「お前ならあれくらいついてくるかと思ったんだよ」
『スローフォックストロット、第二ヒート』
いつも通りというか、今回もアナウンスが始まってから夏目が戻ってきた。
タンゴのときのような冷え冷えとする怖さはもうなかったが、それでもやっぱり……もう別人なんだよなあ。
夏目がエスコートしようと手をだした。
綺麗な手だ。
石膏にまみれた、マリのための手ではない。
無視してフロアの中央まで歩いていくと、柄にもなく数拍固まったあと後ろから追い抜いてマリの前に立ち塞がった。
いいな、あの足。
きびきび動いて。
つい足元ばかりを見ていると後頭部にうんざり気味の声がかかる。
たとえるなら子どもの癇癪に仕方なく折れるような。
「悪かったって。今度はちゃんと合わせる。お前ならあれくらいついてくるかと思ったんだよ」
それは底辺を這いつくばっているマリに対して、王様が純金の玉座からのたまっているような台詞だった。
そりゃあ両足がある夏目からしたらあれくらいの動き余裕だろうよ。
夏目を妬んでいる自分に気づいた瞬間、右足首を何かに掴まれた気がした。
あの、ノイズが。
夢でマリの左足を引きちぎっただけでは飽き足らず、またフロアに引きずり倒して今度は右足を奪っていこうとしているのでは。
振り払わないと――。
向かいに立っている夏目が珍しく焦った顔をして口をぱくつかせていた。
何なの?
わたしはノイズを振り払うのに忙しいのに。
睨みつけると顎をしゃくって周囲を示したので何気なく振り返った。
周囲の人間はフロア中央で立ちんぼしているマリを器用に避けながら狐の行列みたいにぬめぬめと動いている。
視線の先では槙島が指を立ててカウントを取っていた。
5、2、3、4。
6、2、3、4。
7、2、3、4。
狐の行列はすでに踊っている人たちだ。
なんで今まで気づかなかったのか。
音楽がまったく聞こえない。
しかし鳴っているのなら踊らないと。
スローフォックストロットの
右手は夏目の左手を取って、左手は……どこに置くんだっけ?
さっき確認したはずの〝いつも通り〟というやつがまったく思いだせない。
槙島のカウントが10を過ぎたあたりだった。
乾いた舌打ちが聞こえた瞬間、夏目の左手がマリのことをかっさらい――。
身体が、勝手に動きだしていた。
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