「慧ちゃんはね、あんたとはどう考えても釣り合わないの」

 見事準決勝に進んだのは十五組のカップルだった。

 先ほどまでは三ヒートに分かれていたが人数が減ったので二ヒートに落ち着く。

 とはいえ今回もマリは二ヒート目だったのでウッドデッキの隅に座り、一ヒート目が踊るスローフォックストロットを眺めながら〝いつも通り〟とやらを思いだしていた。


 右足から下がってSQQ、SQQ、SQQ。

 そしたら右足前で終わるから、そのまま右足で踏みこんで前進のSQQを三連続……うん、思いだしてきた。


 スローフォックストロットを英語で書くと『Slow Foxtrot』であり意味は『狐の忍び歩き』。

 早い拍と遅い拍を組み合わせた踊りはまさに『狐の忍び歩き』で、ぴったりな名前だなあ……と思いきや、実際のところはフォックスさんという外国人が命名したかららしい。

 なんともまぎらわしいことだ。


「なあに、あんたまだ踊る気でいるの? あんな無様な姿をさらしておいて案外図太いのねぇ」


 背中から皮肉が降ってきてマリはつま先から顔をあげた。

 菜々子が感心したような小馬鹿にしたような、とにかく好意的ではない顔を浮かべて肩越しに覗き込んでいる。


「……まあ、夏目さんは踊る気みたいだし」


 言われなくてもマリだけだったら喜んで辞退しているところだ。

 しかしこれには金銭が絡んでいるのであって今さらマリの一存で辞めますなんて言えないのだ。


「あっそう。じゃあ身の程をわからせてあげるから」


 と、スマートフォンを取りだして菜々子が何やら検索し始めた。

 ものの数秒で目当てのものを見つけたらしく、マリの眼前に液晶画面を突きつける。


「これ、見て」


 なんなんだ一体。

 しかし画面を覗き込んだ瞬間、スマートフォンを奪い取っていた。


 『夏目慧』とだけ書き込まれた検索エンジンには無数の検索結果が表示されている。

 『天才アマチャンピオン、夏目慧選手! 独占インタビュー』『わずか十七歳! 夏目組が史上最年少のアマチュアスタンダードSA級・ラテンアメリカSA級へ昇格』『神童・夏目慧選手。中学生でJBDF全日本10ダンスチャンピオンに』

 ……夢中で検索結果を読み漁る。


「わかる? 慧ちゃんはね、あんたとはどう考えても釣り合わないの」


 わかる?と訊かれてもここに書かれている用語の九割はわからなかった。

 それでも一つだけ言えることは、『夏目慧』という人物を語るのに余計な修飾語は必要ないということ。

 ただ名前を検索すれば唯一無二の存在としてこれだけの記事が発掘されるのだ。


 菜々子がボタンをタップしてホーム画面に戻る。

 見切れる寸前に『消えた天才』という文字が見えた気がしたが、そのまま画面を消してポケットにしまった。


「あんた、悪いこと言わないから辞退しなよ。壊れても知らないからね」


 立ちあがった菜々子がスカートについた埃を払いのけ、ちょうど現れた兄を連れだって屋台のほうへと消えていく。

 ……仲良さそうでいいよなあ。

 止まっていた息を呪いのように吐きだした。


「何よ、もう……」


 思わず天を仰いだら後頭部をウッドデッキの手すりへと打ちつけ、ごすっという音がした。

 痛いのがわりかしありがたかった。

 そっちに意識を集中すれば余計なことを考えずに済んだから。


「そんなの、踊ってるわたしが一番わかってるわよ。ばあか……」


 とぼやいてみたものの、その声はスローフォックストロットのねちっこい曲に掻き消される。


 二曲目のタンゴで圧倒的な実力差を感じていた。

 別に素人なうえに義足なマリが競技選手のように踊ろうとは思っていない。

 それでも、少しくらい……教えてくれてもよかったじゃない。

 パートナー、なんだったらさあ。


 本番でいきなり手の届かない存在ですと見せつけられて、審査員に無視されて。

 わたしがいる意味って何?と思ってしまった。

 初めから知っていればもっとちゃんと割り切って、こんなふうに混乱することもなかったのに。

 これじゃあまるで、過去の栄光を自慢するためだけに王様へと献上された引き立て役である。


 あーあ、せっかくいい気分だったのに台無しだ。

 夏目さんはいいよね。ずっと踊ってきたんだから。

 こっちにしてみれば一生に一度の舞台だったのに滅茶苦茶にしてくれちゃってさあ。


 なんだかすうっと冷めていく。

 いいよね、二本足のある人は。

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