる事で均衡を保っているのではないかと、ククは考えた。
そもそも、ククとシシとでは愛の規模が違いすぎているのだ。
しかし、ククは運命のオメガであればどうなのだろうかと考える。
シシはククの運命になったとしても、ククを求め、ククを縛りつけ、ククを愛し続けるだろう。
むしろ、愛が更に重くなるのではないかと、ククは考えた。
だが、そんなシシの愛をもってしても、漸く好きだと自覚したククは、やはり恋愛において難易度が高すぎるオメガなのだが、ククはそんな自分のことなど考えていなかった。
(あ……またこの匂いだ。僕の鼻は馬鹿になったわけじゃないのに、なんでさっきは消えたんだろう)
「シシ……匂いが」
「ごめん……この匂いはね、俺の発情期の匂い。ククに発情期がこないから、俺の身体がククを欲して発情期に入ったんだ。でも、アルファの発情期なんてオメガを誘えるわけじゃないし、むしろ発情期がこないオメガに対して、不快感を与えるものなんだよ。発情期がこない事を責めてるようなものだからね」
「発情期……じゃあ、泊まりに行ってたのは?」
「宮殿の地下に行って、自分で自分を縛りつけてた。ククを襲わない為に。発情期はオメガのもので、健気に誘う姿は可愛いと有名だ。けど、アルファの発情期は酷くてね……傷つけたり縛りつけたり、ツガイが気を失っても抱くのをやめないし、最悪ツガイを殺す」
(シシ、自覚ある?もう全部やってるよ)
ククはシシに大丈夫だと伝えたかったが、発情期の匂いだと知らなかったとは言え、シシの匂いを拒絶し、シシを疑った事に罪悪感を覚えた。
では、あの客人とはどういった関係なのだろうと、嫌な予感がして訊いてみれば、あの客人はなんと創造神であり、目が見えないためシシの腕に捕まっていたのだと言う。
「創造神は、あの古竜に連れて来てもらったらしいけど、古竜がククをツガイにする為に創造神を利用したみたいだよ。でも、結局のところ俺が隠し事をしたのが原因だった。ククを傷つけたのは、全部俺だった」
そこで、ククはシシを責めるでもなく、全ての感情が抜け落ちたように崩れ落ち、自分は無知な愚か者だったと思い出してしまった。
それを思い出してしまえば、ククはシシに向けた言葉を後悔し、涙を流す事もなく「ごめんなさい」と謝った。
心は泣いていても、実際には泣けない自分を呪うように、ククは何度も何度も謝る。
そんなククをシシは呼び続けるが、シシのツガイである自分を責め続けるククには、シシの声が届かなかった。
「クク、クク!」
「ごめなさい、ごめなさい、ごめなさい、シシ」
「……黒白、謝らないで。泣いていいよ。おいで、黒白。俺はどんな黒白でも愛してる」
真名によって漸く涙を流したククは、シシに抱き寄せられ、シシの服を握りしめる。
「クク、俺の愛しいクク」
「シシ……僕は、無知だ。無知は罪だって……教えられたのに……また何も知らずに、シシを傷つけた僕は愚か者だ」
陸での経験は、ククの心が弱った時にこそ傷を抉る。
海の底で閉じ込められていたククが、陸でのことを知るわけもないのに、人々はククに無知は罪だと教えた。
街中で、オメガは匂いで誘ってはいけない。
その匂いが生臭いなら尚更だ。
獣人の前では特に匂いを控えろ。
陸に来たのなら陸の規則に従え。
陸で生きたいのなら、身嗜みくらいは整えろ。
これ以上にもあったが、ククが短期間でさまざまな物事を学び、陸での生活に慣れる事ができたのは、この教えがあったからだった。
王子であり、大切にされ、閉じ込められ、急に追い出されたククにとって、訳が分からないまま傷つけられ、それでも生きる為に慣れようとしたククは、無知は罪であり、その罪に気づかない者は愚か者だという常識が、心の奥底に深く根付いてしまっていたのだ。
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